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韵关愚见韵关愚见 「韻に關する愚見」  “平水韻”と“新韻”についての、,先生方のご高論、興味深く拜讀しております。  私も、中國における韻文史上の一事件件として、また、,『切韻』序によれば,『韻集』以來の傳統を有する韻書の歴史の一ページとして、“新韻”には常々關心を懷いてきた一人として、己の菲才も顧みず、愚見を述べさせて頂きたく存じます。  まず、結論から申し上げれば、“文言”で作るならば、“平水韻”を用いるのがよい、というのが、私の立場です。  その根據を、私は、“普遍性”に求め得ると考えます。  ここで、度々俎上に...

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韵关愚见 「韻に關する愚見」  “平水韻”と“新韻”についての、,先生方のご高論、興味深く拜讀しております。  私も、中國における韻文史上の一事件件として、また、,『切韻』序によれば,『韻集』以來の傳統を有する韻書の歴史の一ページとして、“新韻”には常々關心を懷いてきた一人として、己の菲才も顧みず、愚見を述べさせて頂きたく存じます。  まず、結論から申し上げれば、“文言”で作るならば、“平水韻”を用いるのがよい、というのが、私の立場です。  その根據を、私は、“普遍性”に求め得ると考えます。  ここで、度々俎上に上っております、“中國語”とは何か、考えてみましょう。 竊かに以謂いますに、“新韻”に關して兩先生のおっしゃる所の“中國語”とは、即ち北京語であり、 编编编编(1965)各種“新韻”,現在、私の手元にあって參照できるものは、中華書局上海所 編《韵新》中 编编编编编编编(1978:1989)(1997)華書局、上海古籍出版社 編《韵新》、李文 編著《韵典》河南省新店所載 编编编编编编编编编(2004)の〈中新韵〉、德馨 編著《中新韵》世出版集 大典出版社,はいずれも、飽くまで――韻目數は異なれ――北京語音を基準に編纂された、北京語の韻書ということができます。 然るに、周知のように一口に“中國語”とは言っても、中國語には、地域により、時に相互に意思疎通のできない程の方言差が、存在します。  具體例を擧げれば、北京語音では同音であり、從って“新韻”では同韻に屬する、「巴」と「八」,北京語 bā()nán音、拼音表記では,、「難かたし」と「男」,北京語音、拼音表記では,は、例えば廣東語音ではそ bā1bāt3nān4nām4(1991)れぞれ、と、と,廣東語音のローマ字表記は、千島英一『標準広東語同音字表』東方書店 參照,のように、異なった韻母で現れます。  このような現象は、中國語の方言のほかに、漢字圈に屬する,言語にも存在します。  「巴」と「八」のような、入聲かそうでないかは日本漢字音からも理解できますし、「難」と「男」について ??[nan][nam]は、朝鮮漢字音,難“”、男“”,に,そして恐らくは越南漢字音にも,區別が存在し ??[pha][phal]ます。,因みに、朝鮮漢字音では、「巴」は“”、「八」は“”。,,“新韻”には、入聲字の表示がなされているものもありますが、“入聲”として一括りにされているのみで、入聲内部での分類はなされておらず、入聲韻での作詩は不可能です。勿論、後で述べるように“北京語の韻文”としてならば、入聲など初めから存在しないので、そのようなものは不必要なのですが。臻攝と深攝、山攝と咸攝の區別は表示もなされておらず、“新韻”を參照する限り、區別は不可能です。,  從って、“新韻”に據って作詩した場合、たとい文法?語彙では文言を用いていても、韻律面においては結局のところ、“北京語の韻文”という範圍に留まってしまうわけです。よし、入聲の表示なども活用して、近體詩としての平仄は合わせられたとしても、漢字圈の他の言語を母語とする人閒には、押韻を“感じられない”という事態も、充分に發生し得ることです。勿論、北京語として解され北京語音で讀まれることが前提の北京語の韻文ならば、問題はありません。  扨、漢詩は,奇しくも、桐山人先生の「漢詩の定義」に關聯しますが,事實上、“文言”,文語、要は日本で所謂“漢文”,で作られます。,勿論、歴代の作品でも、意圖するとせざるとはしばらくおくとして、文法的?語彙的な面でその時々の口語の要素が現れることがあります。私事で恐縮ですが、私自身も、何らかの效果を狙う場合、或いは、現代的概念を詠む場合に、敢えて現代口語の語彙を用いることは、しばしばあります。,  この文言が、漢語の,方言の地域を含めた漢字圈の地域において受容される場合、基本的には各々の言語の漢字音で受容されます,嚴密には、文白異讀の問題がありますが、これも、しばらくおくこととし ましょう,。日本語では、所謂“訓讀”で、いわば“日本語に直して”讀みますが、音讀せよとなれば、普通は日本漢字音でしょう,また、漢文を音讀する例としては、宗派によっても差はありますが、佛典の讀誦を參照,。朝鮮語では、高麗時代頃までは、日本のような、漢文の語順を朝鮮語式に變えての“訓讀”も存在しましたが、朝鮮時代以降現在に至るまで、漢文は朝鮮漢字音で音讀されます,朝鮮語の語尾?助詞を、いわば日本の送り假名のように加えることも多く行われますが、語順まで變えることは、現在はありません,。越南語でも、やはり越南漢字音で讀まれるようです。私が韓國で購入した、胡志明の『獄中 ????????日記』の朝鮮語による譯註本,,アン?ギョンファン,譯、,チョミョン文化社,、2003,には、胡志明の漢詩の原文のほか、原文の越南漢字音表記、越南語譯が,勿論、朝鮮語の音讀の表記と、現代朝鮮語譯も,併記されています。  從って、漢字圈の地域においては、“文言”の詩である“漢詩”も、それぞれの地域の漢字音で受容され、鑑賞され、また、創作されてきたことになります。そして、創作の場においては、いわゆる“平水韻”を用いながら、その作品は、各々の言語圈内において韻律を“感じ”得るものであったことでしょう。また、必要とあれば、異なる言語を母語とする人士同士、詩の應酬を行い、互いに鑑賞にたえる作品を生み出すことが可能でありました。その理由としては、勿論、“文言”という言語が、中國をはじめ、朝鮮、琉球、越南、そして日本において、永く文語としての地位を占めてきた、ということが第一に擧げられまし !ょうが、詩の場合は更に、韻律の根據が、他ならぬ“平水韻”であったという要因が加わるのではな ????????????(2000)かと考えます。,なお、朝鮮に於ける韻書の使用については、『 』,姜信 ?(2000)沆『韓國の韻書』太學社,に「朝鮮時代禮部韻略,朝鮮時代の禮部韻略,」として、興味深い論考があります。, (2001) “平水韻”は、『廣韻』等の流れを引く切韻系韻書の一つです,董同龢『漢語音韻學』中華書局、pp.185?189、參照,。從って、“平水韻”に反映された漢字音は、日本や朝鮮の漢字音の祖先である、中古音ということになります。中古音はまた、漢語,方言の祖先か、或いは、祖先により近い音系と考えられます。  更に、『切韻』序に、 吳「…楚則時傷輕淺、趙燕則多傷重濁、秦隴則去聲爲入、梁,則平聲似去、又支?脂、魚?虞、共爲一韻、 编先?仙、尤?侯、倶論是切、…、江東取韻、與河北復殊、因論南北是非、古今通塞、欲更捃選精切、除削緩、…」 とあることから、『切韻』の音系そのものが、ある特定の方言のそれではなく、時閒的?空閒的なひろがりをもって存在する多樣な音系を網羅的に包括した性格のものであることがわかります,董同龢(2001:80?82)(1996;2000)、賴惟勤 著?水谷誠 編 『中国古典を読むために 中国語学史講義』大修館書 pp.213?228店、、參照,。『切韻』編纂の契機そのものが、漢字音の普遍化に對する志向であったということができましょう。  從って、『切韻』を簡略化した體系を有する“平水韻”によって作られた詩は、獨り北京語のみならず、『切韻』編纂當時の,方言の子孫たる、北京語を含めた現代漢語,方言、そして、漢字圈の樣々な言語の漢字音で、“韻を感じ得る”ものであるといえます。  「世界漢詩同好會」の盛行にも見られるように、言語圈?文化圈閒の接觸?交流が容易になった今日、情報化の時代に,個人的には時流に乘っかったような物言いは好みませんが,、嘗て漢字圈の共通文語であった“文言”とともに、その出發點から、普遍性の契機を内包する“平水韻”を、見直してみてはいかがでしょうか,
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