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上传者: 紀久男 2011-04-22 评分 0 0 0 0 0 0 暂无简介 简介 举报

简介:本文档为《政治思想学会会報pdf》,可适用于人文社科领域,主题内容包含政治思想学会会報JCSPTNewsletter第号年7月目 次[新旧代表理事挨拶]現状と課題代表理事就任にあたって米原 謙1回顧と展望この2年間を振符等。

政治思想学会会報JCSPTNewsletter第号年7月目 次[新旧代表理事挨拶]現状と課題代表理事就任にあたって米原 謙1回顧と展望この2年間を振り返りつつ千葉 眞2[評論]政治理論の方法について岡c晴輝3[書評]重臣リベラリズム論の射程松沢弘陽植手通有編『丸山眞男回顧談』上下清水靖久9田中拓道氏の「疑問」に答える川合清隆[会務報告]年度第3回理事会議事録年度第4回理事会議事録年度会計報告書年度予算案年度第1回理事会議事録第回研究会「自由論題」報告者募集のお知らせアナウンス訃報「へえ、ほんな学会あったん!?」。これは、2年ほど前に政治思想学会のことを話題にしたとき、政治学会の理事を務めていた知人が発した言葉である。かれは政治学会の理事であっただけではなく、政治学関係の別の学会の理事長も務めていた。このエピソードを一般化することはできないとしても、政治思想の研究者としては、笑い飛ばしてすますわけにはいかないだろう。どんな分野の研究をするにしても、およそ政治現象を考察しようとするものは、政治思想の古典についての基礎的知識をもっているべきであり、また政治研究の究極は、結局、政治思想の研究に行きつく。大言壮語に聞こえるだろうが、かつて政治思想研究を志したとき、わたしはこのように信じていた。実は、今もこの考えに変わりはない。しかし多くの政治学者は、わたしの信念を途方もない我田引水としか思わないだろう。われわれの学会の存在が十分認知されていないのは、政治思想研究への無関心からである。年代以後の実証政治学の隆盛とともに、政治思想は日本の政治学研究においてマイナーな分野になってしまい、その傾向はますます強まっている。政治思想や政治理論の研究は、本来、様々な分野の複合的研究の集大成である。実証政治学が対象にしている「事実」も、われわれの研究と無縁ではありえない。古典や歴史の研究も、研究者の生きている時代への考察から始まる。研究者が現代の事象に対する研ぎ澄まされた感覚をもって古典に立ち向かったとき、それは新たな意味を帯びて立ち現れ、多く人の思考の再構成を促すものとなるのである。政治思想研究がその固有の分野だけではなく、隣接分野に対するインパクトをもつものになるには、隣接分野の研究への感度を高める必要がある。しかし政治思想研究者の側の努力だけでは、大きな変化は期待できない。もっと必要なのは、隣接分野の研究者、すなわち政治学歴史学哲学などの研究者が、政治思想研究の成果をふまえた研究を志すことである。こうした双方向の往来によって、政治思想はもっと広い研究の基盤を得ることになる。学会は同業者の懇親や情報交換の場にとどまってはならない。われわれの情報を精力的に発信し、他の分野の研究者が情報収集のアンテナを張っている場所に届ける努力をしなければならない。何より望まれるのは、隣接分野の多くの研究者が政治思想研究の情報に接しやすくすること。そのために必要なことは何か?(1)学会ホームページが、種々な分野のアマチュアや研究者(とその志望者)が頻繁にアクセスするページになること。インターネットは、無数の雑多な関心をもつ人々が使うツールである。あのページに行けば、〈何か興味深いことがある〉、〈頭脳を洗濯してくれる〉、〈知らなかった人に出会える〉、〈レポートのヒントが得られる〉等々。政治思想研究が複合的知識の刺激的な場所であることを、多くの人が実感できるように。(2)学会誌『政治思想研究』をメジャーな雑誌にしよう。『政治思想研究』の大学図書館での定期購読は校にとどまっているのが現状である。図書館の所蔵がこんなに少なければ、政治思想研究が斜陽産業と見られても仕方がない。所蔵を飛躍的に拡大する必要がある。現下の状況では、図書館で定期購読雑誌を増やすのは至難だから、別の方法を考えねばならない。もっとも単純な方法は、会員各自が自分の授業の参考図書として図書館に推薦することである。こうした意図にもとづいて、『政治思想研究』は次号から単行本の体裁にすることになっている。会員諸兄姉のご協力で、所蔵校が増大することを目標にしたい。政治思想学会会報JCSPTNewsletterNo--現状と課題代表理事就任にあたって代表理事米 原  謙(大阪大学)代表理事の仕事をお引き受けしたのは、年7月8日と9日に開催された九州大学での学会研究会においてであった。その年は福岡にて世界政治学会(IPSA)の世界大会(WorldCongress)が開催されるために、それに合わせて政治思想学会研究会は通常の5月末ではなく上記の期日の開催となったのである。私の前に2年間にわたり代表理事と学会事務局を担当されたのは小野紀明氏ならびに堀田新五郎氏であったが、お二人が担当された時期は例の学会事務センターの不正行為と破産が発覚した時にあたっていた。お二人は当時の難局を最小限の被害で何とか乗り切られ、その対処の仕方は適確であり見事であった。就任早々困難な事態と格闘するのを余儀なくされた前執行部のご苦労を考えると、この2年間は大過なく順調に推移したのではないかと思う。われわれの学会事務局(国際基督教大学)が動き出した時には木部尚志会員はまだドイツでの在外研究に出られていたこともあり、森分大輔会員にも加わってもらい、千葉を含めて三人の事務局体制で出発することになった。この2年間にわたり、木部氏と森分氏には献身的なご尽力をいただき、何とか事務局としての責務を果たすことができた。この場を借りてお二人には心からの感謝を申し上げたい。本学会も非公式に開始された年から数えるとすでに年にもなろうとする歴史を刻んだことになる。このことは、政治思想学会それ自体がそろそろ歴史学的研究の対象となりつつあることを示してもいよう。学会構想が持ち上がっていた年秋には、ジョンポーコックが東京大学、早稲田大学、京都大学などに招かれてかなり長く滞在し、シェルドンSウォリンも国際基督教大学にヶ月あまり文部省の招聘客員教授として滞在していた時期と重なった。年にトロント大学のCBマクファーソンなどを中心に北米においてCSPT(ConferencefortheStudyofPoliticalThought)が創設されたが、その時にポーコックとウォリンは、当時まだ中堅の研究者としてこの創設に深く関与し、その後もこの学会を支えてきた。そのこともあって当時、日本滞在中にJapanCSPT(日本政治思想学会)創設の構想が持ち上がった折には、お二人は言葉を強めて賛意と支持を表明されたのを想い起こす。当時、北米のCSPTとのパイプ役を務められた松本礼二氏の理解では、JapanCSPTの創設に深くかかわった言わばファンディングファーザー(創設メンバー)たちそのなかには有賀弘、佐々木毅、田中治男、中谷猛、小笠原弘親、鷲見誠一、半澤孝麿、藤原保信などの諸氏が入っておられたと想うは、政治思想学会を立ち上げることには同意したものの、具体的構想においては「同床異夢」であったということである。確かに政治思想研究は各大学内部で専ら教育と研究に従事するタコツボ化の状況がみられたのであり、それを打破して横の繋がりをもっと強めようとの考えが強く共有された以外には、具体面については「同床異夢」であったのではなかろうか。しかし、5年程の準備期間を経て年5月に正式に学会となった頃には次の四つの重点課題が共有されたように想う。(1)同分野の研究者の研究の活性化と交流の強化、(2)西洋政治思想史分野と日本政治思想史分野の交流の強化、(3)若手研究者の育成、(4)国際交流の強化。当初、名程であった会員数は今では名程となっている。上記の四つの重点課題との取り組みもそれぞれ進展してきたが、なすべき課題も山積している。米原謙新代表理事は、学会活動をさらに活性化させ、政治思想研究のプレゼンスを高めたいと抱負を語っている。今後とも政治思想学会のさらなる発展を切念したい。政治思想学会会報JCSPTNewsletterNo--回顧と展望この2年間を振り返りつつ千 葉  眞(国際基督教大学)Ⅰ 政治思想史方法論から政治理論方法論へ『政治思想研究』創刊号(年)に掲載された「座談会「日本における西洋政治思想史研究の現状と課題」」において、日本において西洋政治思想史政治哲学を研究する意味、政治思想史研究と政治理論政治哲学研究との関連、そして政治思想研究と政治学の他分野との関係という問題をめぐって討論がなされました。政治理論との関連で見逃せないのは、松本礼二(敬称略。以下、同じ)が現実問題への適用例の少ない日本の政治理論への不満を表明し、渡辺浩がそれに賛同し、それを受けた斎藤純一がエンカレッジメントの必要性を訴えた箇所です(小野ほか:)。この座談会が刺激になったのか、その後の政治思想研究では、政治思想史(歴史研究)から政治理論(規範理論)へのシフトが急速に進行しているようです。「かつて思想史を専門とする研究者が主流であった政治思想史学の中で規範理論の占める比率が確実に上昇し、その研究に従事する会員の数も増大している」(小野)。こうした政治理論の量的拡大は、しかし、政治理論の質的向上を必ずしも意味するものではありません。ここで、川崎修杉田敦編『現代政治理論』(有斐閣、年)を採りあげて、日本における政治理論の現状を示すであろう、興味深い事実を指摘したいと思います。ここで注意を喚起したいのは、同書の人名索引には人もの名前が記されているのに、日本人の名前はわずか名しか記されていないことです。しかも、本文で言及されているのは丸山眞男だけであり、岡本仁宏と桜井万里子、高畠通敏と松下圭一はコラムで言及されているにすぎません。この事実は、現代日本における政治理論の未発達という現状を端的に示しているのではないでしょうか。それでは、こうした未発達状態の原因は何でしょうか。かつて丸山眞男は「科学としての政治学」(年)において、戦前日本において政治学が未発達だったのは「より根本的にはわが明治以後の政治構造に規定された結果」(丸山:)である、と鋭く分析しました。しかし、現代日本における政治理論の未発達は、そうした政治的要因によって説明することはできないように思います。最大の要因は、幾つかの例外はあるものの(たとえば、Negishi押村/添谷:序章将棋面根岸)、政治理論の方法論につ、、、、、、、、、、いて議論らしい議論がなされてこなかった、、、、、、、、、、、、、、、、、、、ことに求められるべきではないでしょうか。周知のように、政治思想史に関しては、クェンティンスキナーをはじめとするケンブリッジ学派の方法論が紹介されてきました(スキナー)。また、スキナーを含めて、様々な政治思想史の方法論が検討されてきました(小笠原/飯島)。現在も、雑誌『未来』で思想史方法論に関する「リレー連載」が進行中です。しかし、政治理論の方法論については、ほとんど議論されていないようにみえます。英語圏では、日本とは対照的に、政治理論の方法論に関する、かなりの論文が公刊されています。たとえば、雑誌『政治理論』第巻第4号(年月)では、ジェフリーアイザックが、政治理論は現実政治の諸問題に取り組むべきだと問題提起し、様々な理論家が応答しました(Isaacetal)。また、『政治理論』第巻第号(年8月)でも、バーリン「政治理論はまだ存在するか」周年と雑誌『政治理論』創刊周年を記念して、「政治理論とは何か」という特集が組まれました。そろそろ日本でも、政治理論を方法論的に反省する時期に差しかかっているのではないでしょう政治思想学会会報JCSPTNewsletterNo--政治理論の方法について岡 r晴 輝(九州大学)か。政治理論が政治思想史と異なることは共通認識になりつつあるようですが(小野:3川崎/杉田:ii田村:千葉ほか:3を参照)、政治理論といっても「方法的には政治思想史研究とあまり違いがな」(渡辺浩)(小野ほか:)い状態が続いているように思われるからです。Ⅱ 理論創造としての政治理論周知のように、丸山眞男は「思想史の考え方について」(年)において、「思想史」と「思想論」とを区別し、「過去のいろいろな歴史的な遺産を単純に素材として扱い、その歴史的な文脈をまったく抜かして、主観的な関心に従って自由に操作する」思想論も「それはそれで十分意味があり、存在理由があります」と述べました(丸山:)。政治理論は、丸山の定義するところの「思想論」に属する、と捉える者もいるかもしれません。しかし政治理論は、これから述べる理由によって、政治「思想論」と同一視されるべきではないように思います。(1)政治理論の諸類型 「政治理論」という言葉で理解しているものは、人によって様々だろうと思います。それでは、いかなる理解がありうるのでしょうか。まず最初に、古代から近代のテクストを対象にするのが政治思想史であり、現代おおよそ世紀であると理解してよいように思います(川崎/杉田:iiを参照)のテクストを対象にするのが政治理論である、という素朴な理解がありうるでしょう(類型Ⅰ)。しかし類型Ⅰは、政治理論と呼ぶには物足りないように思います。それは、現代を対象にした政治思想史にとどまり、政治思想史とのあいだに方法論上の区別が存在しないからです。これにたいして、テクストの書かれた時期によってではなくテクストを読む方法によって、政治思想史と政治理論とを区別する理解がありうるでしょう。テクストを歴史内在的に読むのが政治思想史であり、テクストを現代的関心によって解釈し、その現代的意義(アクチュアリティー)を考察するのが政治理論である、と(類型Ⅱ)。この理解では、採りあげるテクストは古典古代のものであってもかまいません。しかし、古典的テクストを解釈評価する際に、現代の問題関心に引きつけて解釈し、そのテクストの現代的意義を明らかにしようとするのです。私の考えでは、類型Ⅱも依然として、政治理論と呼ぶには物足りないように思います。類型Ⅱの目的はテクストの新しい解釈評価であり、その意味において、政治思想史の変種にとどまるように思われるからです(テクストの政治理論的解釈と政治思想史的解釈との関係については、Pocockを参照)。そこで、テクスト解釈評価にとどまらずに、それを手がかりにしつつも新しい理論を創造するのが政治理論である、という理解が浮上することになります(類型Ⅲ)。類型Ⅱがテクストから示唆を得るにとどまるとすれば、類型Ⅲは、テクスト解釈評価を踏まえつつも、現実政治を批判的=規範的に理解するために新しい理論を創造しようとするのです。「著者自身が自分を了解していた以上によく、著者を了解する」(ディルタイ:)というディルタイの解釈学にならって言えば、「著者自身が理論化した以上によく、その理論を理論化する」ということになるでしょうか。私の考えでは、類型Ⅲは、政治思想史と区別された目的と方法を確立しており、政治理論と呼んでよいように思います。ただし、後述するように、「理論に突き動かされた」ものに陥り、現実から遊離する危険がないとはいえません。この点、テクストではなく現実政治を出発点にした「政治理論」理解では、こうした陥穽を回避しやすいように思います。すなわち、現実政治の諸問題に即して問題を設定し、その問題に批判的=規範的に答えるために新しい理論を創造するのが政治理論である、という理解です(類型Ⅳ)。現実政治を出発点にしている以上、類型Ⅳは「理論に突き動かされた」態度に陥りにくいでしょうが、政治理論を類型Ⅳに限定してしまっては、政治理論の問題設定が狭くなりすぎるかもしれません。私自身は、類型Ⅳの政治理論が最も必要とされていると感じていますが、類型Ⅲの存在理由も十分にあるだろうと思います。政治思想学会会報JCSPTNewsletterNo--(2)概念と定義 類型Ⅲにせよ類型Ⅳにせよ、現実政治の批判的=規範的理解に寄与する新しい理論を創造しようとする試みこそ、政治理論と呼ぶに相応しいのではないでしょうか。それでは、理論の創造とは何でしょうか。様々な形態がありうるでしょうが、ここでは日本における政治理論の現状を踏まえて、概念=定義の創造ということを強調したいと思います。新しい概念を創造し、、、、、、、、、、それを定義する、、、、、、、という形態の政治理論です。あるいは、既存の概念を再定義する、、、、、、、、、、、という形態の政治理論です(「概念装置」の重要性については、内田を参照)。丸山眞男も指摘したように、我々は、概念や定義を含む「ひきだし」を通して、現実政治を見ています(丸山:。ウォリン:,も参照)。新しい概念=定義の創造は、我々の政治的視界を切り開き、現実政治を別のように見、ひいては、現実政治を複眼的に見るのに寄与するでしょう。しかも、その抽象化された姿のおかげで、理論は人々に道具として利用されやすくなり、また共有されやすくなるでしょう。よく知られた例を挙げれば、丸山眞男は「理論信仰」と「実感信仰」、「ササラ型」と「タコツボ型」といった概念を創造し、それを定義することで、日本政治の批判的=規範的理解に成功しました。松下圭一の「シビルミニマム」や「政府三分化説」も然りです。このように新しい概念=定義を創造すれば、幾何学において補助線を引くがごとく、政治は違ってみえるはずです。逆に言えば、政治が違ってみえてこない「政治理論」は、そもそも政治理論として失敗していると言わざるをえません。これに関連して、ウィリアムギャルストンは、新しいdifferenceprincipleなるものを提案しています。ギャルストンによれば、政治理論家は次の問いに答えることを求められるべきだというのです。すなわち、もし私の言ったことが妥当ないし真実として採用されたならば、いかなる相違(difference)がもたらされるであろうか、と(Galston:)。「相違」をもたらす理論の創造がなければ、いくら「政治理論」を標榜したとしても、現実政治にたいする立場を表明する「政治評論」であるか、海外の政治理論を輸入する「政治理論学、」にすぎない、といっては言いすぎでしょうか。たしかに、現実政治にたいする立場を明確に提示することは重要なことです(千葉:)。しかし、前述の座談会において斎藤純一も認めているように(小野ほか:)、政治理論家の場合には、理論を創造する作業斎藤の言葉を用いれば、「新しい分析装置をつくる作業」が不可欠であるように思います。現実政治にコミットしてきた政治理論家に問題があるとすれば、それは現実政治に取り組んだことにではなく、丸山眞男や松下圭一のように、理論の創造をもって現実政治に取り組んでこなかったことに求められるべきではないでしょうか。また、海外で生産された政治理論を参照することも、たしかに有益な作業です。我々がキムリッカ『現代政治理論』を翻訳したのも、そうした狙いがあってのことでした。しかし、キムリッカをはじめとする政治理論がアングロアメリカ的なものであるとすれば(早川/福元:)、海外の理論を直輸入するのではなく、そのバイアスを取り除くことが欠かせないのではないでしょうか。それ以上に、日本独自の問題に取り組むために、独自の政治理論を生産することが欠かせないのではないでしょうか。日本の政治理論家は、政治理論の輸入業者「翻訳理論家や引用理論家」(松下:)にとどまらずに、日本と世界の問題に取り組むために独自の政治理論を生産する、政治理論の製造業者になるべきであるように思います。Ⅲ 政治理論の手続き以上、日本の政治理論家は、現実政治を批判的に分析し、あるべき政治を構想するのに寄与する理論、とりわけ新しい概念=定義を創造することが求められているのではないか、と問題提起しました。もちろん、それ以外の形態の政治理論を否定するつもりはありません。たとえば、ポストモダン的「脱構築」という形態の政治理論もありう政治思想学会会報JCSPTNewsletterNo--るでしょうし、議論を深めるという形態の政治理論もありうるでしょう(たとえば、杉田)。しかし、政治理論の現状を考えると、理論の創造にチャレンジしていくことが、いま以上に求められているのではないでしょうか。しかし、理論の創造は口で言うほど簡単ではありません。そこには、重大な危険がともなっているからです。その危険とは、理論の創造が独断と紙一重だということです。どうすれば、政治理論は独断を回避し、説得力を増すことができるのでしょうか。私は、次の二つの手続きが有益だろうと思います。もちろん、この二つは政治理論以外でも求められるでしょうが、独断と紙一重である政治理論の場合、特に求められているように思います。(1)先行研究批判 まず挙げられるべきは、関連する先行研究を整理検討する先行研究批判、、、、、、です。このことは、当たり前のことと思われるかもしれません。しかし他の分野に比べて、先行研究を批判する作業は必ずしも厳密には要求されてこなかったように思います。このことは、戦後政治学の「問題意識先行型問題設定」(渡部:)の影響に帰することができるのかもしれませんし、日本の学界における相互批判の少なさ(丸山:)に帰することができるのかもしれませんし、あるいは、それ以外の要因に帰することができるのかもしれません。いずれにせよ、先行研究批判をしなければ、その理論が本当に独創的なのか、判然としません。そもそも、先行研究批判をしなければ、独創的な理論を創造することも容易ではありません。もっとも、先行研究批判が自己目的化すれば、政治理論は、イアンシャピロの言うところの「理論に突き動かされた」(theorydriven)ものになり、「現実からの逃亡」(flightfromreality)に陥りかねません(Shapiro)。そうした陥穽を避けるためには、なぜこの理論を創造するのか、現実政治に即した問題関心を提示することが必要になってくるでしょう。先行研究批判に加えて、現実政治に即した問題関心を提示すれば、政治理論というシステム内部で理論が暴走するという陥穽を回避しやすくなるはずです。問題関心によって理論の有意性を主張し、先行研究批判によって独創性を主張するわけです。さらに言えば、類型Ⅳの政治理論に従事する際、政治理論家は、現場の声に耳を傾けてみてはどうでしょうか。政治理論家が一方的に問題を設定するのではなく、市民活動家、政治家行政職員などに聞き取り調査をし、現場で活動する人々が知りたいと思っている切実な問いをすくいあげるのです(下図)。そうした問いはそのままでは学問的問題設定にはならないかもしれませんが、こうした段階を経れば、政治理論の問題設定は地に足が着いたものになり、「理論に突き動かされた」態度を更に回避しやすくなるように思います。海外の政治理論参照日本の政治理論 問題提起      理論提供現実政治こうした現実政治との結びつきは、政治理論が政治家や官僚の統治の道具に堕することを意味しません。そうではなく、現実政治の批判的=規範的理解に資する理論を提供することで、市民や政治家行政職員の思想や行動を規律する自律にせよ他律にせよ準拠枠になりうるように思います。(2)対話的議論 このように先行研究を踏まえたとしても、規範理論である以上、ある意味では独断的にならざるをえません。経験的な政治科学では、因果関係を実証することは難しくはあっても、不可能ではありません。しかし、規範的問いに取り組む政治理論は「神々の闘争」の只中に置かれている以上、その理論を実証することはできません。しかしこのことは、政治理論が「概念分析」に徹すべきだ(ウェルドン)ということを意味しません。政治理論は、理論を実証することはできないにしても、その理論に説得力を付与することはできるからです。それでは、どうすれば説得力を付与することができるのでしょう政治思想学会会報JCSPTNewsletterNo--か。政治理論家の手には、実証以外の方法は残されているのでしょうか。ここで、二つ目の手続き要件が浮上します。それは、批判を吟味する対話的議論、、、、、、、、、、、、です。ある理論を提示しただけでは、説得力を付与することはできないかもしれません。しかし、その理論にたいする批判を論駁できれば、その理論の説得力を増すことができるでしょう。その際、吟味すべき批判は、実際に投げかけられているものである必要はありません。筆者が想定した批判でもかまいません。「こうした理論にたいしては、次のような批判が投げかけられるかもしれない、云々」というように自問自答するわけです。このように現実ないし仮想の批判を吟味すれば、理論の説得力を増すことができるように思います。ソクラテスダイアローグを持ちだすまでもなく、政治理論の伝統には、そうした対話的議論のスタイルがあったはずです。そしてそれこそが、デモクラシーにふさわしい議論の方法なのではないでしょうか(この点については、斎藤喜博の仕事が参考になるのではないか、と考えています)。こうした対話的議論は、説得力を増すことに寄与するだけではなく、日本の政治理論がはらむ一つの弱点を克服することにも寄与するように思います。極論すれば、日本の政治理論では、議論が横に広がる、、、、、きらいがあるのではないでしょうか。そこでは、知識は増えたとしても、議論が縦に深、、、まる、、ことは少ない。すなわち、現実政治の見え方は変わらないことが少なくないのではないでしょうか。しかし、批判を論駁する叙述をすれば、叙述の進展が議論の拡散にではなく、議論の深化につながるように思います。Ⅳ 政治思想研究の活性化へ以上を要約すれば、次のようになります。政治理論の目的は、政治思想家や政治思想書の理解ではなく、現実政治の批判的=規範的理解であること。そうした目的を達成する一つの、、、、しかし重要な方法として、類型Ⅲや類型Ⅳのように新しい理論、特に概念=定義の創造にチャレンジすること。そして、独断に陥らないためにも、先行研究批判と対話的議論を疎かにしないこと。こうした政治理論の方法論が適切なものであるかどうか、自信はありません。おそらく私自身の理論的諸前提プラグマティズム、モダニズム、デモクラシー、等々によってバイアスがかかっているでしょう。そもそも、こうした方法論を提示することにも、おこがましさを感じないわけではありません。しかし、日本における政治理論の現状を考えると、やはり、政治理論の方法論について議論していくことが必要なのではないでしょうか。そして、新しい理論の創造にチャレンジする論文を公刊していく必要があるのではないでしょうか。いうまでもなく、政治理論の自立は、政治思想史との離別を意味するわけではありません。たしかに、現代政治の諸問題に取り組むためには、政治思想史上の古典だけでは不十分でしょう。しかし古典は、政治理論家が日々の政治問題と取り組むなかで忘れがちな「問い、視座、真実」を教えてくれるでしょう(Saxonhouse:)。逆に、政治理論研究も、政治思想史研究に斬新な切り口を提供する可能性を秘めているはずです。しかし、政治理論と政治思想史研究の協働のためにも、政治理論の方法論を確立し、政治思想史から政治理論を自立させていくことが必要になっているのではないでしょうか。そうして初めて、政治学において政治思想研究を復権させることができるのではないでしょうか。引用文献千葉眞「マルクスとデモクラシーの根源に立ち返る」、『情況』第3期第8巻第4号、年56月、頁。千葉眞ほか『政治理論のパラダイム転換世紀の新しい理論構築にむけて』、平成年度-年度科学研究費補助金研究成果報告書(基盤研究(A)課題番号)、年月。ディルタイ『解釈学の成立』久野昭訳、以文社、年。Galston,William,“PoliticalTheoryinthes:PerplexityamidstDiversity,”inPoliticalScience:TheStateoftheDisciplineII,edAdaWFinifter,TheAmericanPoliticalScienceAssociation,,pp早川誠/福元健太郎「座談会 私が見たアメリカ政治学」、政治思想学会会報JCSPTNewsletterNo--『日本政治研究』第4巻第2号、年7月、頁。Isaac,JeffreyC,etal,“TheStrangeSilenceofPoliticalTheory,”withResponses,PoliticalTheory,Vol,No,November,pp川崎修/杉田敦編『現代政治理論』有斐閣、年。松下圭一『現代政治*発想と回想』法政大学出版局、年。丸山眞男『増補版 現代政治の思想と行動』未来社、年。丸山眞男「思想史の考え方について類型範囲対象」、『丸山眞男集』第9巻、岩波書店、年、頁。Negishi,Takeshi,TheMethodologicalFoundationsoftheStudyofPolitics,KeioUniversity,HOGAKUKENKYUKAI,根岸毅「最終講義 政治学はどのような学問か?」、『法学研究』第巻第3号、年3月、頁。「「最終講義 政治学はどのような学問か?」をめぐる往復書簡」、『法学研究』第巻第9号、年9月、頁。小笠原弘親/飯島昇藏編『政治思想史の方法』早稲田大学出版部、年。小野紀明ほか「座談会「日本における西洋政治思想研究の現状と課題」」、『政治思想研究』創刊号、年、頁。小野紀明「新代表理事の挨拶 歴史研究としての政治思想史政治理論」、『政治思想学会会報』第号、年。小野紀明『政治理論の現在思想史と理論のあいだ』世界思想社、年。押村高/添谷育志編『アクセス政治哲学』日本経済評論社、年。Pocock,JGA,“TheoryinHistory:ProblemsofContextandNarrative,”inTheHandbookofPoliticalTheory,edsJohnSDryzek,BonnieHonigandAnnePhillips,OxfordUniversityPress,,ppSaxonhouse,ArleneW,“ExileandReentry:PoliticalTheoryYesterdayandTomorrow,”inTheOxfordHandbookofPoliticalTheory,edsJohnSDryzek,BonnieHonigandAnnePhillips,OxfordUniversityPress,,ppShapiro,Ian,TheFlightfromRealityintheHumanSciences,PrincetonUniversityPress,将棋面貴巳『政治診断学への招待』講談社、年。スキナークェンティン『思想史とはなにか意味とコンテクスト』半澤孝麿/加藤節編訳、岩波書店、年。杉田敦『デモクラシーの論じ方論争の政治』筑摩書房、年。田村哲樹「規範理論と経験的研究との対話可能性熟議民主主義論の展開を事例として」、『年報政治学II政治学の新潮流世紀の政治学へ向けて』年3月、頁。内田義彦『読書と社会科学』岩波書店、年。渡部純「戦後政治学と日本型多元主義論何が引き継がれるべきか」、『青森法政論叢』第2号、年8月、頁。ウェルドンT.D.『政治の論理』永井陽之助訳、紀伊国屋書店、年。ウォリンシェルドン.S.『政治学批判』千葉眞/中村孝文/斎藤眞編訳、みすず書房、年。政治思想学会会報JCSPTNewsletterNo--政治思想学会の会員約名だけが読む会報で、『丸山眞男回顧談』について何を論じればよいのか。丸山眞男の著述を私より読んでいる多くの会員に向かって、さまざまな読み方ができる本書を書評することを求められて、困惑した私は辞退した。しかし権左武志氏には、去る5月日の岡山大学での政治思想学会研究会で討論をお願いしたので、再考を促されては断れなかった。本書を評することはとてもできないので、年1月の岩波書店の新企画予告中に『丸山眞男回顧録』を見て待望した者として、刊行時の感想を思い出しながら今回の読後感を記すことにする。本書の内容を要約して紹介することは、この会報の読者には無用だろう。私が本書を待望したのは、本書のもとになった談話が『丸山眞男集』別巻(年3月)の川口重雄編「年譜」で用いられたからだった。年譜作成にあたって参照したものとして、「著者自身の著作」に次いで、「著者が一九八八年四月から一九九二年五月まで、松沢弘陽、植手通有、岩波書店編集部を対話者にして行ったヒアリングの記録(二一回行われたが、文章化されているのは一九回分)」が挙げられていた。たとえば年6月の項に「独ソ戦開始。ファシズム対反ファシズムの図式が明確化。丸山は家でバンザイを叫ぶ」とあるのは、丸山の著作中に見当らなかったので、その記録中に見出せるだろうと思った。年6月の項に丸山が「在日アメリカ大使館に一時ビザの発給を拒否される」と記されていることは、私には初めて知る事実だったのでさらに調べてみる気になった(「丸山眞男と米国」『法政研究』年3月)が、「一九九一年四月二三日の松沢弘陽、植手通有、岩波書店編集部を対話者とするヒアリング」で述べられたという。実際に刊行された本書は、松沢弘陽氏の「あとがき」によれば、年4月日から年5月日に至る回の談話を章に構成し、さらに年月日の談話(『世界』年月号掲載)を第章の位置に再録して、合計章からなっている。もとになった談話が語られたのは、丸山が年にそれまで拒んできた生前の著作集刊行を時期は別として承諾し、その準備として植手松沢両氏と岩波書店の伊藤修小島潔両氏および緑川亨社長による聞き取りに応じたからだった。伊藤氏が整理した聞き取りの記録に丸山が「目を通した」ことが編集上重視されたと思われるが、その枝葉を刈り込んで章に構成したのは伊藤氏、正確を期す実務的な作業をしたのが松沢氏であり、それが労多い作業だったことはよくわかる。そのように本書は、『丸山眞男集』の準備のために丸山が信頼する植手松沢両氏および編集者に向かって語った記録であり、それが編集されたものである。本書には、1)丸山が回顧した学問と思想と生涯の点では年代からほぼ年までの時間、2)回顧した丸山に注目すれば主に年から年までの時間、3)没後の丸山関連文献の洪水のなかに投入されたという意味では年から年までの時間が折重なっている。1についていえば、年ころまでの時期の回想が大半を占め、全章のうち実に第章まで(見方によっては第章まで)が当てられたのは、著作集の準備のためであれば不適合なほどの偏りとも感じられるが、丸山にとって第二次世界大戦の戦前戦中戦後初期の比重が大きかったからであり、それ以上に、年ころから丸山に接した両氏が直接には知らない時期がとくに問われ語られたからだろう。2の丸山の談話の時期が主に年からの三年間だったことも考えさせる。世界的には長い冷政治思想学会会報JCSPTNewsletterNo--重臣リベラリズム論の射程松沢弘陽植手通有編『丸山眞男回顧談』上下(岩波書店、年)清 水 靖 久(九州大学)戦が終る画期であり、日本では昭和天皇の死を挟んで自由民主党の長期政権が揺らいでいく時期だった。そのころ丸山も重要な著述を発表しており、「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」(年3月)は本書の内容と密接に関連するし、「戦後民主主義の「原点」」(年8月)では昭和天皇死後の「人民主権意識の活性化」を背景に「反対党への政権交代」を説いている。石田雄氏によれば、「正統と異端」研究会が比較的若い研究者の意見を聞いて再活性化した時期でもあった(石田雄『丸山眞男との対話』年1月、頁)。岩波書店のWebサイトには、「年ソ連東欧圏が激動に見舞われたころは毎回この世界史的激動の実況解説で興奮を禁じえませんでした」と聞き取り後の丸山の「お駄弁り」が編集部から紹介されているが、同時代の状況に関する丸山の発言が収録される余地はほとんどなかった。せめて各章の談話の日付が記されていたらとも思うが、本書の本題は、丸山が回想した「著作の時代的背景」であって、回想する時点の丸山ではない。3の没後十年の丸山文献との関連には立入らない。年8月、月に本書が刊行された直後、竹内洋、宮村治雄、三谷太一郎、赤澤史朗、道場親信の各氏の書評が主要各紙に掲載された。最近『思想』5月号に宮村治雄氏の書評「リベラリズムをめぐる「回想」と「思索」」が発表され、丸山の沢山の著述のなかで回想がもつ比重の大きさへの「とまどい」から出発して、丸山のリベラリズムをめぐって考察が深められている。それにつけ加えられることは何もないが、本書の大半を占める戦前戦中戦後初期を考えるとき、重臣リベラリズム論に触れないわけにはいかない。重臣リベラリズムは、これまでほとんど注目されなかった新概念だが、丸山の思想を理解する鍵概念となると思われる。それは、戦前戦中の重臣の自由主義への批判を含むだけでなく、昭和天皇の責任追及、父親への批判、自己批判、もしかしたら東大法学部批判をも含んでいる。その特徴や限界としては、1)立憲主義だが自由や人権の原則に立たず、天皇に責任が及ばないことを最も配慮するので状況追随主義になる(上f頁)、2)国際ファシズムに対抗して反戦ではなく国際協調主義をとる現状維持派であり、反枢軸以上に反ソの親英米派、それも圧倒的に親英派だった(下頁)、3)政党では民政党に近いが、暴動など民衆運動への反発は強い(下f頁)、4)イギリス中心の西欧志向型であり、ナショナリズムは弱く、ヨーロッパ帝国主義には甘い(下ff頁)。そのような重臣リベラルとしては、元老の西園寺公望、内大臣の湯浅倉平、牧野伸顕、斎藤実、ほかに副島道正、吉田茂、かなり異なるが父の丸山幹治が挙げられており、近衛文麿は異質だという。丸山が本書で初めて重臣リベラリズムを論じたのは、第7章「ファシズムの時代の大学と知識人」でだった。年の二二六事件における天皇の反乱軍討伐発言は行き過ぎではなく、一般国務については君主無答責でも、統帥については天皇に絶対の権限があるから「天皇に責任が及ぶことは当たり前」なのに、「天皇自身も知っていてごまかしているのか、わからない」と現在時制で天皇の責任逃れを追及した(上ff頁)のは、昭和天皇がまだ生きていた年のうちだろう。年の盧溝橋事件から日本が総力戦体制へ向かったとき、左翼知識人のなかに自由主義からファシズムへの雪崩が起きたとともに、反ファシズムで自由主義を再評価する動きも生じたことを回想したうえで、「本当の自由主義者」尾崎咢堂の講演や南原繁の学問に言及した直後、「重臣自由主義というものに、親父も広く言えばぼく自身も含めて、深くコミットしていたことに対する反省が、戦後の一つの出発点になっています」と丸山は語りだした。敗戦から半年、迷いに迷い、丸山自身も「転向」をして、「超国家主義の論理と心理」(年5月)を3月に書いた、それまでは「立憲主義的君主制に対するコミットメント」が強かったが、「親父も含めて」また「天皇も含めて」「重臣リベラリズムというものには致命的な限界があるということがだんだんわかってきた」という(上頁)。丸山が「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」を執筆したのは、年1月日すぎから日までだった。前年秋以来の昭和天皇の病気報道によ政治思想学会会報JCSPTNewsletterNo--る「自粛の全体主義」は天皇制の不変どころか「情報社会下の天皇制の変質」を物語る「異常に新しい現象」であり、「偽善と外面的劃一化とが拡大した」と観察した前書き以外は、回想に話を限定している。敗戦までは「「リベラル」な天皇制へのゆるぎない信者」として、「軍部ファシズム」に対抗する「天皇を囲繞するいわゆる重臣リベラリズム」を肯定しており、その限界を身に沁みて感得することはなかったが、敗戦後、半年も思い悩んだ揚句、「超国家主義の論理と心理」の執筆によって、「天皇制が日本人の自由な人格形成〔中略〕にとって致命的な障害をなしている、という帰結にようやく到達した」のであり、あの論文の一行一行が「つい昨日までの自分にたいする必死の説得」だったという。そのことは本書でも、「ぼくにとっては、天皇制を否定するということは大変なことだったのです」(第章、上頁)と回想されている。超国家主義論文は、ファシズムや天皇制の語を含まず、重臣への言及もないが、ファシズムという意味でのウルトラナショナリズムを批判した論文だと私などが理解していたのとはかなり異なって、重臣リベラリズムによって支えられる天皇制を批判し自己批判したことが核心だというのが年の丸山の自己理解だった。たしかに絶対価値としての国体のもとでは、権威と権力が一体化し、個人に良心の自由がなく、責任の自覚もなく、ずるずると戦争に突入し、順次に抑圧が移譲され、天皇も自由な人格ではなかったというその見解は、自己批判を含む天皇制批判だったと思い知らされる(すでに敗れたファシズムへの単なる批判ではなく、現在なお国民を呪縛する天皇制の自己解剖だったことが、広い反響を呼んだ理由

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