37嬉し泣き
冬は日脚が短く、南向きの窓から残照が映ってくる。干されてある服を片付けようと未来はベランダに出た。西から南に掛かって空の半分が茜色に染め上げられ、東へと淡泊に伸びてゆく。下の住宅区の屋根は沈んでゆく夕日に映えてきらきら光っている。街灯も灯り出し、交差点の信号も段々と目立ってきた。
通常この時ならもう帰ってきた筈なんだけど、最近は年末年始でしばしば残業で遅くなるときもある。明音はソファの上に丸まって眠っている。
鏡台の前で未来はヘアピンを取った。長い髪はファサと両肩まで流れ落ちる。ゆっくり櫛を入れながら鏡に映っている自分の顔を細かく観察してみた。
前髪は伸びで眉毛を遮る。少し前に自分で前髪を切ったのだが、伸びてきたら纏まらなくて、また切るべきか迷いつつセットしているので、いつも中途半端なボサ髪が哀しい。
掻き立てたり、束ねたり、解したり、髪の毛と数分間格闘した後、結局全部打っ遣って未来は風呂場に向かった。今年に入ってからこんなこと続きなのが気になる。お気に入りの化粧品が突然店から消えて、「何か問題でも?」と思って聞いてみたところ、どうも、ただ人気が出なかっただけらしく。あのクレンジングはなかなか優秀だったけど。
全身鏡に向かって未来はあれこれポーズを取ってみた。豊艶な女体、つるつると透き通るような肌理、幾ら自分で慰めてもしょうがないと分かってるけど、正直ちょっと肥ったかな。
蛇口の螺子を捻って湯船に注水しておいて、彼女はシャワーの下に立った。シャアと一先ず浴びてボディーソープを全身に塗って、洗顔クリームも塗って、シャンプをたっぷり絞って頭に揉みしだいた。そしてグリグリと泡に囲まれた体をすきっと流した。これは彼の癖だった。昔未来はこれをみて大雑把だと笑っていた。
洗い終わって水の中に入った。体中の神経も緩まれて、力が抜け、次第に気分がほぐれる。間違いなく、お風呂は人生最高の享楽の一つである。
水の温度を普段より少し上げたので体が真っ赤になった。風呂から上がって水滴を拭いた後は、バラの香りのボディーケアものをたくさんもらって、毎日お肌をキュッキュ磨いている。アロマで、すっきり、リラックス、やはりちょっとお手入れするだけで潤いが違う。ふんわりお肌から香りがずっと漂ってくるので、とても贅沢。柔和な性格になったような錯覚もしたり。湯上りはこれに限る。
タオルで髪を巻き上げて部屋に戻ると、日は暮れ、外はすっかり暗くなっていた。
食卓の蝋燭をつけて、未来は再び化粧台の前に座ってプルプルとした唇にリップを運んだ。この動作はほぼ癖になっている。頬に笑窪を作るとどんな悩みでも吹っ飛んでしまう。紅でパタパタと軽く叩きながら暈かすと、より一層効果が出る。
柳眉を細長く描いた。秀麗な容顔が絵のように鏡に浮く。心満ちてホッと吐息をした。乱れ髪を櫛で梳かし直してそれを後ろで一つに纏め、髻を作った。
久しぶりに睫毛をつけてみた。華やかな十二月に向けて、アイメーク本は手放さない。繭と睫毛には特に力を入れている。ここ数年間の経験により得た小技は、目に対して三分の二くらいの長さが扱い易い。
未来は横目で瞬いてみた。女度アップ。写真写りも目力のお蔭で良いような。
明音はもう起きて、頭を傾げて座ったまま鏡の中からじいと彼女を眺めている。未来は後ろに向けて手招きした。普段と違う彼女に接近し難いようでコチコチになっていたけど、すぐ胸に飛び込んでじゃれ付く。
ずっしり重い。一年近く、明音はすくすくと成長してきた。つるつると滑る毛を撫で摩っていると、この猫が自分に取ってどれだけの分量を占めているのか、実感が湧いてくる。この家に入って、彼が会社に行った後の大部分の時間を伴ってくれるのは明音であった。昼寝の後、だだっ広い部屋の中に喪失感が否めない。でも寂しげの中、傍に寝ている明音の姿が視界に入ることで心の安寧を感じる。この家庭の足りない一部になっていた。子供が生まれて家族写真を撮るときには、必ず前に並べて写真に入れのだ。
今明音は彼女の膝の上で肩を起き伏しながら寝息を立てている。こんなに早く眠ってしまう。思わず笑ってしまった。近頃の自分の生活みたいに、食べて、寝て、テレビを見ているだけ。冬の寒さに敵わないという理由で体を動かない自分に明音もすっかりそのくせが付いてしまったのだ。
そんな明音を起こさないように未来は撫でるのを止めてネイルを塗り始めた。彼の帰りを待ちながら時間を潰すだけ。最近のお気に入りは遅ればせながらフレンチネール。ラメラメと透明のコンビが特に好きなのだ。ネールの持ちは良いのだが、ストレス解消と称して、三日に一回くらいの割り合いで塗り変えたりしている。
骨の無いほど柔らかい指に光る爪を自慢げに吹きながら干していると、ドアの音が聞こえた。早くも明音が両耳をピッと立てて未来の膝から跳び下りた。言うまでも無く彼が帰ってきたのだ。
暗に仄めかす照明の下、いつもの細い姿が門内に現れた。コートを掛けた腕に鞄を持ち替えて、明音を抱き上げながら靴を脱いでいた。
「鬼ごっこでもするの?外から見ると、家だけ真っ暗だったよ」未来を見ると、玄関から上がりながらケイが聞いた。そして近くに来た途端、ケイはぽかんとしている。
未来は鞄を奪った。
「何よ、あんたこそ人をびっくりさせやがって」
彼はすっかり心を捉われていた。しぶしぶと指を伸ばして未来の頬に軽く触った。
温情溢れるその目に未来は心拍が加速していた。目を落としたまま黙っていると、ケイにに顔を戻された。互いを目視しながら二人は薄ぼんやりと立っていた。
明音が不満げにケイの手を振りほどいて地面に降りた。彼の指が首筋に絡み付いて、心魂を傾けたまま纏綿に、朝霞、朝霞を繰り返すだけだった。暖かい吐息が首を痒くする。骨が抜けられたかのように力が漏れてゆく。
「遅いんよ」目を側めて未来は小言を言った。
上擦った声でケイは「ごめん」と答えたものの、続きの言葉がない。
未来は軽く溜息を零した。
「早う洗って。料理冷めるで」
未来は台所に戻って料理を食卓に出した。
服を着替えてケイは風呂場に入った。
偶々に窓に向けた時、未来は固まってしまった。綻び出す蕾を思わせるほど美しい姿、そして透き通った瞳は水晶のようで、今にも水が滴りそうにすれすれと秋波を流している。
燭台の焔が揺らめきながら火花を弾き出す。シャワーを終えたケイが食卓に戻った。ご飯を渡すと、ケイは見ようともせず未来の手首を掴んだ。お椀が転がり落ちそうになっので二人同時に叫びながら救いに出た。何とか安穏無事に彼の平手に落ちたものの、魂を揺さ振る場景だった。
未来は急き立てた声を鳴らした。
ケイは馬鹿げに「すまん」と言った。謝ることしか出来ないのか、まったく。
「阿呆」と未来は笑い声を抑えた。
ケイも照れ笑いに口元が綻びていた。まるで子供のようだった。
「風邪治ったの?」
「みたい」
「医者さんに診てもらった?」
「うん、大したことないって」
口辺まで届いた言葉を未来はやっと自制した。食卓で真相を話してしまうと、せっかくの晩餐がお流れになる。
「良かった」
料理を一口食べて、閃かすことがあったので未来が言った。
「頼みたいことあるんやけど」
「良いよ。子供なら、いつでもお供しますよ」ケイは軽はずみに笑った。
未来はすねて膨れた顔をした。
「まったく、何考えてんだか」
「馬鹿だからね」
もしかして見抜かれたとか。でもケイの
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情を見ると、大して深い意味はなく、ただ次の言葉を待っていた。
「親知らずね、ほら、この裏の。そろそろ抜こうかなと思って」
「痛いの?」
「いや、一人でどうも怖くて。このまま年越しする訳には行かないし」
そう、お腹が大きくなって、そのとき抜こうとしたら、ひょっとして子供に影響を与えるかも。
「良いよ」
そして二人は食べ続けた。
久々の手作り、良い夕食だった。食卓を片付けようとしたらケイに止められた。
「何?」
「ちょっとだけ付き合ってくれる?」ケイは未来を引き寄せてはしげしげと見ながら笑っていた。何を企んでいるのか。
「この程度も待てられへんの?後でしようよ」
袖にしようと避けていると、急に体が転倒するようになった。ケイに運ばれて未来の体はソファに降ろされた。
「目を閉じて座ってれば良いのよ」
「十まで数えるで」
未来は笑いながらも両手を膝の上に乗せて端座した。一、二、三を数えている間に、膝の上に乗せられたものがあったので未来は計数を止めた。
ケイは片足で前に跪いていた。そして自分の手に触れているもの、それはキャンドルの薄い明かりで良く見えないけれど見覚えがあるような感じがした。
心が躍る。さっきの月刊誌に載っていた春の流行の様式だった。
溢れかえるクローゼットは手が付けられない。目を付けたことで毎回買うわけには行かないし、今度だけは衝動を絞め殺して諦めていたのだ。
「何で分かったの、何で、ねえ、何で」未来は質問責めを始めた。
「年中君が一番楽しみにしているのって、春物だと知ってるから」
ばれていたのか、やっぱり。未来は指を銜えた。例え欲しい洋服などがあっても彼にはいつも内緒にするように努めていたのに。でもこれだけは真実なんだから言い訳が出ない。
身を委ねながら未来は甘ったるい声言った。「マジで?」
「なんちゃって。あの雑誌など、いつも発売当日にコンビニなどで見ておくからさ。そしてこれが良いなあと思うものは心に留めておくのよ」
そうだったんだ。男として女性誌を立ち読みするのも相当恥ずかしいんだろうけど、彼女のためにケイはちゃんとチェックしているんだ。こんなに自分のために苦心しているのも知らず、最近はあばずれ女になって渋を食わせるばかりしていた。これも妊娠のせいかも知れないけど、少しは自省してみないと。
手を握って未来を起こし、ケイはボタンを外してくれた。未来は服従的に服を脱いで、窓ガラスを鏡にケイが渡してくれる洋服を一つずつ着始めた。
いつもなら彼が買ってきてくれた新装は誂えたかのように体にぴったり合っていた。しかし今度は大分違った。腰のボタンを閉めるとくっと苦しい、上着は袖を通すと二の腕がムチッ!嘘!いつの間にかこんな小太りになってしまったんだろう。窓から顔向けできない。取り替えることは勿論できるだろうけど、それは嫌だ。彼も気付いたらしく、笑いに紛らしていた。
身の置き所がない。泣き顔をして未来はモゴモゴと彼の気色を窺いった。
「どないしょ?」
両腕を巻き付きながらしおらしい声でケイは慰めた。
「大丈夫。ずっと冬籠りになっているからだよ。春になって、出歩けば戻ってくる」
でも未来はどうも気が気じゃなかった。立場無し!
「ホンマに?」ケイに背を付けて未来は消え入りそうな声を出した。
「勿論さ、毎朝一緒に外へ出よう。」
でも、生憎春に!
「あかん、春は」大声を上げた。
「うん?花見も出来るし、京都まで行っても良いよ」
「だから、そうじゃなくて」未来は口篭っていた。
「じゃなくて?」
どうやって打ち明けたらいいのか、単語を探りながら結局床を踏み鳴らした。
「馬鹿、だから子供要らないって言ったんやんか。あの頃はもう何ヶ月もたって、腹も出るし、ミニスカートも穿けない。私だって不細工になるで」
話し終わった途端、全身の力が抜けて、未来はドッとケイに寄り掛かった。
彼にはまだその言葉がすぐには解けなかったようだ。
「子供?不細工?」
なんとなく悔しい。ケイの胸に額を押し当てて未来はえんえんと泣きながら洗い浚い述べていた。
「お医者はんが言うとったで、もう一ヶ月やて。これで満足した?」
目を皿のようにしてケイはもとの姿勢を維持していた。鼓動が高揚してくる。ケイはペタンと膝を折って未来の腰に食い付いた。そして顔をバッと貼ったまま動かない。
時間が止まった。
やっとケイが面を擡げながら独白のように言った。「嘘言いなさい。なぜ聞こえないよ。蹴るんじゃないの?」
明星のように光る瞳、狂喜の顔を見て未来は視界が涙に沈んでゆく。その戯れる様子はまるで子供みたい。
すんすんと泣き伏しながら未来は頽れた。
「たった一ヶ月やんか、小指よりちっちゃいんよ」
再びケイは未来のお腹に耳をぴったり当てた。
「小さい、何でこんなに小さいの。なぜ」
「私ブスになるんやで、どないするん」
両手で顔を引き被って未来は啜り泣いているだけだった。そんな彼女の前髪をケイは軽く摩ってくれた。
「何言ってるんだよ。我らの命さえこの子によって続けて行くんだから」
やっと未来は覆っていた手を離した。揺れる燭光に映る顔は涙に汚れていても鮮やかさを隠せない。眉毛に付いた露が光に輝き、潤んだ目は泉のように清い。そして唇は微かに震えていた。
顔と顔を向き合わせて、二人はゆっくりと掌を当てて指を絡み合った。
やっと分かってきた、生まれ来る意味を。愛して、結ばれて、この世に訪れる。そして一つに融け合って永遠に離れない。