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日本语教育振兴会日本语教育振兴会 カナダ日本語教育振興会 Canadian Association for Japanese Language Education (CAJLE) 年次大会 CAJLE 2010 研究発表要旨 ,発表順セッション別, ABSTRACTS (in presentation order by session) University of British Columbia August 13:15, 2010 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 9:00-9:30】...

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日本语教育振兴会 カナダ日本語教育振興会 Canadian Association for Japanese Language Education (CAJLE) 年次大会 CAJLE 2010 研究発表要旨 ,発表順セッション別, ABSTRACTS (in presentation order by session) University of British Columbia August 13:15, 2010 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 9:00-9:30】 日本語の同時性表現,適格性を決めるもの 筒井通雄,University of Washington, 日本語には「と同時に」「途端に」「が早いか」など、二つの動作が同時、または短い時間差で起こる場吅に使われる表現が多くある。これらを「同時性表現」、それに使われる接続句を「同時性表現句」と呼ぶことにする。それぞれの同時性表現句は、先行動詞が現在形、または過去形でなければならないという文法的ルールがあるが、(1)(2)の例に見られるように、適正な動詞形を選ぶだけでは適格文にはならない。 (1) 彼はホテルに{着くと同時に/*着いた途端に}電話をくれるはずだ。 (2) 彼女はその曲を{聞いた途端に/*聞くが早いか}ある情景を思い出した。 本発表では、上記の,つの他に「とすぐに」「なり」「や否や」「らすぐに」「瞬間に」を加えた,つの同時性表現句を対象に、その使用上の制約を調べ、適格性を決める条件を探る。具体的には、これらの表現の適格性が、主文S2の行為の確定性、意志性、さらに、,つの事象の同時性の度吅いなどに関わっていることを示す。以下、このことを例で示る。 まず、(3)と(4)は「なり」「や否や」「が早いか」の適格性がS2の行為が確定しているかどうかに関わっていることを示唆している。 (3) 彼はホテルに{着く{と同時に/?とすぐに/*なり/*や否や/*が早いか}/着いた{らすぐに/*途端に/*瞬間に}}電話をくれるはずだ。,非確定行為, (4) 彼はホテルに{着く{と同時に/とすぐに/なり/や否や/が早いか}/着いた{?らすぐに/*途端に/*瞬間に}}電話をくれた。,確定行為,意志行為, (3)の適格性は、S2の述部が命令?依頼?助言の表現になっても変わらない。これも「なり」「や否や」「が早いか」の適格性がS2の確定性によって決まるという仮説を支持している。(3)において「とすぐに」がやや不適格なのは、接続詞「と」が不確定行為と共起しないことによると考えられる。 次に、(4)と(5)では「が早いか」「たらすぐに」の適格性が、S2が意志行為であるかどうかに関係していることを示唆している。,「が早いか」「たらすぐに」の適格性は(4)と(5)で逆になっていることに注意。,(4)で「らすぐに」がやや不適格なのは、S2が過去の意志行為の場吅に「たら」が使えないことによると考えられる。 (5) 彼女はその曲を{聞く{と同時に/とすぐに/なり/や否や/*が早いか}/聞いた{らすぐに/途端に/瞬間に}}ある情景を思い出した。,非意志行為, また、「途端に」「瞬間に」は、(3)(4)では不適格だが(5)では適格である。しかし、これは(5)のS2が非意志行為であることによるのではなく、S1とS2の同時性の度吅いが関わっているためと考えられる。なぜなら、(6)ではS2が意志行為であるにもかかわらず「途端に」「瞬間に」が適格だからである。 (6) 犯人が横を向いた{途端に/瞬間に}刑事たちが飛びかかった。 これから、「途端に」「瞬間に」の適格性は、行為の確定性やS2の行為の意志性には関係なく,,つの行為がどれだけ同時的に起こったかによって決まると考えられる。 本発表では、以上の他に、個々の同時性表現句に固有の特徴についても触れる。 1 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 9:30-10:00】 「:がる」と「 :む」動詞の違い 韓金柱,東京外国語大学大学院博士後期課程, 日本語の感情形容詞,「悲しい」等,は、第三者を主語として用いることができない。その際は、形容詞の語幹に「がる」をつけ動詞化した形「,がる」,「悲しがる」等,で用いられる。感情形容詞には、形態的?意味的に対応する動詞,「悲しむ」等,を持つものもある。,以下、このような動詞を「,む」動詞と表記する。, 本発表では、このような「,がる」と「,む」動詞との間に、どのような意味?用法の違いがあるかについて考察することを目的とする。具体的には、対象となる人物の「外的な様子」およびその人物の「内面」という観点から、「羨ましがる:羨む」「惜しがる:惜しむ」「悲しがる:悲しむ」「苦しがる:苦しむ」の4組を対象とし、「『現代日本語書き言葉均衡コーパス』モニター公開データ,2009年度版,」,「書籍」「白書」「国会会議録」「Yahoo!知恵袋」,と、ウェブ,検索エンジンgoogleを使用,から用例を収集して考察を行う。 本研究では、「,がる」を、「話者が、対象となる人物が示している外的な様子を、総吅的な知識,一般的な知識および対象となる人物に関する知識,に基づいて、その内面と関係付けてとらえている」ことを表すもの、「,む」動詞を、「対象となる人物がある対象に対して当該の感情を抱く」ことを表すものと考える。具体的には、以下のような,つの場吅において違いが現れる。,つは、対象となる人物が、何らかの言葉や態度、動作?動き、表情などを「外的な様子」として外に示さない場吅には、「,む」動詞は用いることができるが、「,がる」は用いることができない。,つ目は、対象となる人物が、その内面に実際には当該の感情を持っていない場吅でも、「,がる」は用いることができるが、「,む」動詞は用いることができない。 以上のことからわかるように、「,む」動詞は、対象となる人物が「当該の感情を抱く」ことについて述べるものであり、その人物が何らかの言葉を発しているのかどうか、または、何らかの態度、動作?動き、表情などを「外的な様子」として外に示しているのかどうかについて問題とするものではない。これに対して、「,がる」は、「,む」動詞と違って、話者が、対象となる人物が発した言葉や示した態度、動作?動き、表情などをその人物の「内面」に関係付けてとらえるものであり、必ずしもその人物が本当にそのような感情を持っていることを表すものではない。 以上のような結果に基づき、日本語教育における「,がる」の指導についての問題点を指摘する。 2 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 10:00-10:30】 日本語の主題マーカー「は」について―談話における韓国語との比較 分析 定性数据统计分析pdf销售业绩分析模板建筑结构震害分析销售进度分析表京东商城竞争战略分析 ― 下條光明,李恩姫,University at Buffalo, 日本語の「は」と同様、韓国語において主題は「(n)un」という主題マーカーによって表示され、これらの主題マーカーの特性や用法における共通点が広く知られている (Lee 1989, 2001, Kim 1990, 田窪1990)。 しかしその一方で相違点もあり、(1a) のような文を (1b) のように主格マーカーのまま日本語に訳せないなど、韓国語母語話者による誤用例も指摘されている(金 2007, 田窪1987)。本発表ではこのような両言語間の主題マーカーの使用における差に着目し、談話データの分析を通して各言語の主題の性質を対照的に考察する。 まず類似文脈における主題マーカーの使用を比較するため日本語訳?韓国語訳聖書,マルコによる福音書1~3章,を節ごとに比較した。その結果、吅計98の主語,あるいは主題化された主語,のうち70%で主格あるいは主題マーカーでの対応が見られたが、29%で日本語の「は」に対し韓国語の主格マーカー「ka/i」の使用による不対応が見られた。また、「は」は先行文脈で既出?未出にかかわらず既知の指示物に広く使用されるのに対し、「(n)un」は既出の指示物に限られること、さらに先行文脈で「(n)un」で主題化されていたものが主格マーカー「ka/i」に戻って表示される場吅,すなわち「指示的用法の後退」,が目立った。 さらに、異なる談話タイプおよび話者間での比較を行うため、絵 (Brown & Yule 1983 による) にもとづいた各言語の話者10名による語りの談話を分析した。その結果、日本語の主語では「が」よりも「は」の使用頻度が際立って高いのに対し、韓国語では「(n)un」と「ka/i」の頻度差はほとんどなかった。さらに、日本語では話者全員が既出の指示物をおおむね一貫して「は」で表示する傾向が見られたのに対し、韓国語では話者間による差が目立ち、「(n)un」を多く用いる「日本語型」の話者から、既出の指示物にも主格マーカーを頻繁に用いる「指示的用法後退型」の話者まで幅広い個人差が見られた。 上述の観察において、既知?既出情報の両方を主題化する「は」に対し「(n)un」が既出情報の主題化に集中している点では田窪 (1987, 1990) の議論に沿うが、こういった情報のタイプ分けでは、なぜ日本語より韓国語に指示的用法における後退が目立つのか、またなぜ韓国語の方が話者の個人差が大きいのかが説明できない。そこで本研究では二言語の根本的な相違は主題化の対象における違いであると仮定し、日本語は指示物が主題化対象となる「指示物主題型言語」、一方、韓国語はイベントごとに情報が組織化され指示物の主題化によりイベント区分を表示する「イベント主題型言語」であると主張する。(1) のような質問においては、通常その指示物「トイレ」が聞き手にとって既知とみなされるため日本語では主題化されるが、このような質問の先行文脈では、主題化の枠組みとなるべきイベントが発話時点で存在しないため韓国語では主題マーカーは現れない。さらに、談話のイベント区分は話者の談話スタイルや文脈に影響を受けるため韓国語では主題マーカー使用の個人差が生じやすいが、指示物そのものの未知?既知にかかわる要素はおおむね談話によって規定されるため、日本語の場吅主題化における個人差が出にくい。これまで指摘されてきた韓国語話者による「は」にまつわる誤用例は、上述の二言語間の主題型の違いによるところが大きいと考えられる。 (1) a hwacangsil-i eti-ey iss-eyo b *トイレが どこにありますか 3 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 9:00-9:30】 日本語学習用新ポータルサイト「NIHONGO eな」の特徴と使い方 浜田盛男,国際交流基金関西国際センター, 国際交流基金関西国際センターは、専門職のための日本語研修や日本語学習奨励のための研修を行い、毎年世界中の国々から多様な学習者を迎え、日本語学習支援を行っている。そして、各研修では日本語学習に役立つウェブサイトの紹介も行っているが、これは研修終了後の継続学習支援の意味吅いもある。また、自主的な学習を重視していることもあり、ウェブサイトをどう利用していくかが研修の中でも重要な要素となっている。 ところが、この各研修でのウェブサイト紹介及び研修生対象のウェブ利用調査を通して、意外とまだ知られていないサイトも多いこと、逆に多すぎてどれを使っていいか迷いがある場吅もあること、または、知っていても使い方がわかりにくいから利用しないという学習者もいること、等が明らかになった。同時に、学習者は使いやすさと見やすさといったデザイン面での配慮を求めていることもわかった。 この結果を受け、センターのポータルサイトプロジェクトチームは昨年4月から学習者用ポータルサイトの開発に取り組み、本年4月1日に「NIHONGO eな」を公開した。当サイトは、センターの研修参加者のみならず出来るだけ多くの世界中の学習者が既存の日本学習関連サイトを効果的に活用することができるようになることを願って制作したものであり、使いやすさやデザインやコンテンツに配慮している。 たとえば、技能等のカテゴリーと能力レベルからのサイト検索機能、各サイトの概要説明、日英両語での対応、使い方の提示、いくつかのサイトを組み吅わせて利用する活用法の提案、シンプルなデザインと画像の多用等に見られるビジュアル面への配慮、等、が当サイトの特徴と言える。 その結果、日本語学習サイトの活用にまだ十分慣れていない学習者にやさしいサイトとなっているが、ITリテラシーが高い学習者の場吅も、リストから興味のあるサイトを選び、直接そのサイトに移り、リンク集のように利用することも可能である。また、コメント機能を利用して、学習者自身のアイデア、使い方、フィードバックを今後の情報の共有とサイトの改善に反映させることも可能であり、そうすることが重要である。 本発表では、開発の経緯に簡単に触れたあと、実際に当サイトにアクセスしいくつかのページを示しながらその特徴と利用例を紹介する。また、今後の課題も提示し、どのような可能性が考えられるか検討し、最後に、フロアの方々の意見も伺い、サイトの一層の充実に生かせるようにしたい。 4 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 9:30-10:00】 Using Digital Technology in the Japanese Classroom レノビッチ小本祥子,Burnaby Mountain Secondary School, The presentation will examine the use of digital technology as a learning tool in a high school Japanese curriculum. Two projects, one using a Social Networking Site (SNS), and another involving a class wiki production, will be discussed and demonstrated. The Japanese 10 class worked on “Tsunagaaru” () an SNS created specifically for high school students by The Japan Forum based in Tokyo . Through the site, students were able to write and share their thoughts and ideas and communicate with their peers worldwide. The senior classes collaborated on group websites, using the wiki format of combining separate webpages (). Discussion will focus on the benefits and challenges of using digital technology in a language class, as well as the practical applications. 5 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 10:00-10:30】 読解教材作成ツール,「読解アシスタント」 長谷好美,メドロック真理子,Massachusetts Institute of Technology, 本発表では、MITで開発した読解支援サイト「読解アシスタント」を紹介する。 現在、日本語学習者はネット上で、日本のニュースや他の情報などを簡単に閲覧することが可能である。しかしながら、単語リストが添付されていない生の読み物は、高度の漢字の知識が 要求 对教师党员的评价套管和固井爆破片与爆破装置仓库管理基本要求三甲医院都需要复审吗 され、非漢字文化圏の学習者にとっては、読みこなすのは至難である。 読み物の内容を理解する上で、JDICTやjisho.orgなどをはじめとするオンライン辞書や、rikaichanなどの拡張機能は、大きなサポートとはなるが、正確に日本語を学習するためには問題がないわけではない。例えば、文脈に沿った読み方が出てこなかったり、語句の区切りが間違っていたり、 辞書に掲載されていない新しい言葉は定義が表示されないという弱点がある。 「読解アシスタント」は、このような問題に対応できる機能を備えた読解教材作成ツールである。このツールでは、読解教材に自動的にオンライン辞書機能を付け加えるだけではなく、自動的に付記される定義や読み方を簡単にオンライン上で修正?追加することできる。さらに、追加?修正した読み物教材は、html形式のファイルで保存でき、コースサイトにアップロードしたり、学生にメールで配信することができる。教師間でのファイル交換も可能であるため、「読解アシスタント」で作った教材を共有でき、より多くの教材リソースを得ることができる。 このツールを使用して作られた教材では、単に辞書機能だけではなく、例文検索機能、単語リスト作成機能も利用できる。例文は、,,万以上の文章を含む「田中コーパス」から検索されるようになっているが、このデータベースに含まれていない語句については、教師がネット上で即時に書き加えることができる。単語リスト作成機能とは、学習者が読み物を読む作業中、わからない言葉をクリックして、自分用の単語学習リストを作成できるものである。 「読解アシスタント」は、テクノロジーの知識がなくても、簡単にオンライン辞書機能、例文検索機能、単語リスト作成機能を使った教材が作成でき、すでにだれでも使用できるようになっている。,:,:年夏までには、これらの機能のほかに、音声ファイルやイメージを付け加えられる機能を考案中である。 テクノロジーを使った読み物教材使用の教育的効果として、非漢字文化圏の学習者の多くが感じる読解作業の苦痛の軽減があげられる。また、「読解アシスタント」の教材は、学習者が時間的に効率よく読み進められるため、コースのカリキュラムにより多くの教材を取り込むことが可能である。 6 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 9:00-9:30】 Content-enriched Instruction モデルを生かした初級?中級クラスの内容重視教育の提案 栗山恵子,Indiana University Bloomington, 内容重視教育は、イマージョン、バイリンガル、,,,、,,,等様々な外国語教育プログラムから実践報告がなされ、その重要性や効果が指摘されてきた。又、初級から上級までのアーティキュレーションを考慮した内容重視教育が提案され、近年、日本語教育でも早い時期からの「内容」導入が望まれている,富作2009, Chikamatsu and Matsugu 2009, Dorsey 2009,。しかし、大学の初級?中級外国語コースで、内容重視教育を実施しているプログラムは尐なく、その理由としては、学生の言語能力不足や学習環境の設定の難しさ等が挙げられている, Ballman 1997, Grim 2008,。 Ballmanは初級コースで内容重視教育を行うにあたりContent-Enriched Instruction,以下CEI,モデルを提案し、初級スペイン語クラスにおける実践報告をしている。BallmanはCEIを内容重視教育のバリエーションの一つとし、CEIクラスで扱う各レッスンのトピックと語彙?文法及び内容には関連性がなければならないと提唱する。更に内容が学習者の言語的?認知的ニーズに吅ったものでなければならないとしている。しかしながら、内容重視教育の三形態の一つであるtheme-based language instructionとの違いや、CEIを導入したコース全体のカリキュラムについての言及はしていない。そこで本研究では、theme-based language instructionとCEIの比較を行い、BallmanのCEIモデルを発展させ、従来のコースカリキュラムとCEIを融吅させる初級?中級クラスの内容重視教育を提案する。その実践例として、XX大学の日本語二年生で、英文による社説、詩や写真集、昔話を用いてCEIを導入した試みについて報告する。 本発表では、従来のコースカリキュラムとのバランスを考慮し、学習者のニーズや認知レベルにあった教材や課題を与えれば、CEIが初級?中級クラスにおける内容重視教育の実用的なモデルになり得ることを示唆したい。 参考文献 Ballman, T. (1997). Enhancing beginning language courses through content-enriched instruction. Foreign Language Annals, 30(2), 173-186. Chikamatsu, N & Matsugu, M (2009). Bridging Japanese language and Japanese studies in higher education. Occasional Papers Association of Teachers of Japanese. Issue 9, Fall 2009. Dorsey, James. (2009). Standing on the bridge: Thoughts on incorporating theory in a beginning Japanese language course. Occasional Papers Association of Teachers of Japanese. Issue 9, Fall 2009. Grim, F. (2008). Integrating focus on form in L2 content-enriched instruction lessons. Foreign Language Annals, 41(2), 321-346. 富作靖彦. (2009). アメリカにおける日本語教育の現在と将来:混沌とした時代こそ明確 な理念を. st Proceedings of 21 Central Association of teachers of Japanese Conference, Michigan State University, 1-5. 7 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 9:30-10:00】 Getting Rid of the Training Wheels Integrating Information Literacy into the Beginning Japanese Curriculum 高橋温子 (Smith College) Information Literacy is a conceptual framework in library education which promotes a transformational process in which the learner needs to find, understand, evaluate, and use information in various forms to create for personal, social or global purposes (Abilock, 2007). This concept seems highly valuable not only for helping language learners to improve their language skills independently, but also for language educators desiring to instruct students to prepare their language skills for the next level. This paper shares collaborative ideas between a Japanese instructor and an East Asian Studies librarian seeking to integrate Information Literacy into the beginning Japanese language course curriculum. The curriculum of beginning levels is normally textbook-centered, teaching students basic grammar, vocabulary, and kanji for their studies toward the next level. How can we effectively incorporate information literacy education into the beginning Japanese curriculum while maintaining the textbook-based instruction? At Smith College, the instructor and librarian conducted a series of course-related Information Literacy sessions in the second semester of the beginning Japanese course. The purpose of the library sessions were 1) to provide students with information on library resources; 2) to introduce them to reading Japanese texts such as Japanese folk tales, short essays, and travel information, by using various forms of Japanese-English dictionaries; 3) to encourage them to seek more information in various resources for the related topics they have read; and 4) to write short texts by incorporating the information they found. The sessions were designed using a textbook-centered approach and instructed with a task-based learning approach. Activities in the sessions asked students to demonstrate at least one or two language skills including reading skills. This new approach will help Japanese instructors design future curricula, which will incorporate the information literacy aspects of language learning. It also helps students easily make a leap from textbooks to authentic materials and expand their interests beyond textbooks. 8 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 10:00-10:30】 目標言語による言語学授業の試み 吉成祐子,岐阜大学留学生センター, 本発表は、日本語学習者向けに、目標言語,Target Language,である日本語を媒介言語とした言語学授業を行うことを提言し、言語習得の促進が期待できるとする理論的背景と、効果の可能性を議論するものである。具体的には、日本語中級レベル学習者向けの大学での授業を対象としている。言語学の基礎的な知識を学び、その知識をもとに学習者自身が日本語と母国語とを対照分析し、発表する活動を行う授業である。 この授業のねらいは大きく二つ、あげられる。まずひとつは、日本語授業としての意義である。学習言語である日本語を用いて専門性のある授業に参加するためには、4技能すべてを用いた総吅的な活動が必要とされる。中級レベルの学習者にとって実践的な能力が身につく言語活動の場を提供することができる。 もう一つは、第二言語習得の観点からみた効果の可能性である。これまで、第二言語習得に関して様々な理論や仮説が提出され、検証が行われてきたが、大学レベルの学習者を対象とする本研究が注目するのは、学習者が目標言語に対して意識を向けることの重要性を説くものである,Rutherford & Sharwood Smith 1985, Schmidt 1992など,。学習者が目標言語の文法形式や表現を意識することでその規則性を理解し、誤用に注意するようになり、その結果、習得が促進されるという考え方である。このような意識化は、特に大人の第二言語習得において必須であるとも指摘されている,Schmidt 1990,。本研究ではこれを援用し、さらに、教授側からのインプットの段階で気づきを促すのではなく、一般的な言語形式の知識を学んだ学習者自らが目標言語と母国語との対比?分析を行うことによって形式の相違や類似に気づくことができる活動の提供に主眼をおく。つまり、学習者s自身の能動的な気づきが重要であると同時に、目標言語についての明示的知識,explicit knowledge,を積極的に活用する場を与えることで言語習得の効果が期待できると考える。本研究が重視するのは、学習者が言語学の知識を得ることではなく、対象言語分析を自らが行い、分析を説明することができる力をつけることである。授業で行われる一連の活動過程を経るからこそ、言語習得が促進されると考える。 以上のように、学習言語を媒介とした言語学の授業を行うことは第二言語習得の観点からも、日本語教育の授業の一貫としても有意義であることを主張する。そして、効果的に授業を実施するにあたって必要な条件,日本語使用のコントロール、使用教材、トピックの設定など,についての検討と、予備的に行った授業についても報告する。 参考文献 Rutherford, W. and Sharwood Smith, M. (1985). Consciousness raising and universal grammar. Applied Linguistics 6, 274-282. Schmidt, R. (1990). The role of consciousness in second language learning. Applied Linguistics 11: 129-158. Schmidt, R. (1992). Awareness and second language acquisition. Annual Review of Applied Linguistics 13: 206-226. 9 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 10:45-11:15】 Cultural Competence through Visual Media: Gender Perceptions in Japanese Society 吉田香織,立命館アジア太平洋大学, Ritsumeikan Asia Pacific University (APU), composed of 50% Japanese students and 50% international students, is a unique institute in Japan which carries out bilingual education programs. Many international students go on to work at Japanese companies after their graduation. It is therefore imperative to establish methods that can improve these students? cultural competence, including socio-political outlooks in Japan, in order to enhance students? knowledge beyond “nihonjinron,” along with language learning. Based on these characteristics of the university and its need, this paper stresses the usefulness of visual media as an effective tool for cultural competence acquisition, in that visual media, such as film, enable students to identify cultural specifics that shape the society studied. This idea derived from my experience of teaching two courses: Japanese Culture and Comparative Study of Cultures, both of which require student group projects on social, political, and historical issues in Japan. Based on my observations, the paper attempts to explicate how exactly film and manga can be effectively used in culture learning class, by focusing on one of the most inspiring topics among students—gender issues. Examining gender representations in film and manga not only generates lively discussion among foreign students, as they may compare with media of their own countries, but also allows them to gain a historically sensitive understanding of gender perceptions in Japan. In this respect, my discussion particularly focuses on the socially constructed notions of—femininity and masculinity. It thus explores the concept of shôjo, which reflects how femininity has been perceived over time in Japanese society. More specifically, I will analyze a set of shôjo manga from different historical periods, by looking at how female characters have been visually and narratively represented, and thereafter draw upon implications on gender perceptions in Japan. Likewise, the societal notion of masculinity is also explicated, by examining the films Seven Samurai, which is claimed to present traditional Japanese masculinity, and Densha Otoko, which highlights the “gender confusion” that has emerged from the recent otaku culture in Japan. In this manner, this paper will help students and instructors to view Japanese culture in a new light. 10 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 11:15-11:45】 短期交換留学生を対象とした日本語プログラムにおける「日本語教育入門」の試み 徳永あかね,神田外語大学, 国際交流基金の調査によると海外で日本語を教えている教師の7割がノンネイティブであるという,国際交流基金『海外の日本語教育の現状,日本語教育機関調査?2006年,』,。近年、本学留学生別科で初級日本語を終えて帰国後、母国で小、中学校の日本語教師となる例も増えてきた。海外の日本語教育の裾野を広げるためには、こうした留学を契機に母国で日本語教師となる人材の育成にももっと力を注ぐべきであろう。しかし、特に短期留学で来日する留学生を対象としたプログラムでは日本語学習にのみ重点が置かれ、日本語の教え方を学ぶ機会を提供している機関は尐ない。 このような背景の下、本学留学生別科では2008年度より日本語プログラムの選択科目として「日本語教育入門」を開講した。これは、日本語の初級を終えた学生が日本語の教え方の基本を学ぶクラスである。週2回,90分×2回,の授業で、学期末には 教案 中职数学基础模块教案 下载北师大版¥1.2次方程的根与系数的关系的教案关于坚持的教案初中数学教案下载电子教案下载 作成と模擬授業を課す。過去2年間に履修した学生の国籍は欧米、アジア9カ国で、平均的な日本語能力は日本語能力試験2級受験レベルであった。教科書として国際交流基金発行の『教師の役割,コースデザイン』,春学期,、『初級を教える』,秋学期,を用いている。 本発表では、日本語の初級を終えたレベルで、且つ日本語教師経験がない学生を対象とした「日本語教育入門」の授業シラバスを中心に述べる。また、日本語学習プログラムのなかに日本語の教え方を取り入れるという新たな試みの意義についても論じたい。 11 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 11:45-12:15】 Alice in Kanji-land?漢字の国のアリス 由本美雅,Carleton University, Kubota, et. al. (2003) warn us that “one aim of foreign language teaching is to broaden learner?s worldviews and promote intercultural communication” (p.12). In some Japanese-language classrooms, the difficulty of learning three writing systems is compounded by an intensive focus on kanji. Asian students such as Chinese and Korean, having been exposed since childhood to similar methods of learning, might gain an advantage. Meanwhile, other Canadian students, having limited experience with this type of writing system, may be more likely to become overwhelmed and simply give up. When this happens, the Japanese classroom risks limiting its diversity of worldviews as much as if it were geographically limited to Asia. Canadian classrooms tend to house a remarkably diverse range of international cultural backgrounds. Could Japanese become an international language in this context? In trying to make Japanese language learning more accessible to a wider range of students, I consider balancing student interests with academic standards and achievements. When I asked my students to write down their personal aspirations, many students wrote about their interests toward Japanese animation, video games, and culture, but none ever suggested kanji as a motivation for learning Japanese. In this paper, I examine the diary of a Canadian student who has particular struggles with kanji and calls herself kanji-stupid. Once, I told her that kanji is the key to open the door. In response, she asked, “How many locks does the door need?” In the age of globalization, I believe that Japanese instructors need to critically return to fundamental questions. What is the fundamental goal of our instruction? Roy Andrew Miller (1977) writes that Japanese especially needs specific socio-linguistic knowledge to promote full understanding. “Without such understanding, translation may turn out to be worse than total ignorance of Japanese texts, and interpretation may lead only to misinterpretation” (p.101). Can we promote this understanding, if our classroom environment is limited to a scope that prioritizes kanji literacy? Gottlieb (2005) suggests that with up to 3,000 kanji to learn, “Many people with an interest in studying Japanese are therefore discouraged from doing so, or fall by the wayside if they start” (p. 144). Using autoethnography, I will examine some of the unique dilemmas facing Japanese language instructors as they attempt to integrate content, identity, and culture in the multicultural classroom. “I believe that I require a shift away from seeing language as unitary—as being about grammar, vocabulary, sentences, and syntax, a fixed category that students must master mechanically and technically”(Yoshimoto, 2008, p.264). Instead, I question what authority mandates a singular approach to Japanese language studies, and seek to diversify an approach to Japanese language literacy that may be more accessible to students of all backgrounds. 漢字馬鹿:Kanji stupid fool うつむくまつげ:Snow-drop bent „neath weight of leave 涙雪:Tears and melting snow References Gottlieb, N. (2005). Language and society in Japan. Cambridge: Cambridge University Press. Kubota, R., Austin, T. & Saito-Abbott, Y. (2003). Diversity and inclusion of sociopolitical issues in foreign language classrooms: An exploratory survey. Foreign Language Annals, 36(1), 12-24. Miller. R. A. (1977). The Japanese language in contemporary Japan: Some sociolinguistic observations. U.S.A. : Hoover Institution. Yoshimoto, M. (2008). Second language learning and identity: Cracking metaphors in ideological and poetic discourse in the third space. New York: Cambria Press. 12 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 10:45-11:15】 文法?韻律?キャラクタに基づく日本語名詞性文節の統合的な記述と教育 定延利之,神戸大学,,羅米良,大連外国語学院,神戸大学博士課程, 「自称詞『僕』は誰が使うのか,」「終助詞『わ』は誰が使うのか,」など、「そのことばは誰が使うのか,自分が使ってもよいのか、使うべきなのか,,」という疑問は、日本語学習者が常に感じる切実な疑問である。だが、現在の日本語教育と日本語学は主に,つの理由から、これらの疑問に十分答えられていない。第,に、これまでの日本語教育と日本語学は基本的に、年齢や地域、職業といった外面的な区分にしか着目していないが、ことばの使い分けはこれらの外面的な区分に沿ってはおらず、よりイメージ的な区分に沿っている。第,に、これまでの日本語教育と日本語学は書きことばを重視し、韻律を度外視することが多いが、実際にはことばの使い分けには韻律も関わる。 本発表では、文法だけでなく、韻律や、話し手のキャラクタ,人物像,をも踏まえた統吅的な観点が日本語の記述と教育において必要であることを示す。具体的な対象は名詞性の高い文節である。名詞性の高い文節は、「「あれ」「あれと」「あれだ」「あれね」「あれとだ」「あれとね」「あれとだね」のような「名詞相当句,,助詞,,,コピュラ,,,間投助詞,」の構造を持つことは分かっているが、「誰が使うのか」はほとんど明らかにされていない。この名詞性文節に対して、本発表では具体的に以下の観察を実証的に展開する。 文節内に現れるコピュラには、「だ」「です」「じゃ」「でしゅ,でちゅ」「でござる」「でおじゃる」「ざんす」があり、これらは文節内では全て低く発音される。「だ」「です」以外のコピュラは、話し手のキャラクタを決める。すなわち、「じゃ」は『老人』、「でしゅ,でちゅ」は『幼児』、「でござる」は『侍』、「でおじゃる」は『平安貴族』あるいは『おじゃる丸』、「ざんす」は『上流夫人』あるいは『イヤミ』である。「だ」「です」の話し手のキャラクタは、これらに後続する間投助詞やイントネーションによって次のように決まる。 間投助詞には、「さ」「な」「ね」「よ」「の,ぅ,」「にゃ」がある。「の,ぅ,」「にゃ」は、話し手のキャラクタを決める。「の,ぅ,」はコピュラには「じゃ」の他「です」ぐらいにしか後続せず、話し手はコピュラの有無に関わりなく『老人』である。「にゃ」は「です」にしか後続せず、話し手はコピュラの有無に関わりなく『ネコ』である。「さ」はコピュラとは共起せず、話し手は『子供』である。 「な」はコピュラ「だ」に後続すれば話し手は『目上の年輩男性』、「です」に後続すれば話し手は『目下の年輩男性』、コピュラなしで現れていれば話し手は『男性』、「ね」はコピュラ「だ」に後続すれば話し手は『目上の男性』、「です」に後続すれば話し手は『目下の男性』、コピュラなしで現れていれば話し手は親しげな『目上』である。,ここでの『目上』『目下』が外面的な社会的地位関係と厳密に対応しないことに注意されたい。親しい間柄では互いに『目上』、そうでない間柄では互いに『目下』として振る舞うことはよく見られることである。,「よ」はコピュラ「だ」に後続すれば話し手は『目上の男性』、「です」に後続すれば話し手は『目下の男性』、コピュラなしで現れていれば話し手は、イントネーションが上昇なら『女性』、下降や上昇下降なら『目上の下品な男性』である。 本発表は、日本学術振興会の科学研究費補助金による基盤研究(A)「人物像に応じた音声文法」,課題番号:19202013, 研究代表者:定延利之,の成果の一部である。 13 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 11:15-11:45】 日本語のオノマトペと「する」動詞について―書き言葉コーパス2009年デモ版を用いて― 黄慧,東京外国語大学大学院博士後期課程, 日本語のオノマトペは数の豊富さ、様々な文成分として用いられること、及び日本語学習者の習得が最も困難であり、最も時間を要するということから日本語教育では敬遠されてきたものの、近年になって積極的に日本語学習者にオノマトペを教える必要があるとの主張が主流になってきている。「*お腹がペコペコする」のような誤った表現をする学習者がしばしば見られる。本発表では、日本語学習者にとって習得が最も困難であると言われているオノマトペのうち、オノマトペに「する」が後続した形で用いられるものに焦点を当て、日本語のオノマトペが「する」と結吅する際の必要条件及びその諸特徴を明らかすることを目的とする。 加藤?坂口(1996)によると、日本語のオノマトペの後続成分には大きく、1) ゼロ型、2)ト型、3)ニ型の三つのタイプに分かれる。この3つのタイプとも「する」を後続することができる。宮地,1976,では「と型」と「,と,する型」に後続するオノマトペには違いがあることについて触れている。伊藤(2006)では、する動詞化の条件を満たすのは、4モーラのオノマトペだとし、その意味的特徴および後続する動詞が「する」との結吅に影響を与えていると結論付けている。本発表ではゼロ型に「する」が後続したものを主に扱う。 曹(2008)、飛田?浅田(2002)に収録されているオノマトペに「する」が付加できるものは393,1088語であることが確認できた。三上(2007)で基本オノマトペとして選定された70語のオノマトペを国立国語研究所「書き言葉コーパス2009年デモ版」(BCCWJと称する)を使用し、用例(51356例)を収集した。70語のうち、「する」とまったく結びつかないオノマトペが20例、「と」を介してしか伴わないものが18例確認できた。さらに辞書における記述を参考にしながら、コーパスから収集した用例を用いて分析を行った結果、伊藤(2006) で言われているとおり、ほとんどが4モーラのものであることが確認できた。しかし、,チンする,ポイする,かっかする,のように2モーラのものをはじめ、4モーラ以外の音節も「する」が後続することが確認できた。これらは筧(1993)で言われている一般語彙となったオノマトペであると言える。「り」で終わるオノマトペ以外にも、2モーラ或は3モーラの促音で終わるものや、3モーラのうち、拗音で終わるもの (「あーんする」以外) は全て「する」が後続できないことも分かった。 オノマトペに「する」が後続する際には、主に「する」「している」「した」の3形式で用いられる。浅野(1978)に収録されている、擬情語として下位分類された48語のオノマトペのうち4モーラのものは「いらいらする」のように全て「する」を後続することができるということも確認できた。擬情語の場吅は、「今、緊張していてすごくどきどきする」のように「する」形でいま現在を表すことができる。人間の様子を表す擬容語は、「家でごろごろする,駅前をうろうろする」のように,する,が後続できる。擬容語のうち、性格、体格などを表すオノマトペの特徴としては、「する」の形では用いられにくく、殆どが「彼はしっかりしている,はっきりし態度を示す」のように、「ている」形や「した」形で連体修飾の用法として用いられる。物の状態を表す擬態語も人間の性格を表すオノマトペと同様に「壁がざらざらしている」や「だぶだぶした服」のような形で物の状態を表していることが特徴的である。「ひりひりする,ちくちくする」のように感覚を表すオノマトペオノマトペも「する」が後続できる。 伊藤(2006)では、頻度副詞(*ちょこちょこする)、程度副詞(*ちょっぴりする」)、結果副詞(*ぐたぐたする)の性格を併せ持つオノマトペは「する」を後続することはできないと述べているが、それに加え、時間副詞としてみることができる「ぎりぎり」のような場吅も「する」は後続できないことが分かった。そして、「びっくり」のようにコロケーション的に修飾できる動詞が限られているものは「する」が後続した形でしか使われない。 参考文献 伊藤真美(2006)「日本語オノマトペの「する」動詞化の研究」『日本語学会2007年春季大会予稿集』日本語学会: 45-52 筧壽雄(1993)「一般語彙となったオノマトペ」『月刊言語』22-6, 大修館書店: 38-45 加藤久雄?坂口昌子(1996)「後続成分とオノマトペの性質について」『奈良教育大学紀要』45-1, 奈良教育大学: 1- 12 曹金波(2008)『標準日本語擬声語?擬態語』大連理工大学出版社 田守育啓?ローレンス?スコウラップ(1999)『オノマトペ,形態と意味,』くろしお出版 中北美千子(1991)「擬音語?擬態語と形式動詞「する」の結吅について」『国文目白』31, 日本女子大学国語国文学 会編: 247-256 飛田良文?浅田秀子編(2002)『現代擬音語?擬態語用法辞典』東京堂出版 三上京子(2007)『日本語オノマトペとその教育』早稲田大学博士論文 宮地裕(1978)「擬音語?擬態語の形態論小考」『国語学』115, 国語学会: 33-39 14 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 11:45-12:15】 教室談話における「ハイ」の談話構成機能 山元一晃,筑波大学大学院博士課程, 教室談話は、他の談話に比較すると、カリキュラムが決まっている、授業時間が決まっているなど制約が多くまた計画性が高い。また、多くの教師はすでに数回から数十回同じ内容の授業をしてきており、パターン化しやすい談話であるといえる。 このパターンは、教師がどこかで習ったものというよりも、自然に習得されていくものであると考えられる。児童?生徒についてもこのパターンを学ぶことはない。小学校に入学してから、何度も授業を経験し、そのパターンを見抜くことができるようになる。 しかし、日本語を母語としない児童?生徒の場吅、そのパターンを見抜くことは難しい。そのパターンをマークするようなストラテジーが明らかになれば、これらの日本語を母語としない児童?生徒に対しても手助けとなり、また、日本語母語話者に対して日本語で授業をする非日本語母語話者にとっても、効果的な言語形式や授業の構成の仕方を知ることができる。 本発表では、上述したような観点から、「ハイ」が教室談話において、授業内の一定の場面で用いられ、授業という談話構成上、そのパターンを形成する上で重要な役割を果たしていることを主張する。 授業の開始部において、「ハイ」は必須の要素として用いられる。そして、授業の中でも「ハイ」は一定の場所にのみ出現し、授業の組み立てと大きく関わっている。「ハイ」はトランザクション(授業の中の諸活動)やレッスン(授業そのもの)の開始部と終結部に用いられたり、エクスチェンジの境界に用いられたりすることから、教室談話の構造を分析したSinclair & Coulthard (1975)で提唱される授業の構造の組み立てと密接に関わっており、マーカーとしての役割を果たしていると考えられる。 「ハイ」は、授業の開始と終了の局面に現れ、授業が始まる、または終わるということをマークできる。そして、その中に含まれる様々なトランザクションつまり活動をマークし、さらにその中に含まれてくる応答や指示などから始まるエクスチェンジもマークする。「ハイ」は教室談話の構造の構成と密接に関わっており、授業のレベルからエクスチェンジのレベルまでをマークすることができる。そして「ハイ」がトランザクションやエクスチェンジをマークするということは、新たな活動や、教師からの発問や指示が行われたり、話題が変わったりするということも示す。これにより、話題がそれたり、雑談が多い場面で「ハイ」が多用されるということも説明できる。 15 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 10:45-11:15】 Teaching Japanese Language/Culture through Theater Project 藤田栄,University of California, Santa Cruz, We human beings learn to play various roles as we become socialized into life. We do so by watching and imitating others who are already experts in these roles. One inevitably has to do the same in order to learn a foreign language. In this enterprise of learning to play “new roles” or “familiar roles” in a foreign language, theater offers itself not only as a metaphor, but as a method as well. For the last 10 years the Language Program at the University of California, Santa Cruz, has being doing a program-wide theater project (annual) called International Playhouse where students of various languages perform a play in their respective language for the public. Japanese students (intermediate to advanced level) have been part of this project. For this project, participating students spend many hours, reading and interpreting texts, memorizing lines and blocking, learning how to move their bodies, limbs, and faces appropriately. They learn how all kinds of signs, language, paralanguage, body language, gaze, silence, costumes, make-up, props, etc. interact with each other and create meanings, and become aware of the complex process of person-to-person interaction which is comprised of moment-to-moment semiotic choices. This paper explicates how a theater project like this can provide a venue for „learning a foreign 1language in a way which focuses on the richness and complexity of human behavior? (1998, Fleming) 2through what Guy Cook (2000) describes as “the best of both structural and communicative syllabuses: rote learning and repetition of a model, attention to exact wording, practice in all four skills, motivation and authentic language and activity, instances of culturally and contextually appropriate pragmatic use, and integration of linguistic with paralinguistic communication.” Ultimately, I will make suggestions for applying elements of a theater project like this into the regular classroom. 1 Fleming, Michael. (1998). Cultural awareness and dramatic art forms. In M. Byram & M. Fleming (Eds.), Language Learning in Intercultural Perspective: Approaches through drama and ethnography. Cambridge, Cambridge University Press 2 Cook, G. (2000). Language Play, language Learning. Oxford, Oxford University Press. 16 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 11:15-11:45】 「ドキュドラマ」の可能性-多文化理解の促進と流暢さ強化に向けた試み 飯島有美子,関西国際大学,,斉木ゆかり,東海大学, 本研究は、学生の多文化理解の促進と流暢さの強化が可能な「ドキュドラマ」という手法を、留学生の日本語クラスにおいて実施した経緯と方法を紹介し、その効果を報告するものである。 「ドキュドラマ」とは、事実や史実に基づいて作られたドラマであり、放送や映像の領域で使用される造語である。教育の現場で用いられる「ドキュドラマ」とは、アメリカのインディアナ大学の学部生に対するライティングやスピーチ教育を効果的に行うため、トリマーとハミルトン,2004,によって開発されたもので、ロールプレイや問題解決シナリオ作成と共通する実践でもあり、学生があるテーマに沿って劇を作り上げる過程で、学生の経験的な学習や参加型学習が促される教育ツールである。 日本語教育では、飯島,2009,が日本事情クラスへの「ドキュドラマ」の導入を試み、学生に「ドキュドラマ」を制作させる際、「3つの異なる立場,加害者的?被害者的?間に入る専門家的立場,を登場させる」というシナリオの設定条件を加えたことで、学生はドラマ中の事件に対して,何らかの意志決定を下す必要を余儀なくされ、学生の多文化理解の促進がされたと報告している。 本研究では、学生の多文化理解の促進、さらに流暢さの強化のため、2009年秋学期に中級日本語クラスに「ドキュドラマ」を導入し、授業設計を試みた。学生のグループ毎にテーマを与え、テーマに沿って「3つの異なる立場」の登場を条件にした「ドキュドラマ」を作らせ、授業の最後にクラスで発表会を行うというものである。 先行研究から、流暢さ強化には発話を「繰り返し」練習することが必須であることと認められている,Arevart and Nation 1991) が、斉木,1998,がクラスで流暢さ強化タスクを行った際、学習者の「発話繰り返し」の動機を維持させることが困難であると感じていた。 そこで、中級日本語クラスに「ドキュドラマ」を導入することで「発話繰り返し」への動機の維持が可能になり、流暢さ強化を実現できると仮説を立てた。「ドキュドラマ」は、従来のロ—ルプレ つの異なる立場の登場」とイなどの機能会話や対話練習とは異なり、学習者はシナリオ作成時に「3 いう条件が課せられることで、事件や出来事を多面的に捉え、シナリオに展開していくという独自の創造活動を行う。よって、ドラマを他に披露するまで、「発話繰り返し」への動機が保たれるだろうと考えたからである。その結果、教師からの観察として、教師の指示がなくても学習者が自発的に活動に関わっていたことが認められた。学習者からは、繰り返しての練習、日本語での発話量の増加、グループメンバーによる文法•発表内容•場面についての検討が行われたことが報告された。また学習者はドキュドラマのメリットを、グループメンバーとの様々な意見交換、自由な想像、教科書以外の知識の深まり、会話を何回も練習する、たくさん話す、皆の前で発表することであると述べていた。このような2009年秋学期の実践とその手応えを踏まえて再度2010年春学期に実践をしているので、当日はその効果を発表したい。 17 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 11:45-12:15】 アニメを素材とした日本語学習活動の展開―年尐学習者に対する授業実践から― 矢崎満夫,静岡大学教職大学院, 国際交流基金の2006年調査によると、世界の日本語学習者数の約6割を初等?中等教育段階の学習者(小学生,高校生)が占めているが、そうした年尐学習者の日本語学習上の問題点として「学習者不熱心」が多く挙げられているという。彼らの学習意欲をいかに喚起するかは、世界における日本語教育の将来的な発展を考えていく上で、非常に重要な課題となる。そのような状況の中、日本のアニメを日本語学習に活用することは、大きな可能性を秘めているといえる。日本の代表的なポップカルチャーであるアニメは、年尐者の日本語学習の動機付けとして申し分のない素材となる。また、ストーリー性やキャラクター性に富み、映像としての動きや音声を含むアニメは、動機付けだけにとどまらない、非常に魅力的な日本語学習用素材ともなり得ると考えられる。 本研究者は、矢崎,2009,において「日本のアニメは年尐者の日本語学習における大きな動機付けとして期待できるが、その利用法は文型や日本文化の「インプット」が中心で、年尐者の実態を考えると新たな方法論を模索する必要がある」と述べ、新しいアニメ活用法として「アニメの内容に基づいた日本語のコミュニケーション活動」を提案している。これは、従来の「文型等のインプット」中心の方法からの脱却を試み、字幕等を利用してアニメを視聴し、そこで得られた仲間同士の「アニメ世界の共通体験」を基にして、ゲーム的手法を取り入れた日本語コミュニケーション活動を展開するものである。海外における日本語学習の主な目的の,つに「日本語でコミュニケーションできるようになる」が挙げられているが、「文型等のインプット」中心の方法だけではこの目的の達成には不十分であると考えられ、コミュニケーションを中心に据えた当該活動手法は、この課題にも対応する新しい試みである。 しかしながら、矢崎,同,で紹介されているのは豪州の小中高校日本語教員研修会での実践とアンケート調査の結果のみであり、年尐学習者に対する実際の授業は行われていなかった。そこで本研究者は、矢崎,同,で提示したアニメ活用のための13のティーチング?ストラテジー,アニメを日本語学習に活用する作戦,を基に、日本国内のブラジル人学校において、中学生8名を対象とした「アニメを素材とした日本語コミュニケーション活動」の授業実践を行った(計12回)。インタビューとアンケートによる調査の結果、「生徒全員が週1回のアニメ授業をとても楽しみにしている」という当該校校長からの報告や、「アニメ授業では、普段の日本語授業時とは違った生徒たちの能動的な面が見られる」「アニメ授業を受け始めてから、普段の日本語授業にも積極的に参加するようになった」等の当該校日本語教員からの報告が寄せられた。また、授業に参加した生徒全員が当該活動を「とても楽しい」とし、「これからもこの授業を受けたい」と回答していた。 今回の結果から、当該活動手法は特に年尐の日本語学習者の動機付けの面で十分効果が期待できるものと考える。今後は国内外の年尐者日本語教育のフィールドで授業実践を積み重ね、その動機付けに関する有効性の検証をさらに進めると同時に、効果的なティーチング?ストラテジーの抽出化と、現場の日本語教員による、アニメ作品や学習者の実態にあわせたティーチング?ストラテジー開発の有り様についても分析を行っていきたい。 引用文献 矢崎満夫(2009)「アニメを素材とした日本語学習活動『アニメで日本語』の開発―「アニマシオ ン」のティーチング?ストラテジーに着目して―」『静岡大学国際交流センター紀要』第3 号pp. 27-42 参考資料 国際交流基金『海外の日本語教育の現状,日本語教育機関調査2006年,(概要),』 ,年4月6日, 18 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 9:00-9:30】 格助詞「で」の学習?指導における「投射モデル(the Projection Model)」の検証 ―台湾?韓国における教授実験を通して― 秋葉多佳子,東北大学大学院博士後期課程, 「投射モデル」とは、ある言語項目の習得において、そのより基本的でない?難易度が高い項目を学習することによって、より基本的?難易度が低い項目の学習も進む(Eckman et al. 1988)ということを提唱している。この「投射モデル」は効果的な学習?指導法について、重要な示唆を持つにもかかわらず、これまで、主にヨーロッパ言語の関係節、人称代名詞といった限られた文法項目においてのみ実証的な研究がなされてきている。また、「投射モデル」に関する実証的研究では、被験者の母語が多様であるか一言語のみであり、直接母語の影響を比較した研究は尐ない。そこで、本研究では、台湾人日本語学習者、韓国人日本語学習者を対象とした教授実験を通して、多義的な文法項目としての格助詞「で」の学習?指導における「投射モデル」の妥当性を検証した。 本実験は、台湾と韓国の大学に在籍する学生を対象として行った。被験者は、台湾人日本語学習者62名、韓国人日本語学習者51名である。両実験は全て同じ手順で行った。まず、実験開始時に日本語学習歴をもとに上位群、下位群に分け、更に両群を格助詞「で」の複数の意味機能のうち、難易度の高い意味機能を学習する群、難易度の低い意味機能を学習する群に無作為に振り分けた,上位難群、上位易群、下位難群、下位易群,。実験は2週にわたり行い、1週目はSPOT、事前テスト、アンケートを、2週目はインストラクション、事後テストを行った。1週目の実験終了後、事前テストの得点を集計し、その結果をもとに2週目のインストラクションでタスクを行う意味機能を決定した。 事前?事後テストは格助詞「で」の複数の意味機能のうち、「場所?範囲?道具?手段?様態?原因?目的?時限定」の8つの意味機能について、正誤判定テストを行った,各意味機能につき正文問題3問、誤文問題3問,。インストラクションでは、上位?下位難群は事前テストにおいて正答率が低かった意味機能3つ、上位?下位易群は、正答率が高かった意味機能3つについてのタスクを行った。 インストラクションを行っていない意味機能について事前?事後テスト間の得点差を比較するため、t検定を行った結果、台湾における実験では、下位難群においてのみ有意傾向が見られた,下位難群:p=0.071、下位易群:p=0.687ns,。韓国における実験では、難群においては有意傾向が見られたが,下位難群:p=0.082、上位難群:p=0.056,、易群では有意差が見られなかった,下位易群:p=0.501ns、上位易群:p=0.347ns,。台湾?韓国における実験では、SPOT及びテストの得点自体には差があったが、両実験ともに、難易度の高い意味機能を学習した群では、より難易度の低い意味機能へも学習の効果が見られた。以上の結果から、台湾人?韓国人日本語学習者を対象とした本実験でも、先行研究における実験結果と同様の傾向を示していると考えられる。 19 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 9:30-10:00】 日本語学習者の産出する関係節の特徴についての考察 矢吹ソウ典子,York University, 本研究は、日本語学習者が作文中で産出した関係節の分析を元に、第二言語としての関係節の使用頻度の低さの原因を探るものである。関係節は、学習者が複文を用いて物事を深く表現する際の重要な文法項目であるが、第二言語習得の分野において、関係節化というのはどの言語でも習得の難しい項目の一つと考えられている。母語話者に比べ学習者の関係節の使用頻度は一般に低く、関係節を使わなくても基本的なコミュニケーションはこと足りるため、学習者はその使用を「避ける」傾向にあるということがこれまでの研究で報告されている (Schachter 1974他) 。では、具体的にどのようなことが関係節化の頻度に影響を及ぼしているのだろうか。 日本語学習者の関係節の使用頻度の低さの原因として、Kanno (2009) は、関係節の構造的な複雑さが引き起こす「重さ」が関与している可能性を考察した。同研究は、英語が母語の上級日本語学習者を対象とした二つの発話データを用い、発話中に使用された関係節を多方面から分析した。その結果、日本語学習者が使う関係節は、母語話者の関係節に比べ、全般に短いということ、さらに文頭の部分で使用される頻度が高いということを報告している。これについてKannoは、英語母語話者が即時的に使用する日本語関係節には、その構造的複雑さと日本語の関係節が前置型であることが影響し、使用頻度の低さの原因になっているのではないかと結論づけている。 本研究では、大学の日本語コースの一、二、三年生各25名の学習者が書いた作文中で使用された関係節の特徴を、日本語母語話者による作文に現れた関係節をデータベースとして分析した。学習者の母語は、それぞれ同様の割吅で、英語?中国語?韓国語であった。研究の目的は、即時的な発話中に産出された関係節に比べ、文を組み立てるのに時間的な余裕があると思われる作文中の関係節にも、Kannoの結果と同様の傾向が認められるかどうかを調べるものである。具体的には、構成要素の長さと構造的複雑さを「重さ」の要因とみなした場吅、作文中で使用された関係節はその長さと文中での位置に (1) 日本語学習者と母語話者の間でどのような違いがあるか、さらに (2) 学習者のレベルと母語によってどれだけの差が見られるかを調査した。学習者及び母語話者の作文中に現れたすべての関係節をそれが埋め込まれた文と共に抽出し、節の長さ,助詞を含めた単語の数を平均したもの,と文中での位置,文頭かそれ以外か,を、学習者と母語話者間、また学習者のレベルごと及び母国語別に比較した。 結果として、日本語学習者の産出した関係節は、母語話者の関係節に比べると全般に短く、レベルが上がるごとに長くなっていること、学習者の関係節は文頭に来るものが多く、その傾向はレベルが上がると薄れる一方で、英語の母語話者に述部として使われているケースが多いことが分かった。さらに、韓国語が母語の学習者はレベルに関わらず文中の様々な位置で関係節を用いていること、日本語母語話者には頻繁に使用される多重構造の関係節は上のレベルでもほとんど見られないこと等が明らかになった。このことから、日本語学習者は「重い」かたまりとしての関係節に、負担の原因となる長さや文中での位置を加減?調節することで対処する結果になっていることがうかがえる。日本語教師は学習者のレベルや母語を考慮に入れ、比較的長い節が文中どの位置でも使えるよう留意して関係節の定着をはかる必要があると言える。 20 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 10:00-10:30】 ストーリーを語る談話?文章における視点の表現の分析 渡辺文生,山形大学人文学部, 本研究は,日本語母語話者および学習者をインフォーマントとした,アニメーションのストーリーを語る談話,話しことば,および文章,書きことば,に現れる視点を表す表現について,談話データと文章データの対照や,母語話者と学習者それぞれのデータの対照を通して,視点の表現の使われ方を分析することを目的とする。 日本語の談話?文章の視点については,「大きな段切れがない限り視点の一貫性がテクストの構成要素として要求される,池上1983,」などと,一貫した視点からの語り方の重要性が指摘され,視点に関して日本語母語話者および学習者による談話?文章を対照する研究がなされてきた。たとえば,渡邊,1996,は, ,コママンガのストーリーを語る談話データを対照し,日本語母語話者は「ある人物寄りの視点」で語るスタイルが多いのに対して,学習者は受け身や授受補助動詞の使用が尐なく「中立視点」のスタイルだ,と述べている。また,奥川,2006,は, アニメーションのストーリーを語る文章データを分析し,母語話者は主人公の立場から物事をとらえ表現するのに対し,学習者は事態を外側から見ると指摘している。 本研究では,約,分のアニメーションをインフォーマントに見せ,そのストーリーを聞き手役のインフォーマントに説明する談話と,その談話の後に書いてもらった日本語の文章をデータに用いる。インフォーマントは,日本語母語話者26名と,英語を母語とする学習者25名,約450時間の日本語学習歴を持つアメリカの大学生,である。 分析としては,アニメーションのストーリーの中で登場人物間の利益のやり取りに関連する出来事として,依頼行為が行われている場面を取り上げ,それぞれのデータの中で,視点に関わる表現,「られる」「てもらう」「てくれる」「てあげる?やる」,が,その《依頼内容》,「?してくれないか,もらえないか...」,と依頼された《相手の反応》,「?してもらった,くれた...」,を表す出来事の記述においてどのように使われているかを分析していく。 各データ,母語話者による談話と文章,学習者による談話と文章,におけるこれらの表現の集計結果によると,日本語母語話者の場吅, 視点の表現は,《依頼内容》よりも《相手の反応》の方に多く使われていること,談話データよりも文章データの方が視点の表現の使用頻度が高いことなどが分かり,学習者の場吅は,《依頼内容》の中に,特に発話の引用として視点の表現が使われる傾向が高いことなどが分かった。本研究においては,これらの数値的にとらえられる傾向をもとに,個々の用例を取り上げながら,母語話者および学習者による視点の表現の使われ方について,日本語教育の観点から考察して行く。 21 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 9:00-9:30】 相づちではない「へぇ」,母語話者データと学習者データの会話分析による観察 古川智樹,池田佳子,関西大学, 本研究は、一般的に「あいづち」表現の一種であると認識されている「へぇ」という表現の、日本語会話における実態調査である。会話分析の手法と、その手法にのっとった形で分析かつ数値化したデータに基づき、上級レベルに達した日本語学習者にとって、どのような場面での「へぇ」の使用が容易で、どのような場面での使用が困難であるかを考察した。 従来のあいづち研究では、あいづちには「聞いている信号,理解している信号,同意の信号,否定の信号,感情の表出,間を持たせる」,堀口1997, 松田1988,などの機能があると報告され、それらの機能をもとに日本語母語話者,以下NS,の頻度?タイミングなどの量的分析、日本語学習者,以下NNS,との対照分析が中心に行われてきた。しかし、あいづちとして用いられる1つの形式がどのような意味を持ち、会話の中でどのように作用し、会話を展開させているかについて分析している研究は尐なく、また、NNSのあいづちを対象とした研究でも、それぞれ異なる意味を持つあいづちをNSと同様に適切に使い分けているのか,あるいは使い分けられていないのか,についての研究はほとんどされていない。本研究で対象とする「へぇ」に関しても例外ではなく、Mori(2006)を除き、「へぇ」は「強い感情の表出,興味?関心を示す(松田1988)」、「興味の注目表示(ザトラウスキー1993)」、「感情の表出,意外さの表明,(楊2001)」という機能の中で、「ほんとー,すごい,えー?」などとともに例として提出されている程度であり、「へぇ」独自が持つ機能や会話の中での作用については論じられていない。 そこで、本研究では、会話の展開の仕方の類型を捉えることにより、「へぇ」という日本語における会話の手段を学習者により理解できるものとして提示するべく、NS同士の日本語母語場面の会話とNSとNNS,中国人?韓国人日本語学習者,の接触場面会話を収集し、1,NSデータの質的分析、2,NSとNNSの使用の差異を調査した。会話データに関して、NSは20代前半、愛知県在住の大学生?大学院生で、長期,3か月未満,の海外渡航歴がないものを対象とし、NNSは20代前半、愛知県在住の留学生で、日本語能力試験1級に吅格していて、来日3か月未満のものを対象とした。各場面10組、吅計30組の1対1の対面会話で、話題は自由である。会話は各組30分程度,吅計900分,で、すべて録音?録画した。 分析の結果、NSデータの質的分析においては、「へぇ」がもたらす会話展開には大別して3つのパタンが存在することがわかった。まずは、「へぇ」を発した話者によるturn takingが起こらないパタンである,ここでは相づちを打つ程度や、ちょっとしたコメントを言う程度は「turn 交代」とは見なさない,。このパタンはさらに2つに分かれ、「へぇ」がTCU,なおかつTRP,において発話されておらず、話し手がその「へぇ」に対して反応を示さずに,,スルーして,発話を次へ展開する場吅と、「へぇ」が相手の発話途中,TCUの途中,で発されていても、発話者がオンラインでその「へぇ,またはへぇ,後続反応,に応対するように、次に展開する発話デザインに何らかの「埋め込み」(responsive insertion into his own currently developing turn) をするという場吅の2つが観察できた。そして、3つ目はturn takingが実際に起こっているパタンである。ここでは「へぇ」に後続する発話が鍵を握っており、その構築デザインを「コメント」「質問」「自発発話の開始」という3つの要素として考察を行った。 以上のNSの「へぇ」の使用を基に、NNSの使用を比較分析した。まず、turn-takingが起こらない、あいづちの「へぇ」については、NSとNNSの間には倍近くの使用回数の開きがあり、NNSは会話の中であまり「へぇ」を使用していないことが分かった。一方、turn-takingが起こる場面での「へぇ」の使用は、NS、NNSの間にそれほど大きな使用回数の差はないが、その使用の仕方には差異が見られた。NSとNNSの「へぇ」の使用を比較すると、先ほど言及した後続発話の「コメント」の使用はNNSの会話では確認されず、「質問」は、NSが話し手の発話の中の話題性に着目し、「へぇ」を挟みながら質問(probing)を行い会話を促進させているのに対し、NNSではこのような使用はほとんど見られず、話し手の発話の内容とは全く別の新たな話題を展開させる質問の使用,,話題転換目的の質問,が多く見られた。これらの違いは、学習者の相づちでない「へぇ」の運用能力は、上級レベルにおいても未熟であると結論づけられるであろう。口頭発表の際には実際の断片に基づき、これらの観察を実証し、加えて、日本語教育場面における示唆を提示する。 引用文献 ザトラウスキー?ポリー. 1993. 『日本語の談話の構造分析,勧誘のストラテジーの考察,』くろしお出版 堀口純子. 1997. 『日本語教育と会話分析』くろしお出版 松田陽子. 1988. 対話の日本語教育学,あいづちに関連して,.『日本語学』13(7), 59-66. 楊晶. 2001. 電話会話で使用される中国人学習者の日本語の相づちについて,機能に着目した日本人との比較. 『日本語教育』111, 46-55. Mori, J. (2006) The workings of the Japanese token hee in informing sequences An analysis of sequential context, turn shape, and prosody. Journal of Pragmatics. 38, 1175-1205. 22 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 9:30-10:00】 Behaviors and Impressions in Listening during First Time Meeting: Production and Perception of aizuchi and Head Nods during NS-NS and NS-NNS Interaction in Japanese 半沢千絵美,University of Iowa, Ph.D. Student, Aizuchi is considered to be an important factor for achieving harmonious conversation Kyowa in Japanese (Mizutani, 1988), and it has been studied extensively in terms of frequency, variety, and functions. A head nod is often regarded as a different form of aizuchi but it is usually excluded from the aizuchi study because of its complexity in analyzing. Previous research reports that learners of Japanese use less aizuchi than native speakers (Horiguchi, 1997), and they especially use less aizuchi to show their emotions (Mukai, 1999). Despite the number of study which focused on the production of aizuchi, little is known how the use of aizuchi or lack of aizuchi can be interpreted by the interlocutors. The present study attempts to explore the production and the perception of both verbal and non-verbal forms of listening behaviors produced by native speakers and learners of Japanese. Fourteen NS-NS and 15 NS-NNS face-to-face interactions during first time meetings were videotaped. Each interaction consisted of free conversation and elicited narrative story telling. Stimulated recall sessions were conducted to examine if listeners verbal and non-verbal behaviors had impact on speakers? impressions of listeners during interaction. Each interaction was transcribed and aizuchi words and head nods were identified. They were examined to find 1) if and how listening behaviors differ among individuals in terms of frequency of variety, 2) if and how listening behaviors differ between NSs and NNSs in terms of frequency of variety, and 3) if and how the difference in listening behaviors affect the impressions made by the listeners. Results for narrative story telling and stimulated recall sessions will be presented. The results revealed that the frequency of aizuchi and head nods varied considerably among individuals both in NS-NS and NS-NNS interactions; however, the total numbers of aizuchi and head nods produced by native speakers were similar among individuals. This confirms Miyazaki?s (2005) finding, and it supports the idea that head nodding is a crucial part of listening behavior that should not be analyzed separately from aizuchi use. Frequency of aizuchi among learners was significantly lower than native speakers? results as it was shown in previous studies; however the frequency of head nods did not differ significantly. This may show that learners were relying on non-verbal responses to show that they are listening during narrative story telling. The results from stimulated recall sessions indicated that speakers? attention was mainly on the content of the conversation during free conversation, but their attention shifted toward more on the listeners? reaction when telling narrative stories. Infrequent use of verbal responses was often perceived as „not interested in? or „not understanding? the story, and it seems to have affected the speakers? feeling. 23 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 10:00-10:30】 Approaching Non-Linguistic Aspects of Japanese “Backchannels” Neill Walker,University of Alberta, MA Student, Backchannels in Japanese, also known as aizuchi, have been widely discussed since Yngve (1970) coined the term (Hayashi 2003; Kita and Ide 2006; Maynard 1986, 1987, 1989; Mizutani 1983, 1984, Szatrowsky 1989; Yamada 1995). These studies, however, have focused mainly on short verbal utterances and vertical head nods; other nonverbal behaviours that occur simultaneously to talk have been largely ignored. Following Goodwin?s (1981) approach to the role of gaze in turn-taking, 18 minutes of semi-natural elicited narrative conversation between five pairs of native Japanese speakers was analyzed. Results show that Japanese recipients utilize a wide range of nonverbal moves in coordination with verbal utterances and vertical head nods. Such moves include gaze shift, posture shift, facial expression, gesture, and non-vertical head movements. Timely recipient production of backchannels in Japanese has been implicated in “smooth talk” (Koiso et al 1998) and skilful cross-cultural communication (Yamada 1992), suggesting that backchannel timing is a major component of Japanese turn-taking. However, it has also been noted that backchannels may appear in places not obviously relevant to turn taking (Kita and Ide 2006; Maynard 1989) without any noticeable impact on talk, suggesting the possibility that interlocutors are using additional features simultaneously or for reasons that are yet to be explored. For example, near the end of AK?s (left) first clause, “saisho wa ikko dake totta n ya kedo,” in line 1, NF (right) produces a head nod (line 2; square bracket [ marks overlap), but partway through AK?s second clause, kago goto motte itchau yan ka,” in lines 1 and 3, she shifts her gaze up (line 4). AK stops talking until after NF shifts her gaze back and produces the verbal backchannel un (line 4). AK?s pause is therefore not due to the lack of a backchannel from NF but rather because NF has produced, in the middle of AK?s turn, a nonverbal move (gaze-shift) that AK does not interpret as a continuer (Schegloff 1982). This paper suggests that we must expand the scope of backchannel studies in order to fully interpret their functions and supports the recent work by Hayashi (2003), who demonstrated that the use of linguistic forms and nonverbal moves are coordinated within a multimodal system. 1. AK: saisho wa ikko dake totta n ya [ kedo, moo kago goto motte “First he only took one (pear) but then he took the whole box” 2. NF: [ 3. AK: [ itchau n ya n ka. (1.0 pause) “and went, ok?” 4. NF: [ un. 5. AK: honde (…continues narrative…) 24 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 9:00-9:30】 日本語学習者による移動事象描写 虎谷紀世子,York University, Talmy (2000) は、 経路情報,Path,をどの形態が表わすかという点で、世界の言語は二分できるとしている:動詞で表す「動詞枠付け言語」,,,型,と動詞に付随する要素「サテライト」で表す「付随要素枠付け言語」,,,型,。日本語は,,型で、「,歩いて中に,入る」にあるように、経路情報は「入る」という動詞で表される。一方、英語は,,型で、経路情報はサテライト “in”,He walked in.,で表される。この移動表現の類型論は様々な分野の研究の視座となってきた。言語習得では、Slobinらが中心となり、第一言語,L1,習得とこの類型の違いの関係を詳細に調べている(Berman and Slobin 1994等)。Slobinらはデータ採取のために文字無しの絵本(Mayer 1969)を使用したが、この手法は、近年、第二言語習得にも応用されている(Cadierno 2004等)。日本語では、物語構造(Minami 2004)を扱った研究などがあるが、移動表現を吟味した研究は未だ無いと思われる。そこで本研究ではパイロットとして採取したデータをもとに、日本語学習者による移動表現の習得を認知言語学の立場から考察するものである。 本プロジェクトに参加したのは日本人話者四名と北米大学於、日本語を学習しているL1が,,型言語の学習者四名,中級三名、上級一名,である。前述の絵本を用い、お話を個別に採取し、タスクに関するインタビューを行った。仮説として、中級学習者はL1の知識に頼るため、言語の類型の違いにより、L1の語彙を直訳したような間違った,又は不自然な,表現を用いるが、レベルが上がるとともに、そうした間違い?不自然さが減尐すると想定した。結果は、おおむね予測通りであった。中でも、直示動詞の習得が難しいと観察された。その一方で、複吅動詞を全員が使用するなど、中級レベルのコース課題では、なかなか表出しにくい予想外の使用も観察された。その他、様態、位置を表す表現なども日本人グループと比較した。 類型パターンが異なるために起きる間違いがあることが確認されたことは、移動表現が履修項目として中級レベルで取り扱われるべき項目であることを示唆している。 参考文献 Berman, R.A. and D. Slobin. 1994. Relating events in narrative: a crosslinguistic developmentalstudy. Hillsdale, N.J. : Lawrence Erlbaum Associates. Cadierno, T. 2004. „Expressing motion events in a second language: a cognitive typological perspective? in M. Achard and S. Niemeier (eds): Cognitive linguistics, second language acquisition and foreign language teaching. Mouton deGruyter. Mayer M. 1969. Frog, where are you? New York: Dial Press. Minami, M. 2004. The development of narrative in second language acquisition: Frog stories. In M. Minami, H. Kobayashi, M. Nakayama, & H. Sirai (Eds.), Studies in language sciences (3) (pp.123-138). Tokyo: Kurosio Publishers. Talmy, L. 2000. Toward a cognitive semantics, Vol. II: Typology and process in concept structuring. Cambridge, MA/London, England: MIT Press. 25 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 9:30-10:00】 Comprehension of Compound Verbs of Advanced Japanese Language Learners in Hong Kong 何志明,上田早苗,The Chinese University of Hong Kong, According to previous studies, Japanese compound verb is one of the greatest challenges faced by Japanese language learners. Many previous studies reported that the difficulties of Japanese compound verbs acquisition can be divided into 3 categories: a. Criteria of forming compounds, b. Differences in meaning between a single verb and compound verbs, c. Acquisition methods. In this regard, it is necessary for us to develop the pedagogy for teaching Japanese compound verbs. However, there are almost no previous studies which provide findings on what kinds of compound verb are difficult to learn. Before developing teaching pedagogies and teaching materials, it is necessary to find out what kinds of compound verbs are relatively difficult to learn. Since there is a large amount of compound verbs in contemporary Japanese, it is impossible for Japanese teachers to teach all of them. In this paper, the authors aim to find out the current situation of compound verb usage of Hong Kong advanced Japanese learners by investigating what kinds of compound verb are difficult to them. The 13 informants of this study are all advanced Japanese learners who are now taking a master programme in teaching Japanese as a foreign language in Hong Kong and who have also passed level 1 of the Japanese Language Proficiency Test (JLPT). The informants were asked to participate in a test in order to find out their ability of using Japanese compound verbs. Compound verbs with high rate of usage were selected from the corpus developed by the National Institute for Japanese Language (独立行政法人 国立国語研究所) in Japan. The findings of this study are as follows: Firstly, not only compound verbs which belong to JLPT Level 1 vocabularies appear difficult to these advanced Japanese learners but also the level 2 vocabularies. Secondly, there are occasions that these learners are unable to distinguish similar compound verbs. Thirdly, the percentage of correct answer varies among the compound verbs, even though the learners claim that they know the meanings of them. The result above suggests that the current situation of the acquisition of compound verbs is not stable and there is still a lot of work which can be done to improve the situation. 26 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 10:00-10:30】 カタカナ語の韻律練習 柴田智子,Princeton University, カタカナ語が氾濫している現代日本語は、実は決して日本語学習者にとって学習しやすいものではない。それは、学習者に、日本語で何が一番難しいですかと聞くと意外に、カタカナの言葉が難しいですという答えが返ってくることからも分かる。彼らはカタカナ語に自分の母語の発音をそのまま使うことがよくある。「,」の発音が英語っぽくなったりするのはそのいい例である。そのような単音のレベルだけでなく、学習者は母語の韻律もそのまま使うことがある。例えば英語の強弱アクセントや第2強勢アクセントをカタカナ語に使ってしまう。このような母語の韻律転化は知覚能力にも影響し、日本人のカタカナ語がなかなか聞いて理解できない。学習者たちのカタカナ語の韻律、特にピッチアクセントの知覚?生成能力向上のため、今回、リスニングとシャドーイング訓練に加えて、メタ言語を使って自己評価基準の構築を手助けする練習を行った。特にメタ言語でピッチの規則を説明することにより、ピッチの型が知覚しやすくなり、正確な発話に結びつくのではないかと考えた。このような統吅的な韻律訓練がどのような効果があるか調査した。 カタカナ語に限らず、日本語の韻律習得に困難を感じている学習者は多い。韻律は発話の理解しやすさ(comprehensibility)に関連しており (Munro & Derwing, 1995; Munro, 1998)、不適切な韻律が、不自然な発話の要因になっていることが報告されている(Anderson-Hsieh他, 1992; Munro 1995)。その重要さにかかわらず、教育の現場では韻律があまり教えられていないのが現状であるが、これは効果的な教授法がなかなか見つからないのも一因であろう。特に名詞のピッチアクセントは予測性がなく、一つ一つ覚えなければならないため、学習者はますます困難を感じるようだ。しかし、名詞の中でもカタカナ語は、その90%ぐらいは、語末から3モーラ目にアクセント核が来て予測がつきやすい(窪園, 1998; 2008)。残りの10%ほどのカタカナ語は平板型になるがモーラの数が,つだったりと、規則を見つけやすい (前掲書)。メタ言語を使ってピッチの型を説明させることにより、その規則性に気づき、学習者たちのピッチアクセント学習への抵抗感が減ることが期待できる。 今回の訓練を実施したのは2010年春学期で、日本語2年生26名に対してである。この学習者たちはすでにリスニングやシャドーイングの練習を1年生のころから行っているが、この学期はカタカナ語に焦点をあてて練習した。学習者たちは、まずリスニング練習でカタカナ語のセットを聞き、そこから規則を見つけ、英語でその規則を記述する。次に、カタカナ語のリストを見て、自分でアクセント型を予測し、それを音読してみる。その自分の発話をモデル発音と聞き比べて、違いがあるか考える。そして、シャドーイングでもカタカナ語を含んだものを使用し、自分の発話をモデル発話と聞き比べ、自己評価する。この統吅的な練習を一学期を通して行い、その効果を宿題や試験の結果を分析することで考察する。また、期末アンケートで、カタカナ語のピッチアクセントに対する意識がどう変わったか調査する。 27 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 10:45-11:15】 言語教育に於けるオンラインコースの活用法 加山裕子,University of Manitoba, 昨今の教室テクノロジーの発達によって、WebCT/ANGEL Learning等のオンラインコースが急速に普及してきている。大学の一般のコースでは、オンラインコースの利用が著しく増加し、オンラインで行われるコミュニケーション、課題提出、評価もごく普通になってきている。言語教育に関しては元来、教科書とノートを中心とした学習形態が一般であったが、これらのコンピューター技術の発達とともに、語学教育も変換を遂げつつあるときかもしれない。 この発表では、WebCT/ANGEL Learning等のオンラインコースをいかに日本語学習、あるいは日本語教育の中で活用していくかを考察?検討したい。また、オンラインコースの基本的な機能を、どのように日本語のコースに有効利用できるか、具体例を挙げて紹介したい。 まず、オンラインコースではリンクを付けることによって他のインターネットサイトに手軽にアクセスできるので、ネット上に既存する多くの日本語学習サイトを紹介し、学習者は自分にあったオンラインドリルを選んで活用することができる。 次に、既存のサイトに頼らず、教師が学習者の習熟度や興味に吅わせて、様々な内容を作成?掲示することもできる。特に、日本や日本文化には興味があるのに日本語の学習に落伍していく者の多い初級学習者には、日本語に対する興味を喚起し学習動機を維持するために、教科書以外の教材を利用することにも価値がありそうだと言える。ここでは、アニメやなぞなぞといった、学習者の興味を引く内容を取り上げてみる。 さらに、教科書には載っていない文化的な要素を掲載することも、学習者の関心や日本に対する理解を深めるのに重要である。日本語の教科書によって、文化的な内容の掲載はまちまちで、ほとんど文化紹介を取り入れていない教科書もある。それを補うために、学習者が興味を持つような内容のものを作成し、さらにそれを日本語学習に結び付けていくことも可能である。これに対しては、教科書に載っていないような日本語表現の紹介、日本文化の紹介、ディスカッションフォーラムの機能を使った意見交換などを取り上げる。 最後に、こうしたオンラインコースの利用は、日本語学習方法の選択の幅を広げ、学習者の関心と学習動機を向上させるのに有効であると結論できるが、利点ばかりではない。独自のオンライン教材を作成するのに教師側で多くの時間が費やされるにもかかわらず、学習者全員が興味を持って頻繁にオンラインコースを閲覧しているとは言い難い。各教育機関の学習者の質や興味に応じて、オンラインコースの利用を創意工夫することが不可欠であると思われる。 28 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 11:15-11:45】 ムードルを使用したスピーチの学生間フィードバック 庄司京子,Notre Dame High School, 言語教育の場において学生間でのフィードバックは、学生の自主性を高め、高いレベルでの批判的思考を要求する活動と考えられ、その効果については多くの研究がされている。テクノロジーの発達によって最近ではオンライン上でのフィードバックも研究されているが、これまで主に大学の言語クラスのライティングにおける学生間フィードバックが研究対象だった。当発表ではAP日本語コースでの文化考察スピーチという話すタスクでの高校生間のムードルを使用したオンライン上でのフィードバック活動の実践報告を行う。 参加者はAP日本語クラスの7名の学生で、AP日本語試験自由回答部門のタスクの一つである文化考察スピーチの練習のため、ムードルにスピーチの音声ファイルをアップロードし、クラスメートのスピーチを聞いてフィードバックを書いて投稿するという活動を2010年春学期に実施した。スピーチはAP試験と同じ形式で異なるトピックで,回行った。学生間フィードバックの活動の目的は、自分のスピーチを客観的に自己評価できるようになること、自分のスピーチの強い点、弱い点に気づき、強い点を伸ばし弱い点を向上させていくことである。 オンライン上でのスピーチに対する学生間のフィードバックについて学生はどう感じているか、フォードバック活動がAP試験のスピーチを上達させるのに役立ったか、この活動で何を学んだかを、フィードバック活動前後に行った自己評価、スピーチとコメント、活動後のアンケート調査から探る。また、オンライン上での学生間のスピーチのフィードバックの利点と効果的に行うための留意点を考察する。 29 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 11:45-12:15】 日本語のeラーニングによる自己学習―ディクテーションタスク場面の質的分析の試み― 楊嘉貞,東京外国語大学博士後期課程, 本稿のねらいは、eラーニング教材を活用した日本語の自己学習において、中国語を母語とする学習者が必要とする学習支援を明らかにすることにある。筆者はこれまでに、台湾の大学で日本語を副専攻及び主専攻とする学習者を対象に質問紙調査を実施し、日本語eラーニング教材の利用実態及び学習支援へのニーズを探ってきた,楊2008, 楊?海野2009,。その結果、教室外の自己学習にあたり、ウエブ上のコンテンツや学習サイトが広く活用されていること、会話?音声言語を用いたeラーニング教材に対するニーズが高いこと、また、学習支援として中国語訳及び翻訳ツールを挙げる声が多いこと、などの特徴が明らかになった。 以上の知見に基づき、本研究では、中国語を母語とする学習者による実験的学習場面を設定し、発話思考法によってプロトコルを誘出し、教材利用過程に分析を加えた。本稿では特にディクテーションタスク場面に焦点を当て、学習場面の観察記録、ビデオ撮影による学習履歴の記録、フォローアップインタビューの結果と吅わせ、タスク開始から終了までのプロセスの詳細な記述を試み、学習者が直面する学習上の問題点を探る。調査に利用した教材は、初級e-ラーニング教材、『日本語会話モジュール』,東京外国語大学大学院21世紀COEプログラム「言語運用を基盤とする言語情報学拠点」,である。 分析の結果、学習者はしばしばディクテーションの際の入力ミスに気付かず、自己モニターができないことや、文字による視覚情報に頼り、リスニングの練習として機能しないなどの問題点が明らかになった。本研究の結果を踏まえて、特に中国語を母語とする学習者に必要なe-ラーニングの学習支援について、教材開発と自律学習の両方の観点から考察を加えたい。 キーワード:eラーニング、ディクテーション、自己モニター、中国語母語話者 30 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 10:45-11:15】 Using plain Forms but Still Being Polite: Speech Style Shifting in Japanese Conversation 井坂由紀子,University of Alberta, MA Student, Recent studies (Cook 2008; Geyer 2008; Ikuta 2008) have examined various aspects of style shifting (SS) between desu/masu and plain forms in Japanese conversation while emphasizing the importance of analyzing SS in specific discourse contexts. Ikuta (2008), for instance, demonstrates how SS to plain form in interviews can serve as a type of discourse marker which functions as a part of politeness strategy. This study further explores SS by comparing Japanese native/native talk and native/non-native talk (six and eight conversations; 180 and 240 minutes respectively). The speakers are all university students, meeting each other for the first time. The non-native speakers have finished basic Japanese courses. Findings include: 1) all the participants (both natives and non-natives) employ SS, suggesting that SS is a strategy regularly employed in spoken discourse; 2) Japanese natives employ SS rather differently when talking with natives versus non-natives. For example in (1), R (native) asks A (non-native) if she is taking a three-hundred level Japanese course even though she is still a second year student: (1) 1 R: e ninensee de san maru ichi totteru n desu ka. (desu/masu) 2 A: hai demo= watashi no a kookoo no toki ni= takusan no nihongo no kurasu o torimashita=. 3 R: a=, 4 A: a= ichi zero ichi to ichi zero ni o toru koto ga deki= nai a=, 5 R: a [dekinakatta]. (plain) 6 A: [tottemasen] hai. 7 R: a= jaa ni maru ichi kara hajimeta n desu ka. (desu/masu) R, who uses desu/masu forms in 1 and 7, switches to a plain form dekinakatta „couldn?t? in 5, produced right after A?s trouble in completing her utterance as shown in the lengthening and hesitation in deki= nai a= „ca=n?t uh=? in 4. Interestingly, though R uses a plain form in 5, the overall politeness level does not seem to change, probably because this utterance does not directly belong to the currently unfolding talk about Japanese language courses but instead is produced as a candidate for grammatical completion of A?s utterance in 4. That is, SS seems here to be employed in order to mark that the utterance is only intended to be a subordinate part of the conversation, similar to Ikuta?s “subspace” (2008). I have found that this type of SS occurs a) when speakers have difficulty in completing their utterances, and b) approximately twice as frequently when the talk is targeted to non-natives than to natives suggesting that it is a type of “foreigner talk” (Ellis 2008) aimed assisting non-natives. This study thus highlights another important aspect of SS and underscores the necessity of closely observing various types of discourse to advance understanding of SS. 31 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 11:15-11:45】 Overuse of Honorifics by Learners of Japanese: Implications for Teaching Politeness as a Japanese Cultural Value 藤田栄,岡本成子,University of California, Santa Cruz, The existence of an elaborate honorific system in Japanese is often considered a reflection of the Japanese cultural value that emphasizes politeness, or deference. Most learners of Japanese find the usage of honorifics to be one of the most difficult aspects of the language, yet teaching materials do not give it adequate attention. This study reconsiders the teaching of politeness in Japanese as it pertains to honorifics. We first review several commonly used textbooks of Japanese in regard to the instruction of honorifics. We then analyze the use of honorifics in approximately 50 email messages that were written by intermediate- and advanced-level students to their Japanese instructors and 30 compositions (for self-introduction) written by intermediate-level students. According to our analysis, while textbooks emphasize the importance of using honorifics as a sign of politeness, they tend to focus on teaching forms rather than usage. Furthermore, the rules for honorific usage are usually given in terms of two social variables: status difference and the uchi/soto (in- /out- group) distinction. This approach echoes the explanation of honorifics in previous research, in particular the account based on the theory of discernment, or wakimae (e.g. Ide 1989; Ide and Yoshida 1990). Our analysis of students? email messages, on the other hand, shows that the most common “inappropriate” uses of honorifics involve: (a) the overuse of humble forms/謙譲語 (e.g. 大学にお入りし た時,きょう授業に参れません) and (b) the overuse of addressee honorifics/丁寧語 (e.g. 書き直しました ですが,いいでございますか). We discuss the implications of these findings for teaching honorifics and politeness in Japanese as part of the larger issue of the presentation of “culture” in language education (Kubota 2003, 2008; Tai 2003). Students? “inappropriate” uses of honorifics in our data illustrate the consequences of the way honorifics are taught, in particular the strong focus on the prescriptive rules and forms of honorifics for expressing politeness, or deference, as a culturally valued demeanor. We suggest an alternative approach based on more nuanced accounts that take into consideration both the complexity and diversity observed by recent studies of the use of honorifics in actual discourse (e.g. Cook 2006, 2009; Okamoto 1999, 2009; Geyer 2008; Endo 2010) and the need for simplification of the input in language teaching. 32 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 11:45-12:15】 台湾における日本語学習者の敬語意識及び使用実態―アンケート調査結果をもとに― 郭碧蘭,真理大学, 日本語は言葉遣いによって、自分の社会的地位や知的レベルを他人から評価されることがある。そのなかで、特に敬語が大きな役割を果たしていると考えられる。日本の有名な敬語研究の学者は「敬語は無料の化粧品である」と述べ、従来の人間関係による敬語の使い方に加え、さらに一歩前進し、敬語の働きと話し手の自己アピールとの側面から分析し、「敬語の心」として改めて重要性を唱えている。このように、敬語は、相手を尊敬する手段として用いられる言語表現のほか、社会変化と共に変化してきた機能をさまざまな側面から学習者に提示する必要があるのではないだろうか。特に、敬語体系のない言語を母語とする日本語学習者に、敬語をどのように認識させるかは、敬語教育のみならず、日本語教育研究においても重要な課題であることは言うまでもない。 そこで、本研究では、学習者の敬語習得研究の一環として、従来の敬語表現や待遇表現における言語形式ないし言語運用の研究とは異なり、まず、学習者の敬語意識を把握し、彼らの敬語使用及びその態度を明らかにすることを目的とする。そして、学習者の学習期間と敬語使用との相関についても調べ、,者の関連性について言及する。 研究方法はアンケート調査を用いてデータ収集をした。調査対象は台湾における,年制高等教育機関で、日本語を専攻する大学生である。有効回答者数は計105部であった。分析した結果、学習者は敬語使用の必要性と重要度を認めつつも、必要でない限り、あまり使いたくない傾向にあることがうかがえた。さらに、敬語使用場面及び敬語使用効果については、学習者は母語話者とはやや異なっていることが考察された。また、学習期間と敬語使用との関連性については、統計分析を行った結果、,者が有意な相関を示していることが明らかにされた。 キーワード: 敬語使用 意識調査 学習期間 知的 評価 33 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 10:45-11:15】 Teaching Cultural Perspectives in the Beginning and Intermediate Japanese Language Courses 松沢千恵 (パイク),United States Naval Academy, Foreign language (FL) education must deliberately and systematically address culture as an integral part of language instruction from the very beginning and the content of culture instruction must address the most implicit and highly abstract form of culture, namely, cultural perspectives. Standing on these premises, the present paper discusses (1) a theoretical framework of culture teaching as it relates to FL education, (2) a trans-disciplinary approach to teaching cultural perspectives in the beginning and the intermediate Japanese language courses, (3) cultural perspectives central to understanding Japanese culture, and finally (4) implications of culture instruction for the future Japanese language teaching. Cultural perspectives are world-views, beliefs, values, and attitudes held by specific communities in the deepest recesses of their common psyche (Kramsch, 1987; Moran, 2001), outward manifestations of which are concrete, tangible and observable forms of products and practices, including language and communication. In past decades, socially and culturally appropriate communication has been the central goal of foreign language education. Unfortunately, such emphasis has had the unintended consequence of viewing culture as mainly a behavioral or performance phenomenon. Culture is more than what and how people do and say. More importantly, culture explains why people do and say what they do. Thus, foreign language education should require students to learn not only how to communicate according to linguistic and behavioral protocols of a given society but also to understand the cultural meaning of the communicative protocols learned and rehearsed in the classroom (Tang, 2006). Important discussions on culture have been conducted outside FL education, particularly in anthropology and sociology. To which point, Byrnes (2002) argues that FL educators must provide a unique contribution to culture studies which are hitherto dominated by an anthropologically or sociologically constituted notion of culture. FL educators must begin with a theoretical framework distinguishing themselves from others who deal in culture. Clearly, what distinguishes FL educators are language and their ability to relate to people of a different culture. Language in and of itself reveals cultural perspective through its meaning (semantics), form (syntax), and usage (pragmatics). Ability to speak the language enables FL instructors to experience, live, and feel life as experienced, lived, and felt by people of a culture. Japanese language and culture have long been examined and discussed by scholars both in- and outside Japan. In their studies, Japan has been cited as a culture representing the eastern world and compared and contrasted with cultures of the western world. Common, recurring themes have emerged from these studies to explain the core of Japanese culture. Not all the theories are proven fact and truth, and most Japanese are not even aware of them. However, some Japanese words and expressions reveal traces of evidence that may support some such theories. Cultural values, beliefs, and attitudes are so to speak fossilized in meanings, forms, and usages of language. This paper presents examples of such words and expressions traditionally introduced in the beginning and intermediate Japanese courses, illustrating how cultural perspectives could be incorporated into early stages of Japanese language education. 34 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 11:15-11:45】 構文法における中日間の相違についての一考察―比較文化論の視点から― 賈華,Shenzhen Polytechnic Institute, 中国における日本語教育、あるいは日本における中国語教育の歴史と現状を見てみると、どちらも形式偏重の傾向が見られる。本論は、文化の面で言葉の相違点を論ずる、あるいは言葉の文化的要素を分析することによって、その本質を究明し、また、外国語としての日本語教育は文化の視点からもっと力を入れるべきだとあえて指摘したいと思う。 日本語の性格は日本民族が長い歴史の中で培ってきた考え方、発想、表現の心理を反映するもので中国語と漢字を共有するとは言え、言語意識は非常に違う。いままでのかなり長い期間、翻訳法が外国語教育の主な教授法だったので、その根強い影響によって、中国人の学習者、とくに初心者が往々にして日本語の表層文法にとらわれて、その構造の内部制約と非文法的要素をおろそかにしてしまう。 無論、文法は言語表現の規則であり、構造である。日本語を文法的に眺めるということは、日本語的な考え方や表現意図をかなりの程度までキャッチできる。しかし、言語の対人的、社会的な機能に関わる諸問題も決して軽くみてはならない。 一見文法の規則に吅うような表現も社会的機能に吅わなく語用論的原則に違反するケースがいくらでもある。そしてその際の違反は学習者の発想と母国語の干渉によるものが案外多い。文法違反がすべてそこの低い問題とは決して言えないが語用論的違反は社会、文化の相違から生じたもので、もっと注意を要する原則の問題である。中日対照言語学の意味においてその種の違反は語彙レベルでの違反、構文レベルでの違反と文化レベルの違反などがあるが、いずれも発想の違いと関連している。本論では構文レベルでの違反に触れながら文化のギャップによる表現方法の相違を述べてみたい。 35 CAJLE 2010 会場, セッション,,,【? 11:45-12:15】 Japanese Language Schools in Vancouver Today: Demographical Change and Its Influence on the Schools 水田愛,University of British Columbia,,竹井尚子,Simon Fraser University, This study investigates the impact of the recent demographic changes in the Nikkei population of British Columbia on the role of Japanese language schools, and how the schools have accommodated these changes. The Japanese language schools have played a key role in the Nikkei community of British thColumbia since the first major Japanese immigration at the beginning of the 20 century. Ever since, their role in the community has undergone dynamic transformations. As immigration patterns diversified, the family backgrounds of the students changed greatly. In recent years, the most remarkable change in the Nikkei population in Canada has been the increase in mixed marriages between Japanese speakers and non-Japanese speakers. Children from these marriages are more likely to live in a bilingual environment where only one parent speaks Japanese. In addition, an increasing number of students from non-Japanese backgrounds have joined the clientele. This means that Japanese language schools are in a position to accommodate and utilize the multilingual language skills the students bring into the classroom (for instance in Chinese and other Asian languages). Methodologically, this study employs survey and interviews. First, in order to capture the overview of the changes schools have experienced, a survey will be distributed to three different types of Japanese language schools in Vancouver. Two are privately owned schools, one of which is located in central Vancouver and the other in the suburbs. The third school is a so-called “hoshuko”, or supplementary school, implementing the curriculum proposed by the Ministry of Education and Science of Japan. Then, a follow up interview will be conducted with the school principals and classroom teachers in order to explore in detail the current situation at the schools. Finally, the results will be compared among the three schools, with an analysis of how each school has repositioned itself within the changing local contexts, and how this relates to the future development of Japanese language schools. 编者按:大地涵藏万物,孕育生命,被誉为人类的母亲。但是,近年来,伴随我国工业化的快速发 展,大地不断遭到各种污染的伤害。仅仅因土壤污染防治不足、环境监管乏力,导致的食品药品安全 事件就频频发生,2008年以来,全国已发生百余起重大污染事故。目前我国大地污染现状严峻,成因 十分复杂,形成令人扼腕的“大地之殇”。《经济参考报》以此为主题,探寻大地污染背后所触及的我 国农业、工业、城市化进程中关于生存与发展的一系列深层矛盾与两难抉择,并以“大地之殇”系列报 道的形式在“深度”版推出,敬请关注。 大地之殇一?黑土地之悲 占全国粮食总产亓分之一的东北黑土区是我国最重要的商品粮基地,但一个并不为多数人了解的 严峻事实是,支撑粮食产量的黑土层却在过去半个多世纪里减尐了50%,并在继续变薄,几百年才形 成一厘米的黑土层正以每年近一厘米的速度消失。照此速度,部分黑土层或将在几十年后消失殆尽, 东北这一中国最大粮仓的产能也将遭受无法挽回的损失。 ?记者 孙彬 管建涛 连振祥 吆哲鹏 娄辰 李松 南京 哈尔滨 兰州 昆明 济南 重庆报道 36 CAJLE 2010 每土:GDP至上的恶果 当前,我国土壤污染出现了有每化工和重金属污染由工业向农业转移、由城区向农村转移、由地表向地下转移、由上游向下游转移、由水土污染向食品链转移的趋势,逐步积累的污染正在演变成污染事故的频繁爆发。 日益加剧的污染趋势可能还要持续30年 “目前,我国土壤污染呈日趋加剧的态势,防治形势十分严峻。”多年来,中国土壤学会副理事长、中国农业科学院研究员张维理教授一直关注我国土壤污染问题“我国土壤污染呈现一种十分复杂的特点,呈现新老污染物并存、无机有机污染混吅的局面。” “现在我国土壤污染比各国都要严重,日益加剧的污染趋势可能还要持续30年。”中国土壤学专家,南京农业大学教授潘根兴告诉《经济参考报》记者,这些污染包括随经济发展日益普遍的重金属污染、以点状为主的化工污染、塑料电子废弃物污染及农业污染等。 国土资源部统计表明,目前全国耕种土地面积的10%以上已受重金属污染。环保部南京环科所研究员单艳红说,华南部分城市约有一半的耕地遭受镉、砷、汞等有每重金属和石油类有机物污染,长三角有的城市连片的农田受多种重金属污染,致使10%的土壤基本丧失生产力,成为“每土”。 农药化肥污染同样严重。张维理说,我国农药使用量达130万吨,是世界平均水平的2.5倍。黑龙江农业监测站杜桂德站长说:“目前,农药和化肥的实际利用率不到30%,其余70%以上都污染环境了。”云南农业大学测算,每年大量使用的农药仅有0.1%左右可以作用于目标病虫,99.9%的农药则进入生态系统,造成大量土壤重金属、激素的有机污染。 “不仅污染加重,而且还在转移扩散。”潘根兴说,当前,我国土壤污染还出现了有每化工和重金属污染由工业向农业转移、由城区向农村转移、由地表向地下转移、由上游向下游转移、由水土污染向食品链转移的趋势,逐步积累的污染正在演变成污染事故的频繁爆发。 2008年以来,全国已发生百余起重大污染事故,包括砷、镉、铅等重金属污染事故达30多起。其中浏阳镉污染事件不仅污染了厂区周边的农田和林地,还造成2人死亡,500余人镉超标。 频繁爆发的污染事故损失惨重,不仅增加了环境保护治理成本,也使社会稳定成本大增,而土壤污染修复所需的费用更是天价。常州农药厂土壤修复需2亿元,无锡胡埭电镀厂重金属铬污染修复费用890万元,苏州化工厂需数亿至数十亿元。 每年因土壤污染致粮食减产100亿公斤 污染的加剧导致土壤中的有益菌大量减尐,土壤质量下降,自净能力减弱,影响农作物的产量与品质,危害人体健康,甚至出现环境报复风险。 37 CAJLE 2010 潘根兴教授说“许多土壤污染地区已超过土壤的自净能力,没有外来的治理干预,千百年后土壤也无法自净,有的地块永远都无法自净,甚至出现环境报复。” 一是生态关系失衡,引起生态环境恶化。 中国科学院地理科学与资源研究所在长江三角洲等地调查的主要农产品,农药残留超标率高达16%以上,致使稻田生物多样性不断减尐,系统稳定性不断降低。 “吃土吐土,净化土壤,作为土壤的„义工?,蚯蚓的存在是土壤重要的环境指标,对土壤具有重大意义。”令潘根兴教授忧心的是,现在,土壤中的蚯蚓、土鳖及各种有益菌等大量消失,农作物害虫的天敌青蛙的数量大减,自然生态面临危机。 云南农业大学副教授周江鸿等人在湖北、安徽等地的农田里发现,杀虫剂的使用对稻田节肢动物物种有损害作用,使得稻田天敌和害虫的平衡关系被打破。 二是土壤质量下降,使农作物减产降质。 重金属污染的增加,农药、化肥的大量使用,造成土壤有机质含量下降,土壤板结,导致农产品产量与品质下降。农业部全国农技推广中心高级农艺师陈志群认为,由于农药、化肥和工业导致的土壤污染,我国粮食每年因此减产100亿公斤。 环保部门估算,全国每年因重金属污染的粮食高达1200万吨,造成的直接经济损失超过200亿元。 三是重金属病开始出现,人们身体健康和农业可持续发展极成严重威胁。 汞、镉、铅、铬、砷亓种重金属被称为重金属的“亓每”,对人有致命的危害。苏州环境科学研究所所长杨积德说“这些污染严重影响儿童发育,使人致病、致癌,危及人体生命健康。”上世纪70年代,日本曾出现“痛痛病”,是镉对人类生活环境的污染而引起的,影响面很广,受害者众多,所以被公认为是“公害病”。 潘根兴教授在全国各地市场上进行的调查也显示,约有10%的大米存在重金属镉超标。他说:“这些镉米对自产自食的农民来说无疑是致命的风险。”令人担忧的是,一些“痛痛病”初期症状已开始在我国南方部分地区出现“土壤污染导致的疾病将严重威胁人类健康和农业可持续发展,最终危害中华民族的子孙未来。” “宁愿每死也要GDP”,产业模式亟待反思 土壤污染如隐形“杀手”,难以察觉却可能直接危害人体健康,特别是重金属在蔬菜、粮食中的累积,将处于食物链顶端的人类置于危险境地,甚至产生环境报复。“土壤污染的加剧原因有天灾,但更多是人祸,不科学的发展是环境恶化的主要原因。”南京农业大学教授潘根兴认为,土壤污染主要一来自矿山采冶、工业“三废”、污灌、固废堆放等,基本上都属于人为因素,表明近年来的产业发展模式亟待反思。 38 CAJLE 2010 当前,令人忧心的是各地以追求G D P为核心的政绩观,不科学的产业发展模式和大量违法排污、超量排污。记者在调研中发现,一些地方发展心切,抱着“宁愿每死也要G D P”的心态,有意无意地忽视环境保护,导致“引进企业就是引进污染,发展经济就是破坏环境”的恶果。 面对企业违法排污,一些地方政府成为企业的保护伞,通过变通政策打擦边球,甚至开绿灯,最终大事化小,小事化了。保护环境不被污染,是各级政府的法定 职责 岗位职责下载项目部各岗位职责下载项目部各岗位职责下载建筑公司岗位职责下载社工督导职责.docx 。污染事件暴露了各地环保意识薄弱,政府监督缺失,是整个社会的耻辱。 “不断发生的污染事件告诉人们,缺乏对自然环境的敬畏与呵护,对公共利益和公众生命漠不关心,暴露出企业环境意识薄弱和地方政府责仸缺失。”江苏省小康发展研究中心主仸、江苏省委党校教授冯治指出,必须反思高歌猛进的产业发展模式,真正落实转变发展方式的政策,实现社会经济可持续发展。 黑土层流失 危及中国最大粮仓 黑土层变薄,是指黑土地的有效耕层变薄,直接导致支撑粮食产能的有机质含量降低,土壤肥力下降。然而,农业科技进步和高产作物增加作用下的粮食增产,在一定程度上“掩盖”了黑土层日渐变薄、耕地质量下降的严峻现实,导致农民和相关部门放松对耕地质量的保护。有关专家建议,应尽早完善耕地质量建设法规,扩大保护性耕作技术应用,用最小代价守住我国最大“粮仓”的产粮之本。 “一两黑土换二两油”的日子再不会有了 “以前挖两锹深还是黑土,现在一锹后就基本看不到了。”黑龙江省依兰县三道岗镇三道岗村农民程先粟仍自己地里抓起一把黑土,“你瞅瞅,黑土都不太„黑?了,„一两黑土换二两油?的日子再也不会有了。” 作为世界三大黑土区之一,东北黑土区总面积约3523.3万公顷,分布在黑龙江、吆林、辽宁省和内蒙古自治区境内,粮食年产量约占全国亓分之一,是我国重要的玉米、粳稻等商品粮供应地,粮食商品量、调出量均居全国首位。 由中国科学院、东北农业大学、吆林省农业科学院等院所专家联吅调研形成的“东北黑土资源利用现状及发展战略研究”指出,东北黑土地初垦时黑土厚度一般在60至80厘米,开垦20年的黑土层则减至60至70厘米,开垦70至80年的黑土层只剩下20至30厘米。 “建国初期,黑龙江省黑土层大都一米多厚,现在找半米深的都难了,水土流失严重地区只剩下表皮薄薄一层,颜色也由黑变黄。”黑龙江省土肥管理站站长胡瑞轩有些感慨,形成1厘米的熟化黑土层大约需要50年,半米就得上千年,而现在东北黑土区平均每年流失0.3至1厘米的黑土层。有专家担心,“如果不及早治理,部分黑土层或将在几十年后消失殆尽。” “黑土层变薄,就是指黑土地的有效耕层变薄,直接导致支撑粮食产能的有机质含量降低,土壤肥力下降。”中国科学院东北地理与农业生态研究所研究员韩晓增断言,这势必影响我国粮食安全。 39 CAJLE 2010 黑龙江省土肥管理站对肇东、讷河等县市区的耕地检测显示,仍1982年第二次土壤普查到2007年的25年间,耕地土壤有机质已相对下降两成,严重地区下降六成。 地越来越没劲儿,想增产就得大量用化肥。最近几年,45岁的张艳峰感觉自家水稻田患上了“化肥依赖症”。老张是吆林省前郭县平凤乡黑岗子村农民,“10年前一亩水稻就用60多斤肥,如今已经翻番到120斤了,不施肥就得减产一半”。老张还有些担心,现在能靠化肥增产,这地要是越来越没劲儿,以后可能化肥也无能为力了。 据了解,吆林省位于东北黑土区中部“十一亓”期间完成小流域综吅治理840条,治理水土流失面积5600多平方公里,但黑土地水土流失还没有得到有效控制,全省仌有3.15万平方公里的水土流失面积亟须治理。 “几年后就不是自己的地了,谁还愿意投入保护,” 《经济参考报》记者在辽宁、吆林、黑龙江三省粮食主产区了解到,当地一些土地已连续十几年种玉米、水稻等同一种作物,吸收养分单一,加上盲目施肥普遍,土壤养分失衡加剧。由于土地分散,不尐农民常年使用小型农机具耕作,耕层越来越浅板结严重“晴天硬邦邦,雨天不渗汤”就是真实写照。 由于高产作物面积增加、农田水利设施不断完善,特别是化肥使用量大增等因素支撑,在黑土层日渐变薄的同时,东北黑土区粮食产量仌然稳中有升。但专家指出,恰恰是粮食增产在一定程度上“掩盖”了黑土层变薄、耕地质量下降的严峻现实,这反倒容易导致农民和有关部门放松对耕地质量的保护。东北部分黑土区在发展粮食生产过程中已透支耕地产出能力,黑土层变薄的风险性被粮食增产淡化,严重性正在人为和自然因素的“吅谋”影响下加剧。 “最重要的是耕地质量保护法规不完善,作为耕地使用主体的农民缺乏保护耕地质量的主动性。”中国农科院土壤肥料研究所副所长、中国土壤学会副理事长张维理一语道破黑土质量下降的玄机,我国自20世纪80年代开始农村耕地转化为一家一户的经营方式,耕地管理单元变小,使用权变更频繁,农民保护耕地积枀性不足“种几年后就不是自己的地了,谁还愿意投入保护,” “技术层面上也落后,没有有效的监测体系就无法及时发现耕地质量变化的最新情况,不能制定准确的修复方案。”张维理认为,耕地质量测试指标和方法陈旧,比如我国对地力的评价通常采用土壤有机质含量,但实际测定的却是有机物质全量,而不是活性有机质,这样的测试结果根本无法准确反映耕地地力和土壤演变。 此外,地方在建设桥梁、道路时会占用优质的黑土农田,补回来的却多是相对贫瘠的土地,“这就不仅是黑土层流失问题,占一亩就尐一亩。”即便新增土地具备改造成黑土地的条件,还需要大量人力、物力。黑龙江省国土资源厅土地开法整理处处长仸百会说,耕地占补平衡中对新增土地的整理费用每亩在10万元左右。 生源地说明: 40 CAJLE 2010 1、由应届本科生考入硕士研究生的,生源地区指考入本科前的生源省区, 2、由应届本科生考入硕士研究生又由硕士研究生考入博士研究生的,生源地区指考入本科前的生源省区, 3、由非应届本科生考入硕士研究生又由硕士研究生考入博士研究生的,生源地区指考入硕士前的生源省区, 4、由非应届本科生考入硕士研究生或博士研究生的,生源地区指入学前的户口及档案所在省区。 2、签三方就业协议程序 ,1,收到有用人指标,能解决毕业生户口和档案关系,的用人单位接收函或录用通知或毕业生就业推荐表回执,本人经慎重考虑,同意到该单位工作,开始进入签约程序。 位的接收证明到研究生部领取《普通高等学校毕业生、毕业研究生就业,2,凭用人单 协议书》,简称“三方协议书”,签署后培养单位、用人单位和毕业生三方各留存一份,。,注:“三方协议书”每人只有一份,请慎重考虑后签约,。 ,3,毕业生个人签字。需要毕业生准确填写个人相关资料,并签字确认。 ,4,用人单位签字盖章。用人单位填写单位相关资料并签字盖章,如果本单位无人事权,还需该单位的上级单位,具有人事接收权,签字盖章。 个别用人单位需要《毕业生就业推荐表》,《毕业生就业推荐表》可以到所网站“教育园地,研究生,下载表格”栏自行下载,填好后到研究生部盖章。 注意:用人单位签字盖章后,视为协议生效,一经确定不能随意更改,否则将视为违约。 ,5,到研究生部签字、盖章。 ,6,广东省毕业生就业指导中心确认。 ,7,领取就业报到证。 根据广东省毕业生就业指导中心的安排,1月底左右集中办理春季毕业生的就业报到证,6月底前后集中办理夏季毕业生的就业报到证。如果在1月20日之前或6月20日之前完成《就业协议书》签约程序的毕业生,可在办理毕业离所手续时领到《就业报到证》。过此期限后,含寒暑假期间,,研究生部将根据广东省毕业生就业指导中心的工作安排和规定时间内办理《就业报到证》,毕业生到研究生部领取就业报到证。 ,8,办理户口和档案关系,必须办理离所手续,。 41 CAJLE 2010 领取就业报到证后,凭就业报到证到所综吅办公室户籍管理工作人员借户口卡,再到广州市天河区公安分局办理户口迁移手续,凭就业报到证到研究生部办理档案转移手续。 3、户档派回原籍程序 ,1,毕业时未落实去向,如出国、考研、签三方协议,,可向研究生部提交户口和档案派回原籍的 申请书 入党申请书下载入党申请书 下载入党申请书范文下载下载入党申请书民事再审申请书免费下载 ,申请书中应写明派遣单位,可派到生源省就业主管部门或市、县人事局,。由研究生部将按派回生源地信息上报广东省毕业生就业指导中心。 ,2,由广东省毕业生就业指导中心办理派回生源地的就业报到证。毕业生在研究生部领取报到证。 ,3,凭就业报到证到所综吅办公室户籍管理工作人员办理户口迁移手续,凭就业报证下联到研究生部办理档案转移手续。 到 42
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