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日本文学anull日本文学日本文学null時代区分による分類 時代区分による分類 歴史学のように政体の変遷に注目することが必ずしも相応しいとは考えられないが、目安にされることが多い。又、以下のように、上代・中古・中世・近世・近現代が行われているが、研究者によって異論もあり、中古を設定しない場合もある。近代と現代を分離するか否かについても諸説あり、定まっていない。 日本の上代文学史日本の上代文学史日本の上代文学史日本の上代文学史日本の上代文学史は、およそ奈良時代までの日本文学の歴史である。 漢字が伝来するまで文字を持たなかっ...

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null日本文学日本文学null時代区分による分類 時代区分による分類 歴史学のように政体の変遷に注目することが必ずしも相応しいとは考えられないが、目安にされることが多い。又、以下のように、上代・中古・中世・近世・近現代が行われているが、研究者によって異論もあり、中古を設定しない場合もある。近代と現代を分離するか否かについても諸説あり、定まっていない。 日本の上代文学史日本の上代文学史日本の上代文学史日本の上代文学史日本の上代文学史は、およそ奈良時代までの日本文学の歴史である。 漢字が伝来するまで文字を持たなかった日本人は、口述で神話や伝説を伝えてきた。(口承文学)中国大陸から朝鮮半島を経由して漢字が輸入され、漢文と、自分達の話し言葉に漢字を当てはめた万葉仮名が生まれた。漢字の伝来により成立したのが日本書紀と古事記である。この時代から漢文こそが正当な 关于同志近三年现实表现材料材料类招标技术评分表图表与交易pdf视力表打印pdf用图表说话 pdf 現であり、仮名は一段低く見られる風潮が長く続く。『懐風藻』は日本文学における最古の漢詩集である。また、『万葉集』のような和歌集も生まれた。万葉初期の作品には見られなかった個人としての作家性も、後期には多く見られるようになり、柿本人麻呂や山上憶良、大伴家持といった著名な歌人も登場した。上代文学の主な作品一覧 上代文学の主な作品一覧 『三経義疏』聖徳太子 712年『古事記』稗田阿礼・太安万侶/ 神話、伝承 713年頃『風土記』/ 地誌 720年『日本書紀』舎人親王/ 神話、歴史 751年『懐風藻』未詳 /漢詩集 759年以前『万葉集』大伴家持ら/ 歌集 758 - 822年頃『日本現報善悪霊異記(日本霊異記)』景戒/ 説話 764年『百万塔陀羅尼経』 772 年『歌経標式』藤原浜成/和歌関連 797 年『続日本紀』/歴史 807年『古語拾遺』斎部広成/ 神話 null日本の中古文学史日本の中古文学史日本の中古文学史中古(およそ平安時代)の日本文学の歴史である。 概略 漢詩・漢文が上代に引き続き栄え、特に『和漢朗詠集』でも多く採り上げられた白居易(白楽天)の影響は大きかった。『源氏物語』などの仮名の物語文学においても、「桐壺巻」などで白楽天の『長恨歌』との関係が強く認められる。また、政府の教育機関であった大学寮においても漢詩・漢文・歴史を教授した紀伝道の地位が上昇し、紀伝道の教授である文章博士から右大臣となった菅原道真は、政治家としてのみならず、優れた文学者としても知られている。 905年には初の勅撰和歌集である『古今和歌集』が編纂され、和歌が漢詩と対等の位置を占めるようになった。歌合せなどの公的な場での和歌が多く認められるようになる他、屏風歌なども多く詠まれた。それに伴い、著名な歌人の歌を集めた私家集の存在が認められるようになる。成立時期や編者などは各家集ごとに状況が異なるため未詳であるが、紀貫之の歌を集めた『貫之集』、伊勢の『伊勢集』など後世の歌人・作品に影響を与えたと思われる作品も多い。 平安時代を通して、男性貴族が政治で使う文字は漢字であり、文章は漢文であり続けた。しかしその一方で「かな」による表現が盛んに始まった。後宮の女房など女性たちが「かな」を使用したため、その女性たちと交流を持つ男性官人も「かな」を使うようになった。前述の和歌の隆盛も、「かな」の流行とは無縁ではなく、多くの女流歌人を生み出している。紀貫之が女性の立場から仮名で書いた『土佐日記』をはじめとして、仮名文の日記風の作品が認められるようになる。また清少納言の手による、随想的章段を含む『枕草子』などが書かれ、随筆的文学が栄えていくことにもつながった。905年には初の勅撰和歌集である『古今和歌集』が編纂され、和歌が漢詩と対等の位置を占めるようになった。歌合せなどの公的な場での和歌が多く認められるようになる他、屏風歌なども多く詠まれた。それに伴い、著名な歌人の歌を集めた私家集の存在が認められるようになる。成立時期や編者などは各家集ごとに状況が異なるため未詳であるが、紀貫之の歌を集めた『貫之集』、伊勢の『伊勢集』など後世の歌人・作品に影響を与えたと思われる作品も多い。 平安時代を通して、男性貴族が政治で使う文字は漢字であり、文章は漢文であり続けた。しかしその一方で「かな」による表現が盛んに始まった。後宮の女房など女性たちが「かな」を使用したため、その女性たちと交流を持つ男性官人も「かな」を使うようになった。前述の和歌の隆盛も、「かな」の流行とは無縁ではなく、多くの女流歌人を生み出している。紀貫之が女性の立場から仮名で書いた『土佐日記』をはじめとして、仮名文の日記風の作品が認められるようになる。また清少納言の手による、随想的章段を含む『枕草子』などが書かれ、随筆的文学が栄えていくことにもつながった。現存しない散逸物語も含め、多くの物語作品が作られたのもこの時期の特徴である。『源氏物語』で「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」と表現される『竹取物語』にはじまり、『伊勢物語』・『宇津保物語』・『落窪物語』など現存する物語が多く書かれている。これらは平安初期においては男性の手によると思われるものも多いが、仮名による女性の作品が増えていくのも特徴である。先行する数多の漢文学、仮名文学双方を踏まえた紫式部による『源氏物語』は、中古の文学の代表作とも言うべき長大な作品で、以降の日本の文学史全体に強い影響を与えている。 また様々な説話集も編まれており、その集大成とも言いうる『今昔物語集』などの説話集の存在も、この時代の文化や文学の様子をよく現している。現存しない散逸物語も含め、多くの物語作品が作られたのもこの時期の特徴である。『源氏物語』で「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」と表現される『竹取物語』にはじまり、『伊勢物語』・『宇津保物語』・『落窪物語』など現存する物語が多く書かれている。これらは平安初期においては男性の手によると思われるものも多いが、仮名による女性の作品が増えていくのも特徴である。先行する数多の漢文学、仮名文学双方を踏まえた紫式部による『源氏物語』は、中古の文学の代表作とも言うべき長大な作品で、以降の日本の文学史全体に強い影響を与えている。 また様々な説話集も編まれており、その集大成とも言いうる『今昔物語集』などの説話集の存在も、この時代の文化や文学の様子をよく現している。文学の周辺 文学の周辺 この時代、文学を含めた芸術や政治の中心は京都であった。平安時代の中期には国風文化が栄えた。歴史書としては『大鏡』が書かれた。また、猿楽が盛んになり、これは後に能楽としての完成に繋がった。 中古文学の主な作品一覧 中古文学の主な作品一覧 797年『続日本紀』藤原継縄・菅野真道ら/ 歴史 『高橋氏文』 810年『文鏡秘府論』空海/ 歴史 814年『凌雲集』 815年『新撰姓氏録』万多親王ら/ 818年『文華秀麗集』 『日本現報善悪霊異記』 827年『経国集』 835年『性霊集』空海 841年『日本後紀』/ 歴史 869年『続日本後紀』/ 879年『都氏文集』/ 900年『菅家文草』菅原道真/ 905年『古今和歌集』醍醐天皇勅令/紀貫之・紀友則ら/ 勅撰和歌集 910年以前『竹取物語』未詳/ 物語 null935年頃『土佐日記』紀貫之/ 日記 成立時期不明(諸説ある)『伊勢物語』未詳/ 物語 940年(1052年以後とする説もある)『将門記』未詳/ 軍記 951年『後撰和歌集』村上天皇勅令 /清原元輔・源順ら/ 勅撰和歌集 951年頃『大和物語』未詳/ 物語 965年頃『平中物語』未詳/ 物語 974年以後『蜻蛉日記』藤原道綱母/ 日記 984年以前『宇津保物語』未詳/ 物語 984年『三宝絵』源為憲/ 説話 985年『往生要集』源信/ 仏教 989年頃『落窪物語』未詳/ 物語 1000年頃『枕草子』清少納言/ 随筆 1004年以後『和泉式部日記』和泉式部/ 日記 1005年『拾遺和歌集』花山院勅令 / /勅撰和歌集 1008年頃『源氏物語』紫式部/ 物語 1010年以後『紫式部日記』紫式部/ 日記 1018年頃『和漢朗詠集』 /詩歌集 1028年以後『栄華物語』赤染衛門/ 歴史物語 1057年頃『浜松中納言物語』未詳/ 物語 1059年以後『更級日記』菅原孝標女/ 日記 null1060年以前『夜の寝覚』未詳/ 物語 1063年頃『陸奥話記』未詳/ 軍記 1066年以前『本朝文粋』藤原明衡/ 漢詩文 1080年頃『狭衣物語』六条斎院宣旨源頼国女/ 物語 1086年『後拾遺和歌集』白河天皇勅令/ 藤原通俊/ 勅撰和歌集 1104年頃『江談抄』大江匡房 /説話 1108年以後『讃岐典侍日記』讃岐典侍藤原長子/ 日記 1115年頃『俊頼髄脳』源俊頼/ 歌学 1119年頃『新撰朗詠集』藤原基俊/ 歌謡 1120年頃『大鏡』未詳/ 歴史物語 1120年頃『今昔物語集』未詳/ 説話 1127年頃『金葉和歌集』源俊頼/ 勅撰和歌集 1151年『詞花和歌集』藤原顕輔/ 勅撰和歌集 1170年『今鏡』藤原為経/ 歴史物語 1179年頃『宝物集』平康頼/ 説話 1180年以前『とりかへばや物語』未詳/ 物語 1184年『梁塵秘抄』後白河天皇/ 歌謡 1188年『千載和歌集』後白河法皇勅令/ 藤原俊成/ 勅撰和歌集 日本の中世文学史日本の中世文学史日本の中世文学史日本の中世文学史日本の中世文学史では、およそ鎌倉時代から安土桃山時代までの日本文学の歴史を記述する。 概略 源頼朝が鎌倉幕府を開き、政治の中心が上方から東国へ移ったが、京都は文化的中心であり続けた。鎌倉時代には藤原定家らによって華麗な技巧に特徴がある『新古今和歌集』が編まれた。また、現代日本語の直系の祖先と言える和漢混淆文が生まれ、多くの作品が書かれた。鴨長明の『方丈記』吉田兼好の『徒然草』などがこれにあたる。『平家物語』は琵琶法師により、室町時代には『太平記』が太平記読みにより語られた。その他説経節等語り物の充実は、近世の浄瑠璃の隆盛へと繋がってゆく。御伽草子などの物語も一般民衆の間で読まれ、文芸が知識階級のみのものではなくなり庶民の間へも広まっていく。 室町時代には京都五山や公家が中心となり古典研究が行われ、また鎌倉時代から上句と下句を連ねる和歌である連歌も貴族から一般民衆までの間で行われた。文学の周辺 文学の周辺 また、能楽などの舞台芸術が多くの人々に受け入れられ、その美学は世阿弥によって『風姿花伝』にまとめられた。仏教では13世紀中頃には道元の『正法眼蔵』、弟子の懐奘の『正法眼蔵随聞記』が成立したほか、禅僧達の作った「五山文藝」という膨大な文献も残されている。軍記物では『増鏡』が書かれた。中世文学の主な作品一覧 中世文学の主な作品一覧 1190年以前『山家集』西行/ 私家集 1197年『古来風躰抄』藤原俊成/ 歌論書 1201年以前『無名草子』/ 物語評論 1204年『長秋詠藻』藤原俊成/ 和歌 1205年『新古今和歌集』後鳥羽院勅令/ 藤原定家・源通具ら/ 勅撰和歌集 1209年『近代秀歌』藤原定家/ 歌論書 1212年『方丈記』鴨長明/ 随筆 1212年頃『無名抄』鴨長明/ 歌論書 1213年『金槐和歌集』源実朝/ 和歌 1215年以前『古事談』源顕兼/ 説話 1216年以前『発心集』鴨長明/ 説話       『保元物語』未詳/ 軍記物語       『平治物語』未詳/ 軍記物語       『平家物語』未詳/ 軍記物語 1220年『愚管抄』慈円/ 史論 1222年『閑居友』慶政/ 説話 1223年以前『海道記』未詳/ 紀行 1233年以前『建礼門院右京大夫集』建礼門院右京大夫/ 和歌 null1233年頃『拾遺愚草』藤原定家/ 和歌 1235年『新勅撰和歌集』後堀河天皇勅令/ 藤原定家/ 勅撰和歌集       『小倉百人一首』藤原定家/私選和歌集 1237年以前『正法眼蔵随聞記』道元の弟子の懐奘(えじょう)/ 仏教 1242年以後『宇治拾遺物語』未詳/ 説話 1252年『十訓抄』六波羅二臈左衛門入道/ 説話 1254年『古今著聞集』橘成季/ 説話 1271年『風葉和歌集』藤原為家 (?)/ 物語歌集 1278年以前『弁内侍日記』弁内侍/ 日記 1279年以前『うたたね』阿仏尼/ 日記 1279年頃『十六夜日記』阿仏尼/ 日記 1283年『沙石集』無住道暁/ 説話 1292年以後『中務内侍日記』伏見院中務内侍/ 日記 1306年以後『とはずがたり』後深草院二条/ 日記 1312年『玉葉和歌集』伏見院勅令/ 京極為兼/ 勅撰和歌集 1330年頃『徒然草』吉田兼好/ 随筆 1339年『神皇正統記』北畠親房/ 史論 1348年『風雅和歌集』光厳院勅令/ 勅撰和歌集     『太平記』未詳/ 軍記 1356年『莵玖波集』二条良基/ 准勅撰連歌撰集 1361年頃『曽我物語』未詳/ 1362年『河海抄』四辻善成/ 注釈 null1376年以前『増鏡』未詳/ 歴史 1381年『仙源抄』長慶天皇/ 注釈 1397年『珊瑚秘抄』四辻善成/ 注釈 1400年『風姿花伝』世阿弥/ 能 1411年頃『義経記』未詳/ 1430年『申楽談儀』観世元能/ 能 1463年『ささめごと』心敬/ 連歌 1467年『吾妻問答』宗祇/ 連歌 1472年『花鳥余情』一条兼良/ 注釈 1476年『竹林抄』宗祇/ 連歌 1488年『水無瀬三吟百韻』宗祇・肖柏・宗長/ 連歌 1495年『新撰莵玖波集』一条冬良・宗祇/ 准勅撰連歌撰集 1499年『種玉編次抄』宗祇/ 注釈 1504年 『弄花抄』三条西実隆/ 注釈 1518年『閑吟集』未詳/ 歌謡 1575年『孟津抄』九条稙通/ 注釈 1598年『岷江入楚』中院通勝/ 注釈 日本の近世文学史日本の近世文学史日本の近世文学史日本の近世文学史日本の近世文学史(にほんのきんせぶんがくし)では、江戸時代(近世)の日本文学の歴史を述べる。 概略 享保年間(1716年 - 1735年)を境目に大きく前後半に分けられる。 前期 [編集] お伽草子の流れを汲み仮名草子や井原西鶴らによる浮世草子がうまれた。16世紀に入って急速に成長した浄瑠璃の世界では、人形を加えた人形浄瑠璃用に近松門左衛門が戯曲を書き人気を博した。松永貞徳らにより栄えた俳諧は、後に松尾芭蕉が現れ表現として大成させた。後期 [編集] 後期には俳諧の与謝蕪村、小林一茶らが活躍した。上田秋成の『雨月物語』や曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』といった読本が書かれ、庶民向けの娯楽として赤本・青本などの草双紙が出版され、広く読まれた。人形浄瑠璃に押されていた歌舞伎は、鶴屋南北や河竹黙阿弥等の戯曲を得て、人気の回復に成功した。後期 [編集] 後期には俳諧の与謝蕪村、小林一茶らが活躍した。上田秋成の『雨月物語』や曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』といった読本が書かれ、庶民向けの娯楽として赤本・青本などの草双紙が出版され、広く読まれた。人形浄瑠璃に押されていた歌舞伎は、鶴屋南北や河竹黙阿弥等の戯曲を得て、人気の回復に成功した。文学の周辺 形骸化した歌学を批判する形で、儒教の一派の古学の影響を受けて国学が現れた。賀茂真淵、本居宣長らが活躍した。滑稽話の元祖として安楽庵策伝の『醒睡笑』が著され、さらに江戸と上方で現在の落語の原形となる話芸が流行する。三味線音楽など江戸期に特徴的な音曲が流行した。葛飾北斎らにより浮世絵が描かれ、町人に愛玩された。浮世絵は遠くフランスの印象派にも大きな影響を与えた。近世文学の主な作品一覧 近世文学の主な作品一覧 1623年頃『竹斎』富山道治/ 仮名草子 1623年『きのふはけふの物語』未詳/ 噺本 1623年『醒睡笑』安楽庵策伝/ 仮名草子・噺本 1633年『犬子集』松江重頼/ 俳諧 1639年頃『仁勢物語』未詳/ 仮名草子 1643年『新増犬筑波集』松永貞徳/ 俳諧 1649年『挙白集』木下長嘯子/ 和歌・和文 1662年『江戸名所記』浅井了意/ 地誌 1682年『好色一代男』井原西鶴/ 浮世草子 1685年『出世景清』近松門左衛門/ 浄瑠璃 1686年『好色五人女』井原西鶴/ 浮世草子 1686年『好色一代女』井原西鶴/ 浮世草子 1687年『男色大鑑』井原西鶴 /浮世草子 1687年『武道伝来記』井原西鶴/ 浮世草子 1688年『日本永代蔵』井原西鶴 /浮世草子 1690年『万葉代匠記』契沖/ 注釈 1692年『世間胸算用』井原西鶴/ 浮世草子 null1693年『西鶴置土産』井原西鶴 /浮世草子 1694年『すみだはら』野坡・利牛ら/ 俳諧 1696年『源注拾遺』契沖/ 注釈 1701年『けいせい色三味線』江島基磧/ 浮世草子 1702年『奥の細道』松尾芭蕉 /俳諧紀行 1703年『曾根崎心中』近松門左衛門/ 浄瑠璃 1703年『紫家七論』安藤為章/ 注釈 1704年『去来抄』向井去来/ 俳諧 1706年『本朝文選』五老井許六/ 俳諧 1709年『笈の小文』松尾芭蕉/ 俳諧 1711年『冥土の飛脚』近松門左衛門/ 浄瑠璃 1715年『国性爺合戦』近松門左衛門/ 浄瑠璃 1718年『独ごと』鬼貫/ 俳諧 1720年『心中天の網島』近松門左衛門/ 浄瑠璃 1721年『女殺油地獄』近松門左衛門/ 浄瑠璃 1725年以前『折たく柴の記』新井白石/ 伝記 1763年『源氏物語年紀考』『紫文要領』本居宣長/ 国学 null1770年『遊子方言』田舎老人多田爺 /洒落本 1776年『雨月物語』上田秋成/ 読本 1789年『玉くしげ』本居宣長/ 国学 1790年『古事記伝』本居宣長/ 国学 1795年『玉勝間』本居宣長/ 国学 1797年『新花摘』与謝蕪村/ 俳諧 1801年『父の終焉日記』小林一茶/ 俳諧 1802年『東海道中膝栗毛』十返舎一九/ 滑稽本 1809年『浮世風呂』式亭三馬/ 滑稽本 1812年『すみれ草』北村久備/ 注釈 1813年『浮世床』式亭三馬/ 滑稽本 1814年『南総里見八犬伝』曲亭馬琴/読本 1820年『おらが春』小林一茶/ 俳諧 1825年『東海道四谷怪談』鶴屋南北/ 歌舞伎狂言 1829年『偐紫田舎源氏』柳亭種彦 1837年『北越雪譜』鈴木牧之 1860年 (安政七年) 『三人吉三廓初買』河竹黙阿弥 /歌舞伎狂言 1863年 (文久三年) 『弁天娘女男白浪』河竹黙阿弥 /歌舞伎狂言 1854年『源氏物語評釈』萩原広道/ 注釈 日本の近現代文学史日本の近現代文学史日本の近現代文学史 日本の近現代文学史 日本の近現代文学史では、戦前(近代)と戦後(現代)における、日本文学の歴史を述べる。 明治維新後、西洋の思想や文化を取り入れる文明開化が推進され、文学にも大きな影響を与えた。言文一致運動もその一つである。言文一致の結果、日本語の書き言葉は、それまで日本文学において重きをおかれていた漢文の伝統から切り離され、明治中期には現代の日本語の書き言葉に直接連なる文体(「だ・である」調と、「です・ます」調)が確立した。文学という語自体、翻訳語として創り出されたものであり、この頃に現在一般に使われ私たちが考える文学という概念が生まれた。 第二次世界大戦の敗北の後、日本語の表記には現代仮名遣い・新字体化という改革が行われ、全国規模のメディアの発達によって、日本文学にさらに大きな変化がもたらされた。戦前の文学(近代文学) 戦前の文学(近代文学) 明治時代の文学 過渡期の文学と『小説神髄』 明治に入ってしばらくは江戸時代と同様の文芸活動が続いていた。1885年から1886年にかけて、坪内逍遥が日本で初めての近代小説論『小説神髄』を発表するまでの時期を「過渡期の文学」と称する。この期間の文学は、戯作文学、政治小説、翻訳文学の三つに分類される。 森有礼の呼びかけで発足した明六社は、啓蒙思想をもとに、明治という新社会においての実利主義的主張をした。これは大衆に広く受け入れられ、福澤諭吉『学問のすゝめ』、中村正直訳『西国立志編』、中江兆民訳『民約訳解』がよく読まれた。 戯作文学は、江戸時代後期の戯作の流れを受け継ぎつつ、文明開化後の新風俗を取り込み、人気を博した。仮名垣魯文は、文明開化や啓蒙思想家らに対して、これらを滑稽に描いた『西洋道中膝栗毛』(1870年)、『安愚楽鍋』(1871年)を発表した。null国会開設や、自由党、改進党の結成など、自由民権運動の高まりとともに明治10年代から政治小説が書かれるようになる。政治的な思想の主張、扇動、宣伝することを目的としているが、矢野竜渓の『経国美談』(1883年 - 1884年)、東海散士の『佳人之奇遇』といったベストセラーになった作品は、壮大な展開を持った構成に、多くの読者が惹きつけられた。坪内逍遥の『小説神髄』発表後は、その主張を受けて写実主義的要素が濃くなり、末広鉄腸の『雪中梅』はその代表的な作品である。 翻訳文学は、明治10年代になってさかんに西欧小説が移入され広まった。代表作は川島忠之助が翻訳したヴェルヌの『八十日間世界一周』(1878年 - 1880年)、坪内逍遥がシェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』を翻訳した『自由太刀余波鋭鋒』である。近代文学の始まりと写実・浪漫主義 近代文学の始まりと写実・浪漫主義 近代文学は西欧近代小説の理念の流入とともに始まり、坪内逍遥の『小説神髄』によって実質的に出発した。「小説の主脳は人情なり、世態風俗はこれに次ぐ」という主張に感銘を受け、二葉亭四迷が『小説総論』を書いた。これらの評論をもとに逍遥は『当世書生気質』(1885年 - 1886年)を書いたが、戯作の風情を多分に残していた。それらを克服して1887年 - 1889年に発表された四迷の『浮雲』は、最初の近代日本文学とされる。また、四迷は『あひゞき』『めぐりあひ』といったロシア文学の翻訳をし、大きな影響を与えた。 こうした写実主義的な近代リアリズム小説が充実し始める一方、政治における国粋主義的な雰囲気の高まりにともなって、井原西鶴や近松門左衛門らの古典文学への再評価が高まった。1885年、尾崎紅葉、山田美妙らが硯友社をつくり、「我楽多文庫」を発刊した。擬古典主義のもと、紅葉は『二人比丘尼色懺悔』『金色夜叉』を発表した。紅葉の女性的、写実的な作風に対して、男性的、浪漫的な作風で人気を博したのが幸田露伴である。『露団々』『風流仏』『五重塔』などの小説のほか、評論や古典の解釈など幅広く活躍した。露伴と紅葉が活躍した時期は「紅露時代」と呼ばれた。 森鴎外の登場によって、叙情的で芸術的な傾向をもつ浪漫主義文学が登場する。ドイツへの留学経験の題材にした『舞姫』(1890年)などによって、近代知識人の自我の覚醒を描いた。この頃、北村透谷を中心とした雑誌「文学界」には浪漫主義的な作品が発表された。樋口一葉は、代表作『たけくらべ』『にごりえ』で注目されるが、24歳の若さで結核に倒れた。『高野聖』を発表した泉鏡花は、『婦系図』『歌行燈』で幻想的な世界を描いた。null自然主義 明治の終わりになると、ゾラやモーパッサンといった作家の影響を受け、自然主義が起こった。ヨーロッパの自然主義は遺伝学などを取り入れ客観的な描写を行うものであったが、日本では現実を赤裸々に暴露するものと受け止められた。島崎藤村の『破戒』(1906年)に始まり、後に田山花袋の『蒲団』によって方向性が決定づけられた。花袋の小説は私小説の出発点ともされ、以後日本の小説の主流となった。自然主義作家としては、国木田独歩、徳田秋声、正宗白鳥らがおり、後に藤村も『家』『新生』、花袋も『田舎教師』を発表した。 この自然主義の流れに相対する形で存在していたのが、後述の反自然主義文学と呼ばれる潮流である。夏目漱石や鴎外、後には耽美派や白樺派が反自然主義に分類される。特に、漱石と鴎外は余裕派、高踏派と呼ばれる。当初写生文や俳句を著していた漱石は、『吾輩は猫である』を発表し文壇に登場した。『坊ちゃん』『草枕』などの作品で自然主義文学とは異なる作風を示し、前期三部作と呼ばれる『三四郎』『それから』『門』で文明を獲得した近代人の内面を描いた。修善寺の大患後に『こゝろ』『明暗』といった作品で、人間の利己を追い求め、分析した。また、鴎外も創作活動を再開、『青年』『雁』などを書いた後、歴史小説に転じた。 null明治時代の詩歌俳句および演劇 詩では、外山正一、矢田部良吉、井上哲次郎によって『新体詩抄』が刊行され、新体詩が盛んになる。 ドイツから帰国した森鴎外は翻訳詩集『於母影』を、北村透谷は『楚囚之詩』『蓬莱集』を出版した。透谷の「文學界」に参加していた藤村は『若菜集』を、藤村と並称された土井晩翠は、『天地有情』を刊行。これらは浪漫詩と呼ばれる。「文庫」では河井醉茗、横瀬夜雨、伊良子清白が活動した。 象徴詩では薄田泣菫、蒲原有明が活躍し、その後を受けて北原白秋、三木露風らが台頭。「白露の時代」と呼称された。また、上田敏は、訳詩集『海潮音』を発表し、影響を与えた。null浪漫主義のうち、短歌では与謝野鉄幹が「明星」を創刊、与謝野晶子は『みだれ髪』を発表した。この一派であった石川啄木、窪田空穂も活躍を見せたが、特に啄木は自然主義に転じ『一握の砂』と『悲しき玩具』を刊行した。また啄木同様に自然主義の影響下に、若山牧水の『別離』や土岐哀果の『NAKIWARAI』なども生まれた。 竹柏会を主催した佐佐木信綱は、「心の花」を創刊。正岡子規は『歌よみに与ふる書』を発表し根岸短歌会を開き、伊藤左千夫、長塚節らが参加した。北原白秋、吉井勇らはパンの会を起こし、耽美派に繋がる歌を読んだ。 俳句では、正岡子規や「ホトトギス」を中心に、高浜虚子、河東碧梧桐、内藤鳴雪らが輩出された。 また、演劇界にも自然主義の影響があり、逍遥、島村抱月らが文芸協会を立て、イプセンの『人形の家』の上演などを行った。文芸協会の解散後、抱月は松井須磨子らとともに芸術座を設置しL.トルストイの作品などを上演、『復活』が評判となった。このほか、小山内薫、2代目市川左團次により、自由劇場の活動が見られた。大正時代の文学 大正時代の文学 反自然主義の隆盛 自然主義が文壇の主流を占める中で、明治の終わりごろから夏目漱石や森鴎外といった反自然主義文学運動が起こった。 当初自然文学に傾倒していた永井荷風は、欧州から帰国後、『ふらんす物語』を発表。荷風に激賞された谷崎潤一郎は『刺青』や『痴人の愛』をなどを書き、後期浪漫主義とも呼ばれる耽美派が生まれた。これは「スバル」「三田文学」を中心に活動した。ほかに佐藤春夫、久保田万太郎に代表される。 これに対し、自由・民主主義の空気を背景に、「白樺」で活動した白樺派の人々は、人道主義を主張した。『お目出たき人』『友情』の武者小路実篤や、『和解』『城の崎にて』の志賀直哉、『或る女』の有島武郎、『多情仏心』の里見弴らである。 大正中期からは東京帝大系統の「新思潮」で活動する新思潮派が漱石や鴎外の影響の下に現れ、芥川龍之介や久米正雄らの活動があった。龍之介は『鼻』で登場し、古典に取材した数多くの短編などで大正文壇の寵児となった。一方、菊池寛や山本有三などの劇作家の活躍もあった。また新早稲田派とも呼ばれる広津和郎や葛西善蔵、宇野浩二らによって私小説が書かれた。null大衆小説の興隆 大衆小説は、明治期に尾崎紅葉の『金色夜叉』などの風俗小説が発展し、村上浪六、塚原渋柿園の髷物(撥鬢物)、押川春浪の冒険小説など通俗的な小説が書かれ、その先駆となった。 1913年に、中里介山は「大乗小説」と称する大作『大菩薩峠』の連載を開始。人間の業を描こうとした時代小説で、未完に終わったがその影響は大きく、大衆小説の出発点とされる。1925年に刊行された「キング」には当時の人気作家がこぞって執筆、特に吉川英治は高い人気を得、『鳴門秘帖』『宮本武蔵』などで国民作家の名を冠せられた。このほか講談や読本などが発展した時代小説では大佛次郎、白井喬二らが活躍した。 黒岩涙香の翻案小説などで紹介された探偵小説は、「新青年」に『二銭銅貨』でデビューした江戸川乱歩が数多く執筆し、多大な影響を与えた。このジャンルは甲賀三郎、横溝正史らのほか、江戸時代を舞台にした「捕物帳」と呼ばれる時代物が書かれた。null大正時代の詩歌俳句および演劇 口語詩が次第に完成されていき、室生犀星、佐藤春夫、山村暮鳥らがそれを高めた。とくに『道程』の高村光太郎、『月に吠える』『青猫』の萩原朔太郎は口語自由詩を確かなものにした。一方、堀口大學は翻訳詩『月下の一群』を発表、宮沢賢治は東北に根付き『春と修羅』のほか、数多くの童話を書いた。 短歌では、正岡子規の精神を受け継ぎ、「アララギ」を舞台とする写実的なアララギ派が主流となる。中心人物は伊藤左千夫や長塚節らで、左千夫の死後は島木赤彦が積極的に活動し、アララギ派の地位を向上させた。同派の斎藤茂吉(歌集に『赤光』がある)や土屋文明も著名である。 俳句は、新傾向俳句を創作した河東碧梧桐の門下荻原井泉水が、「層雲」を開き自由律俳句を確立させた。これには尾崎放哉、種田山頭火が参加。のち「層雲」を離れた碧梧桐は「海紅」を主宰し中塚一碧楼がこれを継いだ。ただし主流は、定型と季題を重視する高浜虚子らの「ホトトギス」であった。 自由劇場や芸術座の活動が演劇界に大きな影響を与え、戯曲の創作が盛んになった。岡本綺堂の『修善寺物語』、倉田百三の『出家とその弟子』、菊池寛の『父帰る』などの作品が発表された。 戦前昭和時代の文学 戦前昭和時代の文学 戦前昭和時代の文学状況 大正末期から、既成の文壇や個人主義リアリズムを批判して横光利一や川端康成らによる新感覚派がおこった。 また、政治状況を背景に1921年に小牧近江らによって雑誌「種蒔く人」が創刊され、次いでプロレタリア文学の潮流が生まれた。 大正期以来の大家達の活動と平行して新興芸術派倶楽部と呼ばれる人々のモダニズム文学が始められ、梶井基次郎、井伏鱒二らの作品が書かれた。 満州事変以降の軍国主義的な空気の中でプロレタリア文学運動が発展し、小林多喜二の『蟹工船』、徳永直(すなお)の『太陽のない街』、宮本百合子や葉山嘉樹、中野重治、佐多稲子、壺井栄の諸作品が生まれた。また、プロレタリア文学評論も活発となり、蔵原惟人、宮本顕治らの文芸評論が知識層に影響を与えたが、戦時体制の強化により弾圧を受け、逼塞を余儀なくされた。それに対して危機的な時局を背景に国粋的動向とともに保田與重郎ら日本浪曼派や蓮田善明らの文学活動が見られた。 昭和10年代の戦争を予感させた重苦しい時代には太宰治が『津軽』など傑作を発表したほか、日本や中国の古典に造詣の深い堀辰雄や中島敦らが作品を残した。一方、芥川賞や直木賞が制定され、文学がジャーナリズムの注目を浴びるようにもなった。『蒼氓』により第1回芥川賞を受賞した石川達三は、以後長く活躍した。この時期、石川淳や織田作之助らの活躍も目立った。null戦前昭和時代の詩歌俳句および演劇 これまでの詩の形式を否定していく事で新しい詩を生み出そうとする実験精神が、大正末期ごろより勃興した。シュルレアリスムに影響を受けた西脇順三郎、ダダイズムに影響を受けた高橋新吉、吉行エイスケ、アナーキズム詩から発展したプロレタリア文学の詩の分野では中野重治、壺井繁治、小野十三郎、萩原恭次郎らが活躍し、構成主義に至った。また安西冬衛、北川冬彦、三好達治らが新散文詩運動(短詩運動)を展開。この時期は、これら諸芸術運動や人道主義、農本主義など、多様な運動が相互に影響しつつ発展した。 このころ村野四郎、北園克衛などが、モダニスム運動の中で、このほか小熊秀雄、金子光晴、山之口貘、田中冬二などの詩人も活動した。null戦争の到来によるモダニスム運動の退潮により、詩の世界も変化する。堀辰雄らが主宰する雑誌「四季」では、立原道造、津村信夫、丸山薫ほか「四季派」の詩人達が抒情詩の牙城を築き、日本浪曼派からは伊東静雄が活躍した。そのほか、草野心平、中原中也などもユニークな足跡を残した。 この時代の代表的な詩集は三好達治の『測量船』、西脇順三郎の『Ambarvalia』、中原中也の『山羊の歌』、中野重治の『中野重治詩集』、高村光太郎の『智恵子抄』、歌集は島木赤彦の『柿蔭集』、会津八一の『六鳴集』、句集は水原秋桜子の『葛飾』、中村草田男の『長子』などである。 演劇では、岸田国士の『紙風船』、久保栄の『火山灰地』、田中千禾夫の『おふくろ』、さらにプロレタリア演劇の戯曲として村山知義の『暴力団記』が評価された。戦後の文学(現代文学) 戦後の文学(現代文学) 戦後昭和時代の文学 高度経済成長初期までの文学 敗戦後の文学は、太宰治、坂口安吾、石川淳など無頼派(新戯作派)の活躍から始まった。特に、太宰治の『斜陽』と坂口安吾の『堕落論』は戦後の人々の心をつかんだ。 プロレタリア文学の流れをくんだ中野重治や宮本百合子は、新日本文学会を創立して、民主主義文学運動をおこし、労働者の文学の力を発掘した。 雑誌「近代文学」の周辺から武田泰淳、埴谷雄高、野間宏、加藤周一らが現れたほか、三島由紀夫、安部公房、大岡昇平、井上靖らが旺盛な活動を見せた。三島由紀夫の『仮面の告白』、『金閣寺』、安部公房の『壁』、大岡昇平の『俘虜記』、『野火』などが注目を集めた。また、文壇の中心となった川端康成は『千羽鶴』、『山の音』を発表した。null戦後派のうち島尾敏雄や梅崎春生の傾向は、「第三の新人」と呼ばれる小島信夫、安岡章太郎、庄野潤三、遠藤周作、吉行淳之介、阿川弘之らに受け継がれた。第一次戦後派作家、第二次戦後派作家の次に現れたため、「第三次戦後派作家」という意味の「第三の新人」と呼ばれる。 第三の新人以降、1956年に石原慎太郎が『太陽の季節』で「戦後の最初の宣言」として文壇に華々しく登場し、芥川賞の存在が一躍有名になった。その後、大江健三郎、開高健、江藤淳などの有力な20代の新人が登場する。 戦後になると女性作家の活躍も目立つようになり、野上弥生子、宇野千代、林芙美子、佐多稲子、幸田文、円地文子、平林たい子、瀬戸内晴美、田辺聖子、有吉佐和子らが筆を揮った。null高度経済成長中期・末期 文壇の長老となった谷崎潤一郎が『鍵』、『瘋癲老人日記』を、川端康成は『眠れる美女』、『古都』を、井伏鱒二は『黒い雨』を発表し存在感を示した。現代文学の枢軸を担う安部公房は『砂の女』、『他人の顔』、『燃えつきた地図』を、大江健三郎は『個人的な体験』、『万延元年のフットボール』、『洪水はわが魂に及び』など代表作を発表した。1968年、川端康成がノーベル文学賞を受賞。その2年後の1970年には、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地において割腹自殺した。四部作『豊饒の海』最終部を脱稿した日の自決であった。 1967年、散逸した近代文学関係の資料を収集・保存するため、文壇・学界・マスコミ関係の有志によって、東京目黒・駒場公園内に「日本近代文学館」が財団法人の運営で開館した(初代理事長:高見順)。 戦後登場した作家たちが、長編に本領を発揮し始め、梅崎春生『幻化』、武田泰淳『富士』、大岡昇平『レイテ戦記』、福永武彦『死の島』、椎名麟三『懲役人の告発』、中村真一郎『頼山陽とその時代』、野間宏『青年の環』、堀田善衛『方丈記私記』などの作品がある。 1970年前後には三島由紀夫と川端康成のほかに、広津和郎、伊藤整、志賀直哉、高橋和巳らが他界した。そして、彼らに入れ替わるように「内向の世代」と呼ばれる、心理描写の深さを追求する作家たちが現れた。古井由吉、後藤明生、黒井千次、日野啓三らがその代表である。 null安定成長期 1970年代の半ばから団塊の世代の作家が次々に現れた。中上健次は戦後生まれとして初めて芥川賞を受賞した。彼は、出身地である紀州にこだわった紀州三部作『岬』(芥川賞受賞・1975年)、『枯木灘』(1976年-1977年)、『鳳仙花』(1979年)で土着的文学世界を築いた。太宰治の次女である津島佑子は『葎の母』、『寵児』などで高く評価され、1979年に『光の領分』により第1回野間文芸新人賞を受賞した。その後も、『水府』、『黙市』などの作品で評価された。村上龍が『限りなく透明に近いブルー』(1976年)で覚せい剤と乱交にあけくれる若者を描き芥川賞受賞し大いに注目された。以後、『コインロッカー・ベイビーズ』(1980年)などを発表した。村上龍とともに語られるのが、1979年に『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞してデビューした村上春樹である。『羊をめぐる冒険』(1982年)などのアメリカ文学の影響を受けた作風が支持された。『泥の河』(1977年)で宮本輝が登場し、『蛍川』(1977年)『道頓堀川』(1978年)を合わせた川三部作により戦後大阪の庶民の姿を描いた。 その間にも、安部公房は『箱男』(1973年)、『密会』(1977年)を、檀一雄は『火宅の人』(1975年)を、安岡章太郎は『流離譚』(1976年)を、吉行淳之介は『夕暮まで』(1978年)を、黒井千次は『群棲』(1981年-1984年)を、井上ひさしは『吉里吉里人』(1973年-1980年)を発表した。また、大江健三郎は『ピンチランナー調書』(1977年)、『同時代ゲーム』(1979年)の後、代表作の一つ『新しい人よ眼ざめよ』(1983年)を著した。 演劇の世界で活躍していたつかこうへいが『蒲田行進曲』(1981年)で直木賞を、同じく演劇人の唐十郎が『佐川君からの手紙』(1983年)で芥川賞を受賞し注目をあつめた。null安定成長後 1983年には『優しいサヨクのための嬉遊曲』で島田雅彦がデビューし、新しい世代の旗手として注目された。1988年、芥川賞に対抗する賞として三島由紀夫賞が設けられ、第1回受賞者に高橋源一郎が選ばれた。 1984年、『光り抱くともよ』で高樹のぶ子が芥川賞を受賞。その後、『鍋の中』(1987年)の村田喜代子、『由熙』(1988年)の李良枝など芥川賞を受賞した女性作家の活躍が見られた。デビュー作『ベッドタイムアイズ』(1985年)などで芥川賞にノミネートされた山田詠美は、『ソウルミュージックラバーズ・オンリー』(1987年)で直木賞を受賞した。1987年、『キッチン』で評論家吉本隆明の次女、吉本ばなながデビューして“ばなな現象”を起こした。『うたかた/サンクチュアリ』(1987年)、『TUGUMI』(1988年-1989年)等により孤独で現代的な登場人物をみずみずしい感性で描いた。 デビュー後、着実に独自の世界観を作り上げてきた村上春樹は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)、『ダンス・ダンス・ダンス』(1988年)などを発表。特に『ノルウェイの森』(1987年)は大ベストセラーになり、上下巻で460万部以上を売った。村上龍も『69 sixty nine』、『愛と幻想のファシズム』(ともに1987年)などで話題を呼んだ。また、宮本輝は『優駿』(1986年)で幅広い読者を得た。この時期、大江健三郎は、『M/Tと森のフシギの物語』(1986年)、『懐かしい年への手紙』(1987年)などを発表したが十分には読者を得られなかった。 戦後昭和時代の詩歌俳句および演劇 戦後昭和時代の詩歌俳句および演劇 戦前から活躍していた詩人の作品では、高村光太郎の『典型』、金子光晴の『落下傘』、西脇順三郎の『旅人かへらず』、釈迢空(折口信夫)の『古代感愛集』、高見順の『死の淵より』などが注目された。 また第二次世界大戦後、盛んになったのが現代詩である、各詩人によって、作風が大きく異なり、共通するものが少ない「分散性」が現代詩の一つの特徴だが、あえて共通要素をとりだすとしたら、私的性が強い事が挙げられる。詩誌「荒地」を中心に集まった詩人、鮎川信夫、田村隆一、吉本隆明、詩誌「櫂」を中心に集まった詩人、川崎洋、谷川俊太郎、大岡信、吉野弘のほか、石原吉郎、飯島耕一、黒田三郎、吉岡実、入沢康夫、天沢退二郎、吉増剛造、荒川洋治らが、また石垣りん、茨木のり子、伊藤比呂美ら女性詩人も活躍した。 短歌では、釈迢空、土屋文明、木俣修、宮柊二らが、俳句では、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男、加藤楸邨、西東三鬼、金子兜太らが活躍した。また、1987年に発表された俵万智の『サラダ記念日』は歌集としては異例の驚異的な売れ行きを示した。 演劇では、加藤道夫の『なよたけ』、木下順二の『夕鶴』などの名作が生まれた。また、小説・評論・詩などの分野で活躍した福田恒存、三島由紀夫、安部公房、寺山修司、井上ひさし、唐十郎らも戯曲に筆を揮った。また、不条理演劇の別役実が独自の存在感を示し、戦後生まれのつかこうへい、野田秀樹、鴻上尚史らも若い才能を示した。平成時代の文学 平成時代の文学 平成一桁時代の文学 小川洋子の『妊娠カレンダー』(1990年)、荻野アンナの『背負い水』(1991年)、多和田葉子の『犬婿入り』(1992年)と新しい女性作家の登場が目立った。多和田はドイツ語でも作品を発表し、日本語との間に新たな関係性を見出しつつ作品を発表し続ける。1981年に『極楽』で群像新人文学賞を受賞しデビューした笙野頼子が『タイムスリップ・コンビナート』(1994年)で芥川賞を受賞するなど、フェミニズムと文学の問題を考える作家が多様に現れた。 この時期、ベテラン勢も健筆ぶりを示し、井上靖『孔子』(1989年)、筒井康隆『文学部唯野教授』(1990年)、河野多恵子『みいら採り猟奇譚』(1990年)、開高健『珠玉』(1990年)、丸谷才一『女ざかり』(1992年)、遠藤周作『深い河』(1993年)などが話題となった。中上健次が『軽蔑』(1992年)を発表、彼の文学の系譜がいよいよ鮮やかになったが、同年死去。その前後に、大岡昇平、井上靖、安部公房、井伏鱒二、遠藤周作など世界的な作家が他界した。 1994年、大江健三郎が日本人として2人目となるノーベル文学賞を受賞した。村上春樹は三部からなる大作『ねじまき鳥クロニクル』(1992年~1995年)を発表しベストセラーとなった。また、村上龍は、『五分後の世界』(1994年)、『イン ザ・ミソスープ』(1997年)など旺盛に作品を発表した。 null平成10年代の文学 1990年代末から純文学の商業化が進み、J-POPという音楽に応じて雑誌『文藝』が町田康、星野智幸、吉田修一、阿部和重、藤沢周ら1990年代に登場した作家を広くJ文学と名付けた。ロック音楽など大衆文化との接点が強調され、渋谷系、新宿系など小説に町の名前を冠して売り出されたが、その名称は定着しなかった。 1998年、津島佑子は自身の文学的主題の集大成として『火の山-山猿記』を完成させた。1999年『日蝕』で芥川賞を受賞した平野啓一郎は、現代ではあまり使われない漢語を多用した擬古文体を使用し、京都大学の現役学生であった事からマスコミに多く登場した。『蛇を踏む』で芥川賞を受賞した川上弘美は、2001年『センセイの鞄』を発表し、広く受け入れられた。2002年に村上春樹の『海辺のカフカ』、2003年に阿部和重の『シンセミア』、2005年には村上龍の『半島を出よ』、町田康の『告白』といった大作が発表された。この時期、小川洋子は『博士の愛した数式』や『ミーナの行進』などで人気を博した。 2000年代に入ったあたりから文学賞の低年齢化が話題を呼び、2004年に最年少で第130回芥川賞を受賞した綿矢りさや金原ひとみなど、10代でデビューした若い作家の活躍がみられた。 平成20年代の文学 2009年、ノーベル文学賞の有力候補と報じられる村上春樹が『1Q84』を発表し、同年の文芸書の最多売り上げを記録した。null平成時代の詩歌俳句および演劇 昭和末期から、現代詩の読者の減少が著しくなった。そのような危機的な状況下で、谷川俊太郎、大岡信、入沢康夫、辻征夫、吉増剛造、荒川洋治、伊藤比呂美らが作品を発表し続けた。 短歌は、俵万智、枡野浩一、穂村弘らのライト感覚の口語短歌がマスメディアでたびたび脚光を浴びたが、短歌界は旧態依然とした文語和歌がいまだ主流で、短歌全体の盛り上がりにはあまり結びついていない。俳句は、有力な新しい才能が現れなくなり、文学の領域から消失しかねないほどに衰退した。 演劇では、井上ひさし、別役実、唐十郎、つかこうへい、野田秀樹、鴻上尚史らの活躍が目立った。宮藤官九郎など、平成に入ってから現れた才能も注目を集め、ジャンルを超えた活躍を見せている。大衆文学・エンターテイメント小説 大衆文学・エンターテイメント小説 芸術表現を重視するとされる「文学」(これを特に純文学ともいい、主に小説を指す)とは別に、娯楽を目的とする小説の流れも一貫して存在してきた。大衆小説(大衆文学)と言われる、商業的な小説がこれである。従来の講談や読本の流れをくむ時代小説や伝奇小説、欧米から導入された探偵小説や科学小説、また官能小説などのジャンルを含む。 第二次世界大戦までは、純文学と大衆小説は、比較的はっきり区分されていた。しかし、第二次世界大戦後は、中間小説と言われる、純文学の体裁に大衆小説の娯楽性を大幅に導入した小説が生まれた。現在は大衆小説家を名乗る作家は少なくなり、大衆小説にあたる小説は「エンターテイメント」などと呼ばれ、ミステリ、歴史小説、冒険小説(アクション小説と呼ばれることも)、恋愛小説、ファンタジー小説などのジャンルに細分化されている(それゆえ「ジャンル小説」の呼称がエンターテイメント小説の別名のように使われることもある)。また大衆小説自体も純文学に一貫して影響を与え続け、双方の作品を発表する作家、一方から他方へと移行する作家も多くなってきている。現在では純文学、大衆文学の境界はきわめてあいまいであるものの、「純文学」という枠組みは、商業性よりも芸術性・形式に重きを置いた小説として、今でも残っている。今のところ、実態としては純文学・大衆文学の区別はその作品の掲載誌によって行うことがもっとも一般的である。形式 形式 韻文 詩 - 自由詩 - 定型詩 - 散文詩 和歌 - 短歌 - 長歌 - 旋頭歌 - 仏足石歌 連歌 - 俳諧連歌 - 狂歌 - 俳諧(連句) 俳句 - 定型 - 自由律 川柳 - 狂句 短歌(近代短歌) 歌謡 - 記紀歌謡 - 今様 - 小唄 漢詩 散文 物語 - 古物語 - 作り物語 - 歌物語 - 擬古物語 - 軍記物語 説話 小説 - 私小説 - 戯作 戯曲 - 能 - 歌舞伎 - 文楽(人形浄瑠璃) 随筆 日記 紀行 伝記・自伝 - 往生伝 文芸評論 日本漢文 代表作品&作家代表作品&作家万葉集万葉集『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)とは7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集である。天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年(天平宝字3)以後とみられる。 日本文学における第一級の資料であることは勿論だが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにそのなかには詠み人の出身地も記録されていることから、方言学の資料としても非常に重要な資料である。 構成 全二十巻であるが、首尾一貫した編集ではなく、何巻かずつ編集されてあったものを寄せ集めて一つの歌集にしたと考えられている。 歌の数は四千五百余首から成るが、写本の異伝の本に基づく数え方があり、歌数も
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