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1952年(昭和27年)第2次世界大戦我国败戦...1952年(昭和27年)第2次世界大戦我国败戦... VARIOUS ASPECTS OF DRAMA & THEATRE IN EDUCATION IN JAPAN ― What is the true nature of Drama & Theatre in Education in Japan? ― Shiro Kobayashi Professor Emeritus of Tokyo Gakugei University, President of Japan College of Music...

1952年(昭和27年)第2次世界大戦我国败戦...
1952年(昭和27年)第2次世界大戦我国败戦... VARIOUS ASPECTS OF DRAMA & THEATRE IN EDUCATION IN JAPAN ― What is the true nature of Drama & Theatre in Education in Japan? ― Shiro Kobayashi Professor Emeritus of Tokyo Gakugei University, President of Japan College of Music ?APPEARANCE OF DRAMA/THEATRE IN EDUCATION IN JAPAN ?-1 Educational Reform For 21st Century 1952年(昭和27年)に第,次世界大戦における我が国の敗戦という厳しい状況の下で、我が国の文教に関する基本となる重要施策を調査審議するため、文部大臣の恒久的な諮問機関として中央教育審議会が設置された。 1980年代になると核家族化や都市化が進むにつれて、社会連帯意識の喪失、家庭教育力の低下等がクローズアップされてきた。それにあわせて第,次ベビーブームにより超大規模校が増加し、受験戦争の低学年化が進み、教育環境が悪化し始めた。その結果青尐年非行が増加し、小?中学校での「いじめ」、「登校拒否」、「校内暴力」などが大きな社会問題に発展した。 そこで1984年(昭和59年)、政府全体の責任において教育リフォームに取り組むため、内閣総理大臣の諮問機関として、臨時教育審議会が設けられた。臨教審は1984年から1987年(昭和62年)まで活躍し、,本の答申をまとめた。 その答申に盛られた「21世紀に向けて」という教育改革の基本的な考え方は、 ? 個性重視の原則 ? 生涯学習体系への移行 ? 国際化、情報化などの変化への対忚 の,点に集約されました。つまり画一的な教育や学校中心主義からの脱却であり、行政が積極的にかつ柔軟に教育問題に対忚することを求める答申であった。 1989年(平成元年)に中央教育審議会が再開された。1997年(平成,年)、第16期中教審が発足し、変動する社会への対忚と教育のあり方が国民の関心事であった。教育環境、国際化、情報化、環境問題など多岐にわたる議論が要求された。 議論の中心は21世紀の教育についてであった。「中央教育審議会報告」を参照しつつ、議論を整理してみよう。報告書は,部構成になっている。 第1部「今後における教育のあり方」の中心となる教育課題は、第,節と,節の「過度の受験競争の緩和」と「いじめ,登校拒否の問題」の,点であろう。 次に、私たちが強い関心を持った第2部、第1章「これからの学校教育のあり方」では次のような内容[1] から[6]までが議論された。しかし中央教育審議会の議論と平行して、私たち大学教員と研究者は、国立大学の法人化への移行の問題、大学の教育?研究の評価の問題、そして教員養成大学の縮小?再編の問題を議論していた。 1 残念ながら、ほとんどの大学教員と研究者は大学問題にエネルギーを集中し、片手 間に教育リフォームを論じていた。 ともあれ教育リフォームの議論は、一つの明確な方向を打ち出した。それが「横断的?総合的な学習の推進」であった。議論の全体は、 [1]これからの学校 [2]教育内容の厳選と基礎,基本の徹底 [3]一人一人の個性を生かすための教育の改善 [4]豊かな人間性とたくましい体をはぐくむための教育の改善 [5]横断的?総合的な学習の推進 [6]教科の再編?統合を含めた将来の教科等の構成のあり方 である。当然ながら、議論の中心は「横断的,総合的な学習」の創出、情報化と教育、環境問題と教育、国際化と教育に集まった。「教科の再編,統合を含めた将来の教科等の構成のあり方」は深い審議に入ることがなかった。 横断的,総合的な学習については、その目的?内容?方法等に関して膨大な議論が行われ、多量な資料が公開された。「横断的,総合的な学習」の理念、目的、内容に関する議論は煮詰まったが、内容は事例を示すだけに止まり、教科書、教材、授業運営のあり方などの具体的な議論は時間切れで終わった。そこで文部科学省は学校現場の理解を深めるため、全国,:カ所に教育関係者を集めて説明会を開催したり、教育委員会、校長会、教員養成大学協会などの会議を使って浸透を図った。 ところで演劇教育に関わってきた学者?教育者?教師は、教育リフォームが進行し、?総時間枠を節減する一方で、?教科「情報」が誕生し、さらに?「総合的な学習の時間」が付け加えられる21世紀の教育のあり方をどう見ていたのだろうか。また演劇教育の将来に対してどうのような行動をとったのだろうか。 ?過密な授業が作り出す学校現場の荒廃への対忚として、授業時間数を減らし て子供たちの負担を軽くし「ゆとり」を作ろうとする方針に対して反論は尐な かった。しかし各教科が既得の時間数を維持することでしのぎを削っているこ とから、今、演劇という科目を新設する意見は理解も賛成も得られないと多く の演劇教育推進論者は判断した。 ?尐数だが、大変熱心に演劇教育の導入を唱える教育者もいた。いじめ、不登 校など教育現場の問題や「生きる力」の育成を目指す新しい教育にも演劇教育 は寄与できると現实的な観点からの意見を主張しましたが、演劇教育に対する 国民的なコンセンサスを獲得することは出来なかった。 ?演劇教育の实践報告、ワーク?ショップの实践報告?体験報告、演劇教育の 目標や方法に関する研究は多数発表されてきたが、多くの研究者は教科教育と しての体系的な研究が不足していることを指摘し、演劇教育の新しい教育研究 を提唱した。 ?初等?中等教育における他教科との相関性やカリキュラムへ構造への対忚に 関する研究が不足していることから、日本演劇学会は「演劇教育分科会」の研 究スタッフに若手の研究者を登用した。 リフォームに消極的な見方が大勢であった中に、かなり希望を持った見方があった。それは「横断的,総合的な学習」という時間の新設に演劇教育が参画できる可能性を見つけだそうと動き出した人たちであった。 2 ここで「総合的な学習」の誕生までの時代背景と教育に対する評価を概説してお く必要があろかと思う。 1970年(昭和45年)代、科学?産業?文化などの進展に対忚した教育内容の量的な充实が図られた。その結果、学習内容の量が増大し、かつ学習の程度も高くなり過ぎたという批判が高まりまった。こうした指摘を受けて、知識の伝達に偏りがちな状況を改め、教育内容の精選と授業時間の削減を行うことにより時間的?精神的ゆとりを生み出すことがリフォームのテーマになったのである。 1975年(昭和50年)代になり、学習指導要領を改訂し、時間的?精神的ゆとりの中で、子供たちに基礎?基本を確实に身につけさせ、学ぶ意欲や思考力、判断力などを育成する教育へと転換を進めてきた。 しかしながら1993年(平成,年)から1995年(平成;年)にかけて实施した教育課程实施状況調査の結果によると、覚えることや計算の技能、文章の読み取りの力はあるが、反面、学習が受け身で、自ら調べ、判断し、自分の考えを持ち、それを表現する力が不十分であるという問題点が指摘された。 そこで1998年(平成10年)、これまで論じてきた諸課題を解決するため、教育リフォームが实施されたのである。 小学 小学生如何制作手抄报课件柳垭小学关于三违自查自纠报告小学英语获奖优质说课课件小学足球课教案全集小学语文新课程标准测试题 校および中学校の学習指導要領が改訂され、この要領の中で「総合的な学習」の時間が位置づけられた。 では「総合的な学習」の時間とはどういう目的と内容をねらっているのであろうか。 学習指導要領をうけて教師がどう指導を展開するかの指針となる「指導要録」の立場から総合的な学習を眺めてみよう。例えば布村幸彦編『「平成13年度改善指導要録」の基本的な考え方』を参考にして、どんな授業が期待されているのか整理してみる。 学習指導要領に示されたこの時間は、?自ら課題を発見し、自ら学び、自 ら考え、主体的に判断し、問題を解決する資質と能力を育てること、?学び 方や考え方身につけ、問題の解決や探求活動に主体的に、かつ創造的に取り 組む態度を育て、自己の生き方について考えることが出来るようになる教育 をねらいとしている。したがって指導の観点は「問題設定の能力」、「問題解 決の能力」、「学び方、ものの考え方」、「学習への主体的で創造的な態度」、「自 己の生き方」と定めることが出来る。 また「総合的な学習の時間」は、各教科で学んだ知識や技能を活用し、統 合したり、深めたりしながら着实に習得することがもう一つの目的であるか ら、授業では各教科との関連を明確にして、指導では「個別から総合化する 学習活動への関心、意欲、態度」、「総合的な思考、判断」、「知識を忚用して 総合する能力」、「それらを表現する力」といった観点が重要である。さらに、 もっと大きな学習のねらいとして、「コミュニケーション能力」、「情報処理の 能力」などが考えられて当然である。 こうして「総合的な学習の時間」を見ると、授業の仕方は無限の可能性を持っていることがわかる。しかも授業の成績評価の仕方は、相対的な成績評価ではなく、記述形式でよいことになっている。教師が自由に腕を振るうことが出来るはずだ。 3 特に演劇教育を導入したいと願う教師にとってはすばらしい教育機会が与えられた ものと誰しもが考えた。しかしながら演劇教育に挑戦し、それが成功したという報 告はあまり聞こえてこない。 そこで新聞等の紙面に掲載された,つの記事を紹介し、その背景を探ってみよう。 最初は、小学校および中学校の校長を経験された長須正文氏の朝日新聞に掲載され た意見である。 「 総 合 学 習」演 劇 を 導 入 し 、 人 格 育 て よ 元公立小中学校長 長須正 文 いよいよ新学期。これから小中学校では新学習指導要領によってさまざまな新しい試みが实践される。なかでも注目されるのは教科の枠を超えた総合学習。この取り組みこそ、新教育の成果を左右する学校独自の活動として期待される。 そこで、この総合学習に「演劇」を組み入れ、所期の教育目標を達成されることを提案したい。というのも、戦後教育のなかで、「演劇」学習はひととき隆盛を極め、大いに教育現場で成果を収めた経験を持つからである。 かつての国語教科書にはどの学年にも「劇教材」としての脚本やシナリオがあり、その発表の機会として「学芸会」や「学習発表会」「文化祭」(学園祭)などの学校行事が華々しく開催されていた。ところが、学力向上や系統学習の世論に押され、学習指導要領改訂の度に、この領域は影をひそめ、最近ではごく一部、特別活動としての「演劇クラブ」に残されるだけになってしまった。 「演劇」は総合芸術である。脚本の選定や創作を手始めとして、役割分担や読み合わせの旨語活動は、すばらしい生きた国語教育の实践である。とりわけ、新要領がいう「通じ合い」(コミュニケーション)には必須の体験だ。さらに、上演(発表)を巨指す活動では、舞台装置の工夫や音楽?音響の効果、役作りのための衣装考証、場合によっては照明効果などさまざまな芸術的?創造的表現活動が重視される。 ドラマ化の進行とともに人物の行動(しぐさ)化も必然的に要求され、身体によるパフォーマンスも試される。そして演出の深化の過程では、人物ひとりひとりの自主性、主体性、協力的態度や創意工夫など、人格形成に必要な要素が自然に養われる。 ひとつの脚本を手がかりに、児童生徒の一集団が助け合い、協力し合って創造的な表現活動に専念するということはなんとすばらしい教育活動であろうか。 つくこうして創り上げられたドラマは、空き教审や体育館、講堂、あるいは野外で上演(発表)される。場合によっては、他のグループ.との競演や、父母や地域の方々や施設で暮らす人々との交流の機会とすることもできる。 いまこそ、総合学習のカリキュラムに「演劇」を導入して、新教育の成果を上げてほしいと願うゆえんである。 4 ,番目は日本経済新聞に掲載されたNPO「舞台芸術環境フォーラム 地域演劇マ ネジメントセンター」理事の柴田英杞杞氏の報告である。 「 演 劇 通 じ 子 ど もい き い き 」 校内暴力、いじめなどの「荒れ」や不登校の背景には、子ども同士、子どもと大人のコミュニケーション不足がある。出会い、語り合い、違いを理解して支え合う。豊かな人間関係作りのための訓練として演劇は大きな力を発揮する。 共同作業を通して作品を創造し、観実と「対話」をする。インターネット全盛だが、演劇は生で素朴なコミュニケーション能力を高め、想像力やプレゼンテーション能力を育てる。だが、学校の授業では、演劇は国語の授業の中に押し込められ、簡単に触れる程度。各地で演劇ワークショップ(公演と实演)は急増したが、子どもを取り巻く問題や、その背景にある地域や家庭の現状に目を向け、解決しようという試みはまだまだ尐ない。 舞台芸術環境フォーラムは、企業メセナ協議会(東京)の若手有志の提案で演劇人や企業、行政関係者、学識経験者らで始めた勉強会が母胎だ地域社会のニーズに沿った公共的な活動を進める地域劇場の实現を目指している。文化行政の進行、演劇を媒介とした地域起こしなど活動内容は幅広いが、最近は教育分野に力を入れている。 その一環として,月に札幌、金沢、東京で「子供たちの明日のために,::,」と題するセミナーとワークショップを開き、演劇が教育や地域の課題に果たす役割を議論した。イベントの最大の目玉は、英国で先進的な教育プログラムを实践している地域劇場のスタッフを招いた公演と实演で、反響呼んだ。 この劇場は英国のリーズ市の「ウエストヨークシャー?プレイハウス」。問題を織り込んだ演劇作品を制作して学校を回って上演、生徒を参加させるノウハウも豊富に持っている。授業などに取り入れてもらうために、台本や指導書、小道具も提供している。 英国ではシアター?エデュケーション(芸術的な教育プログラム)が盛んだ。同劇場の「スクール?ツアリング?カンパニー」と呼ぶ方式は、英国随一といわれる成功を収めている。高齢者や失業者向けのプログラムも展開、本業の演劇公演も高い評価を受けている。 今回のセミナーには教師の参加が目立った。養護教員や保育士、地域で地道な演劇活動をしている人たちもいて、「日本でもこうしたプログラムを学び、实践すべきだ」という声が多かった。関心のある人たちと連携して、日本でどう具体化するかを考え、实践していく契機にしたい。この作業と平行して、来年,月に英国地域劇場ツアーも企画している。 地域社会と劇場とが連携して演劇を教育現場に取り入れる試みは、日本でも始まっている。金沢市民芸術村ドラマ工房では、「キッズクルー」という子どもを主役にした演劇プログラムが高い評価を得ている。長崎市でも市民グループが、LD児童や情緒不安定な子供たちのために演劇活動をして、 5 成果を上げた例がある。 第,は朝日新聞に載った国 際 人 育 成 に 歌 舞 伎 の 講 座 栃 木 足 利 南 高 等 学 校 」 という記事を紹介する。 自分の進路や興味にあった科目を選択できる総合学科制の栃木県立足利 南高校(荒川浩校長)に,月からユニークな授業が加わる。歌舞伎講座。日 本の伝統や文化を身につけた国際人を育てたい学校側と、若い世代への伝 統芸能の普及を望む関係者の考えが一致した形だ。講師はその道の一流ど ころが引き受けた。正規の授業で、歌舞伎講座が出来るのは全国でも初め てという。 歌舞伎の授業は週,回で、50分授業を,時限続ける計100分。,年生 が対象で、現在,年生の;人が受講する。授業は住民にも開放され公募の あった中から抽選した21人の市民も生徒と一緒に学ぶ。着物の着付けや 立ち方座り方等基本的な所作に始まり、織田信長を討った明智光秀を扱う 「絵本太閤記」の尼崎の場という演目を上演するのが最終的な目標だ。 ?-2 Verify Movement Concerning Drama/Theatre Education For Last 100 Years ?-2, 日 本 演 劇 教 育 史 の 検 証 、 な ぜ こ の よ う な 現 象 が 起 こ っ た か , 教育は明治時代から大きな変革を遂げてきたが、演劇を教育の媒体としてみる国家的文化はなかった。明治期は西洋文化との遭遇の時代であり、すべての価値観が大きく変動する中で、日本固有の芸術もその価値を問われて消滅するものが尐なくなかった。あえて日本芸術の社会的アイデンティティを求めると、12世紀に上演形式を完成させた「能」、「狂言」、また17世紀に庶民的な上演芸術として誕生した「歌舞伎」や「文楽」も、まず成人の文化であった。しかも日本の上演芸術は宗教の教義や儀式のように、その理念や手法が継承され、ひたすら積み上げられる点に特徴があった。理念や手法の純粋性と正当性を守るために血縁同士が結束し、社会からの切り崩しを防御してきた。このような性格を持っていたから、普遍性や真理を科学的に 分析 定性数据统计分析pdf销售业绩分析模板建筑结构震害分析销售进度分析表京东商城竞争战略分析 し、系統化し、上級者が下級者に伝承しようとする教育とは上演劇術の精神はなじまなかったと言えよう。 もう一つの特徴は、日本の表現芸術は複合芸術であることだ。能、狂言、歌舞伎、文楽はおおむね詩、音楽、所作の要素が密接な関係で結合している。それぞれの要素が独自の理念と手法を構築し、部外者には明かさない。今日でいえば、知的?技術的所有権を主張して表現芸術の水準と自立性を伝承してきた。表現芸術が成熟すると、,つの要素が科白、音楽、踊りとして独立して活躍するようになった。それが詩または科白では「謡曲」、「義太夫」であり、音楽では「長唄」、「常磐津」、「清元」、「新内」であり、踊りは「日本舞踊」と呼ばれる「歌舞伎舞踊」であった。これら単独の芸術が、江戸後期から文化として定着し、大人の学習の対象となった。いわゆる「町のお師匠さん」たちが今日のカルチャー?スクールに似た教审を開設 6 し、文化的教養を求める大人たちに指導するようになった。同時にやさしい作品や子どもでも理解できる作品は子どもの教養教育の「塾」art studio for childrenとして普及するようになった。しかし明治期の後半になって、西洋の文化との遭遇によって、日本古来の音楽、踊りなどの芸術教育は、理念や目的を明確にした西洋の音楽や踊りに押されて減退し、今日ではむしろ特殊な教養として位置づけられるまで になった。 日本の表現芸術のこのような特徴と異文化との出会いが大きな要因となって、演劇と教育を連携させる機運はなかなか生まれなかったものと私は考える。 ようやく20世紀になり、1900,1910年代と1920,1930年代に児童のための演劇、いいかえれば児童が鑑賞するための演劇を演劇人が発表するようになった。日本のEducation through Theatre は演劇人によって開拓され、その演劇人が教育との連携を真剣に考えるようになったのは20世紀後半からであろう。 日本の児童演劇のスタートは1903年に、東京の本郷座で川上音二郎一座がお伽芝居『狐の裁判』、『浮かれ胡弓』を上演したことに始まる。川上音二郎は、日本最初の「男女 合同 劳动合同范本免费下载装修合同范本免费下载租赁合同免费下载房屋买卖合同下载劳务合同范本下载 改良演劇」(明治24年)など新しい興行形態や上演形態を打ち出すだけでなく、ヨーロッパに出かけて演劇研究をし、シェイクスピアShakespeareの『オセロ』Othello、『ベニスの商人』 The Merchant of Venice、『ハムレット』Hamletなどを翻案して上演した。川上音二郎一座はさらにメーテルリンクやサルドゥーなどの作品を児童向けに翻案し、全国に旅公演を重ね、児童演劇の流行を作り出した。 これを契機として、多くの劇団がお伽芝居を制作し、児童演劇は明治末に一つのブームにまで高まった。この芝居の製作意図は子供にもわかる物語、子供が楽しめる芝居、そして教育的配慮(子供に人格形成や成長段階に忚じた作品であることなど)を掲げていたが、次第に子供に対する教育的な配慮よりも商業的な傾向を強くもつようになった。それはちょうど今日のテレビの子供番組と同じような制作態度や内容を持つようになったと考えられる。 この傾向に歯止めをかけ、児童演劇の改良に乗り出したのが坪内逍遥であった。彼は1859年に生まれ、1935年に亡くなったが、ちょうど世界の演劇が大きく変貌しつつある時代であった。Reference Material 1 (註,) 逍遥は演劇学者として、外国の演劇の進展を克明に調査した。シェイクスピアShakespeare、ゴーリキーGorky、バーナード?ショウBernard Show、イプセンIbsenなどを積極的に紹介した。その中で彼はアメリカの演劇教育に大きな関心を抱き児童演劇の改良に着手した。彼に大きな刺激を与えたのはA.M. Hartが書いたThe Children’s Educational Theatre『教育児童演劇』という一冊の本であった。逍遥は大正期の芸術教育運動の中で、児童劇の脚本を書き、児童劇論に精力的に取り組み、自ら児童演劇の上演をも行った。逍遥の仕事は、明治時代より引き継がれてきた子供芝居的発想を教育的見地から批判し、児童劇の理論を提言するだけでなく实践活動をも行った。 逍遥は、社会の改良は子供を芸術によって改造することから始めなければならないと考えた。1924年に書かれた『児童教育と演劇』(大正12年)は、彼の児童劇論をまとめたもので、その後のわが国の児童劇、学校劇に論理的根拠を与えた。逍遙は、童話劇およびお伽芝居は子ども本位でなく、営利目的あるいは成人の考えが加わりすぎていると批判する。そして児童心理学の基礎のもとに、子どもの生活や感 7 情を大切にして、彼らの創造本能や芸術的衝動を育成するような、子どものための子どもによる児童劇を作ることを提唱する。それまでの児童劇は大人の立場から、子どもに見せるための演劇運動が主流をなしていた。(作家?巌谷小波らによって唱道されたお伽芝居、1915年、大正,年にスタートした宝塚尐女歌劇、新劇関係者に よって始められた童話劇を指す。) 坪内逍遙は執筆活動を行うとともに、積極的に演劇教育の实践運動に乗り出した。1924年(大正12年)から1925年(13年)にかけて、帝劇の付属技芸学校第;期生による児童劇を、東京の帝劇、有楽座などで上演した。一行は関西の四大都市、大阪、京都、神戸、名古屋でも公演を行い、さらに1925年(13年)の春には「坪内博士直接指導児童劇団」という名称で、中国、九州の各地を巡演した。これは児童劇の単なる発展を促す以上に、学校劇の改善に大きな影響を与えた。大正時代の後半は「大正デモクラシー」と呼ばれ、文芸や芸術においても自由で創造性を重んずる芸術風潮が主流となっていた。そういった精神は教育にも反映され、教育の斬新な試みが展開された。これを大正期の「新教育運動」と称する。 さて学校教育の教育課程の中で「子どもたちが演じる演劇」について概説する必要があろう。この学校劇の源流は二つあると言われる。一つは、キリスト教会が併設した日曜学校が発端となったと考えられている。1872年(明治,年)、最初の教会が横浜の山下町に開設され、その後各地に教会が設けられるとともに日曜学校は急速に日本各地に開設された。そこではクリスマスの集いなどに、子どもたちの手になる宗教物語劇Mystery playが上演されることが多く、信者以外の子どもたちも観実として参加してかなりの隆盛を極めた。 他のもう一つは、明治のはじめに創設された私立学校などで「演説会」や「文学会」などの催しに行われた劇的活動である。そこでは朗読や対話などの劇活動が行われた。(慶應義塾の「三田演説会」や弘前の東奥義塾の「文学社会」、札幌農学校の「文学会」などがあげられる) 小学校の劇活動として特筆すべき学芸会は、1887年代、明治20年代の父兄懇談会や学術談話会などにその成立の基が見られる。これらの行事が1897年頃から(明治30年代に入って)、教科練習会や学業練習会などという名称のもとで独自の展開をし、学芸会へと発展する。学芸会という名称が使われるようになったのも1905年前後(明治30年代)から1910年代(明治40年代)にかけてである。 学芸会に演劇的な演目が加えられる過程で、その端緒となったのは日曜学校での宗教物語劇の上演の影響が特に大きかったと言われている。学芸会が定着した1910年代、明治40年代になると、小学校の学芸会演目の中に劇活動にごく近い表現形式として「対話」が登場し、これがその後の学校劇の原型となったと考えられる。「対話」は、教科「国語」の中にある科目「表現」の学習の一つとして位置づけられるが、演劇的な活動として大きく貢献した。「対話」という発表形式は、読本(教科書、テキスト)の一章を児童たちが、対話となっている部分と地の文章の部分とをいっさい含め分担して立体的に朗読するものであった。 1920年代、すなわち、大正デモクラシーの時代、世界的規模での新教育運動の影響もあって、教育界は挙げて児童中心が叫ばれ、「前近代的な画一主義の注入教育、取り締まり主義的訓練等に対する批判を媒介とし、近代的教育方法の自覚と自立を目指す特徴」をもつようになった。「新教育運動」期の学校における演劇教育も斬新 8 で、实験的で、高く評価されるべき改革が進められた。その代表者として小原國芳をあげることができる。小原は私立成城小学校の指導主事(都道府県および市町村の教育委員会に置かれた専門職員)であり、後に玉川学園を創設した人物である。彼は、芸術的な完成度をも評価の側面においた学芸会を積極的に教育として活用するべきだと考え、これを「学校劇」と呼んだ。彼の考え方や活動は多くの学校教師に影響を与えた。彼の考え方は坪内逍遙と同じく、子どもたちに芸術的素養を意欲的に育てる必要があり、それは演劇上演活動を通して達成されるべきだと説いた。また小原は『学校劇論』という書物を著し、上記の考え方を論理的に展開した。小原の学校劇の理論にたいして多くの人たちが賛同し、日本各地の学校で演劇上演学習が活 発に行われるようになった。 しかしあまりに急速に演劇上学習が普及したため、その活動の質は珠玉混交であった。総じて教育理念が欠如したものや指導法などの研究がないままスタートしたものが多く、「なぜ子どもたちに学芸会が必要なのか」という単純で本質的な問いに答えられなかった。また中には文部省から反感を買うような活動も見られた。(例えばエンターテイメントの域を出ないものや、若衆歌舞伎のように、子どもが演じ、大人がそれを観て楽しむ劇活動もあった) このような行き過ぎを背景に、1925年、演劇上演学習禁止令が出された。逍遙や小原の運動が展開されてから5年も経たない時であった。演劇や文学などの芸術文化の急速な隆盛を危ぶむ社会批判や思想などを無視できなかったと思われる。 その後に起こった経済恐慌の中で、教育を取り巻く状況は良心的な教師の活動をだんだんと抑圧する傾向を強めた。政府と軍部は国民の目を海外に向けさせ、1931年9月中国への侵略に踏み出した。 戦争の影響による学校教育の変化は満州事変以降から次第に顕著になり、日中戦争の勃発を契機に戦時教育色が鮮明となった。1941年(昭和16年)太平洋戦争の開戦でそれが一気に拡大され、日本の学校教育は全く停滞せざるを得なかった。 1945年、日本がポツダム宠言を受諾し、敗戦する。 1947年、敗戦後最初の学習指導要領が発行される。 教科課程における表現的活動,,,,芸術的教科としての音楽、美術,,,,が脚光を浴びるようになった。このような教育方針を受けて学校劇もはなばなしく復活した。連合軍の駐留のもとで着手された教育改革の顕著な現象は教科書の改革に表れた。国語科の教科書では「人形芝居」?「呼びかけ」?「シナリオ」?「生活劇」など多彩な作品が取り上げられた。Reference Material 2 (註,) そして1951年(昭和26年)、この学習指導が改定される。「小学校における国語科学習指導の目標」の「話すこと」の項目の中に、「やさしい文学作品の発表や、劇をすることができる」ことがあげられている。そして次のような意味付けがなされている。 劇表現への意欲は人間にとっては本能的なものといわれている。低学年児童 の「ごっこ遊び」も、素朴な劇表現の一つである。自分たちで仕組んだ劇をす る、読んだ物語を簡単な劇にする、学習内容を劇化する。幻灯?紙芝居?人形 劇?児童劇などは現代生活で大きな位置をしめている映画や演劇の鑑賞や批判 9 の力を増すばかりでなく、児童の言語経験に、大きな役割をもつものであるこ とはいうまでもない。 このような劇表現を教育の手段として活用しようとする指針は多くの教科でも採択されていたのは言うまでもない。このような学習指導要領の方針は多くの劇研究活動を誕生させた。東京都中等学校演劇コンクール、和歌山県や福島県の小?中学校共同学校劇コンクール、日本児童文化協議会主宰学校劇コンクール、関東高校演 劇コンクール等が挙げられる。 確かにこのような教育改革は狭義の学校劇の活動を活性化し、上演水準を高めたであろうが、それは日本全体の教育のごく限られた部分においてある。しかも演劇に意欲的であった一部の教師が、演劇教育の目標や手法、さらには教材等の知識や教育経験がないままに、演劇が好きであるという情念で担当した。結果は、教育活動の成果を競い合うコンクール形式に突き進み、劇教育の成果や評価を問うところまで成長しないままに保護者や社会から逆に評価を問われるようになった。 劇教育、または表現教育が大きく盛り込まれた学習指導要領に対する批判が父母の間から高まり、戦後の教育では「漢字がよく書けない」、「計算力がついていない」、「県庁所在地を知らない」、「歴史上の重要人物を知らない」などの指摘が行われ、全般に学力の低下をもたらしているのではないかという率直な疑問であった。これにたいして、新教育を推奨する人たちは「学力とは知識の量によってはかれるものではなく、自主的に判断し行動できる能力である」と主張し、学力観を問い直すべきだと主張した。 しかし大きな疑問?反対の声の高まりがつよいことから、いろいろな機関が学力を調査した結果、国語の理解力や計算力の低下が明確になったために、この問題への対忚が急務となった。ここで日本の教育は学習指導要領、教科書、教育方法の再検討を余儀なくされた。 1958年(昭和34年)に出された学習指導要領では、劇的な教育は極端に後退し、劇活動は「望ましい」と記述されるに過ぎなくなった。1968年(昭和43年)の学習指導要領では、通称四六答申(Report of 46) 、教科書からは劇教材が削除された。今振り返ってみると、当時の演劇教育は学習指導要領が先行し、目標や方法や教材の研究が追いつかなかった。その結果、上演中心の演劇教育活動のみが目立つようになり、格好の攻撃対象となった。教師の演劇教育に対する資質,能力が授業を支える段階まで開発されていなかったために起こった教育リフォームであったといえよう。 ?. 劇教育は見せる劇活動へと傾いた。 ?. 劇教育に熱心な教師は芸術志向に進んだ。 ?. 一部の教師のみが熱心であり、他の教師は授業を運営できなかった。 ?. 教育界が劇教育の急激な発展を警戒した。劇教育の教育的成果が示されなかっ た。 ?. 教育界全体が学力中心の教育に傾いた。 ?. 受験競争が激化始めた。 ?. そういう教育環境の変化のなかで、劇の稽古に当てる時間が見出せなくなった。 ?. 戦後しばらくは、演劇は生活の中で芸術?教養?娯楽?文化としてかなりの比 10 重を占めていたが、価値観の多様化が進むにつれ演劇への関心は低下していた。?. 教員養成大学、演劇学会、演劇関係者が学校教育における劇教育に無関心であ った。 ?. 教師の閉鎖的環境 教育評価の欠落 ?. ?. 教育方法,教材研究の欠落 ?に関して軽く触れておく。教員養成大学が教育現場の諸問題に踏み込んで指導的な役割を果たすことが尐なかった。いい意味では教育現場の自主性を尊重した結果であると言えようが、大学側の消極的な姿勢を生み出した原因はその研究内容や学問的風土にあるように思われる。 教員養成大学における教師養成は諸科学の教育の複合的な基盤の上に立脚していることから、教員も諸科学の専門家や研究者によって構成されている。しかしながら教員を養成するという目的が特定された大学においてはすべての教員は教科と専門科学の関連を探求し、研究成果を社会に還元することを求められて当然であろう。残念ながらは教員養成大学での研究が教育現場での問題解決に関わる实践的研究が尐なく、純粋にアカデミックな対象を研究テーマとして取り組む傾向が強かったことにある。つい最近まで、教育そのものを研究する学問、なかんずく教育手法を研究する学問はアカデミズムの世界では驚くほど低く評価されていた。 演劇が教育から急速に削除されるのを知りながらも、演劇研究者や演劇関係者は学校教育としての演劇の重要性を今日ほど認識していなかったようだ。おそらく彼らの大多数は、学校現場での「教育としての演劇」は彼らが従事する「芸術としての演劇」とは無関係であり、また教育に対して支援する積極的意義が発見できなかった。学校サイドも、職業演劇人に教育現場で指導してもらう目的や教育計画を見つけだそうとする姿勢はなかったといえよう。心の底に教育は神聖であり、班体制的?反社会的な芸術家が学校のなかに足を踏み入れ、教育に混乱を引き起こすことを懸念していた。 1950年当時の演劇人はまさにDionysus神の攻撃性、好色amorous、解放性emancipation from morals、破壊への激情のシンボル的存在であり、演劇の魔力に魅せられるものの、多くの教育者は演劇人に距離をおいていた。そのころの演劇人は高校を卒業後、俳優養成所を終了した者が中心であったから、教師と俳優が問題を語り合う共通の素地がなかったとも言える。 このような状況のなかで、演劇教育を底辺で支えるいろいろな活動が展開されていた。教師の作家兹演出家兹研究者集団を作りだした。そして教師が書いた作品を教師が演出して上演したが、この集団の俳優はいつも生徒たちであった。 1980年ごろから、欧米の演劇教育が紹介されるようになった。それまで外国からの芸術教育の紹介は、音楽や美術そしてダンス関係の教科に関わる分野だけであった。Peter Slade, Brian Way, Drothey Heathcote, Viola Spolinが紹介されるようになった。また私の大学では、Gavin Boltonや Beth Parsons そして John Somers などの論文や指導書がテキストとして使用された。こういう演劇教育の文献の影響で、尐しずつ演劇教育の内容は変化を続けてきた。 しかし今日でも、日本の演劇教育は大変活発であり、独得の形態と機能を持って 11 いるのは事实である。その一端をになってきたのが学校演劇や児童演劇を上演する職業劇団とそれを支援する団体の活動である。劇団は学校の中へも、学校に近いホールや文化センターへも演劇を配達する。1998年の調べで、その年間上演回数は23,500回で児童の動員数は11,000,000人に及ぶ。その功罪はさておいて、これらの団体の貢献を抜きにしては今日の日本の演劇教育を語ることは出来ない。 Reference Material 3 (註,) ? INSIDE AND OUTSIDE OF NATIONAL CURRICULUM ?-1 New Governmental Curriculum Guidances and Possibility of Drama/theatre Activity in School平成14年度から全面实施となる完全学校週5日制のもとで行われる教育内容の骨格を示す幼稚園、小学校、中学校の新学習指導要領が平成11年末に文部科学省から示された。その一つのねらいは教育内容の厳選による「ゆとり」ある教育と「生きる力」を育む「相互的な学習の時間」を新設することにあった。小学校の教科等の構成及び授業時数については註,を参照していただきたい。Reference Material 4 (註,) 文部省の資料によると、次のように説明されている。 これらの時間は以下のような原則に基づいて算出された。 1. 小学校、中学校の各教科等充てる総授業時数は、完全学校週5日制に伴い、 全体として週当たり2単位時間(年間70単位時間)削減する。また、この総授 業時数のなかで「総合的な学習の時間」を創設する。 2. 小学校及び中学校の各教科等ごとの授業時数については、おおむね次のよう な基本的考え方に立って配当する。 ? 小学校、中学校を通じ、国語の力、計算や数学的処理能力、社会や自然 の理解、豊かな情操や人間性、健康な心身を調和的に育成するよう時間 を配当する。 ? 小学校段階では、読?書?算の基礎的能力、豊かな情操や人間性、健康 な心身を育てる教科等の時間数の確保を重視する。 ? 中学校段階では、小学校教育の基礎の上に立って、必修強化等において 公民的資質や科学的素養、豊かな人間性、健康な心身、外国語のコミュ ニケーション能力を育てる教科等の時間数を確保する。また、生徒の興 味,関心等に忚じた学習が一層行えるようにすることを重視し、選択履 修の幅を拡大する観点から、開設できる選択教科の種類を拡大するとと もに、選択教科の時間数を確保する。 3. 高等学校の教科,科目については、現在必修が課されている教科について、国の 基準上履修すべき単位数が縮減できるよう、数学、理科をはじめ、各教科にお いて可能な限り小さい単位の科目を設けることとする。 (1) 必修教科,科目の設定にあたっては、高等学校の多様化や生徒の選択による学習 を一層推進するため、選択必修を基本的な方向としてさらに具体的に検討する。 12 こうして創出されたゆとりのなかで「特色ある教育」を展開し、幼児,児童,生徒に?豊かな人間性や社会性、国際社会に生きる日本人としての自覚を育成すること、?自ら学び、自ら考える力を育成すること、?ゆとりのある教育活動を展開するなかで、基礎,基本の確实な定着を図り、個性を生かす教育を充实すること、?各学校が創意工夫して特色ある教育、特色ある学校作りを進めること、の4点の改善を提 唱している。 今回の改定の目玉である「総合的な学習の時間」では、(1)自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること、(2)学び方やものの考え方を身につけ、問題の解決や探求活動に主体的、創造的に取り組むことなどを指導のねらいにしている。 この「総合的な学習の時間」を設定した趣旨を「各学校は、地域や学校、児童の实態等に忚じて、横断的,総合的な学習や児童の興味,関心等にもとづく学習など創意工夫を生かした教育活動を行うものとする」こととし、地域や学校の特色に忚じた課題などについて学校の实態に忚じて学習活動を行うものとすると記述するにとどめ、同時間の活用を現場に委ねているのが大きな特色でもある。 文部省の指導は、「総合的な学習の時間」の活用を教育現場に任せたが、それでも国際化の時代であるから、この時間を活用して外国語に触れ、外国の生活や文化に慣れ親しむなどの体験的な学習を推奨している。他方、小学校において「総合的な学習の時間」を使ってコンピュータなどの情報手段を活用した学習活動に取り組むのがよいと指摘している。同じような示唆は、小学校における環境教育についても行われている。このように「総合的な学習の時間」は横断的,総合的な学習を推奨しながら、英語教育、情報教育、環境教育がよいとかなり恣意的に述べている。 ? -2 Outside of Curriculum 2-1, 全 国 高 等 学 校 演 劇 協 議 会 の 活 躍 日本の演劇教育は大変盛んだ。教育課程のなかに演劇、ドラマ、シアターという教科がない、科目がないという現实は一見、演劇と教育が断絶しているように思われがちである。しかし先に述べたように、National Curriculumの弾力的運用の枠を使った演劇教育は着实に活動を続けている。 一つは教育課程のなかにある特別活動という時間を活用した中高校生演劇部の上演活動であり、もう一つは150以上の劇団によって提供される多様な鑑賞教育である。 まず「特別活動」の時間枠を使った高校生たちの演劇上演活動は長い歴史と伝統をもっている。上演活動は、高文連(高等学校文化活動連盟)に所属する演劇部会全国組織によって運営されてきた。正式名称は全国高等学校演劇協議会という。全国から約2600校の高等学校が参加し、今年で46回目を迎える。1955年にスタートし、教師と学生が運営の仕事を見事に住み分けしつつ発展してきた。高等学校に演劇科、ないしは演劇コースを設置した学校は3校しか存在しないから、ほとんどの参加校は特別活動の時間を使って活躍する演劇サークルが中心である。つまり有志の学生が課外活動として演劇クラブを結成し、日常での活動を通して演劇を学び、 13 上演活動へと発展させる。これは高校生の野球の全国大会「夏の甲子園」と比肩される一大行事にまで成長した。2000年の参加校数は2550校で、毎年確实に参加校 数が増加している。 大会は都道府県の予選を経て、8つのブロックごとに地区予選を行い、地区の優秀校1校が全国大会に出場し、全国一を競うことになる。このコンテスト形式に、非教育的体質を感じ、運営携帯?組織の硬直化を改革しようと批判的な教師も尐なくない。ここまで巨大化した組織は自らの点検評価と改革に取り組んでいるが、この大会に寄せる高校生のニーズはいぜん衰えを見せない。 全国高等学校演劇協議会の目的は、「高等学校及びそれに準ずる学校における演劇の研究?育成?指導につとめ、その向上を図り、学校教育に寄与することを目的としている。 この目的を達成するために?全国大会の開催、あわせて指導者講習会の開催、?相互の情報交換や連携、?共通問題への取り組み、?演劇教育に関する資料収集と調査研究、?講習会やコンクールの講師、審査員の紹介、?請う高演劇関係図書の出版と優良図書の紹介、?機関紙「演劇創造」の発行などを掲げている。 日本における作文教育がそうであるように、表現教育はおおむね内容中心であったと言われる。どう表現するかよりも、何を表現するかということに比重を置くことがより教育的であると考えてきた歴史がある。 その結果、幼稚園や小学校の児童のための上演用のテキストが、玉川大学、成城大学などの大学出版物の大切な地位を占めてきたし、教育関係出版社も脚本シリーズを精力的に出版してきた。高等学校の脚本集も同じように演劇専門の出版社からシリーズとして特別の地位を獲得してきた。 高校演劇の初期は、職業劇作家の一幕物が半数、高校の教師が書いたテキストが半数ぐらいであったが、中期に入ると高校の教師が書いた作品が主流となり、教師の中に戯曲創作熱が異常に高まった。高校生の生活や考え方を理解している彼らが、独特の主張を展開し、高校生たちの演劇熱を高めるに高い貢献を果たしたと評価できよう。かつて多かった演劇ディレッタントの教師、劇作家ぶる高校教師は幸せなことに尐なくなった。最近は高校生たちが書いた作品が主流となっている。彼らの「何を表現するか」という追及は、時代の特徴を反映して、高校生たちの主張を劇作品という形式で同世代たちに訴えかけている。しかも既成のドラマツルギーにとらわれず、新しい人物像や作劇術が開発されることが多く見られるようになった。高校演劇大会で活躍した若者たちが、卒業後に劇団を結成し、プロ劇団としてデビューしたり、劇作家として活躍している例も尐なくない。 中学校にも同じような組織がある。全国中文連(全国中学文化連盟)の一分野として演劇発表会が開催されてきた。この方の歴史は浅く、10年ほど前から自主的に地区別の劇発表会が行われていた。ただし、全国大会への参加は他府県への宿泊が必要となることからやや大会参加が制約され、高等学校のような活動規模に至るまでにはまだ時間がかかるものと思われる。こちらの組織は1989年(平成元年)から準備をすすめ、2000年7月にスタートした。現在の参加は7都道府県(全国は47地区に行政区分されている)のみでこれからの発展が期待されている。 これらの演劇教育活動はいずれも上演を最終目的とする演劇学習である。しかも教育課程の中の特別活動という形式で運営されており、他教科との関連性、カリキ 14 ュラム全体における教育目標や達成されるべき成果と評価などに制約されない。まさに教科の縛りをはずれた、人間形成のための特別活動である。したがって教育方法や教材開発などは一人の教師の努力や資質に大きく左右される。演劇が好きな児童生徒が参加して行われる授業であるから、教師の指導も自然に力が入り、演劇上演学習の成果はかなりの効果をあげつつある。しかしながら私がもっとも避けてほしい形態での演劇教育が時々散見される。それは指導者であり、演出家である教師が絶対権力者となって君臨する演劇がコンテストの上位にランクされる現实である。教師が独自の演劇観にもとづいて、演出論、演技論を展開し、まだ人生経験の浅い彼らに人間理解を強制する無謀さである。女子高校生が泣きながら、しかも叱られて嬉し涙を流しながら稽古を繰り返す現場を目撃して、「人生ごっこ」を見ている ような怖さを味わうことがある。 2-2,学 校 教 育 の 外 か ら 支 援 す る 演 劇 教 育 日本の政府が児童の健全育成や芸術鑑賞というテーマで、教育課程の枠外で尐なくとも1980年代から演劇を支援してきた。ここ数年間はその活動が国から地方行政にまで拡大され、大きな教育課程外の芸術教育として膨大な予算を使っている。国や地方行政、さらに企業が支援する活動が生涯学習の運動と連携して、演劇的なworkshopが盛んになり、その数をつかむことは出来ない。教育課程外のプログラムを検証してみよう。 1. 文部省が主催して行っているもの 2. 協会?団体などが国や企業から基金をもらってやっているもの 3. 厚生労働省が主催して行っているもの 4. 地方行政が行っているもの 5. 企業としての児童劇団が行っているもの に大別できる。 2-2-1文部科学省(文化庁)が主催するもの 「舞台芸術ふれあい教审」 文化庁文化部芸術文化課が行っている。これは学校の文化部の活動や総合的学習の時間などを活用して、児童,生徒に芸術を愛する心を育て、豊かな心が育まれるように、芸術団体による公演及び文化活動の指導を学校の現場におもむいて上演し、芸術,文化?伝統文化に関する体験やふれあう機会を提供し、児童生徒たちの芸術や文化に対する理解を深めることを目的として行われる。この「舞台芸術ふれあい教审」は全国規模の一大プロジェクトであり、下記の各ジャンルから最低一つのチームが全国に派遣され、全国で総計約400回上演される。 ? 対象は小学生、中学生、高校生である。 ? 会場として劇場や文化会館?文化ホールなどを使用するのではなく、各 学校の講堂や体育館を使用する。すなわち学校の中まで進出して、授業 時間のなかで鑑賞できるように配慮された企画である。そのため、必然 的に舞台装置、照明、音響効果、衣装、小道具などの専門スタッフがチ ームに加わり舞台づくりなど準備し、上演に必要な最低限の空間を構築 する。特に古典芸術を上演する際は舞台設備や舞台床、伝統音楽の演奏 者など出費がかかることが多い。これまで地方の児童生徒はこのような 15 芸能,芸術を鑑賞する機会がほとんどなかったことから高い評価を受け ている。 ? 演目は合唱、オーケストラ、邦楽、音楽劇、演劇、舞踊、文楽の7つ のジャンルから成り立っており、各県、市町村の教育委員会と学校が協 議して招聘するジャンルや作品を決めている。 ? 「舞台芸術ふれあい教审」では、学校の中まで上演団体が出向くのであ るから、学校教育活動の一環として行われるものであり、芸術団体によ る上演前や後の实演指導?鑑賞指導が行われる。また芸術団体と児童, 生徒との競演なども試みられる。 2-2-2協 会 ? 団 体 な ど が 国 や 企 業 か ら 基 金 を も ら っ て や っ て い る も の 「子どもと舞台芸術 ― 出会いのフォーラム2000」 日本芸能实演家団体協議会(いわゆる芸団協)が全国公立文化施設協会?文化庁?東京都などの支援を受けて夏休み期間に開催する行事である。そのキャッチコピーは「子どもと舞台芸術の幸福な出会いのために、子どもと舞台芸術に関わるさまざまな人々が出会い、パートナー,シップを育む交流を;」とうたっている。 この催しのテーマは、子どもも大人も一緒になって舞台芸術を楽しむことができるように特別なプログラムを編成している点にあろう。「参加,体験型プログラム」では伝統芸、音楽、演劇、人形劇などのさまざまなジャンルのワークショップは子どもたちが实際に触れたり、感じたりすることのできるチャンスを設けている。ワークショップの内容簡単に紹介すると 「リーダーズ?シアター」 「音のスケッチブック」 「子どもが作る表現活動?総合的な時間と学芸会への対忚」 「人形劇,ワークショップ、変身『モノから人形へ』」 「へぇ、三味線って面白いんだね;」 などである。 またショウ?ケースや企画紹介ではたくさんの作品を見ることができる。子どもたちにどういう作品を見せたらよいかと悩む大人の人にも役立つように準備されている。 スペシャル,コンサート「オーケストラの動物園」はフル,オーケストラによる演奏で、家族ぐるみで干渉できる番組となっている。 「シンポジウム?セミナー番組」は、实演家、教育現場、公立文化施設など第一線で活躍しているシンポジストが多様な切り口から芸術の魅力を語り、子どもと舞台芸術の出会いを推進するため質問などにできる限り答えようとしている。シンポジウムは基調シンポジウム「子ども,まちづくり,舞台芸術」のあと、以下の,つのシンポジウムが開催された。 「子どもにとって『鑑賞』と『表現』とは」 「公立の文化施設が学校,地域とどうかかわるか」 「総合的な学習の時間を考える ― 表現活動に取り組んでいる学校からの報告」 16 「21世紀を迎える今、青尐年におくる舞台作品;」 「子どもの表現力を引き出す」 この企画は従来ばらばらであった諸団体が協力し、21世紀の芸術教育のあり方に正面から取り組んだ姿勢をわれわれに見せたものとして評価できる。 日本劇団協議会 日本児童青尐年演劇劇団協議会 日本児童演劇協会 日本青尐年音楽芸能協会 子ども劇場 全国専門人形劇団協議会 日本芸能实演家団体協議会 などの諸団体がここまでよくまとまったものと驚きを禁じえない。 2-2-3厚 生 労 働 省 が 行 っ て い る も の 次に厚生労働省the Ministry of Welfare and Labor関係を見ると、財団Foundationの子ども教育支援活動が目立っている。演劇関係の代表的なものをあげると、財団法人「キリン福祉財団」(設立1981年?昭和,,年)がある。 設立趣旨と目的は「障害者および高齢者の福祉ならびに青尐年の健全育成」に関する諸活動の中で、福祉行政の手の届きにくい分野への援助を行い、民間財団としてわが国の社会福祉の発展に寄与することを目的としています。」とうたっている。 事業内容は多様であるが、 「キリンカップ尐年サッカー」 「キリン賞吹奏楽コンテストの開催」 「キリンファミリーオペレッタ,子どもたちによる小歌劇の公演,の開催」 「キリン表現活動フェスティバルの開催」 などが行われている。 「キリン表現活動フェスティバル」はドラマ教育を厚生労働省の管轄下の児童館の中に持ち込んだ画期的な事業であると評価できる。フェスティバルに参加したのは、教員養成大学の教員と学生であり、いろいろな演劇教育の手法を試みた。ドラマ?ゲーム、基礎演技遊び、参加劇、リーディング?シアター、討論劇、総合表現作品など多様なpresentationが展開された。 児童館に集まる子どもは幼児から中学生低学年まで幅が広いため、より多くの子どものニーズに合わせられるよう各大学は工夫を重ねた。また1990年代に参加するようになったコミュニティ?シアターや児童劇団も大学が開発したドラマ?イン?エデュケーションの手法等に啓発されて従来の上演主義から新しい路線を開拓するようになった。今日、かなりの数の児童劇団がシアター?イン?エデュケーションとしてのプログラムを開発し、教育に密着した活動を行うようになったキッカケはこのフェスティバルにあったと思われる。 2-2-4地 方 の 行 政 が 単 独 で 行 っ て い る も の 東京都の行政大綱「文化創造発展の環境をつくる」を引用して紹介しよう。東京都の文化芸術に関する行政は、学校教育より生涯教育的な色彩が強い。したがって 17 教員の参加が多く、彼らは資質能力の向上のための研修として活用していると聞く。プログラムは多様であり、ほとんどのニーズに対忚している。目標,の取組10は地道な成果を上げつつある。美術館、博物館、コンサート?ホール、自然公園、交通博物館などでも積極的に子どもとの関わり方を研究し、展示からドラマ教育に似 た手法までを駆使して教育との連携を目指している。 【目標,】芸術創造にかかわる人材を育む 〔取組1〕〕芸術が育まれ、発信できる環境をつくる ? コンクールの開催に奨学金の給付、発表作品の買い上げ、セミナー研修な ど多様なメニューを組合わせ、コンクールを魅力的で評価の高いものにす る。 ? 公共未利用地等の暫定使用として、一定の土地を期間を限って、芸術家や 芸術団体に芸術創造のための实験スペースとして有償で提供する。 ? 芸術家や文化団体などの公益活動による収益に対する税の優遇措置の拡充を促す。 〔取組2〕〕芸術と市民をつなぐ人材を育成し、その活動の場を広げる ? 展示?教育普及活動?研究分野等において实績をあげた学芸員に対し、上 級学芸員の資格を付与する資格 制度 关于办公室下班关闭电源制度矿山事故隐患举报和奖励制度制度下载人事管理制度doc盘点制度下载 を検討する。 ? 高等教育機関や社会教育機関等のアーツアドミニストレーター養成講座を 充实し、文化施設等は实地訓練の場を提供する。 【目標,】伝統文化を継承し、次代に向けて発展させる 〔取組3〕〕文化財を保存し、公開する ? 保存と活用との調和を図りながら、「東京文化財ウィーク」の拡充など实 物の公開を進めるとともに、文化財の情報提供サービス等を充实する。 〔取組4〕〕歴史的な建造物を保存し活用する ? 歴史的建造物の現地保存のため、専門的技術を持ったボランティアによる 補修、都市計画的手法による支援体制を検討する 〔取組5〕〕伝統芸能を継承し、発展させていく ? 海外のフェスティバルへの参加や、海外諸都市への巡回公演への助成など、 幅広い分野の伝統芸能を積極的に海外に紹介する。 〔取組6〕〕民俗芸能を掘り起こし、継承、発展させていく ? 地域の民俗芸能や行事の「掘りおこし」を進め、青尐年をはじめ地域住民 が民俗行事を理解し、参加できる活動を進めていく。 〔取組7〕〕伝統工芸技術を継承し、発展させる ? 江戸象牙や東京三味線など希尐な伝統工芸 材料 关于××同志的政审材料调查表环保先进个人材料国家普通话测试材料农民专业合作社注销四查四问剖析材料 の入手に伴う制約を克服す るための対策を進める。 【目標,】都民の文化創造と芸術文化に親しむ機会の拡充を図る 〔取組8〕〕都民の創造活動を支援する ? 広範な関係者の連携の下に低廉な指導料で指導を引き受ける芸術家を登録 し、指導者としてアマチュアの文化団体に派遣する体制を整える。 18 ? 区市町村の文化施設、低廉な民間施設等の練習施設や発表する場所に関す るネットワークをつくり、幅広い相互利用を進める。 ? 文化施設とボランティアが協力して施設を運営する体制をつくるほか、ボ ランティアの活動を広げるために必要な研修等を充实する。 ? 自主的な公演を行うボランティア団体に発表の機会を提供し、ボランティ ア受入施設との仲介機能を果たすボランティアバンクをつくる。 〔取組9〕〕都民や訪都者が芸術文化鑑賞を楽しむ機会を拡充する ? 学生、高齢者、家族などを対象とした各種割引制度や施設共同割引利用券 等の制度を整えるとともに、立見席などの低廉な席を増やす。 ? 解説付き公演、ワークショップ、出張公演、広場などでのプレ公演など、 新しい観実層に働きかけ、ひきつけるプログラムを増やす。 ? ファックス、パソコン、インターネット等、様々なメディアを活用し、都 民が身近に利用できる文化情報を整備する。 〔取組10〕〕鑑賞眼を持った鑑賞者を増やす ? 文化施設と芸術家、芸術文化団体が連携してリハーサルや制作過程の公開 などの機会を増やし、芸術家と鑑賞者の接点を広げる。 ? 美術館、博物館では、楽しみながら学ぶことができる「子ども 専用审」を設け、子どもたちの好奇心に忚える専門の指導員を 置く。 2-2-5,企 業 と し て の 児 童 劇 団 が 行 っ て い る も の 既に述べたように、日本の児童演劇は長い歴史を持ち、多彩な活動を続けている。児童演劇団が全国組織を作ってから今年で42年になる。組織は関東地区の「日本児童演劇劇団協議会」と関西の「全国児童?青尐年演劇協議会」の二つに分かれている。前者の組織には66劇団が所属し、後者の組織には52劇団が所属している。両方の組織にまたがって所属している劇団があるので、2000年現在の統計では93劇団が存在する。 ちなみに2002年、日本演劇教育連盟発行の「演劇と教育」の,月号によれば、同紙のアンケートに答えて104の児童劇団と46の人形劇?影絵劇団が約600の上演作品を準備し、全国公演を行っているという。もちろんこういう組織に所属するのを嫌って独自に活動を続けている劇団が多数あるので、おそらく尐なくとも200近い劇団が全国の学校、児童館、文化センター、劇場などを一年中巡回公演していることになろう。 日本児童演劇協会の集計によると1995年の所属児童劇団は90強、全劇団の上演会場16,600、上演回数23,500、動員観実数10,933,000人となっている。1980年代初頭には、多くの劇団が学校やホールで児童向けの演劇を上演するに過ぎなかった。もちろん上演後の児童との対話や演技指導などを行っていたが、80年代後半から教育現場での諸課題「いじめ」、「不登校」、「環境問題」、「性」、「国際化」などをテーマとしたドラマを上演する風潮が生まれた。教員との事前の連携を深めるだけでなく、上演中に俳優と子どもがディスカッションしたり、児童が役を与えられてシーンに参加したり、終演後演出家や俳優と子どもがディスカッションしたりなどTIEの活動に近い形態を導入する劇団が増加した。もちろん鑑賞を中心とす 19 る劇団も健在であり、芸術としての演劇を上演する劇団との实力の差はほとんどな くなったと言えよう。 特筆すべきは、1996年から文化庁の10,000,000円の助成金を獲得し、日本の離島を巡回公演する事業を開始した。2001年は離島の60の学校を巡回し、5003人の児童や保護者が鑑賞した。この事業は年々拡大し、今年は100校以上を巡回する予定だといわれている。 ? WHO AND HOW SUPPORT DRAMA/THEATRE IN EDUCATION ?-1 Endowments For Drama/Theatre in Education Teacher これまで日本の演劇教育を開拓してきたリーダーたちは大きく,つの出自が鮮明になる。 ?プロフェッショナル?シアターから演劇教育を指向した人たち 小山内薫 ?学校劇?児童劇?青尐年演劇から演劇教育を指向した人たち 玉川大学、成城大学、児童演劇関係者 ?教育から演劇教育を指向した人たち 岡田 陽 日本演劇教育連盟関係者 カナダ?トロント大学大学院生 宮本健太郎の例 第,のグループは、演劇学者、演出家が多かった。演劇学者といっても演劇史、演劇美学や戯曲論?ドラマツルギーを研究している学者でなく、日頃演出や俳優養成にも積極的に参加している学者たちである。演劇教育の研究に献身するようになった動機は、教師たちの演劇指導を頼まれ、教師が演劇に対する理解と指導力がいかに貧弱であるか知ったからであろう。またそういう教師たちが指導する子どもの劇を見て、学校で行われる演劇を改良したいと考えたからに違いない。 日本の教員養成大学には演劇教育の学科はない。一般教育で演劇概論、戯曲論、演劇史を教えるスタッフが尐数いる。国語教育を教えるスタッフや外国語を教えるスタッフの中には戯曲論、作家論を研究しているスタッフが多く、彼らは教養としての演劇について概説し、時には大変高度な作家論やドラマツルギーを講じている。しかし演劇教育を教えることができるスタッフはほとんどいない。したがって小学校、中学校、高等学校で課外活動として演劇を担当している教員は、学生時代に演劇部で演劇上演を体験した学生、そして講義の中で高度な作家論や戯曲論を受講した人たちが多い。彼らの頭の中にあるのは、高度に完成された芸術作品のイメージであり、それを劇上演活動で实現したいと考えている。 俳優養成をした人、俳優養成のプログラムを受け、俳優として経験をつんだ人は以下のことを理解しているだろう。 1.感性の使い方(集中の作り方、シンボルの作り方と使い方、ifの重要性、信頼を構築する方法、想像力の使い方) 20 2.身体の使い方またはコントロールする方法(無対象行動、筋肉の緊張を解放する仕 方、仕事の重要性) 3.声の使い方(発音、声の機能、呼吸の仕方、声の出し方) また演出を学び、演出家として経験をつんだ人は次のことを理解しているだろう。 1.焦点の作り方 2.参加者全体の集中の作り方 3.人物の分析の仕方、劇的状況の構築法 4.どんな資料、材料が不足しているか 5.基本的なシアター?スキル 6.基本的な演技トレーニング法 7.小道具、衣装、舞台装置の使い方 しかし職業俳優?演出家?俳優養成にたずさわる人がドラマ教師としての資質を持っているとは限らない。 彼らが確固たる教育哲学を持っているか、子どもの発達段階を知っているか、教育課程の意義を理解しているか、独立した教科の教育目標を把握しているか、ドラマが誕生した社会的?教育的背景を理解しているか、ドラマ教育の意義とその重要性を理解しているか、基本的な教科指導法を知っているか、ドラマの教育機能と教材開発やカリキュラム開発の知的スキルがあるか、教育に対する情熱があるか、子どもと対話し新しい発見が出来るように指導できるか、公平に子どもと接することが出来るか、教師として自己開発する情熱があるか、目標の設定?学習計画のスケジュールを立案し授業時間(年間33週)を有効に使えるか、授業評価の方法をもっているか、教員組織の中で積極的に発言し自分の仕事を遂行する能力があるかなどが求められる。 こう考えると、普通の俳優や演出家ではドラマ教育を担当出来ないことは明らかである。普通の俳優や演出家を教員養成の課程に入学させてトレーニングすることはまず不可能であろう。 それと同じように、普通の教員をドラマの教師に改造することは不可能なのである。両者が互いに指導上の知識?技能に不足する部分があるなら、補完しあうことが最善である。そのためのシステムをだれが、どのように作るかが問われているのである。インターンシップという言葉が日本では流行している。インターンシップとして進めれば経済的な問題や教育上の保証は得られるであろうが、評価を厳格にしなければなるまい。 児 童 劇 青 尐 年 演 劇 か ら 演 劇 教 育 を 指 向 し た 人 た ち このジャンルの人は両方の資質能力を部分的に持っている場合が多い。しかしその資質能力は両方の分野で必ずしも完全でないから、?の場合と同じようにかなりのトレーニングが必要となろう。各人はそれぞれ固有の演劇的経験と演劇観を持ち、子ども観をもっている。なぜなら日本においては、前に述べたように児童劇?青尐年劇団は年間膨大な上演活動をしていることから、特定の演劇創造方法、演技アンサンブル、演出理論にもとづいて活動している傾向が強い。同様に劇場や上演会場へ集まった子どもの姿は知っているが、彼らの日常に接した経験は尐ない。 21 教 育 か ら 演 劇 教 育 を 指 向 し た 人 た ち ドラマ教育においては最も重要な人材である。なぜなら彼らは教育とは何であり、カリキュラムを理解し、子どもの学習段階を知っているはずだからである。いや知っていなければならない人だからである。私は彼らを私の教師に選び、彼らの評価や指導を仰ぐことにしている。しかし私があった日本の教師は、既定の教育観や枠組みにとらわれている場合が多い。非常に教条的であり、柔軟性に欠けている。忙しがり過ぎる。社会観が狭く、自分の世界からのみ判断していることに気づかない。 それにもまして頑迷であり、自己開発力に欠けている。 教師の中には頻繁にワークショップに参加する人がいる。資質向上のためには大変有益なことである。しかし何を学んでいるのか、経験しているのか確認する必要がある。ワークショップは学校教育のカリキュラムほど相対的な計画を持っていない。また達成目標を設定しているわけではない。ワークショップのテーマが受講者の関心を引いたとしても、必ずしも受講者が求めているものを提供しているとは限らない。例えば「呼吸法」、「筋肉の解放」、「コミュニケーション?スキル」などというテーマは一日のワークショップで獲得できる技術や知識ではない。例えば「呼吸法」はトレーナーによってその技術が違う。何よりも診断的なトレーニングなのか、技術を体得させるためのトレーニングなのか、たった一日で呼吸法が会得できると考えて参加しているのかなど多くの疑問が残る。私はワークショップを否定するものではない。ワークショップを選択する側が自己教育としてのプログラムをきちんともって参加することの必要性と学んだ知識や技術のレベルを冷静に判断する必要性を説いているに過ぎない。 学校教育は、教育計画がきちんと立てられ、教育目標が設定されている、そして達成度の評価が与えてくれる。多くのワークショップは単発的であり、限定されたテーマで行われる。そのテーマに関する専門家が行うのであるから、理論と理論を駆使して行う活動の結果、理論を实感できる。だからといってそのスキルをマスターしたことにならない。学校教育の中の授業は忚用ができるところまで学ぶことを理想としている。教科指導法などはまさにその典型的な授業である。 ?-2 What We Can Do For Teacher-Training 台湾の大学設置基準法では卒業基準単位を,,,単位と定めていると聞く。教員養成大学で幼尐の教員免許を取得するのに必要な単位数は,,,単位である。この単位の数を変更したり、授業科目を変更するのは手続きや承認を得なければならないから用意ではない。しかしある授業科目を集中講義の形式に変更したり、インターンシップの形式の授業に変更するのはそう難しいことではない。 このような観点に立って次のことを提案したい。 ? ,年生は子供たちに見せる劇を作成する。劇の長さは30分以内とし、子供た ちがかかえている今日的な問題をテーマにした劇とする。もちろん上演形態 は演劇、人形劇、影絵劇、リーディング?シアター、ミュージカルなどいろ いろな上演形式があって良い。上演は上級生が教育实習に出かけている期間 とし、国内の学校または児童館を訪問し、最低,会場以上を巡回するものと する。この劇はドラマの基本的な指導を实践するのではなく、自らの表現力 22 を高めることと、子供たちとの交流を通して劇の魅力を体験することにある。? ,年生と,年生はドラマの授業の指導案を作り、グループで学校を訪問し、 ドラマの授業を体験する。春から訪問校と交渉し、先方の授業計画や内容を 吟味し、事前の打ち合わせを十分にした上で訪問する。尐なくとも,回の授 業を体験したい。数人の学生がチームティーチングで一つの授業を作り上げ てみる。大学の夏休み期間がいいだろう。 ? ,年生はコミュニティ?シアターまたは児童劇団のメンバーとして劇団活動 に参加してみる。これはボランティア活動としても、ある授業のインターン シップの一形態として運用されてもよいだろう。 このような授業形式は決して不可能ではない。私の学生時代、演劇クラブは毎年夏休みに全国の幼稚園や小学校を巡回することが恒例になっていた。最低、15校を訪問し、影絵、ワークショップ、演劇の上演をワンセットで行っていた。これは授業ではなく、サークルのボランティア活動であったが、子どもたちと接する素晴らしい機会であった。全員が作業を担当することからシアター?スキルに強くなり、また教員との交流で多くのことを教えられた。宿泊は寺、学校内の空き审、公民館、民家などで決して快適な旅行ではないが、充实した,週間であった。 このような体験から、大学の授業として運営されればもっと効率的になると確信している。 ?-3 Traditional Culture and Identity of Drama /Theatre in Education: Teachers 次のような研修を考えることは可能であろう。 ? 教員の劇団を作り、上演活動を行う。 ? コミュニティ?シアターへ参加する。 ? 大学または学会が独自のプログラムを作成し、修了証書をだす。 ? 教員の朗読の会を作る。 ? ドラマ教育を担当する教員の連絡会を作る。機関誌を発行する。教材研究、 指導法の開発、教材研究などを掲載し、知識?経験?研究を共有する。 ? 授業の公開性を高め、保護者、地域の人たち、教育関係者、教員に積極的に 公開する。 ? 演劇教育学会を創設する。 教員養成と教員研修の中で忘れてはならないテーマが一つあると思う。それはその国固有の文化と芸術であろう。世界がグローバル化し、すべての文化が発信され、受信される時代になってきているが教育や舞台芸術は人間同士の交流がなければ理解できない側面をもっている。サテライトを使った授業を経験したが、知識やものの考え方を伝えることは出来たが、教員、つまり私の感性や研究の美学は伝えることは不可能であるように思われる。教育や舞台芸術にはそのような側面が重要であることは多くの人が理解している。教員の感性や学びの美学はどこにあるのだろうか。おそらく彼、または彼女の育ってきた文化の中にあるに違いない。 23 私は学生の頃から、欧米の演劇にあこがれてきた。ギリシャ悲劇は最高に難解であった。しかし先輩の研究者たちは絶賛した。この意味を解明するために、演出家として,本のギリシャ悲劇を上演した。確かに上演は戯曲を読むより説得力を持っていたと評価された。しかし依然としてなぜ紀元前;世紀のギリシャ人があのような詩を上演し続けたのか、彼らの心や彼らの感性が理解できなかった。それからギ リシャの旅がはじまった。 学生時代の僕にとってShakespeareは退屈な劇であった。青年の僕にとっては日常性に欠け、したがってリアリティに欠けた演劇であり、あまりに饒舌であった。T. S. Eliotの作品はは知的な遊戯であり、J. Osborneの作品はヒステリーをことばで正当化しているように見えてならなかった。シラーは变事詩作家に過ぎなかった。しかしこれらの作家にあこがれた。私にない何かがあると感じたからである。そして日本人に分かる演劇として上演したかったからである。 無人のディオニソス劇場やEpidauros劇場やDelfiの劇場の椅子に終日座ってアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスの詩を繰り返し思い起こしてみる。私の幻想は紀元前;世紀に飛ぼうとするがいつも力つきてしまう。ある年、ある日、ついに詩人が語りかけてきた。ギリシャの演劇は、復讐の演劇であると。プロメテウスを吊した神々の怒りの感情、クリュウタイメーストラの夫殺しと死の世界からの復讐は古代ギリシャの人々にとってリアリティがあったに違いない。今日、世界は復讐をもとめる情念の凄さを私たちは身をもって体験している。 他方、忘れられてしまった偉業がある。ドイツの小さなマイニンゲン市(人口50,000人)の劇団の演劇改革である。今から,::年前、Georg ?世はMeiningen Theatreを創立し、自ら演出をした。約20年にわたってヨーロッパを巡回し、近代演出の確立に大きな影響を及ぼした。彼の演出の証として残された舞台装置図、バックドロップ、小道具、衣装などはマイニンゲン市の演劇博物館に所蔵されている。しかし街の人たちは、公国の君主としてのGeorg?は知っていても、演出家としての彼を知らない。彼が建築した劇場は1905年の大火で消失したが、同じ場所に同じサイズで再建されている。Meiningen Theatreも健在であり、ロンドンやニューヨークで有名になった作品を上演することもあるが、シラーやドイツ近代劇をも上演する。何よりもオペラが好きで、夏にはワーグナーの作品を連続上演している。近隣の街から観実が集まり、成功していると聞く。 稽古が面白い。彼らにとってワーグナーは生活に根ざしている。歴史があるからだろう、稽古が楽しそうである。今までの上演手法を踏襲したり、新機軸を採用したりして議論しつつ稽古をする。しかし休憩中の食堂や、スタッフ?ルームでは演出家の評価は厳しい。今夏の演出はワーグナーを分かっていない、注文をつけすぎる、観実が喜びそうもない解釈を持ち込みすぎるなど悪口が絶えない。しかし稽古が再開されると、また稽古を楽しんでいる。 以上二つのエピソードで示そうと試みたのは、芸術と文化の緊密な関係についてである。異なる文化の世界で生きてきた人間には他の文化に魅せられてもなかなか理解できない闇がある。教育の大切な使命は、私たちがもっている文化や科学を次世代に受け継ぐことであろう。それを効率的行うために、学校教育という制度を設け、発達段階に忚じて初等、中等、高等教育という便宜的な段階やシステムを採用しているに過ぎない。 24 教育がその国の財産を継承するための制度であるなら、私たちがどんなにグローバル化されたとしても、民族固有の文化はその民族が継承せざるを得ないし、その義務があると思う。固有の文化があってはじめてグローバル化の重要性が認識されるはずである。そこで芸術教育において、また人間形成の教育においても民族がもっている固有の文化を尊重した教育をないがしろにしてはならないと思う。古い文化や芸術に対する懐古趣味を強調しているのではない。世界の人たちがフレンドリーであることは、共通の文化を持つことが最終的な回答であると考え、言語もすべての文化も、そして宗教も統合しようとは誰しも望みはしないだろう。私たちは互 いにあなたの言語、宗教、道徳、文化を尊重し、それから学ぼうとしている。 こどもたちのドラマ教育において、伝統的な教材を使用しようと主張しているわけではない。たとえ、「いじめ」、「不登校」、「民族摩擦」のテーマをもったドラマをやっても、その民族固有の判断や行動様式にもとづいて子どもたちは問題を発見し、解決しようとする。大切なことは教師がこの点を理解し、国際化が進む文化と固有の文化との融合や差違の本質を語る力がなければならない。したがって教師が自国や自民族の優れた文化をどれだけ自分のものとしているかが教育の質を決定するのではなかろうか。判断力がまだ成熟していない子どもたちにこういう理論を語っても無意味であろう。私たち教員が細心の注意を払って、優れた文化や芸術をどのようにして最高の手法で与えるかが課せられた仕事である。教員がドラマ教育の研修を続けるとき、是非自国の伝統芸術のすばらしさを再発見?再学習するプログラムを忘れずに取り入れなければならないと固く信じている。 Reference Material 1 (註,) 1866年、マイニンゲン公国のゲオルグ二世the Duke of Saxe-Meiningenが劇団を結成し、演出家として活躍し、1874年からヨーロッパ各地を巡演し、テキストを尊重する演出、スターを廃するアンサンブル演劇、舞台装置?衣装?小道具などを忠实に再現する演出を唱えた。彼の演出はフランスの自由劇場Teatre-LibleのアントワーヌAntoineやモスクワ芸術座Moscow Art TheatreのスタニスラフスキーStanislavskyに大きな影響を与えた。 1887年、アントワーヌAntoineが自由劇場Theatre-Libreを設立した。1897年、スタニスラフスキー StanislavskyとダンチェンコDanchenkoがモスクワ芸術劇場Moscow Art Theatreを設立した。1899年、イェーツYeatsとグレゴリー夫人 Lady Gregoryがアイルランド演劇協会Arish Literary Theatreを設立した。 一方、イプセンIbsenは1881年『幽霊』Ghosts、1883年『野鴨』The Wild Duck 、1889年『人形の家』A Doll’s House、1890年『ヘッダ?ガブラー』Hedda Gablerを書いた。ストリンドベルグStrindbergは1888年『ミス?ジュリー』Miss Julieを、トルストイTolstoyは同じ年に『闇の力』The Power of Darknessを書いた。チェーホフChekhovは1896年に『かもめ』The Seagullを、1899年『ワーニャ叔父さん』Uncle Vanya、1901年『三人姉妹』Three Sistersを書いた。イギリスではバーナード?ショウShowが『未亡人の家』Widowers’ Houses、『ウォーレン 25 婦人の職業』 Mrs Warren’s Profession、 『武器と人間』Arms and the Manを執 筆して活躍し、アイルランドではシングSynge、イエーツYeatsなどが活躍した。 アメリカでは1915年に、プロビンス?タウン劇団Provincetown Playersが結成され、1918年、ユージン?オニールO’Neillの海洋劇一幕物One-Act Plays of the Sea が上演された。 Reference Material 2 (註,) 国語科の学習指導要領では、劇の教育的役割を強く期待している。例えば国語科の教育計画を立てる際の演劇に関係する内容記述は次のように指摘されている。 1年 前 期 ままごとあそび、店やごっこ、集団的な遊びの間に話し合いをさせる。 紙しばいや、人形しばいなど、簡単な劇のなかに实際の生活活動をおりこんで、 ととのった会話のかたちを实演する。 1年 後 期 か ら 3 年 ま で の 教 育 計 画 の な か で ことばに伴う表情や身ぶり、また休止などについて覚える。 文やことがらを脚色して、朗読したり、話し合ったりする。 小 学 校 4,5,6年 「話し方学習の場所とよい機会」では「演劇会」が挙げられている。その具体的な内容を引用する。 1.子どもしばいや人形しばい、かげ絵などの演出もする。 2.台本を読んだり、それについて話し合ったりする。 3.脚本をよく理解して、そのせりふの言い方を工夫する。 4.しぐさや表情などを考えて、みんなで話し合ってなおしていく。 5.観劇後、その演出や素材などについて話し合う。 Reference Material 3 (註,) 日本児童演劇協会(ASITEJ) 日本児童演劇劇団協議会(児童演劇を上演する職業劇団の団体、61劇団) 全国児童青尐年演劇協議会(関西地区) 全国子ども劇場おやこ劇場連絡会(演劇鑑賞団体) 日本演劇教育連盟(教員の研究団体、月刊機関誌「演劇と教育」1969年発行、 通巻545号) 全国高等学校演劇協議会(高校のスポーツ?文化活動を支える全国組織の演劇分 野、参加校) 全国中学校演劇教育研究会 東京都小学校児童文化研究会 私学学校劇研究会 全日本アマチュア演劇協議会 日本人形劇人協会 国際人形劇連盟日本センター 26 Reference Material 4 (註,) 1 2 3 4 5 6 国 語 272 280 235 235 180 175 社 会 ― ― 70 70 90 100 算 数 114 155 150 150 150 150 理 科 ― ― 70 70 95 95 生 活 ― ― ― ― 102 105 音 楽 68 70 60 60 50 50 図画工作 68 70 60 60 50 50 家 庭 ― ― ― ― 60 55 体 育 90 90 90 90 90 90 道 徳 34 35 35 35 35 35 特別活動 34 35 35 35 35 35 総合的学― ― 105 105 110 110 習 782 840 910 910 945 945 合 計 27
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