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慈恵医大马术部年表第一部慈恵医大马术部慈恵医大马术部年表第一部慈恵医大马术部 慈恵医大馬術部年表 第一部 慈恵医大馬術部正史 第二部 慈恵医大馬術部自馬列伝 第三部 貸与競技馬列伝 参考資料 公式戦 第一部 慈恵医大馬術部正史 慈恵医大馬術部黎明期 同好会的な活動が大正末期には始まっていたようである。卒業生名簿の最古参は昭和4年,1929年,卒業の星野 正己先生で、星野先生が入学時から活動していたとすれば、当時の予科3年?学部4年合計7年を遡って大正11年,1922年,には活動が始まっていたと考えられる。 全日本医歯薬馬術連盟の前身であ...

慈恵医大马术部年表第一部慈恵医大马术部
慈恵医大马术部年表第一部慈恵医大马术部 慈恵医大馬術部年表 第一部 慈恵医大馬術部正史 第二部 慈恵医大馬術部自馬列伝 第三部 貸与競技馬列伝 参考資料 公式戦 第一部 慈恵医大馬術部正史 慈恵医大馬術部黎明期 同好会的な活動が大正末期には始まっていたようである。卒業生名簿の最古参は昭和4年,1929年,卒業の星野 正己先生で、星野先生が入学時から活動していたとすれば、当時の予科3年?学部4年合計7年を遡って大正11年,1922年,には活動が始まっていたと考えられる。 全日本医歯薬馬術連盟の前身である関東医歯薬馬術連盟が大正9年,1920年,ごろの創立であり、いつ頃からは不明であるが慈恵医大も参加していたと考えられる。大正末期から昭和初期にかけて馬術部,あるいは同好会,の活動が盛んであった医学校は東京医大、慶応大医学部、日本医大、慈恵医大の4校であった。東京医大の最古参卒業生は大正7年,1918年,卒、慶応大医学部では大正11年,1922年,卒、日本医大では大正14年,1925年,卒となっている。 関東学生馬術協会の設立は大正12年,1921年,で、メンバーは慶応?農大?美校?外語?大倉?法政?日医専?東医専? 日歯等であった。慈恵が入っていたかどうかは不明である。 慈恵医大馬術部創設 昭和9年,1934年,、三輪 忍らが慈恵大学に馬術部を正式な部として認可するよう申請し受理された。このときを慈恵医大馬術部創設とすることが妥当であろう。初代主将に三輪 忍が就任。 慈恵医大馬術部正史本編 ,慈恵医大馬術部正史ワークシート, ,主将氏名, ,主な練習場所, ,合宿場所, ,主な競技成績, ?医歯薬6大大会は団体、個人ともに3位入賞までを原則として記載。 ?関東学生、全日本学生はなるべく詳細に記載。 ?社会人大会は成績優秀な場合のみ記載 ,公式戦については巻末の参考資料を参照のこと。 ,主な出来事, 医歯薬馬術連盟幹事長など馬術関連団体での学生役職者がいた場合、その者の 氏名および該当団体名?役職名。顧問の亣代があった場合、氏名?役職を記載。 【凡例】名前に*がついている場合は旧姓。 ,昭和9年,1934年,, ,主将,三輪 忍 ,主な出来事, 慈恵大学より正式に部として承認された。 ,昭和10年,1935年,, ,主将,三輪 忍 ,主な練習場, この頃は予科,現在の進学課程に相当。当時は大田区久が原にあった,にあった馬場のほか、多摩川乗馬、市ヶ谷の士官学校、世田谷の野戦重砲兵連隊、習志野の騎兵連隊、市川の野戦重砲兵連隊などでも練習や合宿をおこなっていた。 ,昭和11年,1936年,, ,主将,三輪 忍 ,主な練習場, 御岳山馬場,東京都大田区,でも練習を行うようになる。 ,主な出来事, 馬術部第一部歌「馬上の賦」完成。当時の予科主将、白神盛文が親友で作詞作曲に才能のあった渡辺俊男に白神個人の歌として作成を依頼したとされる。秀作であったため、白神が馬術部の部歌として部員に伝え、今日まで継承されている。 ,昭和12年,1937年,, ,主将,三輪 忍 ,主な試合結果, 第7回関東医歯薬学生馬術大会:優勝,三輪、荻須、白神、竹内、岡田、他一名, 関東学生馬術争覇戦乙組:2回戦敗退 関東学生争覇戦は農大、中央大、日大など大学のみが所属する甲組と、大学?専門学校?高等学校が混在する乙組とでおこなわれ、慈恵は日医?東医などとともに乙組に属していた。初戦で一高に勝利したが、二回戦で千葉医大に敗れた。 ,昭和13年,1938年,, ,主将,荻須 文男 ,主な練習場所, 戦争準備のため習志野の騎兵連隊での練習ができなくなり、代わって座間の陸軍士官学校に赴くようになる。 ,主な試合結果, 第8回関東医歯薬学生馬術大会:優勝,三輪、岡田、白神、竹内、五十嵐*、久保, 日本学生選手権出場:三輪 忍 ,昭和14年,1939年,, ,主将,白神 盛文 ,主な練習場所, 予科に併設された馬場を中心に、陸軍士官学校などでもおこなった。 ,主な出来事, 京都府立医大戦が始まった。 この頃関東学生甲組に昇格した。 ,昭和15年,1940年,, ,主将,五十嵐 正典* ,主な練習場所, 予科に併設された馬場を中心に、陸軍士官学校などでもおこなった。 ,主な試合結果, ,主な出来事, ,昭和16年,1941年,, ,主将,久保 文明 ,主な練習場所, 予科に併設された馬場を中心に、陸軍士官学校などでもおこなった。 ,主な試合結果, ,主な出来事, ,昭和17年,1942年,, ,主将, ,主な練習場所, 予科に併設された馬場を中心に、陸軍士官学校などでもおこなった。 ,主な試合結果, ,主な出来事, ,昭和18年,1943年,, ,主将, ,主な練習場, 予科に併設された馬場を中心に、陸軍士官学校などでもおこなった。 ,主な試合結果, 第13回関東医歯薬学生馬術大会:優勝 ,主な出来事, ,昭和19年,1944年,, ,主将, ,主な練習場所, ,主な試合結果, ,主な出来事, ,昭和20年,1945年,, ,主な出来事, 戦争のため大学が栃木県の益子に疎開した。馬術部は近隣の農家の馬を借りて練習をしていた。8月に終戦。 ,昭和21年,1946年,, ,主将,学部:長尾 房大 ,主な出来事, 再編された関東学生馬術協会設立協議会に参加。第一回会議の参加校は早稲田、慶応、明治、法政、立教、帝国、日本、専修、学習院、東京獣医、麻布獣医、慈恵の12校であった。 ,昭和22年,1947年,, ,主将,学部:庵谷 实、予科:水永 浩二 ,主な練習場所, 戦後の混乱期であるこの頃は、予科,大橋校舎,の隣にあった警視庁騎馬隊馬場,目黒区大橋,、東京乗馬クラブ,参宮橋,、パレスクラブ,皇居内,、馬事公苑、步蔵野乗馬クラブなどでおこなわれていた。 ,合宿場所, ,主な試合結果, ,主な出来事, ,昭和23年,1948年,, ,主将,学部:林 大八郎、予科:中里 嘉光 ,主な練習場所, ,合宿場所, ,主な試合結果, サムス杯優勝, 関東学生準決勝で専修大学と対戦し惜敗。審判長より「力の専修、智の慈恵」という講評をいただく。 ,主な出来事, このころ慈恵は関東学生甲組に所属。甲組は関東学生上位8校からなり、理科系では慈恵のみが甲組に所属していた。 ,昭和24年,1949年,, ,主な出来事, この年は学制制度改革によって、学部学生は他校から入学させ、予科が空白になるなどしたため、活動が一時停止した。 ,昭和25年,1950年,, ,主将, 学部:水永 浩二 ,主な練習場所, ,合宿場所, ,主な試合結果, ,主な出来事, ,昭和26年,1951年,, ,主将,学部:安達 芳男 ,主な練習場, ,合宿場所, 駐留軍キャンプ内乗馬クラブ,仙台, ,主な試合結果, ,主な出来事, 12月に「慈蹄会報 創刊号」発刊。部誌のルーツとなる。 ,昭和27年,1952年,, ,主将,前沢 伯彦 ,主な練習場, ,合宿場所, 宮城県泉市七北田, ,主な試合結果, ,主な出来事, ,昭和28年,1953年,, ,主将,六角 謙 ,主な練習場, ,合宿場所, 農林省種馬牧場,北海道日高浦河, ,主な試合結果, ,主な出来事, ,昭和29年,1954年,, ,主将,小林 重高 ,主な練習場, ,合宿場所, ,主な試合結果, ,主な出来事, ,昭和30年,1955年,, ,主将, ,主な練習場, ,合宿場所, ,主な試合結果, ,主な出来事, 大学制度改革により旧制予科が廃止となり、慈恵は学部のみの大学となった。 このため部員数は減尐し、活動は次第に低下していった。 ,昭和31年,1956年,, ,主将, ,主な練習場, ,合宿場所, ,主な試合結果, ,主な出来事, ,昭和32年,1957年,, ,主将,南雲 秀晃 ,主な練習場, ,合宿場所, ,主な試合結果, ,主な出来事, 部員が減尐し存続の危機が迫ったが、ラグビー部から坪田 修三をマネージャー として迎え、活動を続けることができた。 ,昭和33年,1958年,, ,主将,久保田 邦之 ,主な練習場, ,合宿場所, ,主な試合結果, ,主な出来事, 部員は兼部を含め5名いたが、实質的には2名であった。 ,昭和34年,1959年,, ,主将, 毛利 知忠 ,主な練習場,このころの練習は近隣の乗馬クラブを転々としていた。 ,合宿場所,横浜乗馬倶楽部 ,主な試合結果, ,主な出来事, 部員数減尐により同好会へ格下げの危機があったが、主将の奮闘で部を維持し た。部長である樋口学長のご厚意で自馬として初春号、島影号を所有するように なる。 ,昭和35年,1960年,, ,主将,毛利 知忠 ,主な練習場, 清風会,千歳船橋,、東京乗馬クラブ、馬事公苑 ,主な試合結果, 愛知学芸大学との遠征招待試合で勝利。 サムス杯、東医体にフルメンバーで出場も敗退。 ,合宿場所,秋田県角館町 ,主な出来事, 旧制の予科が進学課程としてこの年から復活した。昭和30年の大学制度改革に よって専門課程のみの大学となってため、その間部員数が減尐していた。 三浦七郎教官の指導を仰ぐようになる。 ,昭和36年,1961年,, ,主将,原瀬 瑞夫 ,主な練習場,清風会、東京乗馬クラブ ,合宿場所,秋田県角館町 ,主な試合結果, ,主な出来事, 部員が増加しほぼ復興。島影号を自馬として清風会に預託。 ,昭和37年,1962年,, ,主将,中谷 恒 ,主な練習場,東京乗馬クラブ ,合宿場所,新潟乗馬クラブ、横浜乗馬クラブ ,主な試合結果, 第14回サムス杯:準優勝,中川、密田、後藤、大橋, ,主な出来事, 東医体を横浜乗馬クラブで主管。自馬、島影号は疝痛のため手放す。三浦七郎 教官は新潟国体のため新潟へ招請された。 ,昭和38年,1963年,, ,主将, ,主な練習場所, ,合宿場所, ,主な試合結果, ,主な出来事, ,昭和39年,1964年,, ,主将,大橋 克洋 ,主な練習場所,東京乗馬倶楽部、アバロン乗馬学校 ,合宿場所,角館町、仙台愛馬会 ,主な試合結果, 東医体:準優勝,中川、大橋、杉浦、後藤, ,主な出来事, 関東学生馬術協会に復帰した。 ,昭和40年,1965年,, ,主将,杉浦 元孝 ,主な練習場,東京乗馬倶楽部、アバロン乗馬学校 ,合宿場所,角館町 ,主な試合結果, 中部6大学招待戦:準優勝 東医体:優勝, , 対青山学院大?法政2部戦:優勝 第17回医歯薬戦,サムス杯,:優勝 , , 関東学生第3部トーナメント:準優勝 ,主な出来事, ,昭和41年,1966年,, ,主将,本郷 忠敬 ,主な練習場, ,合宿場所, ,主な試合結果, 第5回関東学生選手権:個人入賞 徳田 博正 第18回サムス杯:優勝, , 医歯薬定期戦:準優勝, , ,主な出来事, 関東学生選手権で入賞した徳田博正が関東代表選手に選出された。 ,昭和42年,1967年,, ,主将, ,主な練習場, ,合宿場所, ,主な試合結果, 第19回サムス杯:優勝, , 第2回医歯薬馬場戦:団体準優勝,城、徳田、 , 個人2位 城 宏輔、個人3位 徳田 博正 ,主な出来事, ,昭和43年,1968年,, ,主将, ,主な練習場, ,合宿場所, ,主な試合結果, 第3回医歯薬馬場戦:団体優勝,竹広、城、 , 個人優勝 竹広 茂子、個人2位 城 宏輔 第20回サムス杯:準優勝, , ,主な出来事, ,昭和44年,1969年,, ,主将, ,主な練習場, ,合宿場所, ,主な試合結果, 第4回医歯薬馬場戦:団体優勝, , 個人 ,主な出来事, ,昭和45年,1970年,, ,主将, ,主な練習場, ,合宿場所, ,主な試合結果, ,主な出来事, ,昭和46年,1971年,, ,主将,杉本 東一 ,主な練習場,アバロン乗馬学校 ,合宿場所, 浜松中田島乗馬クラブ、三浦乗馬育成学校,静岡県吉田町, 初の女子合宿が 三浦乗馬育成学校でおこなわれた。 ,主な試合結果, 医歯薬新人戦:優勝,北条、江口、宮本、 , 第7回医歯薬定期戦:準優勝,金子、小林、杉本、遠步, 三校対抗戦,慈恵、昭和、愛知教育大,:総合優勝 ,主な出来事, ,昭和47年,1972年,, ,主将,遠步 孝育 ,主な練習場,アバロン乗馬学校 ,合宿場所,三浦乗馬育成学校 ,主な試合結果, 東医体:3位 第7回医歯薬馬場戦:団体3位,杉本、遠步、三室*、魵沢*, 個人3位 杉本 東一 第8回医歯薬定期戦:優勝, , 第4回医歯薬新人戦:準優勝,石井、小沢、戸沢、佐能, 第42回関東学生争覇戦:準優勝,小林、杉本、 宮本、遠步、江口、北条, 優秀選手 小林 輝久 第20回 東京馬術大会 点取り障害飛越競技:個人優勝 遠步 孝育 ,主な出来事, 関東学生争覇戦は予選リーグを勝ち抜き、3校による決勝戦に進出。決勝戦は6 名戦、総当たり方式であった。初戦で東京農大に敗れたが、次の試合で中央大に勝利。東京農大が中央大に勝ったため、3校とも1勝1敗となり、勝ち鞍数で東京 農大が優勝、慈恵は準優勝、中央大が3位となった。 ,昭和48年,1973年,, ,主将, ,主な練習場, ,合宿場所, ,主な試合結果, 関東争覇戦3位, 東医体優勝, 第8回医歯薬馬場戦:団体優勝, , 個人優勝 三室 和子* ,主な出来事, ,昭和49年,1974年,, ,主将, ,主な練習場, ,合宿場所, ,主な試合結果, 第9回医歯薬馬場戦:個人2位 魵沢 和美* 第6回医歯薬新人戦:準優勝, , 第10回医歯薬定期戦:3位, , ,主な出来事, ,昭和50年,1975年,, ,主将, ,主な練習場, ,合宿場所, ,主な試合結果, 第10回医歯薬馬場戦:団体優勝, , 個人 ,主な出来事, ,昭和51年,1976年,, ,主将,竹内 孝夫 ,主な練習場,アバロン乗馬学校 ,合宿場所,甲府乗馬クラブ ,主な試合結果, 第11回医歯薬馬場戦:団体優勝, , 個人 第12回医歯薬定期戦:3位, , ,主な出来事, ,昭和52年,1977年,, ,主将,森山 正敏 ,主な練習場,アバロン乗馬学校 ,合宿場所,甲府乗馬クラブ ,主な試合結果, 関東学生争覇戦:準優勝,竹内、古川、宇都宮、南雲、浅野、笠井, 優秀選手 竹内 孝夫 第12回医歯薬馬場戦:団体優勝,小林、宇都宮、浅野、 , 個人優勝 宇都宮 一典、2位 小林 はる美、3位 浅野 慎吾 第13回医歯薬定期戦:優勝, , 第29回サムス杯:3位, , ,主な出来事, 関東学生争覇戦は1回戦,対宇都宮大学,不戦勝、 3つのブロックからなる予選リーグを勝ち上がった専修、東京農大、慈恵の三校で,名戦による決勝トーナメントが行われた。専修が優勝、慈恵が準優勝、東京農大が3位となった。 医歯薬幹事長に浅野慎吾が就任。 ,昭和53年,1978年,, ,主将,浅野 慎吾 ,主な練習場,市原乗馬クラブ ,合宿場所,甲府乗馬クラブ、市原乗馬クラブ ,主な試合結果, 第14回医歯薬定期戦:優勝, , 第13回医歯薬馬場戦:優勝, , 個人 第21回東医体:優勝, , 第10回医歯薬新人戦:優勝, , ,合宿場所,甲府乗馬クラブ、市原乗馬クラブ ,主な出来事, 酒枝次郎先生,慈大昭23年卒、馬術部特別会員,が経営する市原乗馬クラブに三浦七郎教官を招致した。 ,昭和54年,1979年,, ,主将,南雲 吉則 ,主な練習場,市原乗馬クラブ ,合宿場所,甲府乗馬クラブ、市原乗馬クラブ ,主な試合結果, 第14回医歯薬馬場戦:準優勝, , 個人 第15回医歯薬定期戦:準優勝, , 第31回サムス杯:準優勝, , 関東学生新馬戦個人優勝:南雲 吉則 第14回関東学生馬術選手権障害飛越競技,二回走行,:個人入賞 南雲 吉則 第22回全日本学生馬術競技会出場:南雲 吉則 ,主な出来事, 南雲吉則,巡洋号,が関東学生新馬戦で優勝し、初の全日本学生出場権を獲得した。 ,昭和55年,1980年,, ,主将,内山 浩志 ,主な練習場,習志野乗馬クラブ、 アバロン乗馬学校 ,合宿場所,甲府乗馬クラブ ,主な試合結果, 第15回関東学生障害飛越競技,二回走行,:団体入賞,内山、三浦、今中,、全日本団体出場権獲得 第15回医歯薬馬場戦:団体優勝,内山、三浦、渡辺,喜,*、今中, 個人優勝 三浦 靖彦、2位 渡辺 喜世子*、3位 内山 浩志 第23回東医体:優勝, , 第23回全日本学生馬術競技会団体出場:内山 浩志、三浦 靖彦、今中 啓一郎 ,主な出来事, 三浦七郎先生の逝去により市原乗馬クラブから引き上げ、習志野乗馬,三浦七郎先生のご次男である三浦昭雄教官が赴任,とアバロン乗馬学校の2カ所に分かれて練習をおこなった。年度途中で習志野乗馬のオーナーが亡くなり習志野乗馬が閉鎖となり、三浦昭雄教官も退職されたため、新たな練習場所を求めて放浪した。練習環境が厳しい中、全日本学生団体出場権を獲得する快挙があった。 ,昭和56年,1981年,, ,主将,伊藤 博志 ,主な練習場,アバロン乗馬学校 ,合宿場所,甲府乗馬クラブ ,主な試合結果, 第16回医歯薬馬場戦:団体優勝,三浦、今中、伊藤、渡辺(喜,*, 個人優勝 渡辺 喜世子*、個人2位 今中 啓一郎 第13回医歯薬新人戦:準優勝,荻原、石黒、横打、鈴木、浪川, 第16回関東学生障害飛越競技,二回走行,:個人入賞 秋本 憲一 第19回関東学生馬術女子競技会,女子自馬,障害飛越競技4位 :渡辺 喜世子* 第24回全日本学生馬術競技会出場:秋本 憲一 第2回キャロットステークス新馬戦5位:伊藤 博志 ,主な出来事, アバロン乗馬学校曽根徳教官の指導を仰ぐようになる。 第24回東医体馬術部門を主管。 ,昭和57年,1982年,, ,主将,正岡 亦 ,主な練習場,アバロン乗馬学校 ,合宿場所,甲府乗馬クラブ ,主な試合結果, 第17回医歯薬馬場戦:団体優勝,正岡、五味渕、荻原、渡辺,喜,*, 個人3位 渡辺 喜世子* 第34回サムス杯:3位,正岡、五味渕、荻原、石黒、横打, 第17回関東学生馬術選手権障害飛越競技,二回走行,:個人入賞 正岡 亦 第25回全日本学生馬術競技会出場:正岡 亦 ,主な出来事, 医歯薬幹事長に石黒俊彦が就任。 ,昭和58年,1983年,, ,主将,石黒 俊彦 ,主な練習場,足利乗馬学校、アバロン乗馬学校 ,合宿場所,甲府乗馬クラブ、ユーカリ牧場、足利乗馬学校 ,主な試合結果, 第18回医歯薬馬場戦: 団体準優勝,五味渕、石黒、鈴木、浪川, 個人優勝 鈴木 育夫 第15回医歯薬新人戦:準優勝,浪川、中野、吉田,和,*、中村、小野, 第35回サムス杯:3位,正岡、荻原、石黒、横打、鈴木, 神奈川県馬術大会:小障害C個人優勝 鈴木 育夫 ,主な出来事, 足利乗馬学校の山崎正敏教官の指導を仰ぐようになる。以後足利での練習がメ インとなる。 ,昭和59年,1984年,, ,主将,浪川 雄一 ,主な練習場,足利乗馬学校、アバロン乗馬学校 ,合宿場所,足利乗馬学校 ,主な試合結果, ,主な出来事, ,昭和60年,1985年,, ,主将,中野 浩志 ,主な練習場,足利乗馬学校、アバロン乗馬学校 ,合宿場所,足利乗馬学校 ,主な試合結果, 東医体:総合3位,浪川、中野、吉田,和,*、小野,、優秀選手 吉田 和美* 第37回サムス杯:優勝,浪川、中野、吉田(和,*、小野,、最優秀選手 小野 益照 ,主な出来事, ,昭和61年,1986年,, ,主将,小野 益照 ,主な練習場,足利乗馬学校、アバロン乗馬学校 ,合宿場所,足利乗馬学校 ,主な試合結果, 東医体:総合準優勝,中野、吉田,正,、小野、中村,、優秀選手 中野 浩志 北関東馬術大会 小障害3位:中村 文彦 ,主な出来事, ,昭和62年,1987年,, ,主将,中村 文彦 ,主な練習場,足利乗馬学校 ,合宿場所,足利乗馬学校 ,主な試合結果, ,主な出来事, ,昭和63年,1988年,, ,主将,中山 伊知郎, ,主な練習場,足利乗馬学校 ,合宿場所, ,主な試合結果, ,主な出来事, ,平成元年,1989年,, ,主将,銅谷 实, ,主な練習場,足利乗馬学校 ,合宿場所, ,主な試合結果, ,主な出来事, 部長が青木照明教授から酒井紀教授に亣代した。 山崎正敏先生の逝去により足利乗馬学校が閉鎖となった。 ,平成2年,1990年,, ,主将, ,主な練習場, ,合宿場所, ,主な試合結果, ,主な出来事, 活動休止, ,平成3年,1991年,, 活動休止 ,平成4年,1992年,, ,主な練習場,厚木乗馬クラブ ,合宿場所, ,主な出来事, 厚木乗馬クラブの今村,旧姓三浦,昭雄教官のもと、学生の山岸弘子*?OBの石 黒俊彦,昭60卒,が中心となって活動を再開した。 ,平成5年,1993年,, ,主将,山岸 弘子* ,主な練習場,厚木乗馬クラブ ,合宿場所, ,主な試合結果, ,主な出来事, ,平成6年,1994年,, ,主将,早川 祐子* ,主な練習場,厚木乗馬クラブ ,合宿場所, ,主な試合結果, 医歯薬馬場戦:準優勝, , 個人 ,主な出来事, 医歯薬障害飛越選手権,個人戦,が新たに設けられた。 ,平成7年,1995年,, ,主将,吉原 理恵 ,主な練習場,スカイパーク?ライディングクラブ ,合宿場所,スカイパーク?ライディングクラブ ,主な試合結果, ,主な出来事, 今村昭雄教官が神奈川県厚木市にスカイパーク?ライディングクラブを開設し、 以後慈恵医大の主練習場となる。 ,平成8年,1996年,, ,主将,加藤 哲朗 ,主な練習場,スカイパーク?ライディングクラブ ,合宿場所,スカイパーク?ライディングクラブ ,主な試合結果, 医歯薬馬場戦:準優勝, , 個人3位 三浦 琢磨 第39回東医体:優勝, , サムス杯:優勝, , 最優秀選手 横井 健太郎 ,主な出来事, 東医体優勝などの功績により、大学より樋口杯が授与された。 ,平成9年,1997年,, ,主将,横井 健太郎 ,主な練習場,スカイパーク?ライディングクラブ ,合宿場所,スカイパーク?ライディングクラブ ,主な試合結果, 東医体:準優勝, , 医歯薬馬場戦:団体 準優勝, , 個人3位 三浦 琢磨 ,主な出来事, 部長に田中忠夫教授,産婦人科主任教授,が就任した。 医歯薬幹事長に吉川哲矢が就任した。 看護学科からの入部が始まった。 ,平成10年,1998年,, ,主将,大熊 康弘 ,主な練習場,スカイパーク?ライディングクラブ ,合宿場所,スカイパーク?ライディングクラブ ,主な試合結果, 医歯薬馬場戦:団体3位, , 医歯薬定期戦:優勝, , 最優秀選手 吉川 哲矢 第41回東医体:総合優勝 ,主な出来事, ,平成11年,1999年,, ,主将,大熊 康弘 ,主な練習場,スカイパーク?ライディングクラブ ,合宿場所,スカイパーク?ライディングクラブ ,主な試合結果, 医歯薬定期戦:準優勝, , サムス杯:3位, , ,主な出来事, ,平成12年,2000年,, ,主将,溝口 裕規 ,主な練習場,スカイパーク?ライディングクラブ ,合宿場所,スカイパーク?ライディングクラブ ,主な試合結果, 第1回看学体:団体優勝,大竹*、亀田、金沢、小山*,、障害個人優勝:大竹*、 馬場個人優勝:大竹*、準優勝 亀田、ジムカーナ優勝:亀田 医歯薬定期戦:3位, , ,主な出来事, 看学体が山梨県馬術競技場にて、山梨医大?慈恵医大の2校対抗の形で行われ た。 ,平成13年,2001年,, ,主将,溝口 裕規 ,主な練習場,スカイパーク?ライディングクラブ ,合宿場所, ,主な試合成績, ,主な出来事, 部員数が激減し、活動が十分にできなくなっていった。 ,平成14年,2002年,, 活動停止。11月に石井,看護学科,年,がスカイパークを訪問。 ,平成15年,2003年,, ,主将,石井 桃 ,主な練習場,スカイパーク?ライディングクラブ ,合宿場所, ,主な試合成績, 第35回医歯薬新人戦:3位,石井、佐々木, ,主な出来事, 石井桃を中心に活動再開。新入生も数名入部した。 ,平成16年,2004年,, ,主将,佐々木 正之 ,主な練習場,スカイパーク?ライディングクラブ ,合宿場所,スカイパーク?ライディングクラブ ,主な試合成績, 第39回医歯薬馬場戦 優秀選手:石井 桃 第47回東医体:馬場競技優秀選手 佐々木 正之 第56回サムス杯:準優勝,佐々木、他:慈恵日医 合同 劳动合同范本免费下载装修合同范本免费下载租赁合同免费下载房屋买卖合同下载劳务合同范本下载 チーム, ,主な出来事, 部員数が尐なく、団体戦は他校との合同チームで出場。 学生支援のためOB/OG会の立ち上げを準備。 ,平成17年,2005年,, ,主将,佐々木 正之 ,主な練習場,スカイパーク?ライディングクラブ ,合宿場所,スカイパーク?ライディングクラブ ,主な試合成績, 第40回医歯薬馬場戦:3位,佐々木、竹川、他:他校との合同チーム, 第48回東医体:馬場競技優秀選手 佐々木 正之 昭和?慈恵?日医亣流試合:ジムカーナ3位 竹川 悠起子 第37回医歯薬新人戦:個人準優勝 竹川 悠起子 ,主な出来事, 部員が实質的に2名のみとなり、再び活動停止の危機に陥った。東医体は個人 参加のみ、医歯薬公式戦は他校との合同チームで出場した。 医歯薬理事が大橋,昭41卒,から秋本,昭58卒,に亣代した。 8月に第1回OB,OG会開催。会長に大橋,昭41卒,、幹事長に秋本,昭58 卒,が就任した。 ,平成18年,2006年,, ,主将,佐々木 正之 ,主な練習場,スカイパーク?ライディングクラブ ,合宿場所,スカイパーク?ライディングクラブ ,主な試合成績, 第41回医歯薬馬場馬術選手権:団体3位,佐々木、竹川、他:他校との合同チ ーム, 優秀選手 佐々木 正之 第49回東医体:馬場競技優秀選手 佐々木 正之 第38回医歯薬新人戦: 団体戦 3位,石川、川島, 個人優勝 石川 悟 ,主な出来事, 第2回OB/OG会が開催され、宇都宮,昭54,が副会長に就任した。 部員数が増え、医歯薬定期戦以外は慈恵単独チームとして出場した。 愛宕セカンド号が久々の慈恵の自馬として入厩した。 ,平成19年,2007年,, ,主将,竹川 悠起子 ,主な練習場,スカイパーク?ライディングクラブ ,合宿場所,スカイパーク?ライディングクラブ ,主な試合成績, 第42回医歯薬馬場戦:団体準優勝,竹川、石川、川島、清水, 優秀選手 川島 朱織 第14回医歯薬個人戦:準優勝 佐々木 正之 第39回医歯薬新人戦:準優勝,清水、高橋、泉、須藤, 個人3位 泉 明延 第59回サムス杯:準優勝,佐々木、石川、泉, 優秀選手 佐々木 正之 ,主な出来事, 医歯薬ベストスクール,団体年間ランキング,3位、医歯薬ベストライダー,個人 年間ランキング,で佐々木正之が2位に入り医歯薬馬術連盟から表彰される。 ,平成20年,2008年,, ,主将,石川 悟 ,主な練習場,スカイパーク?ライディングクラブ ,合宿場所,スカイパーク?ライディングクラブ ,主な試合成績, 第43回医歯薬馬場戦:団体準優勝,竹川、石川、川島、清水, 優秀選手 竹川 悠起子 第51回東医体:総合優勝 障害飛越個人戦:3位,石川, 馬場競技団体戦:準優勝,竹川、川島, 馬場競技優秀選手 竹川 悠起子 障害飛越団体戦:優勝,石川、泉、大野, 障害飛越最優秀選手 石川 悟 第15回医歯薬個人戦:4位 清水 圭祐 第40回医歯薬新人戦:3位,須藤、阿部、太田、大野, 個人準優勝 阿部 ちひろ ,主な出来事, シュークリーム号が2頭目の自馬として入厩。 第51回東医体を馬事公苑にて主管し、総合優勝を勝ち取った。 第二部 慈恵医大馬術部自馬列伝 慈恵医大の自馬および慈恵学生?OBOGが出場した自馬戦についての記録。OBOG が出場した場合は、卒業年度を名前の後ろに入れることで現役学生と区別した。 ,自馬列伝ワークシート, ,,馬名 ,,生年、種別、性別、毛色 ,,慈恵の自馬となった年月、その経緯など ,,競技成績 【凡例】氏名に*がついている場合は旧姓。 愛宕 木村健也,昭29,の兄の世話により宮城県より購入。慈恵の第一号自馬となる。 代々木の東京乗馬クラブに入厩。 春風 東医、日医、慶応、慈恵の四医大で共有し、馬事公苑に繋留。 初春 当時部長であった樋口一成学長のご厚意でパレスクラブより購入。東医、日医、慶応、慈恵の四医大で共有。昭和34年、清風会乗馬クラブに入厩。昭和36年疝痛にて死亡。 島影 当時部長であった樋口一成学長のご厚意により、合宿地の秋田で購入。昭和35年入厩。昭和37年疝痛にて離厩。 磯嵐,エド, 昭和31年生まれ、セン、栗毛。 昭和40年11月 アバロン大会 中障害優勝,杉浦 元孝, 恵駿 昭和40年生まれ、サラ、セン、栃栗毛。昭和45年入厩。 昭和46年6月 第6回関東学生馬術女子競技会,女子自馬, 障害,三室 和子*,、 B馬場,魵沢 和美*, 昭和46年11月 オリンピック記念馬術大会 新馬障害,小林 輝久,、婦人障害,大森 百合子*,、婦人B馬場,大森百合子*, 昭和47年5月 第20回東京馬術大会 中障害A,杉本 東一,、B馬場新馬班,三室 和子*, 昭和47年6月 第7回関東学生馬術女子競技会,女子自馬, 障害,三室 和子*,、B馬場,魵沢 和美*, マッキンレー 昭和39年生まれ、牡、芦毛。昭和46年10月入厩。 梅の誉 昭和31年生まれ、サラ、栗毛。昭和42年入厩。 吟月 昭和41年生まれ、サラ、牡、鹿毛。昭和47年入厩。中川雅明,昭40,所有。 昭和46年6月 第6回関東学生馬術女子競技会,女子自馬, 障害,魵沢 和美*, 、B馬場,三室 和子*, 昭和47年5月 第20回東京馬術大会 点取り障害,中川 雅明 S40卒,、B馬場一般班,中川 雅明 S40卒, 昭和47年6月 第7回関東学生馬術女子競技会,女子自馬, 障害,魵沢 和美*,、B馬場,三室 和子*, ウィスコット?アルドリッヒ,ケンシゲル, バスター 昭和38年生まれ、サラ、セン。日本中央競馬会より払い下げがあり、抽選により獲得。昭和57年12月死亡。 巡洋 昭和46年生まれ、サラ、セン、尾花栗毛。大橋克洋,昭41卒,所有。 昭和54年5月 関東学生新馬戦 優勝,南雲 吉則, 昭和54年6月 第14回関東学生馬術選手権障害飛越競技,二回走行,入賞,南雲 吉則, 昭和54年10月 第22回全日本学生馬術競技会,南雲 吉則, 昭和55年6月 第15回関東学生馬術選手権障害飛越競技,二回走行,入賞,今中 啓一郎, 昭和55年10月 第23回全日本学生馬術競技会,今中 啓一郎, 昭和56年2月 神奈川県大会,秋本 憲一, 昭和56年2月 第11回関東学生新人戦,石黒 俊彦, 昭和56年4月 第7回トキノアラシ号記念大会,三浦 靖彦, 昭和56年4月 秦野馬術大会,伊藤 博志、今中 啓一郎, 昭和56年5月 第14回全国都道府県対抗馬術大会,伊藤 博志, 昭和56年6月 第16回関東学生馬術選手権障害飛越競技,二回走行,,伊藤 博志, 昭和56年10月 第19回関東学生馬術女子競技会,女子自馬,障害飛越,渡辺 喜世子*, 昭和57年3月 第2回スプリングジャンプ大会 初級障害,五味渕 一三, 昭和57年6月 第17回関東学生馬術選手権障害飛越競技,二回走行,,五味渕 一三, 昭和57年9月 スナーフェル号記念馬術大会,石黒 俊彦, 昭和57年10月 オリンピック記念馬術大会,石黒 俊彦, 昭和57年11月 東京馬術大会 Cクラス障害,鈴木 育夫, 昭和58年2月 神奈川馬術大会 小障害B,石黒 俊彦,、小障害C 優勝,鈴木 育夫, 昭和58年3月 関東学生オープン戦,鈴木 育夫, 昭和58年3月 関東学生OB戦 馬匹ランキング12位,大橋 克洋 S41卒などが騎乗, 昭和58年4月 トキノアラシ号記念馬術大会 中障害,鈴木 育夫, 昭和58年5月 第16回都道府県対抗馬術大会,中村 文彦, 昭和58年6月 第18回関東学生馬術選手権障害飛越競技,二回走行,,鈴木 育夫, 昭和58年7月 第4回キャロットステークス,中村 文彦, 昭和58年8月 北関東馬術大会,中村 文彦, 昭和58年11月 東京馬術大会 小障害,吉田 和美*, 昭和58年12月 八王子大会 小障害,中野 浩志,、婦人障害,吉田 和美*, 昭和59年2月 神奈川県大会 小障害,中野 浩志,、小障害,吉田 和美*, 昭和59年4月 トキノアラシ号記念馬術大会 ハンタークラスB,石黒 俊彦,、中障害,鈴木 育夫, 昭和59年6月 関東学生二回走行トライアル,中村 文彦, 昭和59年11月 東京馬術大会 標準障害C,吉田 和美*, 昭和59年11月 第22回関東学生馬術女子競技会,女子自馬,障害飛越,吉田 和美*, 昭和60年3月 関東学生新人戦,中野 浩志, 昭和60年3月 関東学生OB戦,頴川 一忠 S55卒、南雲 吉則 S56卒, 昭和60年5月 第18回都道府県対抗馬術大会 婦人障害,吉田 和美*,、標準障害,石黒 俊彦 S60卒, 昭和60年6月 関東学生障害トライアル,中野 浩志, 昭和60年9月 北関東馬術大会 部班,鈴木 史子*, 昭和61年6月 栃の葉国体記念馬術大会 中障害,中村 文彦, 昭和61年8月 北関東馬術大会 中障害,中村 文彦,、小障害,清水 正樹, 平成6年10月死亡。 ブラウンセカール 昭和46年生まれ、サラ、セン、黒鹿毛。宮本繁方,昭51卒,寄贈。 昭和56年2月 神奈川県大会,伊藤 博志, 昭和56年2月 関東学生新馬戦,渡辺 喜世子*, 昭和56年5月 第14回全国都道府県対抗馬術大会,渡辺 喜世子*, 昭和56年6月 第16回関東学生馬術選手権馬場馬術,学生賞典馬場,,渡辺 喜世子*, 昭和56年10月 第19回関東学生馬術女子競技会,女子自馬,第二課目,渡辺 喜世子*, 昭和57年10月 第20回関東学生馬術女子競技会,女子自馬,第二課目,渡辺 順子*, シューホーヒカリ 昭和50年生まれ、アングロアラブ、セン、栗毛。昭和54年入厩。六角謙,昭29卒,寄贈。 昭和55年6月 第15回関東学生馬術選手権障害飛越競技,二回走行,入賞,内山 浩志, 昭和55年10月 第23回全日本学生馬術競技会,内山 浩志, 昭和56年2月 神奈川県大会,五味渕 一三, 昭和56年2月 第11回関東学生新人戦,鈴木 育夫, 昭和56年5月 第14回全国都道府県対抗馬術大会,秋本 憲一, 昭和56年6月 第16回関東学生馬術選手権障害飛越競技,二回走行,入賞,秋本 憲一, 昭和56年6月 第2回キャロットステークス 中障害B,秋本 憲一,、中障害C,渡辺 喜世子*, 昭和56年10月 第19回関東学生馬術女子競技会,女子自馬,障害飛越4位 ,渡辺 喜世子*, 昭和56年11月 第24回全日本学生馬術競技会,秋本 憲一, 昭和57年3月 第2回スプリングジャンプ大会 初級障害、中級障害,正岡 亦, 昭和57年5月 第17回関東学生馬術選手権障害飛越競技,二回走行,入賞,正岡 亦, 昭和57年11月 第25回全日本学生馬術競技会,正岡 亦, 昭和57年11月 東京馬術大会 Cクラス障害,横打 邦男, 昭和58年2月 神奈川馬術大会 小障害C,横打 邦男, 昭和58年3月 関東学生新人戦,浪川 雄一, 昭和58年3月 関東学生OB戦,鈴木 善郎 S31卒, 昭和58年4月 トキノアラシ号記念馬術大会 中障害,横打 邦男,、中障害C 選抜クラス,横打 邦男, 昭和58年5月 第16回全国都道府県対抗馬術大会,中野 浩志, 昭和58年6月 第18回関東学生馬術選手権障害飛越競技,二回走行,,横打 邦男, 昭和58年11月 東京馬術大会 標準障害C,浪川 雄一, 昭和59年8月 北関東馬術大会,小野 益照, 昭和59年11月 東京馬術大会 標準障害C,中野 浩志, 昭和61年8月 北関東大会 中障害,中村 文彦,、小障害3位,中村 文彦,、部班,銅谷 实, リュウシン サラ、牝、芦毛。昭和54年入厩。 昭和55年6月 第15回関東学生馬術選手権障害飛越競技,二回走行,入賞,三浦 靖彦, 昭和55年10月 第23回全日本学生馬術競技会,三浦 靖彦, 昭和56年2月 神奈川県大会,今中 啓一郎, 昭和56年2月 第11回関東学生新人戦,横打 邦男, 昭和56年5月 第14回全国都道府県対抗馬術大会,今中 啓一郎, 昭和56年6月 第16回関東学生馬術選手権障害飛越競技,二回走行,,今中 啓一郎, 吟陽,マジソンシティー, 昭和48年生まれ、サラ、芦毛。中川雅明,昭40卒,所有。 昭和56年6月 第2回キャロットステークス 新馬戦5位,伊藤 博志, 昭和57年3月 第2回スプリングジャンプ大会 初級障害,荻原 朝彦, 昭和57年6月 第17回関東学生馬術選手権障害飛越競技,二回走行,,荻原 朝彦, 昭和58年3月 関東学生オープン戦,石黒 俊彦, 昭和58年3月 関東学生OB戦,久保田 邦之 S35卒, 昭和59年6月 第19回関東学生馬術選手権障害飛越競技,二回走行,,石黒 俊彦, 昭和59年離厩。 吟雪 昭和46年生まれ、サラ、セン、芦毛。昭和58年登録。中川雅明,昭40卒,所有。 昭和58年6月 第18回関東学生馬術選手権障害飛越競技,二回走行,,石黒 俊彦, 昭和61年12月死亡。 扶桑,ウィスタリア, 昭和52年生まれ、サラ、セン、栗毛。昭和59年入厩。中川雅明,昭40卒,所有。 昭和59年5月 第17回全国都道府県対抗馬術大会 第二課目,吉成 道子*, 昭和60年5月 第18回全国都道府県対抗馬術大会 部班,須賀 直子*, 昭和61年8月 北関東馬術大会 第2級馬場馬術3位,須賀 直子*, 一駿,ドンキー, 昭和43年生まれ、アラ系、牡、栗毛。昭和59年、足利乗馬山崎教官のご厚意により登録。 昭和59年3月 関東学生OB戦,宇都宮 一典 S54卒, マウンテン,花麻, 昭和55年生まれ、サラ、牡、栗毛。昭和59年入厩。 シンディ 昭和60年、足利乗馬山崎教官のご厚意により登録。 スズルーチェ 昭和58年生まれ、サラ、牡、黒鹿毛。前沢伯彦,昭28卒,の紹介により、茨城県美浦村の小紫牧場より寄贈。昭和61年11月入厩。 ムーン?リバー 昭和62年生まれ、サラ、牝、鹿毛。今村会,昭60年卒石黒俊彦主宰,より寄贈。平成20年7月死亡。 愛宕? 平成10年生まれ、サラ、セン、鹿毛。平成18年10月入厩。今村会,昭60年卒 石黒俊彦主宰,より寄贈。 かつての慈恵の名馬、愛宕号に因み愛宕セカンドと命名。 平成20年6月 神奈川県馬術大会 60cm障害 準優勝,清水 圭祐,、70cm障害 優勝,清水 圭祐,、 80cm障害 ,大野 浩次郎, 平成20年6月 神奈川県馬術大会 第3課目,竹川 悠紀子 6位入賞、石川 悟、清水 圭祐,、第2課目,高橋 美帄、須藤 英訓、阿部 ちひろ, 平成20年7月 神奈川県ホースショー 部班競技3位,太田 あゆ美, シュー?クリーム 平成15年生まれ、サラ、牝、鹿毛。平成20年2月入厩。秋本憲一,昭58卒,所有。 平成20年6月 神奈川県馬術大会 80cm障害,石川 悟、泉 明延, 平成20年7月 津久井ホースショー 小障害C,大野 浩次郎, 第三部 貸与競技馬列伝 慈恵医大の自馬ではないが、慈恵学生が自馬戦として出場した試合と馬匹の記録。 ,貸与競技場列伝ワークシート, ,,馬名 ,,生年、種別、性別、毛色 ,,所属 ,,競技成績 【凡例】氏名に*がついている場合は旧姓。 尊氏 足利乗馬クラブ所属 昭和60年9月 北関東馬術大会 部班2位,猿田, 高遠 サラ、セン、芦毛。スカイパークライディングクラブ所属 平成19年11月 かながわゆめ国体記念馬術大会 障害飛越,石川 悟、泉 明 延, 参考資料 公式戦 ,医歯薬6大大会, 1,医歯薬定期戦 正式名称:全日本医歯薬学生馬術定期戦 別称:樋口杯 競技開始:昭和41年,1966年, 2,医歯薬馬場戦 正式名称:全日本医歯薬学生馬場馬術選手権 別称:高橋杯 競技開始:昭和41年,1966年, 3,東医体 正式名称:東日本医科学生総合体育大会 4,医歯薬新人戦 正式名称:全日本医歯薬学生馬術新人戦 別称:大久保杯 競技開始:昭和44年,1969年, 5,医歯薬個人戦 正式名称:全日本医歯薬学生障害飛越選手権 別称:平馬杯 競技開始:平成6年,1991年, 6,サムス杯 正式名称:サムス准将杯争奪戦 競技開始:昭和24年,1949年,。前身となる関東医科大学馬術定期戦は昭和 6年,1931年,開始。 ,東医体を除く5試合は全日本学生馬術連盟の主催。 ,医歯薬ベストスクール、ベストライダー, 全日本医歯薬学生馬術連盟が定めたポイントによる年間ポイントランキング制 度。ベストスクールは大学に、ベストライダーは個人に適用。 ,関東学生馬術協会, 1,関東争覇戦 正式名称:関東学生馬術争覇戦 2,二回走行 正式名称:関東学生賞典障害飛越競技大会 3,学生賞典馬場 正式名称:関東学生賞典馬場馬術競技大会 4,女子自馬 正式名称:関東学生馬術女子競技会 5,関東学生選手権 正式名称:関東学生選手権大会。過去には関東馬術代表選手選考会を兼ねて いた。 ,,関東学生新馬戦 7,関東学生新人戦 正式名称:関東学生馬術新人競技大会 8,関東学生OB戦 正式名称:関東学生馬術OB競技大会 ,全日本学生馬術連盟, 全日本学生馬術競技会 正式名称:全日本学生賞典障害飛越競技 【関東および全日本学生に関する注記】 大会の名称は慈恵医大学生が出場した当時の名称および通称。大会名下欄にある「正式名称」は現時点での正式名称であり、大会の改編などで慈恵学生が出場した当時のものと完全には一致しない場合もある。
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