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风の又三郎.pdf

风の又三郎.pdf

上传者: 9113159zxd 2011-08-12 评分1 评论0 下载17 收藏0 阅读量220 暂无简介 简介 举报

简介:本文档为《风の又三郎pdf》,可适用于外语学习领域,主题内容包含PDD図書館管理番号X新字新かなに変換している()はひらがなのルビ<*>は注釈がある風の又三郎宮沢賢治:作九月一日どっどどどどうどどどうどどどう青い符等。

PDD図書館管理番号X新字新かなに変換している()はひらがなのルビ<*>は注釈がある風の又三郎宮沢賢治:作九月一日どっどどどどうどどどうどどどう青いくるみも吹きとばせすっぱいかりんも吹きとばせどっどどどどうどどどうどどどう谷川の岸に小さな学校がありました。教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけであとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたがすぐうしろは栗(クリ)の木のあるきれいな草の山でしたし運動場の隅(スミ)にはごぼごぼつめたい水を噴(フ)く岩穴もあったのです。さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴(ユキバカマ)をはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかに誰も来ていないのを見て「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大悦(オオヨロコ)びで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合せてぶるぶるふるえました。がひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけはそのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのかまるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり一番前の机にちゃんと座(スワ)っていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり眼(メ)をりんと張ってそっちの方をにらめていましたら、ちょうどそのとき川上から「ちょうはあかぐりちょうはあかぐり。」と高く叫ぶ声がしてそれからまるで大きな烏(カラス)のように嘉助(カスケ)がかばんをかゝえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから佐太郎だの耕助だのどやどややってきました。「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて云いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると教室の中にあの赤毛のおかしな子がすましてしゃんとすわっているのが目につきました。みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが誰も何とも云えませんでした。赤毛の子どもは一向(イッコウ)こわがる風(フウ)もなくやっぱりちゃんと座って、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎が来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大股(オオマタ)にやってきて、みんなを見て「何した。」とききました。みんなははじめてがやがや声をたてゝその教室の中の変な子を指しました。一郎はしばらくそっちを見ていましたがやがて鞄(カバン)をしっかりかゝえてさっさと窓の下へ行きました。みんなもすっかり元気になってついて行きました。「誰だ、時間にならなぃに教室へはいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して云いました。「お天気のいゝ時教室さ入ってるづど先生にうんと叱(シカ)らえるぞ。」窓の下の耕助が云いました。「叱らえでもおら知らなぃよ。」嘉助が云いました。「早ぐ出はって来(コ)出はって来。」一郎が云いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室(ヘヤ)の中やみんなの方を見るばかりでやっばりちゃんとひざに手をおいて腰掛(コシカケ)に座っていました。ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこな鼠(ネズミ)いろのだぶだぶの上着を着て白い半ずぼんをはいて、それに赤い革(カワ)の半靴(ハングツ)をはいていたのです。それに顔と云ったらまるで熟した苹果(リンゴ)のよう殊(コト)に眼はまん円(マル)でまっくろなのでした。一向(イッコウ)語(コトバ)が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。「あいつは外国人だな。」「学校さ入るのだな。」みんなはがやがやがやがや云いました。ところが亓年生の嘉助がいきなり「あゝ三年生さ入るのだ。」と叫びましたので「あゝそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが一郎はだまってくびをまげました。変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけきちんと腰掛けています。そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱(カヤ)や栗の木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもは何だかにやっとわらってすこしうごいたようでした。すると嘉助がすぐ叫びました。「あゝわかった。あいつは風の又三郎(マタサブロウ)だぞ。」そうだっとみんなもおもったとき俄(ニワ)かにうしろの方で亓郎が「わあ、痛ぃじゃあ。」と叫びました。みんなそっちへ振り向きますと亓郎が耕助に足のゆびをふまれてまるで怒って耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助も怒って「わあ、われ悪くてでひと撲(ハダ)ぃだなあ。」と云ってまた亓郎をなぐろうとしました。亓郎はまるで顔中涙(ナミダ)だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。「わあい、喧嘩(ケンカ)するなったら、先生ぁちゃんと職員室に来てらぞ。」と一郎が云いながらまた教室の方を見ましたら一郎は俄かにまるでぽかんとしてしまいました。たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友達になった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕(ト)った山雀(ヤマガラ)に遁(ニ)げられたように思いました。風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた云わせうしろの山の萱をだんだん上流の方へ青じろく波だてゝ行きました。「わあうなだ喧嘩したんだがら又三郎居(イ)なぐなったな。」嘉助が怒って云いました。みんなもほんとうにそう思いました。亓郎はじつに申し訳(ワケ)ないと思って足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。「やっぱりあいつは風の又三郎だったな。」「二百十日で来たのだな。」「靴はいでだたぞ。」「服も着ぃてだたぞ。」「髪赤くておがしやづだったな。」「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かげ乗(ノ)せでったぞ。」二年生の子が云いました。見るとその子の机の上に汚いは石かけが乗っていたのです。「そうだ。ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」「そだなぃでぁ。あいづぁ休み前に嘉助石ぶっつけだのだな。」「わあい。そだなぃでぁ。」と云っていたときこれはまた何という訳でしょう。先生が玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼子(ヨビコ)を右手にもってもう集れの仕度をしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現(ゴンゲン)さまの尾っぽ持ちのようにすまし込んで白いシャッポをかぶって先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が、「先生お早うございます。」と云いましたので、みんなもついて「先生お早うございます。」と云っただけでした。「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向うの山へひゞいて、またピルルルと低く戻(モド)ってきました。すっかりやすみの前の通りだとみんなが思いながら六年生は一人亓年生は七人四年生は六人一二年生は十二人組ごとに一列に縦にならびました。二年は八人一年生は四人前へならえをしてならんだのです。するとその間あのおかしな子は何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌を噛(カ)むようにしてじろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は高田さんこっちへおはいりなさいと云いながら亓年生の列のところへ連れて行って丈(タケ)を嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。先生はまた玄関の前に戻(モド)って前へならえと号令をかけました。みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたがじつはあの変な子がどういう風にしているのか見たくてかわるがわるそっちをふりむいたり横眼でにらんだりしたのでした。するとその子はちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕(リョウウデ)を前へ出して指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから嘉助は何だかせなかがかゆいかくすぐったいという風にもじもじしていました。「直れ。」先生がまた号令をかけました。「一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出しまもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って右手の下駄箱(ゲタバコ)のある入口に入って行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見あとのものもじっと見ていたのです。まもなくみんなははきものを下駄箱に入れて教室へ入って、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机に座りました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろに座りました。ところがもう大さわぎです。「わあ、おらの机さ石かけ入ってるぞ。」「わあ、おらの机代ってるぞ。」「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れて来たじゃあ。」「わあい、さの、木ぺん貸せ、木ぺん貸せったら。」「わぁがない。ひとの雑記帳とってって。」そのとき先生が入って来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり一郎がいちばんうしろで「礼。」と云いました。みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたがそれから又がやがやがやがや云いました。「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が云いました。「叱(シ)っ、悦治(エツジ)、やがましったら。嘉助ぇ、喜っこぅ。わあい。」と一郎が一番うしろからあまりさわぐものを一人づつ叱りました。みんなはしんとなりました。先生が云いました。「みなさん、長い夏のお休みは面白かったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし林の中で鷹(タカ)にも負けないくらい高く叫んだりまた兄さんの草刈りについて上の野原へ行ったりしたでしょう。けれどももう昨日で休みは終りました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋は一番からだこゝろもひきしまって勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんも今日から又いっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友達が一人ふえました。それはそこに居る高田さんです。その方のお父さんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道の学校に居(オ)られたのですが今日からみなさんのお友達になるのですから、みなさんは学校で勉強のときも、また栗拾いや魚とりに行くときも高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢よく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたがすぐ、「わかりましたね、ではよし。」と云いましたのでみんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。ところが嘉助がすぐ「先生。」といってまた手をあげました。「はい、」先生は嘉助を指さしました。「高田さん名は何て云うべな。」「高田三郎さんです。」「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手を叩(タタ)いて机の中で踊(オド)るようにしましたので、大きな子どもらはどっと笑いましたが下の子どもらは何か怖(コワ)いという風にしいんとして三郎の方を見ていたのです。先生はまた云いました。「今日はみなさんは通信簿と宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」みんなはばたばた鞄をあけたり風呂敷をといたりして通信簿と宿題を机の上に出しました。そして先生が一年生の方から順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。という訳はみんなのうしろのところにいつか一人の大人が立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服(アサフク)を着て黒いてかてかした半巾(ハンケチ)をネクタイの代りに首に巻いて手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇(アオ)ぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしぃんとなってまるで堅くなってしまいました。ところが先生は別にその人を気にかける風もなく順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと三郎は通信簿も宿題帖もない代りに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇(キョウダン)に戻りました。「では宿題帖はこの次の土曜日に直して渡しますから、今日持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治さんと良作さんとですね。では今日はこゝまでです。あしたからちゃんといつもの通りの仕度をしてお出でなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除をしましょう。ではこゝまで。」一郎が気を付けと云いみんなは一ぺんに立ちました。うしろの大人も扇を下にさげて立ちました。「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろの大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散(イチモクサン)に教室を飛び出しましたが四年生の子どもらはまだもじもじしていました。すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇を下りてその人のところへ行きました。「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。「じきみんなとお友達になりますから、」先生も礼を返しながら云いました。「何分どうかよろしくおねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして眼で三郎に合図(アイズ)すると自分は玄関の方へまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を眼をりんとはってだまって昇降口(ショウコウグチ)から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下の方へ歩いて行きました。運動場を出るときその子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなの方をにらむようにすると、またすたすた白服の大人について歩いて行きました。「先生、あの人は高田さんのお父さんですか。」一郎が箒(ホウキ)をもちながら先生にききました。「そうです。」「何の用で来たべ。」「上の野原の入口にモリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにする為(タメ)だそうです。」「どごらあだりだべな。」「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから少し川下へ寄った方なようです。」「モリブデン何にするべな。」「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が云いました。「又三郎だなぃ高田三郎だじゃ。」佐太郎が云いました。「又三郎だ又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤にしてがん張りました。「嘉助、うなも残ってらば掃除してすけろ。」一郎が云いました。「わぁい。やんたじゃ。今日四年生ど六年生だな。」嘉助は大急ぎで教室をはねだして遁げてしまいました。風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り雑巾(ゾウキン)を入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。九月二日次の日一郎<*>はあのおかしな子供が今日からほんとうに学校へ来て本を読んだりするかどうか早く見たいような気がしていつもより早く嘉助をさそいました。ところが嘉助の方は一郎よりもっとそう考えていたと見えてとうにごはんもたべふろしきに包んだ本ももって家の前へ出て一郎を待っていたのでした。二人は途中もいろいろその子のことを談(ハナシ)しながら学校へ来ました。すると運動場には小さな子供らがもう七八人集まっていて棒かくしをしていましたがその子はまだ来ていませんでした。また昨日のように教室の中に居るのかと思って中をのぞいて見ましたが教室の中はしいんとして誰も居ず黒板の上には昨日掃除のとき雑巾で拭いた痕(アト)が乾いてぼんやり白い縞(シマ)になっていました。<*>この日一日分は孝一を一郎に、地文の又三郎を三郎に変えている。「昨日のやつまだ来てないな。」一郎が云いました。「うん。」嘉助も云ってそこらを見まわしました。一郎はそこで鉄棒の下へ行ってぢゃみ上りというやり方で無理やりに鉄棒の上にのぼり両腕をだんだん寄せて右の腕木に行くとそこへ腰掛けて昨日三郎の行った方をじっと見おろして待っていました。谷川はそっちの方へきらきら光ってながれて行きその下の山の上の方では風も吹いているらしくときどき萱(カヤ)が白く波立っていました。嘉助もやっぱり柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに永く待つこともありませんでした。それは突然三郎がその下手のみちから灰いろの鞄(カバン)を右手にかゝえて走るようにして出て来たのです。「来たぞ。」と一郎が思わず下に居る嘉助へ叫ぼうとしていますと早くも三郎はどてをぐるっとまわってどんどん正門を入って来ると「お早う。」とはっきり云いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが一人も返事をしたものがありませんでした。それは返事をしないのではなくて、みんなは先生にはいつでも「お早うございます」というように習っていたのですがお互に「お早う」なんて云ったことがなかったのに三郎にそう云われても一郎や嘉助はあんまりにわかで又勢がいゝのでとうとう臆(オク)せてしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりにもにゃもにゃっと云ってしまったのでした。ところが三郎の方はべつだんそれを苦にする風もなく二三歩又前へ進むとじっと立ってそのまっ黒な眼でぐるっと運動場じゅうを見まわしました。そしてしばらく誰か遊ぶ相手がないかさがしているようでした。けれどもみんなきろきろ三郎の方は見ていてももじもじしてやはり忙(セワ)しそうに棒かくしをしたり三郎の方へ行くものがありませんでした。三郎はちょっと工合(グアイ)が悪いようにそこにつっ立っていましたが又運動場をもう一度見まわしました。それからぜんたいこの運動場は何間あるかというように正面から玄関まで大股(オオマタ)に歩数を数えながら歩きはじめました。一郎は急いで鉄棒をはねおりて嘉助とならんで息をこらしてそれを見ていました。そのうち三郎は向うの玄関の前まで行ってしまうとこっちへ向いてしばらく諳算(アンザン)をするように少し首をまげて立っていました。みんなはやはりきろきろそっちを見ています。三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向う側の土手の方へ職員室の前を通って歩きだしました。その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵(チリ)があがりそれが玄関の前まで行くときりきりとまわって小さなつむじ風になって黄いろな塵は瓶(ビン)をさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。すると嘉助が突然(トツゼン)高く云いました。「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」「うん。」一郎はどうだかわからないと思いながらもだまってそっちを見ていました。三郎はそんなことにはかまわず土手の方へやはりすたすた歩いて行きます。そのとき先生がいつものように呼子をもって玄関を出て来たのです。「お早うございます。」小さな子どもらはみんな集まりました。「お早う。」先生はちらっと運動場を見まわしてから「ではならんで。」と云いながらプルルッと笛を吹きました。みんなは集まってきて昨日のとおりきちんとならびました。三郎も昨日云われた所へちゃんと立っています。先生はお日さまがまっ正面なのですこしまぶしそうにしながら号令をだんだんかけてとうとうみんなは昇降口(ショウコウグチ)から教室へ入りました。そして礼がすむと先生は「ではみなさん、今日から勉強をはじめましょう。みなさんはちゃんとお道具をもってきましたね。では一年生と二年生の人はお習字のお手本と硯(スズリ)と紙を出して、四年生の人は算術帳と雑記帳と鉛筆を出して亓年生と六年生の人は国語の本を出してください。」さあ、するとあっちでもこっちでも大さわぎがはじまりました。中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎がいきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆をひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは「うわあ兄(アイ)な木ぺん取てわかんないな。」と云いながら取り返そうとしますと佐太郎が「わあこいつおれのだなあ。」と云いながら鉛筆をふところの中へ入れて、あとは支那(シナ)人がおじぎするときのように両手を袖(ソデ)へ入れ机へぴったり胸をくっつけました。するとかよは立って来て、「兄な兄なの木ぺんは昨日小屋で無くしてしまったけなあ。よこせったら。」と云いながら一生けん命とり返そうとしましたがどうしても佐太郎は机にくっついた大きな蟹(カニ)の化石(カセキ)みたいになっているのでとうとうかよは立ったまゝ口を大きくまげて泣きだしそうになりました。すると三郎は国語の本をちゃんと机にのせて困ったようにしてこれを見ていましたがかよがとうとうぼろぼろ涙をこぼしたのを見るとだまって右手に持っていた半分ばかりになった鉛筆を佐太郎の眼の前の机に置きました。すると佐太郎はにわかに元気になってむっくり起き上がりました。そして「呉(ク)れる?」と三郎にきゝました。三郎はちょっとまごついたようでしたが覚悟(カクゴ)したように「うん。」と云いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。先生は向うで一年生の子の硯に水をついでやったりしていましたし嘉助は三郎の前ですから知りませんでしたが一郎はこれをいちばんうしろでちゃんと見ていました。そしてまるで何と云ったらいゝかわからない変な気持ちがして歯をきりきり云わせました。「では二年生のひとはお休みの前にならった引き算をもう一ぺん習ってみましょう。これを勘定(カンジョウ)してごらんなさい。」先生は黒板に25-12=<*>と書きました。二年生のこどもはみんな一生けん命にそれを雑記帖にうつしました。かよも頭を雑記帖へくっつけるようにしています。「四年生の人はこれを置いて。」174=<*>と書きました。四年生は佐太郎をはじめ喜蔵も甲助もみんなそれをうつしました。<*>,<*>活字では以下のように縦書き。X~~~~~~「亓年生の人は読本(トクホン)の(二字空白)頁の(二字空白)課をひらいて声をたてないで読めるだけ読んでごらんなさい。わからない字は雑記帖へ拾って置くのです。」亓年生もみんな云われたとおりしはじめました。「一郎さんは読本の(二字空白)頁をしらべてやはり知らない字を書き抜いてください。」それがすむと先生はまた教壇を下りて一年生と二年生の習字を一人一人見てあるきました。三郎は両手で本をちゃんと机の上へもって云われたところを息もつかずじっと読んでいました。けれども雑記帖へは字を一つも書き抜いていませんでした。それはほんとうに知らない字が一つもないのかたった一本の鉛筆を佐太郎にやってしまったためかどっちともわかりませんでした。そのうち先生は教壇へ戻(モド)って二年生と四年生の算術の計算をして見せてまた新しい問題を出すと今度は亓年生の生徒の雑記帖へ書いた知らない字を黒板へ書いてそれにかなとわけをつけました。そして「では嘉助さんこゝを読んで。」と云いました。嘉助は二三度ひっかゝりながら先生に教えられて読みました。三郎もだまって聞いていました。先生も本をとってじっと聞いていましたが十行ばかり読むと「そこまで、」と云ってこんどは先生が読みました。そうして一まわり済むと先生はだんだんみんなの道具をしまわせました。それから「ではこゝまで。」と云って教壇に立ちますと一郎がうしろで「気を付けい。」と云いました。そして礼がすむとみんなは順に外へ出てこんどは外へならばずにみんな別れ別れになって遊びました。二時間目は一年生から六年生までみんな唱歌でした。そして先生がマンドリンを持って出て来てみんなはいままでに唱(ウタ)ったのを先生のマンドリンについて亓つもうたいました。三郎もみんな知っていてみんなどんどん歌いました。そしてこの時間は大へん早くたってしまいました。三時間目になるとこんどは二年生と四年生が国語で亓年生と六年生が数学でした。先生はまた黒板へ問題を書いて亓年生と六年生に計算させました。しばらくたって一郎が答えを書いてしまうと、三郎の方をちょっと見ました。すると三郎はどこから出したか小さな消し炭(ズミ)で雑記帖の上へがりがりと大きく運算していたのです。九月四日、日曜次の朝、空はよく晴れて谷川はさらさら鳴りました。一郎は途中で嘉助と佐太郎と悦郎をさそって、一緒(イッショ)に三郎のうちの方へ行きました。学校の少し下流で谷川をわたって、それから岸で楊(ヤナギ)の枝をみんなで一本づつ折って青い皮をくるくる剥(ハ)いで鞭(ムチ)を拵(コシラ)えて手でひゅうひゅう振りながら上の野原への路(ミチ)をだんだんのぼって行きました。みんなは早くも登りながら息をはあはあしました。「三郎ほんとにあそごの湧水(ワキミズ)まで来て待ぢでるべが。」「待ぢでるんだ。又三郎偽(ウソ)こがなぃもな。」「あゝ暑う、風吹げばいゝな。」「どごがらだが風吹いでるぞ。」「又三郎吹がせでらべも。」「何だがお日さんぼやっとして来たな。」空に少しばかりの白い雲が出ました。そしてもう大分のぼっていました。谷のみんなの家がずうっと下に見え一郎のうちの木小屋の屋根が白く光っています。路が林の中に入り、しばらく路はじめじめして、あたりは見えなくなりました。そして間もなくみんなは約束の湧水の近くに来ました。するとそこから、「おうい。みんな来たかい。」と三郎の高く叫ぶ声がしました。みんなはまるでせかせかと走ってのぼりました。向うの曲り角の処(トコロ)に三郎が小さな唇をきっと結んだまゝ四人のかけ上って来るのを見ていました。四人はやっと三郎の前まで来ました。けれどもあんまり息がはあはあしてすぐには何も云(イ)えませんでした。嘉助などはあんまりもどかしいもんですから、空へ向いて、「ホッホウ。」と叫んで早く息を吐いてしまおうとしました。すると三郎は大きな声で笑いました。「ずいぶん待ったぞ。それに今日は雨が降るかもしれないそうだよ。」「そだら早ぐ行ぐべすさ。おらまんつ水呑(ノ)んでぐ。」四人は汗をふいて、しゃがんでまっ白な岩からごぼごぼ噴きだす冷たい水を何べんも掬(スク)ってのみました。「ぼくのうちはこゝからすぐなんだ。ちょうどあの谷の上あたりなんだ。みんなで帰りに寄ろうねえ。」「うん。まんつ、野原さ行ぐべすさ。」みんなが又あるきはじめたとき湧水は何かを知らせるようにぐうっと鳴り、そこらの樹(キ)もなんだかざあっと鳴ったようでした。亓人は林の裾(スソ)の藪(ヤブ)の間を行ったり岩かけの小さく崩(クズ)れる所を何べんも通ったりして、もう上の野原の入口に近くなりました。みんなはそこまで来ると来た方からまた西の方をながめました。光ったり陰ったり幾通りにも重なったたくさんの丘の向うに川に沿ったほんとうの野原が、ぼんやり碧(アオ)くひろがっているのでした。「ありゃ、あいづ川だぞ。」「春日明神(カスガミョウジン)さんの帯のようだな。」三郎が云いました。「何のようだど。」一郎がききました。「春日明神さんの帯のようだ。」「うな神さんの帯見だごとあるが。」「ぼく北海道で見たよ。」みんなは何のことだかわからずだまってしまいました。ほんとうにそこはもう上の野原の入口で、きれいに刈られた草の中に一本の巨(オオ)きな栗(クリ)の木が立って、その幹は根もとの所がまっ黒に焦げて巨きな洞(ホラ)のようになり、その枝には古い繩(ナワ)や、切れたわらじなどがつるしてありました。「もう少し行ぐづどみんなして草刈ってるぞ。それがら馬の居るどごもあるぞ。」一郎は云いながら先に立って刈った草のなかの一ぽんみちをぐんぐん歩きました。三郎はその次に立って、「こゝには熊居ないから馬をはなして置いてもいゝなあ。」と云って歩きました。しばらく行くとみちばたの大きな楢(ナラ)の木の下に、繩で編んだ袋が投げ出してあって、沢山(タクサン)の草たばがあっちにもこっちにもころがっていました。せなかに(二字空白)をしょった二匹の馬が、一郎を見て鼻をぷるぷる鳴らしました。「兄な。居るが。兄な。来たぞ。」一郎は汗を拭(ヌグ)いながら叫びました。「おゝい。あゝい。其処(ソコ)に居ろ。今行ぐぞ。」ずうっと向うの窪(クボ)みで、一郎の兄さんの声がしました。陽(ヒ)はぱっと明るくなり、兄さんがそっちの草の中から笑って出て来ました。「善(ユ)ぐ来たな。みんなも連れで来たのが。善ぐ来た。戻りに馬こ連(ツレ)でてけろな。今日ぁ、午(ヒル)まがらきっと曇る。俺(オラ)もう少し草集めて仕舞(シム)がらな、うなだ遊ばばあの土手の中さ入ってろ。まだ牧場の馬二十疋ばがり居るがらな。」兄さんは向うへ行こうとして、振り向いて又云いました。「土手がら外さ出はるなよ。迷ってしまうづど危なぃがらな。午まになったら又来るがら。」「うん。土手の中に居るがら。」そして一郎の兄さんは、行ってしまいました。空にはうすい雲がすっかりかゝり、太陽は白い鏡のようになって、雲と反対に馳(ハ)せました。風が出て来てまだ刈っていない草は一面に波を立てます。一郎はさきにたって小さなみちをまっすぐに行くと、まもなくどてになりました。その土手の一とこちぎれたところに二本の丸太の棒を横にわたしてありました。悦治がそれをくぐろうとすると、嘉助が、「おらこったなもの外(ハズ)せだぞ。」と云いながら片っ方のはじをぬいて下におろしましたのでみんなはそれをはね越えて中へ入りました。向うの少し小高いところにてかてか光る茶いろの馬が七疋(ヒキ)ばかり集まって、しっぽをゆるやかにばしゃばしゃふっているのです。「この馬みんな千円以上するづもな。来年がらみんな競馬さも出はるのだづじゃい。」一郎はそばへ行きながら云いました。馬はみんないままでさびしくって仕様(シヨウ)なかったというように一郎だちの方へ寄ってきました。そして鼻づらをずうっとのばして何かほしそうにするのです。「ははあ、塩をけろづのだな。」みんなは云いながら手を出して馬になめさせたりしましたが、三郎だけは馬になれていないらしく気味(キミ)悪そうに手をポケットへ入れてしまいました。「わあ又三郎馬怖(オッカ)ながるじゃい。」と悦治が云いました。すると三郎は、「怖くなんかないやい。」と云いながら、すぐポケットの手を馬の鼻づらへのばしましたが馬が首をのばして舌をべろりと出すと、さっと顔いろを変えてすばやくまた手をポケットへ入れてしまいました。「わあい、又三郎馬怖ながるじゃい。」悦治が又云いました。すると三郎はすっかり顔を赤くしてしばらくもじもじしていましたが、「そんなら、みんなで競馬やるか。」と云いました。競馬ってどうするのかとみんな思いました。すると三郎は、「ぼく競馬何べんも見たぞ。けれどもこの馬みんな鞍(クラ)がないから乗れないや。みんなで一疋づつ馬を追って、はじめに向うの、そら、あの巨(オオ)きな樹のところに着いたものを一等にしよう。」「そいづ面白(オモシエ)な。」嘉助が云いました。「叱(シカ)らえるぞ。牧夫(ボクフ)に見っ附けらえでがら。」「大丈夫だよ。競馬に出る馬なんか練習をしていないといけないんだい。」三郎が云いました。「よし、おらこの馬だぞ。」「おら、この馬だぞ。」「そんならぼくはこの馬でもいゝや。」みんなは楊(ヤナギ)の枝や萱(カヤ)の穂で、しゅうと云いながら馬を軽く打ちました。ところが馬はちっともびくともしませんでした。やはり下へ首を垂れて草をかいだり首をのばして、そこらのけしきをもっとよく見るというようにしているのです。一郎がそこで両手をぴしゃんと打ち合せて、だあ、と云いました。すると俄(ニワ)かに、七疋ともまるでたてがみをそろえてかけ出したのです。「うまぁい。」嘉助ははね上って走りました。けれどもそれはどうも競馬にはならないのでした。第一、馬はどこまでも顔をならべて走るのでしたし、それにそんなに競馬するくらい早く走るのでもなかったのです。それでもみんなは面白がって、だあだと云いながら一生けん命そのあとを追いました。馬はすこし行くと立ちどまりそうになりました。みんなもすこしはあはあしましたが、こらえてまた馬を追いました。するといつか馬はぐるっとさっきの小高いところをまわって、さっき亓人ではいって来たどての切れた所へ来たのです。「あ、馬出はる、馬出はる。押えろ、押えろ。」一郎はまっ青になって叫びました。じっさい馬はどての外へ出たらしいのでした。どんどん走って、もうさっきの丸太の棒を越えそうになりました。一郎はまるであわてて、「どう、どう、どうどう。」と云いながら一生けん命走って行ってやっとそこへ着いてまるでころぶようにしながら手をひろげたときは、もう二疋は外へ出ていたのです。「早ぐ来て押えろ。早ぐ来て。」一郎は息も切れるように叫びながら丸太棒(マルタンボウ)をもとのようにしました。四人は走って行って急いで丸太をくぐって外へ出ますと、二疋の馬はもう走るでもなく、どての外に立って草を口で引っぱって抜くようにしています。「そろそろど押えろよ。そろそろど。」と云いながら一郎は一ぴきのくつわについた札のところをしっかり押えました。嘉助と三郎がもう一疋を押えようとそばへ寄りますと、馬はまるで愕(オドロ)いたようにどてへ沿って一目散(イチモクサン)に南の方へ走ってしまいました。「兄(アイ)な、馬ぁ逃げる、馬ぁ逃げる。兄な。馬逃げる。」とうしろで一郎が一生けん命叫んでいます。三郎と嘉助は一生けん命馬を追いました。ところが、馬はもう今度こそほんとうに遁(ニ)げるつもりらしかったのです。まるで一丈ぐらいある草をわけて、高みになったり低くなったり、どこまでも走りました。嘉助はもう足がしびれてしまって、どこをどう走っているのかわからなくなりました。それから、まわりがまっ蒼(サオ)になって、ぐるぐる廻(マワ)り、とうとう深い草の中に倒れてしまいました。馬の赤いたてがみと、あとを追って行く三郎の白いシャッポが終りにちらっと見えました。嘉助は仰向(アオム)けになって空を見ました。空がまっ白に光って、ぐるぐる廻り、そのこちらを薄い鼠色の雲が、速く速く走っています。そしてカンカン鳴っています。嘉助はやっと起き上って、せかせか息しながら馬の行った方に歩き出しました。草の中には、今馬と三郎が通った痕(アト)らしく、かすかな路のようなものがありました。嘉助は笑いました。そして、(ふん、なあに馬何処(ドコ)かで、こわくなってのっこり立ってるさ。)と思いました。そこで嘉助は、一生けん命それを跡(ツ)けて行きました。ところがその路のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、おとこえしや、すてきに背の高い薊(アザミ)の中で、二つにも三つにも分かれてしまって、どれがどれやら一向(イッコウ)わからなくなってしまいました。嘉助は、「おうい。」と叫びました。「おう。」とどこかで三郎が叫んでいるようです。思い切って、そのまん中のを進みました。けれどもそれも、時々断(キ)れたり、馬の歩かないような急な所を横様(ヨコザマ)に過ぎたりするのでした。空はたいへん暗く重くなり、まわりがぼうっと霞(カス)んで来ました。冷たい風が、草を渡りはじめ、もう雲や霧が、切れ切れになって、眼の前をぐんぐん通り過ぎて行きました。(あゝ、こいつは悪くなって来た。みんな悪いことはこれから集(タガ)ってやって来るのだ。)と嘉助は思いました。全くその通り、俄かに馬の通った痕は、草の中で無くなってしまいました。(あゝ、悪くなった、悪くなった。)嘉助は胸をどきどきさせました。草がからだを曲げて、パチパチ云ったり、さらさら鳴ったりしました。霧が殊に滋(シゲ)くなって、着物はすっかりしめってしまいました。嘉助は咽喉(ノド)一杯叫びました。「一郎、一郎、こっちさ来う。」ところが何の返事も聞えません。黒板から降る白墨(ハクボク)の粉のような、暗い冷たい霧の粒が、そこら一面踊りまわり、あたりが俄かにシインとして、陰気(インキ)に陰気になりました。草からは、もう雫(シズク)の音がポタリポタリと聞えて来ます。嘉助は、もう早く一郎たちの所へ戻ろうとして急いで引っ返しました。けれどもどうも、それは、前に来た所とは違っていたようでした。第一、薊があんまり沢山ありましたし、それに草の底にさっき無かった岩かけが、度々(タビタビ)ころがっていました。そしてとうとう聞いたこともない大きな谷が、いきなり眼の前に現れました。すすきがざわざわっと鳴り、向うの方は底知れずの谷のように、霧の中に消えているではありませんか。風が来ると、芒(ススキ)の穂は細い沢山の手を一ぱいのばして、忙(セワ)しく振って、「あ、西さん、あ、東さん。あ、西さん。あ、南さん。あ、西さん。」なんて云っている様(ヨウ)でした。嘉助はあんまり見っともなかったので、目を瞑(ツブ)って横を向きました。そして急いで引っ返しました。小さな黒い道が、いきなり草の中に出て来ました。それは沢山の馬の蹄(ヒヅメ)の痕で出来上がっていたのです。嘉助は、夢中で、短い笑い声をあげて、その道をぐんぐん歩きました。けれども、たよりのないことは、みちのはゞが亓寸ぐらいになったり、又三尺ぐらいに変ったり、おまけに何だかぐるっと廻っているように思われました。そして、とうとう、大きなてっぺんの焼けた栗の木の前まで来た時、ぼんやり幾(イク)つにも岐(ワカ)れてしまいました。其処(ソコ)は多分は、野馬の集まり場所であったでしょう、霧の中に円(マル)い広場のように見えたのです。嘉助はがっかりして、黒い道を又戻りはじめました。知らない草穂が静かにゆらぎ、少し強い風が来る時は、どこかで何かが合図(アイズ)をしてでも居るように、一面の草が、それ来たっとみなからだを伏せて避けました。空が光ってキインキインと鳴っています。それからすぐ眼の前の霧の中に、家の形の大きな黒いものがあらわれました。嘉助はしばらく自分の眼を疑(ウタガ)って立ちどまっていまたが、やはりどうしても家らしかったので、こわごわもっと近寄って見ますと、それは冷たい大きな黒い岩でした。空がくるくるくるっと白く揺(ユ)らぎ、草がバラッと一度に雫を払いました。(間違って原の向う側へ下りれば、又三郎もおれも、もう死ぬばかりだ。)嘉助は、半分思う様(ヨウ)に半分つぶやくようにしました。それから叫びました。「一郎、一郎、居るが。一郎。」又明るくなりました。草がみな一斉に悦(ヨロコ)びの息をします。「伊佐戸(イサド)の町の、電気工夫の童(ワラス)ぁ、山男に手足ぃ縛(シバ)らえてたふうだ」といつか誰かの話した言葉が、はっきり耳に聞えて来ます。そして、黒い路が、俄(ニワ)かに消えてしまいました。あたりがほんのしばらくしいんとなりました。それから非常に強い風が吹いて来ました。空が旗のようにぱたぱた光って飜(ヒルガ)えり、火花がパチパチパチッと燃えました。嘉助はとうとう草の中に倒れてねむってしまいました。*そんなことはみんなどこかの遠いできごとのようでした。もう、又三郎がすぐ眼の前に足を投げだしてだまって空を見あげているのです。いつかいつもの鼠(ネズミ)いろの上着の上にガラスのマントを着ているのです。それから光るガラスの靴(クツ)をはいているのです。又三郎の肩には栗の木の影(カゲ)が青く落ちています。又三郎の影はまた青く草に落ちています。そして風がどんどんどんどん吹いているのです。又三郎は笑いもしなければ物も云いません。たゞ小さな唇を強そうにきっと結んだまゝ黙ってそらを見ています。いきなり又三郎はひらっとそらへ飛びあがりました。ガラスのマントがギラギラ光りました。*ふと嘉助は眼をひらきました。灰いろの霧が速く速く飛んでいます。そして馬がすぐ眼の前にのっそりと立っていたのです。その眼は嘉助を怖(オソ)れて横の方を向いていました。嘉助ははね上って馬の名札を押えました。そのうしろから三郎がまるで色のなくなった唇をきっと結んでこっちへ出てきました。嘉助はぶるぶるふるえました。「おうい。」霧の中から一郎の兄さんの声がしました。雷もごろごろ鳴っています。「おゝい、嘉助。居るが。嘉助。」一郎の声もしました。嘉助はよろこんでとびあがりました。「おゝい。居る、居る。一郎。おゝい。」一郎の兄さんと一郎が、とつぜん、眼の前に立ちました。嘉助は俄(ニワ)かに泣き出しました。「探(サガ)したぞ。危ながったぞ。すっかりぬれだな。どう。」一郎の兄さんはなれた手付きで馬の首を抱(ダ)いて、もってきたくつわをすばやく馬のくちにはめました。「さあ、あべさ。」「又三郎びっくりしたべぁ。」一郎が三郎に云いました。三郎はだまって、やっぱりきっと口を結んでうなずきました。みんなは一郎の兄さんについて、緩(ユル)い傾斜を、二つ程昇り降りしました。それから、黒い大きな路について、暫(シバラ)く歩きました。稲光(イナビカリ)が二度ばかり、かすかに白くひらめきました。草を焼く匂(ニオイ)がして、霧の中を煙がほっと流れています。一郎の兄さんが叫びました。「おじいさん。居だ、居だ。みんな居だ。」おじいさんは霧の中に立っていて、「あゝ心配した、心配した。あゝ好(ヨ)がった。おゝ嘉助。寒がべぁ、さあ入れ。」と云いました。嘉助は一郎と同じように、やはりこのおじいさんの孫なようでした。半分に焼けた大きな栗の木の根もとに、草で作った小さな囲(カコ)いがあって、チョロチョロ赤い火が燃えていました。一郎の兄さんは馬を楢(ナラ)の木につなぎました。馬もひひんと鳴いています。「おゝむぞやな。な、何ぼが泣いだがな。そのわろは金山掘りのわろだな。さあ

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