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2006年考研日语真题假名注音版
明王道,在线日语学习专家!更多考研日语资料、考研日语在线辅导,请访问QQ 329548555 官网:mingwangdao.com ,咨询电话:028-******** 考研日语基础班——文法词汇班——阅读作文班——冲刺模考班——复试口语班 专业老师,高分辅导 2006年全国硕士研究生入学统一考试日语试题解析 一 基礎知識 学校がっこうの国語教育こくごきょういくが、変かわり初はじめている。今年ことしは小学校しょうがっこう、来年らいねんは中学校ちゅうがっこう、 再来年さいらいねんは高校こうこうという順じゅんで、国語こくごの教科課程きょうかかていが新あたらしくなる。(1)教科書きょうかしょも、 新あたらしい枠組わくぐみ(2)考かんがえる必要ひつようが出でてきたわけだ。何なにが変かわるのか。一言ひとことで言 いえば「話はなしことば」の教育きょういくをしようということだ、わたしの実感じっかんである。(3)、今いままでやていなかったことが、不思議ふしぎだったのだ。 今いま、わたしは、何なんヵか所しょかて「話はなしことば」の講座こうざを持もっている、NHK文化ぶんかセンタ せんたー(4)、マスコミますこみを志望しぼうする学生がくせいのための講座こうざがある。学生がくせいたちは「マニュアルまにゅあるで ももらって話はなしし方かたでも勉強べんきょうしようか」程度ていどの軽かるい調子ちょうしで応募おうぼして(5)。そして、最初さいしょの授業じゅぎょうでわたしが「ここでは、話はなし方かたも教おしえないし、読よむこともしない」というと、大半たいはんの学生がくせいは、「アあ」当あてが外はずれた顔をする。しかし、一回目いっかいめの授業じゅぎょうが進すすむ(6)、学生がくせいの目めは輝かがやき始はじめる。そして。そして「こんな大切たいせつなことを、なぜ今いままで学校がっこうでは教おしえてくれなかったのだろうか。「イい」もっと早はやく学まなべていたら???」という。 別べつに卓抜たくばつな講義こうぎをしている(7)ではない。当方とうほう(8)してみれば、ジャじゃーナリストなりすとのための教育きょういくの前まえに、ことばに対たいする考かんがえ方を、「ウう」尐々述しょうしょうのべるだけなのだ。「エえ」それも当然とうぜんのことしか言いわないのに、恐 縮きょうしゅくな限かぎりである。 対話力たいわりょくとは「読よみ取とる力りょく」「思う力りょく」、それに「届とどける力りょく」の三みつを総合そうごうした力ちからなのだか、最初さいしょに鍛きたえなければならないのは「読よみ取とる力りょく?受うけ取る力りょく」なのだ。これをしっかりと(9)する。そして体からだの中なかに「考かんがえる」とか「感かんじる」といった「思おもう力りょく」を育そだてる。最後さいごに、「思おもい」をことばに翻訳ほんやくしながら組くみ立たて て、相手あいてを読よむ。これが対話たいわだ。 今いま、大手おおてのS 出版社しゅっぱんしゃの依頼いらいを受うけて、中学生ちゅうがくせい(10)の「話はなしことば」の教材きょうざいとマニュアルまにゅあるを作つくっている。先方せんぽうの話はなしによると、日本にほんで初はじめての試こころみだ そうだ。初はじめてだからすべてがオリジナルおりじなるである。そうか、初はじめてなのか、憮然ぶぜんとせざ るをえない。 「思おもいやりを持もて」「相手あいての身みになって」「元気げんきに大おおきな声ごえで」そんなあいまいな指導しどうではなく、届とどくことばを獲得かくとくするための具体的ぐたいてきな教育法きょういくほうが必要ひつようなのだ。 新あたらしい学習指導要領がくしゅうしどうようりょうを見みると、「思考力しこうりょくや想像力そうぞうりょくを養やしない、 言語感覚げんごかんかくを豊ゆたかにし。。。」とある。実みのりある教育きょういくを期待きたいしよう。 「しかしね」と現場げんばの先生せんせいが「カか」つぶやいた。「結局けっきょく、あまり変かわりません(1 1)。受験じゅけんには関係ありませんから。」そうか、「キき」やっぱり受験じゅけん、受験じゅけんと活字かつじだけに追おわれるのか。しかしね、先生せんせい。最後さいごの関門かんもん、入社試験にゅうしゃしけんはインタビュいんたびゅー、「話はなしことば」なんですがね。日本にほんの子こどもは苦労くろうするよ。かわいそうに、まったく。 二 A 読解 「一」 どこの家いえでもそうだと思おもうが、母親ははおやというのはやけに物持ものもちがよくて、ときどきあっと驚おどろかされることがる。20年ねんも前まえのセーターを今いまでも着きていたり、30年ねんも前まえに使つかっていたカかーテンてんを未まだに押入おしいれの奥おくにしまっていたり。。。中なかでも自分じぶんの子こどもに関係かんけいする類るいの物ものは、今いまや何なんの役やくにも立たたないと分わかっていながら、大事だいじにとってある。 むろん、ぼくの母親ははおやも例外れいがいではない。つい先日せんじつも、押入おしいれの奥おくから驚おどろくべきものを出だしてきて、ぼくをあっと言いわせた。そのときぼくは母親ははおやと差さし向むかいで、お茶ちゃを飲のみながら昔むかしの話はなしに花はなを咲さかせていた。大学時代だいがくじだいのぼくが、海うみのものとも山やま のものともつかないのに、いつもシコシコしこしこ原稿げんこうを書かいていたという話題わだいになった時とき、母親ははおやは急きゅうに何なにか思おもいついたような顔かおをして、「そういえばあなたの。。。あれは何なに、 カかードどみたいなものがいっぱいあるけど」ということを言いった。何なんのカかードどなのかぼく自身じしんにもぜんぜん分わからかったので、ちょっと見みせてくれと頼たのんだところ、押入おしいれの奥 おくから風呂敷ふろしきに包つつんだ500枚近まいちかいカかードどを出だしてきたのである。 一見見いっけんみて、ぼくはそれが何なんであるのかを思おもい出だし、声こえを上あげそうなほど驚おどろいた。それはぼくが19歳さいから20歳さいにかけての約一年半やくいちねんはん、勉強べんきょうのつもりで記しるしていた日記のようなカかードどである。俗ぞくに”“京大式きょうだいしきカード”と呼よばれるもので、裏うらは真まっ白しろ、表おもてには何本なんほんかの罫線けいせんが引いてあるだけのシンプルしんぷるなカかードどである。当時とうじのぼくはこ れを使つかって、まず個人的こじんてきな読書どくしょカかードどを作つくり始はじめた。短編小説たんぺんしょうせつを1篇読ぺんよんでは、1枚まいの京大式きょうだいしきカかードどに読後感どくごかんを記しるしていたのである。半年はんとしもしないうちにカかードどはかなりの数枚すうまいになり、だんだん面白おもしろくなってきたので、今度こんどは自分じぶんなりの小説論しょうせつろんとか、自分じぶんの書かいている小説しょうせつの欠点けってん、あるいは退屈たいくつしのぎに思おもうこ となどをここに記しるすようになった。 十数年じゅうすうねんを経たった今いま、このカかードどを改あらためて読よんでみると、その勤勉きんべんさ、その情熱じょうねつには頭あたまの下さがるものがある。二十歳はたちのぼくがほんとうに心こころから、何なんが何なんでも小説家しょうせつかになりたいと願ねがっていたことが、よく分わかる。 ぼくは、20歳の原点げんてんに還かえるべく、再ふたたび京大式きょうだいしきカかードどをつけてみようかと考かんがえている。 「二」 チンパンジちんぱんじーは、さまざまなあいさつの仕方しかたをもっている。おじぎ、握手あくしゅ、抱擁ほうよう、平伏ひれふ す、肩かたを叩たたく、軽かるく相手あいてにさわる。それにキスきすさえもする。ゴリラごりらは深ふかいおじぎをするが、その他ほかのあいさつ行動こうどうは貧弱ひんじゃくである。なぜチンパンジちんぱんじー属ぞくにだけ、あいさつ行動こうどうが豊富ほうふなのか。 その理由りゆうは、彼かれらの特殊とくしゅな社会構造しゃかいこうぞうに求もとめられる。チンパンジちんぱんじーの集団しゅうだんはニホンザルにほんざるの群むれと同おなじく、複数ふくすうの雌めすによる20~100頭あたまの集団しゅうだんである。ニホンザルにほんざるの群むれは閉鎖的へいさてきで、青年以上せいねんいじょうの個体こたいが群むれから遠とおく離はなれて4,5日にちも行動こうどうしたりすると、群むれに戻もどりにくい。とくに雄おすはまず復帰ふっきできず、よそ者ものとみなさ れて追おい出だされてしまう。(アあ)チンパンジちんぱんじー社会しゃかいはメンバめんばーの離合集散りごうしゅうさんが日常的にちじょうてきな社会しゃかいで、若わかい雄おすと雌めすが仲良なかよく旅行りょこうに出でかけていき、いか月げつもたって から帰かえってくるといったこともある。そうしたとき、帰かえってきた連中れんちゅうは、集団しゅうだんの仲間なかまにあいさつをする。そうすると、ごく順 調じゅんちょうに集団しゅうだんに入いれてもらえる。(1) このように、時間的空間的じかんてきくうかんてきに離はなれていたための疎遠感そえんかんを、あいさつによって消けし 去さり、もとの社会関係しゃかいかんけいを回復かいふくすることができるのである。チンパンジちんぱんじー社会しゃかいでは、個人こじんの行動こうどうの自由度じゆうどが大きく保証ほしょうされているが、あいさつはそれを可能かのうにするための行動型こうどうがたなのである。 このことは、われわれのあいさつ行動こうどうに照てらしてみると、よく理解りかいできる。なぜ、い つ、あいさつをするのか。それは日常的にちじょうてきには相互そうごに時間的空間的じかんてきくうかんてきに離はなれている場合ばあいに限かぎられている。2,3日 出張にちしゅっちょうした後仲間ごなかまにあいさつする、あるいは夜寝よるねる前まえに「お休やすみ」と言いい、朝起あさおきると「おはよう」とあいさつする。眠ねむるという行為こういは、相互そうごの認知空間にんちくうかんの遮断しゃだんである。どうやら人間関係にんげんかんけいというものは、いかに深ふかい間柄 あいだがらでも、わずか一夜いちやの時空じくうの隔へだたりがあると希釈きしゃくされるものらしい。あいさつという 行動こうどうは、希釈きしゃくされた関係かんけいをもとの濃度のうどに還元かんげんする作用さよう をもつものなのだ。(2) 世界中せかいちゅうのどんな奇習きしゅうをもつ民族みんぞくにも、あいさつ行動こうどうはある。もちろん、あいさつの仕方しかたはさまざまであって、日本人にほんじんと西欧人せいおうじんの間あいだではおじぎと握手あくしゅという行動型こうどうがたの相違そういはあるが、あいさつもつ社会的基本機能しゃかいてききほんきのうには変かわりがない。初はじめての人ひとどうしがあいさつを交かわすのは、お互たがいの心こころのチャンネルちゃんねるを繋つなごうとする行為こういなのである。(3) チンパンジちんぱんじーのあいさつが文化的行動ぶんかてきこうどうだという実証的研究じっしょうてきけんきゅうはないが、その可能性かのうせいは大おおいにある。それはともかく、人類じんるいはあいさつを文化行動ぶんかこうどうとして形式化 けいしきかし、人間関係にんげんかんけいの基礎置きそおいて発展はってんさせた。それがあまりにも形式化けいしきかしたり権威けんいの鎧よろいをつけられたりして、本来ほんらいの機能きのうと外はずれた意味いみを付与きよされるようになったので、 疎うとんじられる向むきもある。とくに若わかい人ひとの間あいだでは無視むしされがちである。また、家庭かていで もあいさつのしつけがおろそかにされる傾向けいこうがあるが、ともすれば子こどもの社会性しゃかいせいが 欠如けつじょしがちな現代げんだいの風潮ふうちょうの中なかでは、小ちいさい時ときにあいさつ、つまり心こころの チャンネルちゃんねるを通つうじあわせる行動こうどうを、きちんと身みにつけさせておきたいものだ。それは チンパンジちんぱんじーから受うけつがれた、社会的動物しゃかいてきどうぶつとして生いきるためのひとつの知恵ちえなのである。 「三」 こういうことを書かくのは、本当ほんとうにひどく気きが引ひけることである。不幸ふこうにして病びょうに冒おかされ、深刻しんこくな闘病生活とうびょうせいかつのなかで必死ひっしに生いきていらっしゃるかたがたには、 傲慢不遜ごうまんふそんな物言ものいいのように受けとられてもしかたがない。しかし私わたしは、必要ひつようのな い人ひとびとが病院びょういんに押おしかけたり, 自立心じりつしんを欠かいた患者かんじゃたちが事ことあるごとに医師いしや薬くすりに頼たよろうとすることに文句もんくをつけているのだ。ちょっと風邪気味かぜぎみだったり、すこし疲労ひろうがたまったり、病気びょうきらしい病気びょうきでもないのに、自分じぶんでは自覚症状じかくしょうじょうを訴 うったえ、そのたびごとに治療ちりょうを受うけ、注射ちゅうしゃを頼たよみ、薬くすりをもらおうとする安易あんいさが気きに くわないのである。 よくいわれる大病院おおびょういんでの3時間待じかんまち3分治療ぶんちりょうなどという話はなしは、まだいいほうだ。ある国立病院こくりつびょういんの医師いしが自分じぶんの仕事ぶりをチェックちぇっくしてみたところ、ひとりの患者かんじゃに2分平均ぶんへいきんしかさいていないことがわかって、そのことを嘆なげいている文章ぶんしょうを読よんだことがあった。これもあまりに多おおくの市民しみんが気軽きがるに病院びょういんに押おしかけるからだと私は思おもう。 さらに言いわせてもらえば、むやみに科学かがくや医学いがくに頼たよるな、ということだ。科学かがくはつねに両刃りょうばの剣けんである。医学いがくや技術ぎじゅつの進歩しんぽによって救すくわれた命いのちと、それによって失 うしなわれた命いのちと、はたしてどちらが多おおいか。私わたしは五分五分ごぶんごぶんだと感かんしている。医学いがくが作つくりだす病気びょうきもまた尐すくなくないのである。そのことを統計的とうけいてきに証明しょうめいせよ、と言いわれても、私わたしにはそれをする気きはない。統計とうけいや数字すうじもまた現代げんだいの大おおきな病びょうのひとうだと感かんじるからだ。数字すうじは正直しょうじきだが、それを扱あつかうのは問題もんだいだらけの人間にんげんたちではないか。文明ぶんめいの利器りきと称しょうされるもので、凶器きょうきと化かす可能性かのうせいが皆無かいむなものがあったら教おしえてもらいたいものだ。 「四」 日常会話にちじょうかいわの中なかでは、「それは常識じょうしきよ」と言いってかたづけてしまうことがよくあ る。けれども、常識じょうしきってなんだろう、と改あらためて考かんがえてみると、それほど簡単かんたんな 話はなしではない。 わたしは、東京とうきょうで生うまれ、育そだったので、たとえば天候てんこうなどの自然現象しぜんげんしょうの思おもい浮うかべる場合ばあいも、自然しぜんに東京付近とうきょうふきんの様子ようすを頭あたまに描かいてしまう。冬ふゆのどんよりと曇 くもった空そらから降ふり続つづく雪ゆきのことは、知識ちしきとしては理解りかいできても、実感じっかんとしてつかむのは難むずかしい。お恥はずかしい話はなしだが、先日せんじつ、大阪おおさかの友人ゆうじんと話はなしていて、大阪おおさか では地震じしんがめったにないと聞きいて、改あらためて驚おどろいた。地形ちけいを考かんがえれば納得なっとくできるこ となのだが、つい、自分じぶんの経験けいけんでものを考かんがえてしまうのだ。 生物せいぶつの世界せかいにも、こんな例れいはたくさんある。わたしたちは、温度おんどはほぼ40度以下どいか、 1気圧きあつの空気くうきの中なかで暮くらしている。だから生物せいぶつは、これに近ちかい環境かんきょうに生息せいそくして いるものと考かんがえる。いや、そういうところでしか生いきられないと思おもっている。ところが、とんでもない。思おもいもよらないところに住すんでいる生物せいぶつもあるのだ。 わたしたちのなじみの温泉おんせんであるが、70度以上どいじょうの温泉おんせんの中なかで生活せいかつしている細菌さいきんがある。70度どといえば、ゆで卵たまごのできる温度おんどだから、体からだが全部固ぜんぶかたまってし まいそうに思おもうが、そんなこともなく、ちゃんと増ふえている。「いい湯ゆだな」と歌うたってい るかどうかは知しらないが、その細菌さいきんは70度どという温度おんどが好すきで、常温じょうおんよりも活発かっぱつな活動かつどうをする。そのほか、お酢すのような酸さんの中なかが好すきな細菌さいきんや、濃こい塩水しおみずの中なかが好すきな細菌さいきんもある。牛 乳ぎゅうにゅうにお酢すを垂たらせばたちまち固かたまってしまうし、キュウリきゅうりに塩しおをかければ、外そとに水みずが沁しみ出だしてくるのでも分わかるように、これらの条件じょうけんは普通ふつうの生物せいぶつにとっては嫌いやな環境かんきょうだ。わたしたちは、酸素さんそがなくては数分すうぶんだって生いきていられないが、酸素さんそが嫌きらいな細菌さいきんもある。そもそも、大昔おおむかしの地球ちきゅうには酸素さんそなどなかったのだから、当時とうじの生物せいぶつはみな酸素嫌さんそきらいだったはずだ。 こうしてみると、常識じょうしきとはなんとも頼たよりないもので、自分じぶんとはまったく違ちがう立場 たちばがあることを理解りかいし、常つねに相対的そうたいてきに見みることが重要じゅうようである。一方いっぽう、人間にんげんはど うして70度どのお湯ゆの中なかでは生いきられないのであり、その意味いみでの自分じぶんの常識じょうしきも大切たいせつにしなければならない。この2つをうまく組くみ合あわせていくのが、本当ほんとうの常識 じょうしきであり、これからはそれが重要じゅうようになってくると思おもう。 実じつは、この文章ぶんしょうを書かいてから15年後ねんごの1995年ねん1月がつ17日にちに 阪神淡路大震災はんしんあわろだいしんさいが起おきた。この友人ゆうじんは大阪おおさかから転勤てんきんしてきて、東京とうきょうは地震 じしん の多おおい恐おそろしい所しょだから、関西かんさいへ帰かえりたいと言いっていた。わたしなどまったく気きにならない小ちいさな地震じしんも恐ろしいと言いっていたので、きっと子こどものころから地震じしんを体験たいけんしてこなかったのだろう。ところが、今回大地震こんかいだいじしんで彼女かのじょの芦屋あしやの実家じっかは倒壊とうかい した。 その後専門家ごせんもんかが、今回地震こんかいじしんが起おきた付近ふきんには活断層かつだんそうがたくさん走はしっていて、いつ地震じしんが起おきてもおかしくない状 況じょうきょうだったと解説かいせつしているのだから、彼女かのじょの常識じょうしきは誤あやまりだったことになる。なんだか複雑ふくざつなことになった。常識じょうしきについて は、科学的知識かがくてきちしきとその伝達でんたつという問題もんだいも含ふくめてよく考かんがえ、もう一度整理いちどせいりしなければならないと思おもっている。 B 翻訳 若わかい世代せだいはなぜ子こどもを作つくろうとしたくなかったのだろうか。教育費きょういくひなど子育こそだて にはお金かねがかかる、保育所ほいくしょが不足ふそくしている、といった現状げんじょうから、環境問題かんきょうもんだいなど近ちかい将来しょうらいへの不安ふあん、などさまざまな理由りゆうが考かんがえられる。いずれも正ただしいと思おもわれるが、やはり最大さいだいの原因げんいんは結婚けっこんしない、あるいは結婚けっこんを遅おくらせる若わかい人ひとたち、特とくに女性じょせいが増ふえていることであろう。 独身どくしんであれば束縛そくばくされずに贅沢ぜいたくなな生活せいかつを楽たのしめる。それが結婚けっこんして 専業主婦せんぎょうしゅふになれば思おもいのままに使つかえるお金かねが尐すくなくなる。仕事しごとを続つづけていこう としても保育所ほいくしょ、とくに零歳児れいさいじを預あずかってくれるところは尐すくなくなる。産休さんきゅうや 育児休暇いくじきゅうかを取とることができても復帰ふっきすればもとの仕事しごとに就つける保証ほしょうはない。育児いくじに協力的夫きょうりょくてきおっとだとしても、残業続ざんぎょうつづきせるの実際じっさいには協 力きょうりょくできないことが多おおい。勢いきおい妻つまに負担ふたんは集中しゅうちゅうし、核家族化かくかぞくかで相談そうだんする人ひと もそばにはいない。 子こどもが学校がっこうに入はいった後ごを考かんがえれば、いじめや登校拒否とうこうきょひ、家庭内暴力かていないぼうりょくなどの不安ふあんも気きになるところだ。これでは結婚けっこんや出産しゅっさん、育児いくじに価値かちを見みいだし、夢ゆめを持もてと言いわれても無理むりかもしれない。ましてや経験的結婚けいけんてきけっこんしなければならないという制約せいやくはほとんどなくなり、社会しゃかいの偏見へんけんも一時代前いちじだいまえのものとなっているのである。 若わかいたちが結婚けっこんや出産しゅっさんを積極的せっきょくてきに望のぞまないという社会しゃかいは、どう見みても 不健全ふけんぜんである。社会全体しゃかいぜんたいに応おうく病根びょうこんが広ひろがっているとしか思おもえない。人口じんこうの 減尐げんしょうや社会保障しゃかいほしょうの負担ふたんの増加ぞうかを憂うれえたり、児童手当じどうてあての金額きんがくを論ろんじる以前いぜんに、 こうした不健全ふけんぜんな社会しゃかいを改あらためる努力どりょくをするのが先決せんけつである。 戦後せんご50年間ねんかんあまり続つづけられてきた経済至上主義けいざいしじょうしゅぎ、偏差値重視へんさちじゅうしの 受験戦争じゅけんせんそう、大都市おおとしへの一種集中いちしゅしゅうちゅう。それによる家庭かてい、地域ちいき、学校がっこうなどの 機能低下きのうていか。それが尐子化しょうしかの異常いじょうな進行しんこうという形かたちで表あらわれてきたと考かんがえるべき だろう。それはこれまでの行政ぎょうせいが個人こじんや家庭かてい、地域ちいきという社会しゃかいの基本きほんを成なす分野ぶんやを ほとんど視野ぶんやに入いれてこなかった応報おうほうが回まわってきたということでもある。 不健全ふけんぜんな社会しゃかいを矯正きょうせいしていくには行政ぎょうせいの役割やくわりも大おおきいのは当然とうぜんだが、 それだけでは済すまない。女性じょせいはもとより、男性だんせいの育児休暇いくじきゅうかもごく自然しぜんに認みとめられ るような雇用形態こようけいたいや労資ろうしの意識いしきの改革かいかくも必要ひつようである。偏差値重視へんさちじゅうしの教育きょういくを改あらためるために、教育きょういくの場ば、企業の採用方法さいようほうほう、個人こじんの考かんがえ方かたの改善かいぜんも欠かか せない。さらにしつけをはじめとする親おやの役割やくわりの見直みなおしも不可欠ふかけつだし、地域ちいきの活性化 かっせいかには地方自治体ちほうじちたいの責任せきにんも求もと められる。 だれかに任まかせるのではなく、国民全体こくみんぜんたいがそれぞれに取とり組くまなければ、長年ながねんにわたって蓄積ちくせきされ広ひろがった社会しゃかいの歪ゆがみは修正しゅうせいされない。その意味いみで国くにを挙あげて社会しゃかいの健全化けんぜんかに取とり組くむ必要ひつようがある。
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