は
じ
め
に
(
袁
枚
と
紀
昀
)
袁
枚
と
紀
昀
は
、
と
も
に
�
�乾
�期
の
代
表
关于同志近三年现实表现材料材料类招标技术评分表图表与交易pdf视力表打印pdf用图表说话 pdf
�知
識
人
で
あ
り
、
同
時
竝
行
�に
志
怪
書
を
�し
て
い
た
。
し
か
し
、
記
�に
殘
る
限
り
面
識
は
な
か
っ
た
よ
う
で
あ
る
。
�單
に
整
理
し
て
み
る
と
、
袁
枚
(
一
七
一
六
~
一
七
九
八
)、
乾
�四
年
(
一
七
三
九
)
士
。
乾
�十
七
年
(
一
七
五
二
)
秋
に
官
職
を
辭
す
。
紀
昀
(
一
七
二
四
~
一
八
〇
五
)、
乾
�十
九
年
(
一
七
五
四
)
士
。
士
と
し
て
は
袁
枚
が
五
期
先
輩
と
い
う
こ
と
に
な
る
。
年
齡
は
袁
枚
が
八
年
長
で
あ
り
、
袁
枚
が
官
職
を
辭
し
て
二
年
後
に
紀
昀
は
士
に
な
っ
て
い
る
。
滿
三
十
で
紀
昀
が
士
に
な
っ
た
時
(
一
七
五
四
)
に
は
、
袁
枚
は
す
で
に
、
隨
園
の
修
�を
始
め
て
い
る
。
乾
�十
九
年
(
一
七
五
四
)
三
�、
紀
昀
が
會
試
・
殿
試
を
受
驗
し
て
い
る
こ
ろ
、
袁
枚
は
淮
安
に
し
、
恩
師
と
も
言
う
べ
き
尹
繼
善
に
面
會
し
て
、
尹
の
再
度
官
職
に
就
く
よ
う
に
と
い
う
慫
慂
に
對
し
て
、
隱
�の
志
の
堅
い
こ
と
を
�べ
て
い
る
の
で
あ
る
(
1
)。
�す
る
に
、
官
僚
世
界
で
は
完
�に
す
れ
�い
な
の
で
あ
る
。
袁
枚
は
官
を
辭
し
た
後
、
南
京
の
隨
園
に
居
り
、
廣
東
・
浙
江
・
�
建
な
ど
へ
、
た
び
た
び
大
行
を
し
て
い
る
が
、
南
京
よ
り
北
へ
は
揚
州
・
�陽
な
ど
江
蘇
省
�に
で
か
け
る
こ
と
が
あ
る
く
ら
い
で
、
北
京
へ
は
一
度
も
行
っ
て
い
な
い
。
紀
昀
は
士
と
な
っ
て
、
翰
林
院
�修
か
ら
翰
林
院
侍
讀
學
士
に
累
し
、
乾
�三
十
三
年
か
ら
三
十
六
年
ま
で
烏
魯
木
齊
に
流
刑
に
な
っ
て
い
た
期
�を
除
い
て
、
翰
林
院
�務
が
續
き
、
地
方
官
�務
は
な
い
。
以
上
、
綜
合
し
て
袁
枚
と
紀
昀
と
が
、
直
接
�う
機
會
は
な
か
っ
た
袁
枚
『
子
不
語
』
の
鬼
求
代
�話
の
筆
法
紀
昀
の
批
�か
ら
中
野
�
と
考
え
ら
れ
る
。
北
京
官
學
の
棟
梁
紀
昀
と
、
江
南
詩
壇
の
領
袖
袁
枚
は
、
互
い
に
相
手
を
無
�す
る
わ
け
で
は
な
い
が
、
互
い
に
�め
合
う
と
い
う
關
係
で
も
な
か
っ
た
の
で
あ
る
。
そ
し
て
充
分
に
相
手
を
意
識
し
つ
つ
、
無
�
し
て
い
る
よ
う
に
ふ
る
ま
っ
た
と
い
う
こ
と
な
の
で
あ
ろ
う
。
當
然
、
官
界
あ
る
い
は
文
學
界
に
共
�の
友
人
・
知
人
が
多
か
っ
た
で
あ
ろ
う
こ
と
は
想
像
に
�く
な
い
。
そ
の
代
表
が
�晉
�(
一
七
一
八
~
一
七
八
四
)、
字
は
魚
門
で
あ
る
。
『
�
堂
筆
記
』
に
は
、「
�魚
門
�修
か
ら
聞
い
た
話
」
と
い
う
斷
り
書
き
の
付
い
た
も
の
が
幾
つ
か
あ
る
。
『
四
庫
�書
』
總
纂
官
で
あ
る
紀
昀
に
と
っ
て
、
�晉
�は
部
下
に
な
る
。
南
京
在
の
袁
枚
と
、
揚
州
在
の
�晉
�と
は
、
江
南
文
�圈
の
詩
人
の
領
袖
と
、
考
證
學
の
大
家
と
し
て
非
常
に
親
し
い
付
き
合
い
で
あ
っ
た
。
�晉
�が
家
�を
蕩
盡
し
た
後
、
袁
枚
は
四
千
兩
に
�い
額
の
銀
を
�し
て
い
た
が
、
�の
死
後
、
�
�で
そ
の
借
用
書
を
燒
き
�
て
て
い
る
。
そ
の
�晉
�が
、
乾
�三
十
八
年
(
一
七
七
三
)、
『
四
庫
�書
』
の
纂
修
官
に
�用
さ
れ
た
時
に
袁
枚
が
�っ
た
詩
に
、
袁
枚
の
紀
昀
に
對
す
る
複
雜
な
思
い
が
讀
み
取
れ
る
の
で
あ
る
。
七
言
三
十
四
句
と
長
い
の
で
最
後
の
七
句
の
み
引
く
。
我
�未
�爲
�愚
聞
見
狹
隘
探
索
疏
側
身
西
�空
嗟
吁
不
能
從
子
爲
書
奴
但
願
抄
其
目
寄
予
俾
得
�略
知
些
須
此
身
不
負
生
�
�
(
2
)
我
�ほ
未
だ
�愚
と
爲 せ
らる
る
を
�れ
ず
聞
見
は
狹
隘
に
し
て
探
索
は
疏
な
れ
ば
な
り
身
を
側 そ
ばめ
西
の
か
た
�み
空
く
嗟
吁
す
子
に
從
ひ
て
書
奴
と
爲 な
る
能
は
ず
但
だ
願
は
く
は
其
の
目 も
くを
抄
し
て
予
に
寄
せ
よ
�を
得
て
略 ほ
ぼ些
須
を
知
ら
俾 し
め
ば
此
の
身
も
�
�に
生
ま
る
る
に
負 そ
むか
じ
私
は
や
は
り
愚
か
な
田
舍
の
爺
さ
ん
だ
と
思
わ
れ
て
い
る
の
で
あ
ろ
う
。
見
聞
は
狹
く
、
�べ
物
も
好
い
加
減
だ
か
ら
。
畏
れ
縮
こ
ま
っ
て
西
の
か
た
を
�ん
で
空
し
く
た
め
息
を
つ
く
だ
け
だ
。
あ
な
た
と
一
!に
書
物
の
蟲
に
な
る
こ
と
は
で
き
な
か
っ
た
。
た
だ
お
願
い
だ
か
ら
そ
の
目
"で
も
抄
寫
し
て
私
に
#っ
て
お
く
れ
。
梗
$だ
け
で
も
知
る
こ
と
が
で
き
た
な
ら
ば
、
私
も
文
�の
邦
に
生
ま
れ
た
と
い
う
名
に
そ
袁
枚
『
子
不
語
』
の
鬼
求
代
%話
の
筆
法
(
中
野
)
163
む
く
こ
と
も
な
い
と
い
う
も
の
だ
。
こ
れ
を
見
る
と
、
袁
枚
は
『
四
庫
�書
』
に
對
し
て
、
な
ん
ら
か
の
期
待
を
持
っ
て
い
た
の
で
は
な
い
か
と
思
わ
れ
る
。
い
っ
た
ん
官
を
辭
し
た
と
は
い
っ
て
も
、
翰
林
出
身
で
文
名
も
高
く
、
考
據
の
學
に
も
優
れ
た
自
分
が
、
「
�愚
」
と
せ
ら
れ
て
、
聲
も
か
か
ら
な
い
と
い
う
の
は
、
袁
枚
に
と
っ
て
は
�し
く
プ
ラ
イ
ド
を
傷
つ
け
ら
れ
る
出
來
事
だ
っ
た
と
よ
う
だ
。
破
�し
た
友
人
の
就
職
を
�う
詩
の
結
び
と
は
思
え
な
い
ほ
ど
不
貞
腐
れ
た
、
い
や
み
に
滿
ち
て
い
る
。
時
に
袁
枚
は
滿
五
十
七
�、
政
治
家
と
し
て
で
は
な
く
、
學
�と
し
て
な
ら
ば
、
ま
だ
仕
事
は
で
き
る
と
い
う
自
負
は
あ
っ
た
は
ず
だ
。
そ
し
て
名
職
で
は
あ
る
が
『
四
庫
�書
』
總
裁
の
裘
曰
修
は
袁
枚
の
知
人
で
も
あ
る
。
『
子
不
語
』
の
執
筆
を
始
め
る
時
期
が
、
ほ
ぼ
こ
の
頃
と
推
定
さ
れ
る
。こ
こ
か
ら
は
�く
の
臆
だ
が
、
『
四
庫
�書
』
に
無
�さ
れ
た
恨
み
が
、『
子
不
語
』
を
�々
と
書
き
繼
い
で
ゆ
く
動
機
の
ひ
と
つ
に
な
っ
て
い
た
可
能
性
は
あ
る
の
で
は
あ
る
ま
い
か
。
そ
し
て
總
纂
官
紀
昀
に
對
す
る
然
と
し
た
反
感
も
こ
の
時
か
ら
始
ま
る
よ
う
で
あ
る
。
二
紀
昀
の
『
子
不
語
』
批
�
紀
昀
『
�
�
�堂
筆
記
』
に
、
從
姪
秀
山
言
。
奴
子
�士
俊
嘗
與
人
鬪
不
�。
恚
而
求
自
盡
。
欲
於
村
外
覓
僻
地
、
甫
出
柵
、
�有
二
鬼
邀
之
。
一
鬼
言
、
投
井
佳
。
一
鬼
言
、
自
縊
更
佳
。
左
右
牽
掣
、
莫
知
�
�。
俄
有
舊
識
丁
文
奎
�、
從
北
來
揮
�
�二
鬼
遁
去
。
而
自
�士
俊
歸
。
士
俊
惘
惘
如
�
醒
、
自
盡
之
心
頓
息
。
文
奎
亦
先
以
縊
死
�。
蓋
二
人
同
役
於
叔
父
栗
甫
公
家
。
文
奎
歿
後
、
其
母
嬰
疾
困
臥
。
士
俊
嘗
助
以
錢
五
百
。
故
以
是
報
之
。
此
余
家
�
�事
。
與
新
齊
諧
�記
載
鍼
工
�鬼
略
相
似
、
信
鑿
然
有
之
。
而
文
奎
之
求
代
而
來
、
報
恩
而
去
。
尤
足
以
激
�俗
矣
(
3
)。
從
姪
秀
山
の
言
。
奴
子
�士
俊
嘗
て
人
と
爭
ひ
て
�た
ず
。
恚 い
かり
て
自
盡
を
求
む
。
村
外
に
於
て
僻
地
を
覓
め
ん
と
欲
し
、
甫 はじ
めて
柵
を
出
づ
れ
ば
、
�ち
二
鬼
有
り
て
こ
れ
を
邀
ふ
。
一
鬼
言
ふ
、
井
に
投
ず
る
が
佳
し
、
と
。
一
鬼
言
ふ
、
自
ら
縊 く
びる
る
が
更
に
佳
し
、
と
。
左
右
に
牽
掣
し
、
�
ゆ
く
�を
知
る
莫
し
。
俄
に
舊
識
の
丁
文
奎
な
る
�有
り
、
北
よ
り
來
り
�を
揮
ひ
て
二
鬼
を
�ち
遁
れ
去
ら
し
む
。
而
し
て
自
ら
士
俊
を
�り
て
歸
ら
し
む
。
士
俊
惘
惘
と
し
て
�よ
り
醒
む
る
が
如
く
、
自
盡
の
心
頓
に
息
む
。
文
奎
も
亦
た
先
に
自
ら
縊
中
國
詩
文
論
叢
第
二
十
五
集
164
を
以
て
死
せ
る
�な
り
。
蓋
し
二
人
は
同 と
もに
叔
父
栗
甫
公
の
家
に
役
た
り
。
文
奎
の
歿
後
、
其
の
母
疾
に
嬰 か
かり
て
困
臥
す
る
に
、
士
俊
嘗
て
助
く
る
に
錢
五
百
を
以
て
す
。
故
に
是
を
以
て
こ
れ
に
報
ず
。
此
れ
余
が
家
�
�の
事
な
り
。
新
齊
諧
の
記
す
�の
鍼
工
し
ん
こ
う鬼
に
�ふ
と
略 ほ
ぼ相
ひ
似
た
る
も
、
信 まこ
とに
鑿
然
さ
く
ぜ
んと
し
て
こ
れ
有
り
。
而
し
て
文
奎
代
を
求
め
て
來
た
る
も
、
恩
に
報
ひ
て
去
る
。
尤
も
以
て
�俗
を
激
す
る
に
足
れ
り
。
と
い
う
話
が
あ
る
。
「
身
代
わ
り
を
求
め
て
來
た
縊
鬼
が
、
恩
人
の
爲
に
他
の
鬼
を
�い
拂
い
恩
人
の
自
を
思
い
止
ま
ら
せ
た
」
と
い
う
「
求
代
鬼
報
恩
譚
」
と
い
う
趣
の
話
で
あ
り
、
さ
し
て
珍
し
い
筋
書
き
の
も
の
で
は
な
い
が
、
目
す
べ
き
は
、
此
れ
余
が
家
�
�の
事
な
り
。
新
齊
諧
の
記
す
�の
鍼
工
鬼
に
�
ふ
と
略 ほ
ぼ相
ひ
似
た
る
も
、
信
に
鑿
然
さ
く
ぜ
んと
し
て
こ
れ
有
り
。
尤
も
以
て
�俗
を
激
す
る
に
足
れ
り
。
と
い
う
部
分
で
あ
る
。
念
の
た
め
に
現
代
語
譯
す
る
と
、
こ
れ
は
私
の
家
で
�年
に
あ
っ
た
こ
と
で
あ
る
。
「
新
齊
諧
(
子
不
語
)」
に
あ
る
、
「
仕
立
て
屋
が
鬼
に
�っ
た
話
」
と
ほ
ぼ
似
た
よ
う
な
話
だ
が
、
こ
ち
ら
は
本
當
に
は
っ
き
り
有
っ
た
事
な
の
で
あ
る
。
と
り
わ
け
て
輕
�な
る
俗
人
に
活
を
入
れ
る
こ
と
が
で
き
る
話
で
あ
る
。
と
い
う
事
に
な
る
。
紀
昀
が
「
齒
に
衣
を
�せ
た
」
部
分
を
を
取
り
除
き
、
補
え
ば
、
こ
ち
ら
は
私
の
�里
の
家
で
�年
實
際
に
有
っ
た
事
で
あ
る
。
新
齊
諧
に
あ
る
仕
立
て
屋
が
鬼
に
�っ
た
話
と
筋
は
似
て
い
る
が
、
あ
ち
ら
は
本
當
か
ど
う
か
怪
し
い
も
の
だ
が
、
こ
ち
ら
は
嘘
で
は
な
い
。
本
當
に
は
っ
き
り
有
っ
た
話
で
あ
る
。
そ
の
う
え
こ
ち
ら
の
話
に
は
、
輕
佻
�な
俗
世
�に
活
を
入
れ
る
こ
と
が
で
き
る
�訓
ま
で
含
ま
れ
て
い
る
の
で
あ
る
。
く
ら
い
の
と
こ
ろ
で
あ
ろ
う
。
紀
昀
が
「
自
分
の
ほ
う
は
事
實
有
っ
た
こ
と
」
と
�
�す
れ
ば
す
る
ほ
ど
、
讀
む
�に
は
『
新
齊
諧
』
に
記
す
と
こ
ろ
は
事
實
で
は
な
い
、
と
い
う
印
象
が
�く
な
っ
て
い
く
。
春
秋
の
筆
法
と
い
う
よ
り
も
も
っ
と
露
骨
な
感
じ
が
す
る
。
三
批
�さ
れ
た
『
鍼
工
�鬼
』
で
は
、
紀
昀
が
こ
こ
で
言
う
と
こ
ろ
の
『
鍼
工
�鬼
』
と
は
ど
の
よ
う
な
も
の
な
の
で
あ
ろ
う
か
。
會
稽
王
二
以
�衣
爲
業
。
手
挈
女
裙
衫
數
件
、
夜
�吼
山
。
見
水
袁
枚
『
子
不
語
』
の
鬼
求
代
�話
の
筆
法
(
中
野
)
165
中
跳
出
二
人
。
裸
身
�面
、
牽
之
入
河
。
王
不
能
自
�。
隨
行
數
�。
忽
山
頂
松
樹
�飛
下
一
人
、
垂
眉
吐
舌
、
手
持
大
繩
套
其
�、
曳
之
上
山
。
與
�面
鬼
彼
此
爭
奪
。
�面
鬼
曰
、
王
二
是
我
替
身
。
汝
何
得
奪
之
。
持
繩
鬼
曰
、
王
二
是
�衣
師
父
。
汝
等
河
水
鬼
、
赤
屁
股
在
水
中
。
竝
無
衣
�
做
。
何
用
之
。
不
如
讓
我
。
王
亦
昏
�、
聽
其
互
拉
。
然
心
中
畧
有
�明
。
私
念
、
�失
女
裙
衫
、
則
力
不
能
賠
。
因
掛
之
樹
上
。
�其
叔
從
他
路
歸
、
�下
�見
樹
有
紅
�女
衣
、
疑
而
�
�
�之
、
三
鬼
�散
。
王
二
口
耳
中
、
�是
�泥
填
塞
。
扶
之
歸
、
竟
�于
死
(
4
)。
會
稽
の
王
二
は
衣
を
�ふ
を
以
て
業
と
爲
す
。
手
に
女
裙
衫
數
件
を
挈
と
り
、
夜
吼
山
を
�ぐ
。
水
中
よ
り
跳
び
出
で
た
る
二
人
を
見
る
。
裸
身
�面
に
し
て
、
こ
れ
を
牽
ひ
き
て
河
に
入
ら
ん
と
す
。
王
自
ら
�
つ
か
さ
どる
能
は
ず
、
隨
ひ
行
く
こ
と
數
�な
り
。
忽
ち
山
頂
の
松
樹
の
�よ
り
飛
び
下
る
一
人
、
眉
を
垂
れ
舌
を
吐
き
、
手
に
大
繩
を
持
ち
て
其
の
�に
套
し
こ
れ
を
曳
き
て
山
に
登
ら
ん
と
す
。
�面
の
鬼
と
彼
れ
此
れ
爭
ひ
奪
は
ん
と
す
。
�面
の
鬼
曰
く
、
王
二
は
是
れ
我
が
替
身
な
り
。
汝
何
ぞ
之
を
奪
ふ
を
得
ん
、
と
。
繩
を
持
つ
の
鬼
曰
く
、
王
二
は
是
れ
衣
を
�す
の
師
父
な
り
。
汝
等
河
水
の
鬼
は
赤
屁
股
に
し
て
水
中
に
在
り
。
竝
び
に
衣
�の
做 つ
くる
を
す
る
無
し
。
何
の
之
を
用
ゐ
る
ぞ
。
我
に
讓
る
に
如
か
ず
、
と
。
王
も
亦
た
昏
�し
、
其
の
互
い
に
拉
く
を
聽
く
。
然
れ
ど
も
心
中
は
畧
く
�明
有
り
。
私
に
念
ふ
に
、
も
し
女
裙
衫
を
�失
せ
ば
、
則
ち
力 つ
とむ
る
も
賠 つぐ
なふ
能
は
ず
、
と
。
因
り
て
是
を
樹
上
に
掛
く
。
�
た
ま
た
ま其
の
叔
他
の
路
よ
り
歸
り
、
�下
に
樹
に
紅
�の
女
衣
有
る
を
�見
し
、
疑
ひ
て
�づ
き
�
す
す
み
て
之
を
�れ
ば
、
三
鬼
�に
散
ず
。
王
二
の
口
耳
の
中
は
、
�て
是
れ
�泥
に
填
塞
ふ
さ
がる
。
こ
れ
を
扶
け
て
歸
る
に
、
竟
に
死
よ
り
�す
。
�や
か
な
女
裙
衫
を
手
し
て
、
夜
に
吼
山
(
紹
興
市
の
東
に
�十
五
キ
ロ
メ
ー
ト
ル
)
を
�り
か
か
る
の
は
、
王
二
と
い
う
仕
立
職
人
で
あ
る
。
徹
夜
の
仕
事
を
�え
、
!ま
で
に
得
意
先
に
屆
け
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
、
の
で
あ
ろ
う
、
夜
中
に
山
"を
�る
。
そ
の
彼
に
、
ま
ず
二
人
の
溺
死
鬼
が
襲
い
か
か
る
。
「
裸
身
�面
」
は
溺
死
鬼
の
�束
の
ス
タ
イ
ル
で
あ
る
。
兩
手
を
引
か
れ
て
ふ
ら
ふ
ら
と
數
�行
く
う
ち
に
、
山
頂
の
松
の
木
の
あ
た
り
か
ら
縊
死
鬼
が
飛
び
下
り
て
く
る
。「
眉
を
垂
れ
舌
を
吐
く
」
の
も
縊
死
鬼
の
�束
の
ス
タ
イ
ル
で
あ
る
。
そ
し
て
繩
を
王
二
の
�に
卷
き
つ
け
山
に
登
ろ
う
と
す
る
。
兩
手
は
二
人
の
溺
死
鬼
に
執
ら
れ
て
い
る
の
で
、
繩
を
�に
卷
く
と
い
う
の
は
、
理
に
も
か
な
っ
た
見
事
な
#寫
で
あ
る
。
そ
し
て
溺
死
鬼
と
縊
死
鬼
の
罵
り
あ
い
の
せ
り
ふ
が
面
白
い
。
「
繩
を
持
つ
の
鬼
曰
く
、
王
二
は
是
れ
衣
を
�す
の
師
父
な
り
。
汝
中
國
詩
文
論
叢
第
二
十
五
集
166
等
河
水
の
鬼
は
赤
屁
股
に
し
て
水
中
に
在
り
。
竝
び
に
衣
�の
做 つ
くる
を
�す
る
無
し
。
何
の
之
を
用
ゐ
る
�ぞ
。
我
に
讓
る
に
如
か
ず
」
と
い
う
部
分
な
ど
は
、
讀
む
�を
し
て
破
顏
せ
し
む
る
に
足
る
。
そ
し
て
、
「
私
に
念
ふ
に
、
�
も
し
女
裙
衫
を
�失
せ
ば
、
則
ち
力
む
る
も
賠
ふ
能
は
ず
」
と
い
う
心
理
�寫
ま
で
あ
る
。
高
價
な
生
地
を
預
か
り
、
僅
か
な
手
賃
を
得
る
だ
け
の
職
人
心
理
を
�い
て
、
實
に
リ
ア
リ
テ
ィ
が
あ
る
。
リ
ア
リ
テ
ィ
は
こ
の
よ
う
な
細
部
デ
イ
テ
イ
ルに
よ
っ
て
保
證
さ
れ
る
。
そ
し
て
「
女
裙
衫
を
樹
上
に
掛
け
た
事
」
が
、
叔
父
が
「
疑
ひ
て
づ
き
�」
む
伏
線
に
な
っ
て
い
る
。
わ
ず
か
に
二
百
字
あ
ま
り
短
篇
で
、
こ
れ
ほ
ど
に
見
事
な
結
�を
持
っ
た
小
は
め
っ
た
に
無
い
で
あ
ろ
う
。
一
字
と
雖
も
�減
す
可
か
ら
ず
、
と
い
う
感
じ
だ
。
で
は
、
こ
の
作
品
の
ど
こ
が
、
紀
昀
の
氣
に
さ
わ
っ
た
の
で
あ
ろ
う
か
。
四
小
�に
對
す
る
�勢
袁
枚
の
小
に
對
す
る
�勢
は
、
極
め
て
單
純
明
快
で
あ
る
。
子
不
語
一
書
、
皆
莫
須
有
之
事
、
�戲
�言
。
何
足
爲
典
�。
故
不
�作
�姓
名
(
5
)。
子
不
語
の
一
書
、
皆
有
る
須 べ
き
莫
き
の
事
に
し
て
、
�戲
の
�言
な
り
。
何
ぞ
典
�を
爲
す
に
足
ら
ん
。
故
に
作
�の
姓
名
を
�せ
ず
。
有
る
筈
の
な
い
こ
と
を
、
戲
れ
に
書
い
て
い
る
だ
け
な
の
だ
か
ら
、
書
物
と
し
て
の
體
裁
な
ど
整
え
る
必
�は
な
い
。
だ
か
ら
作
�の
姓
名
す
ら
明
ら
か
に
は
書
か
ず
、
隨
園
戲
�と
記
す
だ
け
だ
、
と
い
う
の
で
あ
る
。
有
り
得
な
い
話
を
書
い
て
い
る
、
と
言
い
き
っ
た
志
怪
作
�も
珍
し
い
。小
に
對
す
る
紀
昀
の
�勢
は
、
乾
�癸
丑
(
五
十
八
年
、
一
七
九
三
)
十
一
�と
い
う
日
付
の
あ
る
、
門
人
�時
�の
跋
に
あ
る
、
『
聊
齋
志
�』
批
�に
明
ら
か
で
あ
る
。
『
聊
齋
志
�』
�行
一
時
、
然
才
子
之
筆
、
非
�書
�之
筆
也
。
�初
以
下
、
干
寶
以
上
、
古
書
多
佚
矣
。
其
可
見
完
帙
�、
劉
�叔
『
�
�』、
陶
濳
『
續
�
�記
』、
小
也
。『
飛
燕
外
傳
』、『
會
眞
記
』
、
傳
記
也
。
『
太
!廣
記
』
、
事
以
聚
。
故
可
并
收
。
今
一
書
而
"二
體
、
�未
解
也
。
小
#
$見
聞
、
%屬
敍
事
。
不
比
戲
場
關
目
隨
意
裝
點
。
(
中
略
)
今
燕
昵
之
詞
、
&狎
之
態
、
細
'曲
折
、
(繪
如
生
、
使
出
自
言
、
似
無
此
理
。
使
出
作
�代
言
、
則
何
從
而
聞
見
之
。
又
出
未
解
也
(
6
)。
『
聊
齋
志
�』
は
一
時
に
�行
す
る
も
、
然
れ
ど
も
才
子
の
筆
に
袁
枚
『
子
不
語
』
の
鬼
求
代
話
の
筆
法
(
中
野
)
167
し
て
、
書
を
�す
�の
筆
に
非
ざ
る
な
り
。
�初
以
下
、
干
寶
以
上
は
、
古
書
に
し
て
佚
す
る
も
の
多
し
。
其
の
完
帙
を
見
る
可
き
も
の
は
、
劉
�叔
の
『
�
�』、
陶
濳
の
『
續
�
記
』、
小
の
�な
り
。
『
飛
燕
外
傳
』、『
會
眞
記
』
は
、
傳
記
の
�な
り
。『
太
�廣
記
』
は
事
と
す
る
に
�聚
を
以
て
す
。
故
に
并
せ
て
收
む
可
し
。
今
一
書
に
し
て
二
體
を
ぬ
る
は
、
未
だ
解
せ
ざ
る
�な
り
。
小
は
�に
見
聞
を
�ぶ
れ
ば
、
�ち
敍
事
に
屬
す
。
戲
場
の
關
目
の
隨
意
に
裝
點
す
る
に
比
せ
ず
。
今
燕
昵
え
ん
じ
つの
詞
、
�狎
せ
つ
か
ふの
態
、
細
�曲
折
、
�
も
繪 か
いす
る
こ
と
生
く
る
が
如
き
は
、
使 も
し
出
で
て
自
ら
言
ふ
と
せ
ば
、
此
の
理
無
き
に
似
た
り
。
作
�を
出
だ
し
て
代
言
せ
し
む
る
と
せ
ば
、
則 すな
は
ち
何 いづ
れに
從 よ
り
て
か
こ
れ
を
聞
見
せ
る
。
又
未
だ
解
せ
ざ
る
に
出
づ
。
『
聊
齋
志
�』
は
一
時
期
流
行
し
た
が
、
し
か
し
才
子
の
筆
で
あ
っ
て
、
書
を
�す
�の
筆
で
は
な
い
。
�初
か
ら
干
寶
ま
で
の
時
代
の
古
い
書
に
は
散
佚
し
た
も
の
が
多
い
。
�部
ま
と
ま
っ
て
殘
っ
て
い
る
と
思
え
る
も
の
は
、
劉
�叔
の
『
�
�』・
陶
濳
の
『
續
�
記
』
な
ど
で
、
小
の
た
ぐ
い
で
あ
る
。
『
飛
燕
外
傳
』・『
會
眞
記
』
は
傳
記
の
た
ぐ
い
で
あ
る
。
『
太
�廣
記
』
は
集
め
る
こ
と
に
�眼
を
お
い
て
い
る
の
で
あ
る
か
ら
、
い
ろ
い
ろ
な
文
章
が
そ
の
中
に
あ
っ
て
も
よ
い
。
し
か
し
一
書
で
あ
る
の
に
、
『
小
』
も
『
傳
記
』
も
收
め
て
い
る
と
い
う
の
は
、
い
に
し
え
よ
り
の
『
體
例
』
を
無
�し
た
こ
と
に
な
る
。
だ
か
ら
『
聊
齋
志
�』
な
ど
と
い
う
も
の
は
、
私
に
は
理
解
で
き
な
い
も
の
で
あ
る
。
�す
る
に
『
�書
』
で
は
な
い
。
小
は
見
聞
を
�べ
る
も
の
で
あ
る
以
上
、
敍
事
に
徹
す
る
必
�が
あ
る
。
�居
の
筋
書
き
の
よ
う
に
�當
に
�減
し
て
よ
い
も
の
で
は
な
い
。も
し
も
睦
言
や
ら
ラ
ブ
シ
ー
ン
や
ら
を
、
こ
ま
ご
ま
と
、
い
き
い
き
と
な
ぞ
り
�い
て
い
た
と
し
て
、
そ
れ
を
本
人
が
自
分
で
話
す
な
ど
と
い
う
こ
と
は
、
有
り
得
な
い
し
、
作
�が
そ
れ
を
代
言
す
る
と
い
う
の
な
ら
ば
、
何
處
か
ら
見
て
い
た
の
か
と
い
う
こ
と
に
な
る
。
理
解
で
き
な
い
こ
と
だ
。
以
上
が
、
紀
昀
の
文
學
史
上
に
『
聊
齋
志
�』
を
位
置
づ
け
ら
れ
な
い
理
由
で
あ
る
。
こ
の
紀
昀
の
�點
か
ら
、『
鍼
工
�鬼
』
を
見
て
み
れ
ば
、「
何
處
か
ら
見
て
い
た
の
か
、
あ
る
い
は
、
ど
う
し
て
筆
�に
そ
の
こ
と
を
傳
え
得
た
の
か
」
と
い
う
批
�に
な
ら
ざ
る
を
得
な
い
。
「
自
ら
�
つ
か
さ
どる
能
は
」
ざ
る
態
に
あ
っ
た
王
二
が
、「
眉
を
垂
れ
舌
を
吐
く
」
と
い
う
縊
死
鬼
の
顏
つ
き
ま
で
、
ど
し
て
憶
え
て
い
た
の
か
。
そ
し
て
繩
を
王
二
の
!に
卷
き
つ
け
山
に
登
ろ
う
と
す
る
、
な
ど
と
い
中
國
詩
文
論
叢
第
二
十
五
集
168
う
細
か
な
點
ま
で
憶
え
て
い
て
、
そ
れ
を
筆
�に
ど
う
傳
え
た
の
か
。
ま
た
溺
死
鬼
と
縊
死
鬼
の
罵
り
あ
い
の
せ
り
ふ
、
「
繩
を
持
つ
の
鬼
曰
く
、
王
二
は
是
れ
衣
を
�す
の
師
父
な
り
。
汝
等
河
水
の
鬼
は
赤
屁
股
に
し
て
水
中
に
在
り
。
竝
び
に
衣
�の
做 つ
くる
を
�す
る
無
し
。
何
の
之
を
用
ゐ
る
�ぞ
。
我
に
讓
る
に
如
か
ず
」
と
い
う
部
分
な
ど
を
、
ど
う
し
て
こ
ん
な
に
正
確
に
憶
え
て
い
て
、
そ
れ
を
筆
�に
傳
え
ら
れ
た
の
か
。
�す
る
に
、
面
白
く
す
る
た
め
に
話
を
作
っ
て
い
る
と
い
う
批
�な
の
で
あ
る
。
「
小
�」
あ
る
い
は
「
筆
記
」
は
あ
く
ま
で
も
事
實
の
記
に
徹
す
る
べ
き
だ
、
史
の
�料
と
し
て
、
あ
る
い
は
政
治
に
�す
る
た
め
に
、
傳
�上
の
存
在
で
あ
る
稗
官
の
よ
う
に
、
町
の
噂
を
拾
い
集
め
る
こ
と
に
徹
す
べ
し
、
と
で
も
い
う
の
で
あ
ろ
う
か
。
「
�戲
の
言
」
と
言
い
切
る
袁
枚
に
對
し
て
は
、
批
�と
い
う
よ
り
こ
れ
は
讃
辭
に
等
し
い
。
し
か
し
こ
う
い
う
紀
昀
の
�勢
も
、
時
々
は
破
綻
を
生
む
こ
と
が
あ
る
の
で
あ
る
。
以
下
、
原
文
の
檢
討
を
�す
る
も
の
で
は
な
い
の
で
訓
讀
書
き
流
し
の
み
の
引
用
と
す
る
(
7
)。
申
�嶺
先
生
の
言
。
士
人
有
り
別
業
に
讀
書
す
。
墻
外
に
廢
冢
有
り
、
誰
爲
る
を
知
る
莫
し
。
園
丁
言
ふ
、
夜
中
或
い
は
吟
哦
の
聲
有
り
、
と
。
濳
か
に
聽
く
こ
と
數
夕
、
聞
こ
ゆ
る
�無
し
。
一
夕
忽
ち
之
を
聞
く
。
�ぎ
酒
を
持
し
て
冢
上
に
澆 そ
そぎ
て
曰
く
、
泉
下
に
�吟
す
る
は
定
め
て
詞
客
爲
ら
ん
。
幽
明
�た
る
と
雖
も
、
氣
�は
�ら
ず
。
肯 あ
へ
て
身
を
現
し
て
一
共
に
談
ぜ
ん
か
、
と
。
俄
に
人
影
有
り
、
の
冉
冉
と
し
て
樹
陰
の
中
よ
り
出
で
、
頭
を
掉 ふ
り
て
竟
に
去
る
。
殷
�に
拜
�す
る
こ
と
再
に
至
り
三
に
至
る
。
�に
樹
外
の
人
語
を
聞
く
に
曰
く
、
君
に
賞
せ
見 ら
る
る
に
感
じ
、
敢
て
�物
を
以
て
自
ら
擬
せ
ず
。
方
に
一
接
し
て
�談
し
百
年
の
岑
寂
を
破
ら
ん
と
す
る
も
、
遙
に
�采
を
觀
る
に
�び
、
乃
ち
衣
裝
�美
に
し
て
、
翩
翩
と
し
て
富
貴
の
容
有
り
。
我
が
輩
の
�袍
と
、
殊
に
同
�す
る
に
非
ず
。
士
に
は
各
お
の
志
有
り
。
未
だ
敢
て
相
ひ
親
し
ま
ざ
る
も
、
惟
だ
君
委
曲
し
之
を
諒
と
せ
よ
、
と
。
士
人
悵
悵
と
し
て
�る
。
是
よ
り
并
び
て
吟
哦
も
亦
た
聞
こ
え
ず
。
余
曰
く
、
此
れ
先
生
玩
世
の
寓
言
な
る
の
み
。
此
の
語
�に
未
だ
親 みづ
から
は
聞
か
ず
、
又
た
旁
に
聞
く
�無
け
れ
ば
、
豈
に
此
の
士
人
鬼
に
揶
揄
爲 せ
ら
れ
、
ほ
自
ら
!ぶ
る
を
肯
ん
ぜ
ん
や
、
と
。
先
生
髯
を
掀 か
かげ
て
曰
く
、
"麑
槐
下
の
詞
、
渾
身
良
夫
#中
の
譟
、
誰
か
之
を
聞
か
ん
や
。
子
乃
な
獨 ん
ぞ
老
夫
を
詰
る
や
、
と
。
「
"麑
槐
下
の
詞
」
は
『
春
秋
左
氏
傳
』
宣
公
二
年
の
條
に
見
え
る
。
袁
枚
『
子
不
語
』
の
鬼
求
代
�話
の
筆
法
(
中
野
)
169
獨
り
自
�す
る
�の
自
�す
る
直
�の
呟
き
を
知
る
も
の
は
い
な
い
は
ず
で
あ
る
。
「
渾
良
夫
�中
の
譟
」
は
『
春
秋
左
氏
傳
』
哀
公
十
七
年
の
條
に
見
え
る
。
他
人
が
何
を
�に
見
た
の
か
は
、
當
の
本
人
が
話
し
で
も
し
な
い
限
り
知
る
こ
と
は
で
き
な
い
。
�す
る
に
、
最
も
�威
あ
る
と
さ
れ
る
經
書
の
�釋
に
も
同
じ
よ
う
な
例
が
あ
る
か
ら
、
こ
の
く
ら
い
ま
で
は
か
ま
わ
な
い
、
と
い
う
の
で
あ
ろ
う
。
だ
が
、
意
地
の
惡
い
政
敵
で
も
存
在
し
て
い
た
ら
、
こ
れ
は
『
十
三
經
』
の
權
威
を
貶
め
る
も
の
だ
と
い
う
解
釋
も
り
立
つ
し
、
乾
�が
元
氣
な
時
代
に
、
紀
昀
以
外
の
人
物
が
書
い
た
と
す
れ
ば
、
文
字
獄
に
も
發
展
し
か
ね
な
い
可
能
性
は
あ
る
。
五
『
子
不
語
』
と
『
閲
�
�堂
筆
記
』
の
捻
れ
子
不
語
に
收
�さ
れ
た
鬼
求
代
話
は
、
他
に
も
、
1
『
蔡
書
生
』
卷
一
。
2
『
瓜
�下
二
鬼
』
卷
三
。
3
『
鬼
有
三
技
�
此
鬼
�乃
窮
』
卷
四
。
4
『
�
�
�』
卷
六
。
5
『
鬼
逐
鬼
』
卷
十
六
。
6
『
縊
死
鬼
畏
魄
字
』
續
新
齊
諧
卷
二
。
7
『
打
破
鬼
例
』
續
新
齊
諧
卷
三
。
8
『
�鬼
作
妹
』
續
新
齊
諧
卷
十
。
な
ど
が
あ
る
。
こ
の
中
で
、
紀
昀
の
�勢
か
ら
考
え
て
、
最
後
の
『
�
鬼
作
妹
』
を
除
い
て
は
、
「
何
處
か
ら
見
て
い
た
の
か
、
あ
る
い
は
、
ど
う
し
て
筆
�に
そ
の
こ
と
を
傳
え
得
た
の
か
」
と
い
う
批
�を
受
け
そ
う
な
も
の
は
な
い
し
、
『
�鬼
作
妹
』
は
紀
昀
が
生
�に
見
た
可
能
性
は
な
い
(
8
)。
こ
の
『
鬼
爭
替
身
人
因
得
�』
は
『
子
不
語
』
の
卷
九
で
あ
る
。
�
二
十
四
卷
で
六
冊
な
の
で
第
三
冊
目
に
あ
た
る
。
果
た
し
て
紀
昀
は
『
子
不
語
』
の
何
處
ま
で
に
目
を
�し
て
い
た
の
か
。
常
識
�に
考
え
て
、
第
三
冊
目
を
讀
ん
で
い
る
と
す
れ
ば
、
1
~
4
ま
で
は
紀
昀
は
目
を
�し
て
い
る
と
考
え
て
よ
い
だ
ろ
う
。
し
か
し
1
~
4
ま
で
は
複
數
の
「
求
代
の
鬼
」
が
登
場
す
る
話
で
は
な
い
。
卷
九
ま
で
讀
み
�ん
で
複
數
の
「
求
代
鬼
」
が
登
場
す
る
話
に
至
り
、
そ
の
面
白
さ
の
�以
が
フ
ィ
ク
シ
ョ
ン
に
あ
る
、
と
氣
づ
い
て
紀
昀
は
、
一
言
�味
を
付
け
加
え
る
た
め
に
「
求
代
鬼
報
恩
譚
」
を
書
か
ざ
る
べ
か
ら
ず
、
と
い
う
氣
に
な
っ
た
だ
ろ
う
。
た
し
か
に
『
子
不
語
』
面
白
さ
は
フ
ィ
ク
シ
ョ
ン
に
あ
る
。
よ
り
�
體
�に
は
�寫
、
特
に
心
理
�寫
が
面
白
い
。
ノ
ン
フ
ィ
ク
シ
ョ
ン
の
紀
昀
の
文
に
は
、
敍
!は
あ
る
が
�寫
は
な
い
。
袁
枚
も
『
"
#
$堂
筆
記
』
に
は
目
を
�し
て
い
た
よ
う
だ
。
『
續
新
齊
諧
』
卷
五
に
十
一
篇
の
引
用
が
あ
る
。
し
か
し
引
用
と
は
い
っ
て
も
、
出
�を
明
記
し
て
い
る
わ
け
で
は
な
い
し
(
9
)、
%當
に
切
り
&て
る
部
分
は
切
り
&て
て
い
る
。
特
に
、
文
末
に
つ
け
ら
れ
た
紀
昀
の
中
國
詩
文
論
叢
第
二
十
五
集
170
「
世
�人
心
」
に
關
す
る
コ
メ
ン
ト
な
ど
は
、
完
�に
切
り
�て
て
い
る
の
で
あ
る
。
面
白
い
話
は
、
面
白
く
讀
め
ば
い
い
の
で
あ
っ
て
、
下
ら
な
い
�
�な
ど
は
�ら
な
い
と
い
う
こ
と
な
の
だ
ろ
う
。
【
�】
(
1
)
『
到
�江
再
四
首
并
序
』『
小
倉
山
詩
集
』
卷
十
。
(
2
)
『
聞
魚
門
吏
部
充
四
庫
�纂
修
、
喜
寄
以
詩
』『
小
倉
山
詩
集
』
卷
二
十
三
(
3
)
『
�
�堂
筆
記
』『
姑
�聽
之
』
三
(
4
)
『
鬼
爭
替
身
人
因
得
�』『
子
不
語
』
卷
九
(
5
)
『
答
楊
笠
湖
』『
小
倉
山
尺
牘
』
卷
七
(
6
)
�時
�跋
『
�
�堂
筆
記
』『
姑
�聽
之
』
卷
末
(
7
)
『
�
�堂
筆
記
』『
槐
西
雜
志
』
卷
一
(
8
)
こ
の
件
に
つ
い
て
は
、
本
誌
�號
�載
の
拙
稿
『
袁
枚
「
子
不
語
」
の
�補
』
參
照
。
(
9
)
『
軍
校
妻
』
『
飛
天
夜
叉
』
(
袁
枚
が
付
け
た
題
)
の
二
篇
だ
け
は
、
書
き
出
し
に
「
紀
曉
嵐
先
生
在
烏
魯
木
齊
時
」
「
先
生
在
烏
魯
木
齊
」
と
あ
る
。
袁
枚
『
子
不
語
』
の
鬼
求
代
�話
の
筆
法
(
中
野
)
171