首页 (木村英樹)中国語ヴォイスの構造化とカテゴリ化

(木村英樹)中国語ヴォイスの構造化とカテゴリ化

举报
开通vip

(木村英樹)中国語ヴォイスの構造化とカテゴリ化18く参考文献>叶南薫1958《夏悦和橋悦》新知沢出版社,上海。湯延池1979《国悟悟法研究透集》台湾学生ギ局,台北。湯延池1988《国活司法句法沿集》同上。朱徳熙1980《現代浜悟悟法研究》商分印事備,北京。朱徳熙1982《活法沸文》商努Fp事情,北京。刺月準等1983《実用現代決悟漏法》外漏教学埼研究出版社,北京。瞭建民1986(同位的飼活〉《浜活学可》1986年6期。陪丙甫1988〈定活的外延性,内涵性和称渭性及其順序)《活法研究和探索》4北京大学。疱暁19"《介宴短悟夏指短悟固定短悟》人民教...

(木村英樹)中国語ヴォイスの構造化とカテゴリ化
18く参考文献>叶南薫1958《夏悦和橋悦》新知沢出版社,上海。湯延池1979《国悟悟法研究透集》台湾学生ギ局,台北。湯延池1988《国活司法句法沿集》同上。朱徳熙1980《現代浜悟悟法研究》商分印事備,北京。朱徳熙1982《活法沸文》商努Fp事情,北京。刺月準等1983《実用現代決悟漏法》外漏教学埼研究出版社,北京。瞭建民1986(同位的飼活〉《浜活学可》1986年6期。陪丙甫1988〈定活的外延性,内涵性和称渭性及其順序)《活法研究和探索》4北京大学。疱暁19"《介宴短悟夏指短悟固定短悟》人民教育出版社。当庚株1991〈願序又対体司活法功能的影哺〉《中国悟吉学損》4期。東続林1992〈定活順序的汰知解粋及其理沿笙通)《中国社会科学》1992年2期。強敏1998《決知悟言学与洪活名珂短悟》中国社会科学出版社,北京。木村英樹1983“指示と方位―「他那本市」の構造と意味をめぐって"「伊地智善縦、辻本春彦両教授退官記念中国語学文学論集」東方書店。中国語ヴォイスの構造化とカテゴリ化木村英樹(東京大学)浜悟是―紳没有動詞形悉変化的孤立悟.本文減圏説明,在浜漏逮紳孤立漏盲中,悟悉現象是想祥結杓化和疱疇化的.主要目的在干以浜悟里与活恣相美的一系列有林氾句式力対象,描写官佃所具有活又及錆杓上09対立美系和連壌美系,遺而探索声生各句式之同池時対立的活又助因.此タト,本文述及方吉美型学的現点出友,針対用在有林氾洒恣句式中引遺劫作主体和状恣主体的林記,特指出各方吉里在逮些形式的茫時化方式存在着几紳不同的英型,井持円明促使各↑英型形成的活又劫因1はじめに2ヴォイス 关于同志近三年现实表现材料材料类招标技术评分表图表与交易pdf视力表打印pdf用图表说话 pdf 現の構造と意味3ヴォイス表現と事態のカテゴリ化4Yマーカー(p)のカテゴリ化1はじめに名詞表現の意味役割と格表示の対応関係の変更が言語形式の上に何らかのかたちで明示的かつ規則的に反映される現象を一般にヴォイスという。中国語は、述語の形態変化こそ伴わないものの、統語的ないしは構文的レベルにおいては、ヴォイスと呼ぶに相応しい文法現象をもち合わせる言語である。`対格言語(accuSat市elanguage)に属し、SVOを基本語順とする中国語においては、述語の表す動作・作用の主体一―<動作者>やく経験者>など――は通常、有形の格標識を伴わずに主語の位置に用いられる。それらが主語以外の位置で用いられる場合には、次の例のように、必ず特定の形式に導かれて有標化(marking)されなければならない。(1)老卯口‖小鉦念課文.(2)辻我随便挑―下.中国語学(247),19-39,2000日本中国語学会20(3)巨大的来香使他睡不着党了.(4)小明被小鉦換倒了.(1)から(41では、述語(波線部)の表す動作作用の主体がいずれも特定の形式(下線部)によつてマークされている。一般に「使役文」や「受身文」の名で呼ばれるこれらの構文が高度の生産性と一定の規則性をもって産出されるという事実は、紛れもなく中国語にヴオイスという現象が存在することを示している。本稿は、述語の形態変化という手段をもち合わせない中国語にあつて、ヴォイスという文法現象がいかなる形で構造化され、カテゴリ化されているかを明らかにしようとするものである。具体的には、いわゆる「使役」や「受身」を表すとされる一連の有標ヴォイス構文を取り上げ、相互の意味的及び構造的対立と相関の関係を、それらが対応する事態との関連において特徴づけ、加えて、各構文間のカテゴリカルな対立を動機づける意味的指標を探り出すことを目的とする。2ヴォイス表現の構造と意味ヴォイスに関して有標の表現形式を考える上で当面問題にすべきは、先の(1)から④に代表される四つのタイプの構文である。仮に主語名詞をX、述語をVとし、Vの表す動作作用の主体をYで表すとすると、それぞれの構文の構造は(5)のように記号化される。(5)(I)X口lYV(Ⅱ)XttYV(■)XttYV(Ⅳ)XttYVここでは、これら四つのタイプの構文をひとまず、(I)指示使役文、(Ⅱ)放任使役文、(■)誘発使役文、(Ⅳ)受影文と呼び分け、それぞれのタイプについて、構造と意味の示差的特徴を見てゆくことにする。21指示使役文とは、主語に立つ人物Xが人物Yに、動作行為Vを遂行させようとしむける事態を述べる構文であり、放任使役文とは、人物Yが動作・行為Vを遂行することを人物Xが許容する、ないしは放任するという事態を述べる構文である。この二つの構文がいわゆる兼語文からの文法化の産物として捉え得るものであることは周知の通りである。狭義の兼語文とは、(61のように“XVlYV2"のかたちをとり、<人物X21が、人物Yに行為V2を遂行させる目的でYに働きかける(Vlする)>という事態を述べる構文である。(6)老王靖李大夫看病.(61は、“看病"させる目的で“老王"が“李大夫"を“清"するという事態を述べている。“清"に替わつて仮に“命今"が用いられれば「命じて診察させようとするJ事態を表し、“催"が用いられれば「せき立てて診察させようとする」事態を表す。兼語文とは、このように、典型的には、Vlの意味する具体的な<働きかけ>によってXがYに何らかの行為を<させようとする>といった類の事態を表すものである。この兼語文におけるxからYへの<働きかけ>の具体性が捨象され、Vi本来の動詞性が希薄化し、単に<させようとする>という使役的意味のみを担う構造として文法化したものが、ほかでもなく指示使役文(X口HYV)と放任使役文(X■YVlである。先の(1)の指示使役文は、<いかにして>させるかという<働きかけ>の部分の詳細は不間に付し、ともかく何らかの意志表示によって“老州"が“小鉦"に「朗読させようとした」という事実のみを述べており、②の放任使役文に至っては、発話者は、相手から<働きかけ>が何らなされないことを望み、自らに「随意に選ぶ」自由が与えられることを求めている。“口Ч"も“辻"も動詞としての実義性をすでに失い、結果として、<被使役者>を導く前置詞として虚詞(機能語)化している。。このように兼語文を出自とする指示使役文と放任使役文は、いくつかの特徴を兼語文から引き継いでおり、その一つに、被使役者の行為が目的性のそれに止まるという意味的特徴を具えている。荒川1977の指摘にある通り、日本語の「朗読させた」が「朗読する」行為の実現を保証するのに対して、中国語の“口‖小鉦念課文"は、たとえそれが既然の出来事への言及であっても必ずしも「小紅が朗読した」ことを保証しない。“昨天我口‖小鉦念繰文,可是小鉦没念."のような表現が無理なく成立することからも明らかなように、“口H小鉦念凛文"はあくまでも「小紅に朗読させようとした」ことを意味するものでしかない。兼語文が<ある行為を遂行させる目的で人に働きかける>行為を述べる文であり、そこでのV2が<目的>としての行為であったように、二つの使役文においても、被使役者Yの行為は、通常、目的性の行為すなわちくさせようとする>行為として構文化されている。22指示使役文と放任使役文についてもう一点留意すべきことは、それらが、述語成分の表すく動作・行為>を遂行させようと仕向ける事態を表す構文であり、従って、述語成分Vはつねに[+意志性]の動詞表現から構成されるという事実である。自明の事柄ではあるが、他のヴォイス表現との関連においてこの一点を確認しておくことは重要であると思われる。以上、指示使役文と放任使役文について、被使役者(りの動作行為が[+意志性]のそれであること、そして、通常それは目的性のものであることの2.点を確認した。このことから、両使役文は、<スルヨウニシムケル>構文、すなわち<サセヨウトスル>という意味を表す構文であると特徴づけることができる。22それとは対照白|に、[―意志性]の表現が述語に用いられるのが誘発使役文(xttYV)である。誘発使役文は、Yに何らかの状態または変化が生じる状況をxが誘発するという事態を述べる構文であり(岩田1983、楊1989)、典型的には、先の(3)や“成功的快感使他共査."、“速企亜変使他老了杵多."の例に見られるように、心理活動や身体的状況に言及する無意志動詞もしくは形容詞を述語にとる。指示使役文や放任使役文が意志的な動作を意味する表現、すなわちくスル>的表現を述語にとるのとは対照的に、誘発使役文は無意志的な状態や変化を意味する表現、すなわち<ナル>的表現を述語にとることを特徴とする。誘発使役文は、また、主語Xが原因的使役者―一言い換えれば、無意図的な誘発者――であるため、意図的な使役行為の表現には適さず、従つて、欲求表現や命令表現は成立し得ない。“*我想使他睡不着党."や“*体尽量使地高共pE!"などは明らかに不自然であり、この点においても指示使役文・放任使役文とは対照的である。さらに、誘発使役文の述語が表す状態や変化は目的性のものではなく、その点でも指示使役文などとは異なる。“成功的快感使他共脊."という表現は必ず“他共査"という状況が実現していることを保証する。指示使役文のVが通常、未然的であるのに対して、誘発使役文のそれは己然的であると言える。以上のことから、誘発使役文とは、無意図的誘発者XがYをしてナル的状況Vに至らしめる事態を意味する構文、すなわち<ナラセル>構文23であると特徴づけることができる。23従来「受身文(“被功句")」の名で呼ばれてきた“xttYV"は、主語に立つ対象Xが単に動作・行為を受けることを述べるだけでは成立し難く、Xが動作行為の結果として被る何らかの具体的なく影響>を明示する表現、もしくはそれを強く合意する表現を述語成分に要求する(木村1981、王迩1983)。本稿が敢えて「受影文」と呼ぶ所以である。対象への結果的影響をより具体的に伝えようとする受影文に対して最も適性の高い述語形式は、(41の“換倒"や“秋得務痕累黒"のような、動作と結果eesult)を併せ示すタイプの動補構造すなわちvR構造である。動作のみを述べて結果を述べない“??小明被小鉦槙了."や“'?村被斧子秋了."が不自然に感じられるのに対して、動詞が結果表現を伴う(41や“村被斧子秋得傷痕累票."は適格な受影文として成立する。動詞によっては自らの話彙的意味として対象への影響を十分に合意し得るものもあり、例えば“焼[燃やす]、折[取り壊す]、本[殺す]"などは、(7)のように、補語成分を伴わずに受影文の述語に立つことも可能である。(7)他的房子被地磨焼了.但し、この場合も完了相接辞の“了"の存在が不可欠であり、“了"を伴わない“*他的房子肯定会被地暦焼."のような表現は明らかに不自然である。このことは、結果を表す補語成分を伴わない動詞は、たとえ語彙的にく影響>合意度が高いものであっても、未然の事態を表す受影文には適応し難く、つねに既然の事態を表す受影文にしか適応し得ないという事実を示している。受影文への適性がそれだけ劣つているということである。vR構造にはそうした制約は働かない。例えば“焼"が結果表現の“悼"を伴えば、(80のように“了"を伴つて既然の受影文を構成することも、(8blのように“了"を伴わずに未然の受影文を構成することも可能である。(8)a他的房子被地宕焼悼了.b他的房子肯定会被地着焼悼.詳細は木村1992に譲るが、“焼"や“茶"よりも影響合意性の弱い動詞については受影文への適性が一層低下し、“了"のほかに数量表現などの付加を借りて具体的なにlicity(限界性)を獲得することによって漸く受影文への適用が可能になるといった類の動詞もあれば、“決沢、繊持、接[迎24える]"のようにいかなる手段を講じようとも受影文への適用が困難な類の動詞もある。このように、受影文への適応性が高いものから低いものへと連続的な階層が形成されるなかで、VR構造は、未然,既然のアスペクチュアルな制約にも縛られず、また数量表現その他の付加的成分をも必要とせず、単独で広く受影文に適応する能力をどの動詞類よりも強く具えている。その意味で、VR構造は受影文に最も適した述語形式であり、これを述語とする受影文こそ、受影文のプロトタイプであると考えられる。ところで、(91の下線部に示されるようにVR構造が自然被動文を容易に成立させるという事実はすでによく知られるところである。(9)他知道鴨子都揮走了.自然被動文とは、“鴨子都樺走了"のように、agentが文に現れず、動作の対象が(目的語でなく、主題でもなく)主語の位置に立つかたちの構文であり、いわゆる非対格構文の一種である。自然被動文は、これを所動詞文の一種とみる大河内1974の 分析 定性数据统计分析pdf销售业绩分析模板建筑结构震害分析销售进度分析表京东商城竞争战略分析 からも明らかなように、動作対象についての状況を述べる文、すなわち対象がどうナルかを問題にする文であつて、誰がなにをスルか、或いはなにをサレルかを述べる文ではない。もとより動作対象の結果的状況に具体的に言及するかたちのVR構造は、この種の非対格構文にとつてはまさに恰好の述語形式となり得る。さて、問題の受影文も自然被動文と同様、動作対象を主語に立て、かつまたVR構造を述語にもつかたちをプロトタイプとして成立するものであった。ここに、受影文もまた非対格的な性格をもつ構文であること、すなわち、対象が何をサレルかということよりも、対象がどうナルかということの方により強く関心を寄せる<ナル>的性格の構文であることが予測される。この予測の妥当性を支持する事例の一つとして、受影文の述語に適する疑問表現は“千唱"[何をスル]ではなく、“想ム(祥ソ'[どうでアル]であるという事実が挙げられる。“鴨子被老王信ム了?"は“*鴨子被老王干喝了?"よりも許容度がはるかに高い。また、受影文は誘発使役文と同様、欲求や命令の表現に適応し難い一―“*小明想被小鉦換倒."や“*休快被小虹打傷'E!"などの表現は明らかに不自然である一―という事実も、この種の構文の非対格性を裏付けている。25先の指示使役文と放任使役文の述語はスル的であり、誘発使役文のそれはナル的であつた。それに対して、動作.行為を表すVと結果を表すRの結合からなるVR構造をプロトタイプとする受影文の述語は、典型的には、<スルーナル>合体の複合的な意味構造をなすものと言える。但し、構文全体の意味としては、対象がどうくナル>かに関心を寄せるものであるという事実を考慮すれば、スル的なVとナル的なRが等価の表現機能を担つているとは考えにくい。この種の構文において焦点化(prome)されているのはやはり主語の位置に置かれた対象Xであり、同時にそのXについての状況を語るRである。つまり、受影文においては、く働きかけ>とく結果>の局面のうち、後者が焦点化され、その原因となる前者の方は前提化されていると考えられる。或いは、結果としてのナル的状況が前景化され、スル的動作行為は背景化されていると言い換えてもよい。これらのことを踏まえて受影文の意味的特徴を要約するならば、それは<(サセテ)ナル>ことを意味する構文であると特徴づけることができる"。すなわち<XがYにVサセタ結果、XがRの状況にナル>ということを意味する構文だということである。なお、従来「受身文Jの名で呼ばれてきたこの種の構文の意味を、敢えてく(サヤテ)ナル>と記述する意図は、この種の構文の性格を使役文との連続性において捉えたいためである。これについては後ほど改めて触れる。3ヴォイス表現と事態のカテゴリ化31前節ではヴオイス表現に与る4種の構文の特徴を、述語の意味と構造を中心に観察した。そこでは、述語の意味する状況がスル的であるかナル的であるかの差が各構文の対立を特徴づける上で重要な役割を担つていることが見て取れる。そのことを反映させる形で先の(5)を書き換えれば、次のようになる。(Ю)(I)指示使役文:基口J⑭A(■)放任使役文:X士⑭A(Ⅲ)誘発使役文:XttπアS(Ⅳ)受影文:▽被⑭AS記号Aは動作行為すなわち<スル>を意味する述語形式を表し、Sは26状態変化すなわち<ナル>を意味する述語形式を表す。つまり、指示使役文と放任使役文には<スル>的述語が、誘発使役文には<ナル>的述語が、受影文にはくスルーナル>合体の複合的な意味を担う述語がそれぞれ用いられるということである。○は、当該の人またはモノが何らかの動作'行為を「<スル>主体」であることを示す。例えば指示使役文の場合、それが表す事態は、xの意図的な働きかけに促されてYが何かをするといったタイプの事態であり、XもYもいずれもスル主体であるため、ともに○で示されることになる。但し、Xの働きかけが具体的な動作として示されないことがこの種の構文の特徴であるという点を考慮し、Yの動作の具体性と区別する意味で、差し当たりXについては■と記号化しておくことにする。▽は、当該の人またはモノが何らかの状態変化に「<ナル>主体」であることを示す。例えば受影文が表す事態では、くスル>主体はYであつてXではない。XはYの動作の影響を受けて何らかの状態に<ナル>主体である。そこで、Xが▽で示され、YがЭで示される。(10)に示された四つの構文の構造表示は、何よりもまず、各構文の表す事態が互いに対立的であることを示している。と同時に、それぞれの事態の間にはいくつかの特徴が部分的に共有されており、全体としてひと連なりの意味連鎖が見て取れることをも示唆している。例えば、指示使役文と放任使役文が表す事態は、ともにYが<スル>主体であるという点で共通している。違いは、xのYに対する関与の仕方にあり、指示使役ではxが積極的に指示する形でYに関与し、放任使役ではXからは積極的には何もしない一一つまり、Yの行為を何も妨げない一―ことでYに何かをさせようとする形で関与している。前者のxが積極的な使役者であるとすれば、後者のXは消極的な使役者であると言える。何もしない使役者、消極的な使役者という点では誘発使役文におけるXもまた同様であり、この点において放任使役的事態は誘発使役的事態に繋がる一面をもつ。前者が<スル>的状況を引き起こし、後者が<ナル>的状況を引き起こすという点で異なりはするものの、XからYに対して積極的な働きかけが何らなされていないという点では両者は共通する。放任使役的事態は、さらにまた受影文の表す事態とも接点を有する。前27者のXは意図的にYに働きかけない関与者であり、後者のXもまた自らはYに働きかけない関与者である。双方のXは、次の2例の対照からも明らかなように、動作の影響の再帰性に関して特徴を分かちはするものの、ともに何もしない立場で、何かを「<スル>Y」に関わる関与者であるという点では相通じる性格をもつ。(11)a老王iL他核子乱妙(,也不管).b老王被他核子妙醒了.(1lalは、“老王"が、“他核子"が意のままに“乱妙"するのを手を扶いて放任するという事態を表し、(1lblは、“老王"が、“他核子"が“妙"するがままに任せた結果、その影響がわが身に降り懸かり、“老王"自身が「目が党める」状況に至るという事態を表している。“乱妙"も“妙"もともに自動詞であり、“他骸子"から“老王"への他動的な働きかけが存在しないという点では二つの事態は一致している。違いは、X(老王)が、騒ぐ行為の影響を被るものとして捉えられているか否かであり、受影文の(1lb)ではそう捉えられ、放任使役文の(11つではそう捉えられていない。要するに、放任使役文のXとは、く容認する>もの或いは<放任する>ものとして<サセル>立場にある関与者であり、受影文のXとは、<影響を被る>ものとして<サセル>立場にある関与者であり、いずれにしても、Yの意向のままに<サセル>立場にある関与者という′点で、二つのXには連続性が認められる。前節で受影文の意味を<(サャテ)ナル>と記述した根拠はまさにここにある。このように放任使役的事態との間に一定の連続性を見て取ることのできる受影文的事態は、一方でまた誘発使役の事態にも通じる性格をもち合わせている。受影文は、Yの動作行為によってxが何らかの状況に至る事態を表し、誘発使役文は、Xの存在が原因となってYが何らかの状況に至る事態を表すものであった。いずれの事態も、くナル>的状況とその「有責者」(木村1992)を含んで成立しているという点で共通しているう。以上のように、四つのタイプの事態はいくつかの特徴を連鎖状に共有しながら対立しており、それに対応して、四つの構文もまた互いに連関しつつ対立している。そして、その対立の仕方は、くスル>と<ナル>という二つの対立的な事態特性をパラメータとして相関的に特徴づけ得る性格の28ものである。日本語の(r)areや(S)aSCのような形態表示をもたない中国語にあっては、ともすれば使役文と受身文(受影文)の「曖味性」(佐々木1997)という点が強調されがちであるが、曖味性が生じるのはプロトタイプではなく、周辺的な構造においてのことであり、そうした現象はさまざまな言語カテゴリに広く観察されるものであつて、特にヴオイスに限られた現象ではない。プロトタイプとしての特徴を見極めてゆけば、そこには、(101に示されるように使役文も受影文もそれぞれ示差的な特徴をもって対立的に構造化されている状況が見て取れるはずである。指示使役文と放任使役文はAを、誘発使役文はSを、受影文はASをそれぞれ典型的な述語とし、またそれぞれのYは、指示使役文と放任使役文ではAの表す動作行為の主体としての役割を、誘発使役文ではSの表す状態変化の主体としての役割を、受影文ではASのうちのAの主体としての役割をそれぞれ担つている。ヴォイス表現に与る4種の構文は、このように決して曖味ではない明確な特徴をもって十分にシステマテイクなパラダイムを形成している。ところで、このように指示使役文と放任使役文ではAとYが、誘発使役文ではSとYが、受影文ではASのうちのAとYがそれぞれ意味的に結びつくという3通りの組合せは、バラダイムの整合性という観点から、さらにもう一つの構文の可能性を予見させる。その構文とは、受影文と同様にAS構造を述語にもち、且つYがAの主体でなくSの主体を表すといったタイプの構文一―すなわち、“XPYAS"(pは前置詞を表す)の構造を成し、「XがAをした結果、YがSの状況になる」ということを意味する構文――である。仮にそのような構文が存在するならば、AとSとYに関して構文上可能な組合せがすべて出揃い、ヴォイス構造のパラダイムはよリー層の整合性を獲得することになる。果たしてそのような構文が現実に存在するだろうか。本稿は“把"構文こそがまさにそれであると考える。(121に代表される“把"構文はまさしく「Xが動作・行為Aを<スル>ことの結果としてYが状況Sに<ナル>」という事態を意味するものである。(12)小虹把小明換倒了.32受影文と同様、“把"構文の成立にとつて結果表現――すなわちAS構造におけるS――の存在が重要な役割を担うという事実はこれまでも繰29り返し指摘されてきた。Sを伴わずにAだけが述語に充てられた“把"構文は、或いは不適格であつたり(“*小鉦把小明執了")、或いは主文として言い切ることが不自然であつたり(“?'小鉦把僕子一放.")、押し並べて未然の出来事の表現には不適格である(“■体快把大衣脱!")というように、構文上さまざまな制約を受ける。それに対して、AS構造を述語とする“把"構文はそのような制約を受けない。このことは、AS型の述語からなる“把"構文を、この種の構文のプロトタイプと見なすに十分な根拠となり得る。また、“XttYAS"のかたちが実際の運用頻度においても“把"構文のプロトタイプ的な存在であることは張伯江1998によつて明らかにされている。弦氏のデータによれば老合の作品13篇(約66万字)と王朔の作品4篇(約40万5千字)に用いられた“把"構文の用例延数22の例(老舎:1595例、王朔:614例)のうち、動詞が何らかの結果表現を伴う例――すなわち“XttYAS"のかたちに該当する例――は1883例(老舎:1362例、王朔:521例)に上る。つまり“把"構文の全用例数のうちの85%に及ぶ圧倒的多数がAS構造を述語にもつということである。弘伯江1998は、コーパスから読み取られたこの実証的な数値と、認知言語学的な論拠を踏まえて、“把"構文の典型的な意味機能は“致使"を表すことにあると結論する。すなわち「主体が能動的に働きかけることによって客体に位置の移動や状態変化を起こさせる」(“主体主劫地致使客体声生位移/変化")事態を述べること、それこそが“把"構文のプロトタイプ的意味(“`把'字式的原型悟又")であり、そうした意味を表す構文こそが“把"構文のプロトタイプであるとする。本稿も基本的に弘氏の見解に同意するものである。位置移動や状態変化とはまさしく<ナル>的状況であり、それを生じさせる事態とは使役的事態にほかならない。つまるところ、“把"構文とは、典型的には“⑤把民7AS"の構造をなし、「xがAをくスル>ことによってYがSという状況に<ナル>」という事態を表す構文、一言で言えば、<シテナラセル>事態を表す構文であると特徴づけることができる。本稿では、これを仮に「執行使役文」と名づけ、使役文の一種であることを明確にしたい。「執行」とは、Xが他の四つの構文のXとは異なり、Aが表す具体的な動作行為の直接の執行者であることを踏まえての命名である。3033執行使役文を加えて合計五つの構文から構成される有標ヴォイスのパラダイムを改めて見直してみると、それらが対応する事態に類似の「型」が共有されている事実を見て取ることができる。すなわち、いずれの事態も「Yが<スル>またはくナル>という状況に対して、他者Xがそれを<サセル>立場で関与する」というたタイプの事態であるという類似性をもつ。この類似性の認識こそが、五つの事態をすべて同型の構文形態“XpYV"で具現化するという言語現象に反映し、ここに一つの構造的カテゴリ、すなわちヴォイスと呼ぶに相応しいカテゴリが成立していると考えられる。本枠において一つのカテゴリに統括されるこれら一連の事態は、各々いくつかの要因に動機づけられて五つのタイプに下位範疇化され、それに対応して“xpYV"の構文も5つのヴァリエイションに分かれる。そして、以上の考察が示すように、サプカテゴリとしての五つの事態及びそれに対応する五つの構文の対立は、二つの項lXとY)と2種類の状況(スルとナル)の組合せの差によって特徴づけられる。具体的には、xが<スル>主体であるか否か、そしてYが<スル>とくナル>のいずれの主体であるかの差である。例えば「<Yがスル>という状況に[―スル]のXが関与する」タイプの事態であれば“xitYA"のかたちで言語化され、「くYがナル>という状況に[+スル]のXが関与する」タイプの事態であれば“xttYAS"のかたちで言語化される、といった具合である。。五つの構文は、対応する事態のタイプの差異を反映して述語の構造にそれぞれの特徴を示し、さらには、Yを導く前置詞の形式をそれぞれ異にする。以上、本節では、有標のヴォイス表現に与る五つの構文について相関と対立の関係を特徴づけ、中国語におけるヴォイスカテゴリの構造化の概要を明らかにした。述語の形態変化という手段をもたない言語にもいわゅる受身や使役に相当する表現は存在し得るだろうし、ヴォイスと呼ぶに相応しい文法的なカテゴリがその言語なりの方法で構造化され、体系化されている可能性もあり得るはずである。ここに見た中国語の状況はその一つの範例を示すものと考えられる。314Yマーカー(p)のカテゴリ化前節までは述語の問題を中心にヴォイス表現の意味と構造について考えてきた。本節ではヴォイス構文の前置詞に焦点をあて、カテゴリ化に関わる問題を考えてみたい。41有標のヴォイス構文においてYをマークする前置詞(以下Pと略称する)の用法には二つのパタンが存在する。これまでは議論の便宜上、一つのパタン、すなわち五つの構文にそれぞれ異なる形式を使い分けるパタンのみを取り上げてきたが、現実にはもう一つのパタンが存在する。それは、執行使役文を除く他の4構文のすべてに同一の形式――“口嗜"か“it"のいずれか――を用いるパタンである。つまり、Pには、構文毎に異なる五つの形式が振り充てられるパラダイムと、執行使役文のみを区別し、他の四つの構文には共通の形式が充てられるパラダイムが共時的に併存するということであり、話し言葉ではむしろ後者のパラダイムが多用される。ここでは前者のパラダイムを仮に分割系と呼び、後者のそれを統合系と呼ぶことにする(表1参照)。く表1>p分割系統合系指示使役文放任使役文■L誘発使役文使受影文被執行使役文把把この2系列のうち、分割系の成立については、これまでの議論からも明らかなように、各構文においてそれぞれのYが担う意味的性格の差異―例えば、指示使役文におけるYは指示的使役の被使役者であり、且つ動作の主体である:誘発使役文のおけるYは原因的使役の被使役者であり、且つ状態の主体である、等々の差異――がそれを動機づけていると解釈される。一方、執行使役文のPのみを区別し、他の4構文のPについては一括して同一の形式を充てるという統合系のカテゴリ化については、対格言語32としての中国語の特性がこれを動機づけていると考えられる。執行使役文を除く四つの構文のYは、個別の意味的差異を捨象すれば、いずれも“XpYV"のVが表す動作‐作用の主体であるという点において一致する。指示使役文放任使役文受影文のYは動作行為の主体であり、誘発使役文のYは状態変化の主体であった。それに対して、執行使役文のYは、例(12)が示すように、動作行為の影響を被る対象であって、動作行為の主体ではない。動作行為の主体はXである。もとより中国語は対格言語であり、文の基本構造において、動作行為の主体を、自動詞文における状態変化の主体と同様に扱い、ともに主語(主格)の位置に据え、動作行為の対象の方はそれらとは別に扱い、目的語(対格)の位置に据えるというタイプの言語である。指示使役文をはじめとする四つの構文のYをすべて同一形式でマークし、執行使役文のYのみを異なる形式でマークするという統合系pのカテゴリ化は、まさしく対格言語としての基本原理に沿うものと考えられる。ちなみに、日本語も対格言語に属するが、使役文における格助詞のマーキングの状況は(13)の例からも窺えるように必ずしも対格言語の原理に沿うものではない。(13)a太郎が花子に好きな場所に座らせた。b太郎が花子を無理やり座らせた。c太郎が花子を悲しませた。ここでは使役文の述語がいずれも自動詞(「座る」「悲しむ」)をベースに構成されているが、自動詞の意味する動作が被使役者(花子)の意志によって遂行される事態を表す(のでは、被使役者が「に」でマークされ、自動詞の意味する動作作用が被使役者の意志に関わりなく実現する事態を表すoと(c)では、被使役者が「を」でマークされている。ネイテイヴアメリカンの言語などに多く見られる動格言語(actiVelanguage)は、動作者の意志の有無によつて自動詞主語の格表示が二様に分かれる、いわゆる「自動詞分裂」(sunmtransnルity)の現象をもつことで知られるが、ここに見る日本語使役文の「に」と「を」の使い分けも自動詞分裂の一種と捉えることができる。つまり、基本構造においては対格言語である日本語も、有標構造である使役文においては動格的な現象を部分的33にもち合わせているということである。それに対して、中国語の話し言葉における格表示は、統合系のpのパラダイムが示すように、有標のヴォイス構造においても対格言語の原理を貫いており、日本語とは性格を異にしている。尤も、<表1>の統合系パラダイムは普通話のみの状況を記述したものであり、Yのマーキングカサす格言語の原理に沿うという理解も普通話を対象に成り立つものであつて、中国語のすべての方言を対象にこの種の一般化が可能なわけではない。最後に、諸方言のpをめぐるカテゴリ化の問題について考えてみたい。42<表2>は、参考文献に挙げた複数の調査報告に基づき、山西から広東までの9省に跨る65地点の方言を対象に行つた、Pの形式分布に関する観察結果の一部である。放任使役文と誘発使役文については大半の方言においてデータが不十分であるため、ここでは指示使役文・受影文執行使役文に対応する3構文のPのみを取り上げることにする。<表2>諸方言におけるPの形式分布'山西河南臨綺周ロ???????????????????????????????〓指示使役文受影文執行使役文???????????????????????????紙幅の制限から個々の方言に関する詳細は割愛せざるを得ないが、Pの形式分布が方言間でさまざまに異なる様子は、この11地点のサンプルからも十分に窺い知ることができる。カテゴリ化という観点から言い換えれば、Pの統合と分割のパタンが方言間で多様に異なるということである。例えば香港専語のようにPが三つの異なる形式によって分割されるタイプの方言もあれば、博山方言のように指示使役文と受影文のPが同一形式で統合され、執行使役文のpだけが異なる形式によつて区別されるタイプの方言もあり、また、博山とは対照的に、指示使役文だけが区別されて、受影文と執行使役文のPが同一形式で統合される高淳方言のようなタイプもありり、さらには三つの構文のPがすべて同一形式で統合される臨猜方言のようなタイプもある。それぞれのタイプを仮に喜語型、博山型、高淳型、臨荷型と名付け、カテゴリ化のパタンを類型化すると<表3>34のようになる(α、β、γはpに充てられる具体的な形式の変数を表すものとする)。く表3>pのカテゴリ化の類型専語型博山型高淳型臨荷型指示使役文受影文執行使役文先のH地点も含めて、今回観察した65地点の方言はすべて上記4タイプのうちのいずれかに属する。理論的にはχ型のようなタイプのカテゴリ化が成立する可能性も想定されるが、65地点のなかにはこれに該当する方言が一例も存在しない。そのことの理由も併せて、上記4タイプのカテゴリ化が成立する意味論的動機を考えてみたいが、ここでも3節で示した分析と41の議論が有効に機能する。まず与語型と博山型については、それぞれのパタンが普通話の分割系と統合系に共通していることから、それらと同様の解釈が成り立ち得ると考えられる。すなわち、専語型では三つの構文におけるそれぞれのYの意味的差異を反映してpも3通りに分割され、博山型では対格言語の特性を反映して、執行使役文のpだけが分割されていると解釈される。次に、普通話とは異なるパタンを示す高淳型では、事態に対するxとYの関与性の差が当該のカテゴリ化を決定づけていると考えられる。3節で述べたように、受影文と執行使役文はいずれもAS構造を述語とし、AがSを引き起こすというタイプの使役的事態を表すものであった。そして、xとYは、一方が動作Aの直接の仕手であり、一方がその動作の影響を受ける直接の対象であつて、双方とも述語の表す状況にとっての直接的な関与者であるという点において、この二つの構文は共通性をもつ。一方、指示使役文はパのみを述語とし、Aが意味する動作の直接的な関与者はYのみであって、XはAの直接の仕手でもなければ、その影響を被る直接の対象でもない。xはあくまでも間接的な関与者でしかない。先の受影文と執行使役文の表す事態が直接的な関与者の間で実現する「直接関与的使役」であったのに対して、指示使役文の表す、間接的な関与者によって引き起35こされる使役的事態は「間接関与的使役」とでも呼び分けるべき性格をもつ。この直接か間接かの差に動機づけられて成立しているのが高淳型のカテゴリ化であると考えられる。高淳型とは、間接的な使役事態での動作主体をマークするPと、直接的な使役事態での動作主体もしくは作用主体をマークするPの間にカテゴリの分化が形成され、それぞれに異なる形式が振り充てられたパタンであると理解される。さて、博山型のように、直接的使役事態の関与者であるか間接的使役事態の関与者であるかの差に無関心であり得れば、Yがともに動作Aの主体であるという共通性に動機づけられて、指示使役文と受影文のPが一つのカテゴリに統合される可能性が生まれ得、一方高淳型のように、動作主体であるか動作対象(すなわち作用主体)であるかの差に無関心であり得れば、Yがともに述語の意味する状況(動作Aか作用S)にとっての直接的な関与者であるという共通性に動機づけられて、受影文と執行使役文のPが一つのカテゴリに統合される可能性が生まれ得るう。では、この二通りの差のいずれにも無関心であり得たならばどうか。仮にそのような方言が存在するなら3構文のPがすべて一つのカテゴリに統合される可能性も十分に想定し得る。臨猜型に見られるpの未分割の現象はまさにこれに該当するものと捉え得る。すなわち、臨猜型とは、直接的使役の関与者であれ、間接的使役の関与者であれ、動作主体であれ、動作対象(すなわち作用主体)であれ、それらの差異には一切頓着せず、凡そ述語の意味する<状況(動作Aまたは作用S)の主体>であれば、すべてこれを同一形式でマークするといったタィプの方言であると理解される。このように、3構文のYがいずれも述語の意味する動作作用の主体であるという共通性に動機づけられて最も広範囲に統合されている臨猜型のpは、ヴォイス構文に用いられる前置詞のなかで最も文法化の進んだものと言える。ところで、指示使役文と受影文のYにはともに動作主体であるという共通.点があり、また、受影文と執行使役文のYにはともに直接的使役事態の関与者であるという共通点があり、それぞれがpの統合の動機となり得たが、間接的使役の関与者であって動作主体である指示使役文のYと、直接的使役の関与者であって動作対象(すなわち作用主体)である執行使役文のYの間には、両者のみを直接に結びつける共通項が存在しない。双方のβγ??????????????????????36Yは、それぞれのYと共通項をもつ受影文のY(すなわち直接的使役の関与者であり、かつ動作主体であるY)が、言わば中間項として両者の間に存在してこそ、はじめてリンクし得る性格のものである(表4参照)。従つて、受影文のPとの統合なくして、指示使役文と執行使役文のPのみが統合されるというパタンが成立する可能性は、意味論上、他のタイプの統合パタンが成立する可能性よりも明らかに低いと考えられる。つまり、χ型のカテゴリ化の成立は、他の型に比べて明らかに意味論的動機に乏しいということである。このことは現実にχ型の方言が存在する確率の低さを予測させる。今回の調査でランダムに抽出された65地点のなかに、χ型に該当する方言がただの一例も観察されなかったという事実もこのことに起因すると考えられる。<表4>Yの意味役割指示使役文受影文執行使役文間接的使役事態の関与者∩1/動作主体``置晨晶覆覆雪ばあ蘭=著∩ヽ1動作主体|1直接的使役事態の関与者|∩動作対象(作用主体)以上、諸方言におけるpのカテゴリ化の動機づけについて、意味論的な観点からの解釈を試みた。3節の分析からもすでに予測し得るように、有標ヴォイス構文のパラダイムには、各構文のYの意味的差異化の動機となり得る要因がいくつか存在する。問題は、いずれの要因がより重要なものとして認識され、言語形式の上に明示的に反映されるか――すなわち形式上または構造上のカテゴリ化を促す指標となり得るか一―であり、その指標の選択がそれぞれの方言で異なるということである。選ばれる指標が異なれば、切り取られるカテゴリも当然異なる。結果として、YをマークするPの形式分布のパタンに、表3のような複数の変異が生じることになる。方言文法を論じる際に、方言間接触の問題を抜きにして十全な考察が成り立ち得るものでないことは言うまでもない。個々の方言におけるpの形式分布のあり方に、他の方言からの影響や、個々の形式の内在的な文法化の現象が有力な要因として関与している可能性も無論見過ごすことはでき37ない。しかし、いずれの経緯を辿るにせよ、ある種のカテゴリ化が意味論的な脈絡と無関係には成立し得ないこともまた事実であり、そこに意味論的動機を模索することの重要性があると考えられる。その意味で、本稿が示した有標ヴォイス構文に関する分析と、そこから導かれる前置詞pのカテゴリ化に関する意味論的解釈が、方言類型論的にも一定の有効性をもち得るものであれば幸いである。[付記]本稿は、1999年度特別推進研究「言語表現の意味機能の普遍性と多様性に関する研究」(国立国語研究所日本語教育センター)及び1999年度科学研究補助金による「東アジア諸語のカテゴリ化ーと文法化に関する対照研究」の成果の一部である。く注>1)虚詞としての“III"や“辻"を前置詞とみるべきか、“次劫飼"(coverb)とみるべきかは、なお検討を要する問題である力'、ここでは便宜的に前置詞と呼んでおく。2)サセテを()で開じるのは、サセテの部分が背景化され、ナルの部分が前景化されていることを際立たせるためである。3)受影文は“老王被―映石共鮮倒了"[王さんは石に願き倒れた]のように、無意志性のモノがYに立つ例も少なくない。このように無意志の静体が有責者である場合は、客観的には原因の一種に近く、誘発使役文のXにより近似するものと考えられる。4)客観的世界の事実として、例えば「あたりがく暗くナル>ことの結果として子供たちがく恐くナル>」という事態は十分に起こり得る。しかし、この種の事態を“xpYV"のかたちでは言語化できない。“ネ天把骸子伺黒柏了."という“XpYSS"型の表現は明らかに不適格である。このことは、中国語においては、Xがくナル>ことの結果として他者Y力'くナル>というタイプの事態は、指示使役文をはじめとする五つの構文の表す事態とは異なるタイプのものとしてカテゴリ化されていることを示している。5)右下にgを付したものは、その前置詞が当該方言において「与える」を意味する授与動詞と同一の形態であることを示す。6)泉1985は、数種の方言データをもとに、中国語の方言には「被動のみを表現する形式は存在するが、使役のみを表現する語は存在しない」と断言し、「使役用法を有する形式は必ず被動用法をも兼ねる」(泉1985:42)といった一般化を試みている。しかし、事実はそれほど単純ではなく、現実には、高淳方言のよう38に、使役文だけに用いて受身(受影文)用法を兼ねない前置詞をもつ方言も少なからず存在する。7)多くの方言で、受影文と執行使役文のYがともに「与える」を意味する動詞と同形態の前置詞によつてマークされるという現象力'観察され、それについての意味論的解釈がXu1994や江藍生1999によつて試みられている。ただし、両氏の論考では、二つの構文のYの意味役割が従来通りく動作者>対く受動者>の関係で捉えられており、両構文の使役性は一切考慮されていない。く動作者>とく受動者>は意味役割としてはまさに対蹴的な関係にあり、両者が同一の格標識でマークされることの意味的動機を見出すことは容易ではなく、その点で、Xu氏、江氏いずれの解釈も説得力を欠く。“把"構文(及びそれに相当する諸方言の構文)を使役文の一種と見る本稿では、そこでのYが単なるく受動者>ではなく、く被使役者>(すなわち引き起こされる作用(S)の主体)であるところに、動作い)の主体である受影文Yとの接点力落在すると考える。<参考文献>荒川清秀1977「中国語における「命令Jの間接化について」,「中国語研究J第16号。何洪峰程明安1996「黄図方言的“把"字句」,「活吉研究J1996年第2期。干田昌司1997「体宇方吉的功洞渭活」,慟洞渭悟句J。広引十霊南大学出版社。一―-1998『微州方盲研究』。東京:好文出版。責群建1995『田新方言志J。武漢:武漢大学出版社。黄伯兼1996『浜活方吉活法英編
本文档为【(木村英樹)中国語ヴォイスの構造化とカテゴリ化】,请使用软件OFFICE或WPS软件打开。作品中的文字与图均可以修改和编辑, 图片更改请在作品中右键图片并更换,文字修改请直接点击文字进行修改,也可以新增和删除文档中的内容。
该文档来自用户分享,如有侵权行为请发邮件ishare@vip.sina.com联系网站客服,我们会及时删除。
[版权声明] 本站所有资料为用户分享产生,若发现您的权利被侵害,请联系客服邮件isharekefu@iask.cn,我们尽快处理。
本作品所展示的图片、画像、字体、音乐的版权可能需版权方额外授权,请谨慎使用。
网站提供的党政主题相关内容(国旗、国徽、党徽..)目的在于配合国家政策宣传,仅限个人学习分享使用,禁止用于任何广告和商用目的。
下载需要: 免费 已有0 人下载
最新资料
资料动态
专题动态
is_737950
暂无简介~
格式:pdf
大小:5MB
软件:PDF阅读器
页数:11
分类:
上传时间:2017-07-01
浏览量:56