元运动松记
39,活 元 運 動 オ ソ 松 記
おじゃま 「晴れのち曇り」は、晴れっぱなしの家人のハンドルネームである。
彼女のMIXIの日記に、「by辰源」の署名を入れて、時々おじゃまする。
今年,2009年,も1月の9日に「多動の人は、安静にして疲労を取ることが出来ない問題」をひっさげて、一度おじゃましている。
どうして、この問題をMIXIに持ち込んだのかというと、「晴れのち軍団」40数名の内、9割以上が多動の人だからである。勿論、多動の人達に「福音」を伝えたいという気持もあるのだが、それ以上に、話題を持ち込んだときの「反応の早さ」が、MIXIに持ち込んだ理由なのである。
持ち込んだ話題が、早急に話題とならなくなってしまい、長期にわたって検討を続けることが出来ないという欠陥はあるのだが、とりあえず複数の人の反応を知ることができるのは、僕の思考を維持していくうえで、時に重要な役割をする。とにかく、驚くべき素早さでポンポン書き込みが返ってくるのである。そして、パタリと止まる。
多動疲労
多動の人には、一般に「疲労感」というものが実感されないように見える。
「疲れたァ」
と言うとき、確認してみると、体のどこかに「痛み」を持っていることが多い。
「吐き気」や家の中で「体をぶつける」、平らな道で「蹴つまずく」、階段を上から下までドドドーンと「落っこちる」など、程度の問題としてではなく、突発する事件として「疲労」が自覚されている。女の人では、包丁で指を切ったり、皿やコップを割る。
多動の人は、間違いなく働き者で、8度ぐらいの「熱発」など、ものともしないで働く。6度8分あったら仕事にならない僕には、怪物にしか見えない。そういう僕のことを、家人はなまけ者と言うが、違うと反論することは出来ない。そういう家人が一度足を挫き、痛くてロクに歩けなくなったことがあった。それでも仕事の時は体育館を走りまわっていた。
「安静」にするのは、本当に、どうやっても動けなくなったときで、甚だしく重症にしてしまった後なのである。この「安静」は、大怪我をした野生動物が、穴の中でヒタスラじっとして回復させる姿に似て、飲みも食いもしないしトイレにも行かず、話しかけても
返事が返っては来ない。まるで石像にでもなってしまったかのような状態を取る。
「こりゃ、死ぬんじゃないか;」
と心配になるほどなのだが、一旦動き出すと即エンジン全開で、さっきまで重態だったのが嘘のようなのである。徐々に回復したりはしない。
「そこまで重症化する前に、休養することは出来ないものか,」
と考え始めて、15年余りが経過している。
安静にしてると悪くなる
同僚の西薗さんは、疲れてくると「腰が痛い」と言い出す。
数日前から「腰が痛い」と言っていた西薗さんが、飼い犬二匹を散歩に連れ出し、その二匹が突然別々の方角に走り出し、これをコントロールしようとして、余計腰を痛めたことがある。思わず僕が、
「駄目だヨ西薗さん、腰が痛いときに犬の散歩なんかしたら。とにかく安静にして、腰を治さなくっちゃ;」
と言ったら、
「辰源さん、安静になんかしてたら、イライラして余計腰が悪くなる」
という返答が返ってきて、僕を絶句させたことがある。
「安静なんか出来ない;」
ではないのである。
「安静にしていると、悪くなる」
という日本語なのである。
この時以来、「多動の人の休養法」は、僕の緊急課題となった。
家人や西薗さんには、とにかく言えば通じる部分がある。言葉の理解に大幅な制限のある重度の障害者達にも多動の人は多く、その人達も同じ問題を抱えているからである。
MIXI
年頭のMIXIに、僕はこの問題に対する回答を書きこんだ。
「休養とは寝ていることではない」
「心身を弛めて、普段通りに動いていることだ」
「絶対安静ということは、反って体に無理を強いることになる」
野口昭子「回想の野口晴哉」ちくま文庫2006年P231
問題は「心身を弛めて」で、これには練習が必要だと思う。
最低でも「多動のスイッチを入れずに、普段通りに動く」だなァ。特に「ネジレ」
のある「ゆっくり」した「寝返り」をしての睡眠が大切。
「休養」には「修練」がいる;
こんな書き込みをしたら、次々と反応があった。
僕の中枢問題は「弛める」にあったのだが、「『普段通り』が分からない」という重大な問題があった。確かに、この場合の「普段通り」は、動きに力みや加速が加わった状態ではないのだが、「晴れのち軍団」には「普段通り」,「多動」という人が多い。
「多動のスイッチが入る,普通モードから多動モードに切り替わる,」ことを自覚できない場合、困難をきわめると予想される。それでも、その時は自覚できなくても、あとで話し合っていると「あの時、あの刺激で多動のスイッチが入った」と気づいて報告してくれることがあり、これを繰り返せば自覚できるようになるかも知れない。
寝返りに関する反応も多かった。
「最近、寝返りを打つときに、『イテテテッ』と声を出していることが多い」
「疲れて寝たはずなのに、朝どっと疲れていた」
「朝起きると、からだが重い」
「スッキリ寝覚めたい;」
それにしても、「弛める」あるいは「普段通りに動く」とは、どういうことなのか。
弛める
「弛める」方法はいろいろある。
僕は本当に凝らないタチなのだが、それでも凝ることがある。その場合、僕の体は晩酌で一挙にゆるむ。だから、熟睡して朝スッキリ目覚める。百薬の長である。
僕は風呂嫌いなのだが、風呂好きの人は、入浴で暖まると、僕の晩酌ぐらいに弛む。長期にわたる温泉湯治などは、「心身を弛めて、普段通りに動く」ことで、休養がとれているのかも知れない。昔ながらの湯治場は、多動のスイッチが入るような刺激がほとんどない。
按摩さん、整体、均整、カイロプラクティック、エステ等々でも弛むのだろう。そういえば、僕はこれも嫌いである。
お灸や膏薬、アンプル、筋弛緩系の安定剤なども有効なのだろう。家人はデパスという薬を飲んで寝ると、朝スッキリ目覚めるという。それで、「晴れのち軍団」に紹介したところ、多動の人には、かなりの確率で効果があることが分かった。
例えば、「滝に打たれる」なども弛むかも知れない。冷たさと打撃で、滝に打たれている間は、体に力が入り、体が冷える。が、その後は、ポカポカ身体が暖まって、力が弛みそうである。
座禅を組んだり、太極拳やヨガをやるのも、プロの指導の下にやれば弛むだろう。「プロの指導の下」という条件を付けたのは、素人が勝手にやった場合、返って力んでしまう人が出てくると予想されるからである。
編み物をしたり、パソコンに向かったり、同じ動きのくり返しは凝りの素である。だから、いろいろな動きをすることや、普段日常生活ではしない動きをする、そういう運動も弛める効果がある。
次の引用は、弛みはいろいろなことで起こる。そして、弛むとどうなるか、ということが書かれている。
阿呆な話は「ピアノがうまくなった」ことで、これは皆さん、「肩の力が抜けた」と
おっしゃって下さる。半年間ピアノ練習をしてなかったんだから、どんなに腕が落ち
ているだろうとおそるおそる再開してみたら、リズムは正確になってるわ、タッチは
柔らかくなってるわ、肩の力は抜けてるわで皆さんに「入院したなんていってピアノ
合宿にいってたんじゃないの,」と疑われる始末で、まあ、たぶんそれは腕があがっ
たわけじゃなくて、「落ち着いた」のかもしれない。とにかく走りがち、早くなりがち、
リズムキープの難しい人だったのが、相当スローなものでもタイトにリズムをキープ
出来るようになった、というのが、これなんかえらくびっくりでしたね。
栗本薫「豹頭王の苦悩」ハヤカワ文庫2008年P312
栗本さんは、ガンで大手術をした。その手術から六ヶ月後にピアノを弾いてみたら、体が弛んでいるから、柔らかな音が出せ、ユックリした曲のテンポも守れるようになっていたという話である。だが、体を弛めるために手術するわけにはいかない。
もっと極端な例をあげる。殺し屋の話である。勿論、虚構である。
「日本人」が殺し屋で、「わたし」がその上司。「クロンカイトさん」は、殺しを依頼してきた会社の社員である。
仕事のうえで一ヶ月間すさまじい緊張を保ちつづけるためには、十ヶ月間のすさま
じい弛緩を必要とする。分かるでしょう、クロンカイトさん。わたしにはわたしの弛
緩の方法があるが、あの日本人のやりかたはああなんです。警護の行き届いた高級フ
ラットではやつは落ちつかない。薄汚ない下街で飲んだくれて暮し、鼻たれどもに殴
られ盗まれる。だが、殺されることはないとわかっているからなすがままにさせてお
くんです。それによって弛緩状態を楽しんでいるんだ。
船戸与一「神話の果て」講談社文庫1995年P21
日常生活の力み
多動の人は、動き続けるわけだが、同時に力んでいることが多い。
筆圧が強い。万年筆のペン先がすぐ広がって使えなくなる。鉛筆はBや2Bなどの濃いものを好むし、ボールペンは太字を好む。シャープペンの芯をしょっちゅう折る。筆圧と直接関係ないが、プリントアウトする際にも、太字で印刷する。細字は淋しい。
歩くときにしっかり踏みしめる。下駄の歯や靴底の減りが早い。屋内ではドンドン足音をたてる。特に階段は五月蠅いぐらいの音をたてる。足の裏が気の毒である。
歯ブラシも、箒や雑巾も、数日でボロボロになる。
ピアノやヴァイオリンを大音響で弾き、ピアノ線やヴァイオリンの弦が切れる。
頭に力を入れているから、頭痛が頻繁に起こる。鎮痛剤をボリボリ食べる。櫛でとかせない。
眉毛をあげるから、おでこのシワが深くなる。帽子がかぶれない。あるいは、ツバの位置が決まっている。
目を見張った形になるので、目の大きな人だと思われる。
ホホに力が入っているから、アンパンマンのようになる。始終笑顔で明るい人と思われる。弛むと面長、たれ目になる。
笑いっぱなしの人は、おなかに力が入りっぱなしになる。パンツのゴムが気になり、ベルトをしなくなる。
鼻の穴がまん丸になる。
鼻の下に力が入っているので、上唇がまくれあがった形になる。
食いしばるので、中年以降、奥歯がボロボロになる。顎関節がすり減ってしまう。歯ごたえのあるもの、硬いものを好んで食べる。
テニスをしたことがないのに、テニス肘になる。
ちょっとでも太ると、腰にさらに力が入り、中年と共に腰痛が持病になる。
ふくらはぎに力が入ると、ハイソックスを履きたくなくなる。
足の甲が力むと、スリッパやサンダルを避けるようになる。
耳殻や耳の穴に力が入ると、耳を触れない、耳クソをほじれない。
イビキをかいて眠っていても、全身力んでいる。寝返りも全身を鉛筆のように硬直させ、その場でクルッと高速寝返りをする。だから、右向きから左向きになっても、頭の位置が変わらない。もっと力んでくると、ジャンピング寝返りをする。右向きから左向きになるとき、全身が空中に浮く。もっと力んでくると、寝返りをしなくなる。眠っているときに枕を引き抜いても、頭が枕の厚さだけ浮いている。熟睡したまま、こむら返りをおこす。
いつも力を入れているからだろうが、とても暑がる。冬布団を掛けなくても力んで毛細血管に血を流さないから、体の表面は冷え切っていても寒くないし、夏はクーラーの温度を猛烈下げたうえに、扇風機の強風を体に当てて体を冷やす。夏にお茶やホットコーヒー、焼酎のお湯割りを呑んだりしない。冷たい飲み物を好む。
力を出すことを好む。庭のバラの鉢をしょっちゅう移動させたり、ガラスをぴかぴかに磨いては、筋肉痛を起こす。
活元運動の弛緩反応
これだけ力んで暮らしている人たちが弛んでくると、ものすごい反応が起きてくると覚悟しなくてはいけない。あらかじめ知っていないと、激烈な反応に驚いて、弛んだのではなく「具合が悪くなった」と思い、弛めるのを止めて、元の生活に戻ってしまうに違いない。
例えば、以下のような事が起こってくる。
初めはだるくなり、眠くなってくる。体中が妙に疲れたような感じになってくる。
けれども快い、どこかで快感がある。それを第一反応,弛緩期,といい、この弛緩状
態の時には、眠っても眠っても眠りたいし、実際いくらでも眠れる。食欲もなくなっ
てしまう。とにかく食べるのを忘れるくらいに眠くなるのがこの時期の特徴です。そ
ゆるして体全体がすっかり弛んで、風呂に入っているような感じがして、眠りたいような
快い気持になる。 野口晴哉「整体入門」ちくま文庫2002年P64
こういう状態になったときの過ごし方も書いてある。
ゆる 弛緩反応期は、ともかく弛めるということが最も大切となる。眠ければ眠る、だる
くなったら横になる、食べたくなければ食べない。とくに弛緩期から過敏期に移る時
には、体の下に何か水が通るような、ソワソワした、何となく寒い感じがする。その
時、反応の激しい人は強い寒気を感じます。そういう時には、なるべく静かにしてい
るのがよい。そして、体を冷やさないように、冷たい風にあたらないように、とくに
汗をかいて冷たい風にあたらないように注意する必要がある。その他、冷やすという
ことにはすべて警戒して避ける。この時期は体を休める時期と
心得
信息技术培训心得 下载关于七一讲话心得体会关于国企改革心得体会关于使用希沃白板的心得体会国培计划培训心得体会
る。これが弛緩期
きゅうしょを過ごす急処だ。,同書P66,7,
夏に汗をかき、その時に「冷たい風にあたらない」などということが、「晴れのち軍団」の面々に、果たして出来るだろうか,
野口整体
ゆきたいへきかつげん 「整体」とはいうが、「整体入門」を読んでいると、「愉気」「体癖」「活元」の三本柱で、別に体を引っぱったり、もんだり、叩いたりするわけではない。本を読んだだけでは、「愉気」も「体癖」もよく分からない。が、「活元運動」はわりと分かりよかった。
活元というのは「錐体外路系の運動」の運動のことで、簡単に言ってしまえば無意識の動きのことである。僕らの業界でいう、パーキンソン症候群とかチックやトゥーレットなどは、錐体外路系の運動の障害である。
普通の運動は、意図的に動かすわけだから、錐体路系の運動ということになる。
「活元運動」というのは、この錐体外路系の運動を誘導し、こまめにやることを意味する。これをヤルと、体が上手に反射的に動くので、怪我をしにくくなったり、体が丈夫になったりするという。
「愉気」「体癖」「活元運動のやり方」に興味のある方は、「整体入門」を読むか、どこか道場に通ってください。
そして、この「活元運動」をやっていく過程で、その初期に体の弛みが出て来る。それを説明しているのが、「活元運動の弛緩反応期」というわけであった。
オソ松記
「愉気」も色々やってみた。
「気」を送る方の能力の問題もあるが、受け手の感度,状態,も重要だということは分かった。同じ僕がやって、「気」を感じる人と全く感じない人がいた。また、相手によってどう変えればいいのかは書かれていない。「弛緩反応期」の記述の最後に、ポンと「なお、
ゆき弛緩期の愉気は長く行ってもよい」と書かれていたりする。
「体癖」も十二種類あり、例えば「頭の緊張の反応がすぐ体に表れて、直接胃袋が痛くなったり、下痢をしたりするのを二種体癖としました」,P89,といった具体的な説明が、かなり細々と書かれている。しかし、僕は自分がどの体癖に属すかを判定できなかった。
「活元運動」は、本に書いてあるとおりにやったら、出てきた。姿勢は正座である。
初めは、腰の回転運動が出てきて、毎日やるうち、次第に大きな動きになった。
次いで、両膝の開閉運動。肩の前後動、肘の屈伸、手首の内外旋などが、左右別々の動きで芋づる式に出てきた。
日曜の作業の日、僕は午後二時間、親達と無駄話をする。これが終わると、僕の脳味噌はボロ雑巾のようになる。ある日、その時間の後に、窃盗や放火の止まらない高校生と家人がさらに二時間ぐらい話をしたことがある。帰路、いつもは家人が運転する。が、この日は、僕が車を運転した方が事故の確率が低いだろうと予測された。その時、「疲れたときこそ活元運動をやった方がよい」と書かれていたのを思いだし、駐車場で家人を待っている間に「活元運動」をやってみた。ら、ボロ雑巾のようだった脳味噌は、霧が晴れたようにスッキリした。これには驚いた。
仰臥した姿勢でも、「活元運動」が出始めた。
右足は右腰を下げる方向に、間欠的な力が入る。つま先は前後動をする。
左足は内外旋をする。つま先は左右の振り子運動となる。
面白いから放っておいたら、止まらなくなった。家人は気持ち悪がって、通り過ぎる度に僕の足の動きを手で止めた。
止まらなくなっても、シーツ一枚足に掛ければ止まった。それでも動き出したが、掛け布団を掛ければ止まった。
それが、掛け布団の中でも動きだした。
余り動かせすぎたのだろう、左の股関節か痛み出した。
「痛み」が「活元運動」出現を妨げると同時に、僕の「活元運動」に対する熱意を冷ました。
「活元運動」が自閉症の人の「常同行動」と同じものになった。「活元運動」じゃなくて「錐体外路系の運動障害」に変質してしまった、と考えた。
「やっぱり、自閉症の人達の常同行動によるオーバーユースは止めねばならない」
という結論を出し、僕の「活元運動」は終了した。
過敏反応期と掑泄反応期
今回この原稿を書くにあたり、「整体入門」を読み直し、「活元運動」も二日やった。
初日、体が硬く固まってしまっていて、なかなか動かなかった。が、しばらく待っていると、動きというより「震動」といった方がいいような、小さくて激しい腰の前後動が短
時間出てきた。二回目は、尐し大きな動きが回転運動と共に出てきたが、翌日筋肉痛でだるくて仕方がなかった。もう尐し続けてみようと思っている。
本を読み直したら、弛緩反応期のあと、過敏反応期があり、その次に掑泄反応期があると書いてあった。書かれている内容は、「常同行動」とも「錐体外路系の運動障害」とも関係がなかった。
ところ その過敏反応期の冒頭に「体中にいろいろ痛い処が生じ」と書いてあった。
「過敏反応が出るまでは、すこぶる気分がいいので、有頂天になっていると、過敏反応がくる。まず痛みがあちこちに起こる。十年ぐらい前の打撲の痛みなどが再生されるのでガクンとくる」,P66,というのだが、僕のは、まさに「有頂天」の後の「ガクン」で、お粗末な話だったのだと判明した。
ところ 過敏反応期に入ると、体中にいろいろ痛い処が生じ、熱が出る。寒気がひどくなっ
た後で熱が出てくる。特別に寝たりしないで、起きて普通にしていて結構。熱が四十
度以上になっても、熱が出ているうちは心配ない。起きていて結構です。かえって寝
ていたりする方が経過は悪い。よく熱が出るとあわてて寝るが、それは間違い。熱の
出る前は体を休めて温めている必要がありますが、熱が出始めたら起きる、たぶん快
感があるはずです。つまりこの時期は、あまり不快を忍んで休んでいる必要はない。
こわばゆる 次は掑泄反応期、この時期は体の強張っているところがほうぼう弛んできて、掑泄
が行われる。弛緩期に弛むのは、体が柔らかく弛むだけだが、この時期のは、体の強
張りが弛むと同時に汗ばんでくる。色の変わった大便が出るとか、大量の下痢をする
というように、体中の掑泄機能が高まってくる。体を弛めると掑泄が早い。掑泄され
ると弛む。普通では弛まないところも、掑泄があると弛む。肩が凝るとか、首が硬い
とかいうものまですっかり弛む。過敏から掑泄に移ったときに発熱することがある。
熱をさげる工夫はいらない。,同書P67,
掑泄反応期というが、この時期になっても「すっかり弛む」で、弛緩反応が継続している。芯から弛み始めると「反応中は肌着は汚れるし、爪は伸びやすくなるし、ふけは多くなるし、傍へ行くと臭い」,P65,などと書かれているから、「弛む」ということが、相当なおおごと、体の状態の革命とでも言えるものだ、ということが分かる。
MIXIに載せた野口さんの「心身を弛めて、普段通りに動いていること」とサラリと書いてあることは、掑泄反応期を過ぎた後の話ということになる。
ここまで読んでくれば、僕が、
「『休養』には『修練』がいる;」
と書いた意味が、おぼろげに理解されるのではないか。
「修練」には、
「眠ければ眠る」
「だるくなったら横になる」
「食べたくなければ食べない」
寒気を感じたら「なるべく静かにしている」
などが含まれる。